愛する海彦君
栄子夫婦が帰つて来て、例の調子で、東京での「海ちやん」の様子をいつさい事こまかに話してくれました。もちろん身振をさへまじへて。それが私達夫婦を涙の出るほど笑はせたり喜ばせたりした事は言ふまでもありません。
そしてあの長い親しい御手紙でした。僕は君をほとんど眼前に「持つて」ゐました。これを書いてゐる今も、とうてい「山脈をへだてた」幾十里彼方の人に物を言つてゐるやうな気にはなれません。君は常に僕達と一緒に生きてゐるのです。
君の「虚空」はそのまゝ僕にはよく分る気がします。君の空気境界面がちやうど君の詩と人生との薄氷のやうな接触面である事も。君はリルケの所謂「空間」を常に身にまとふ事で君の魂の純潔を燃やしてゐます。その盛り上がる内部からの花びらの極めてデリーカな一端が空間を切る。その一髪微妙な瞬間を感じ取ることの出来る人といふ者は、海ちやん、そんなに沢山はゐる筈が無いのですね。大人は粗悪で凡庸なものです。そして世に云ふ詩人とは、少くとも今の日本では、さういふ大人です。彼等のうちの数人の者は、曾ての昔には或はふとそんな世界に憧れた事もあつたのでせうが、小さな名声が忽ち彼等を今の濁世へと吹き落としてしまひました。
リルケが誰だかへの手紙の中でセザンヌについて書いてゐる事は本当です。僕といへどもリルケのあの言葉には烈しく鞭打たれます。君は僕のやうであつてはなりません。又事実僕のやうである筈はないわけですが、どうぞいよゝゝ君の孤独の最美の世界を創造して行つて下さい。君にそれが出来る事を、おこがましい言ひかたですが僕はかたく信じてゐます。
リルケのフランス語の詩の抜書をありがたう。僕はあれを写しました。君のいふとほり、あの八行の詩は我国現行の八十冊の本にもまさります。
僕の本の事をいろいろと考へて下さつてゐる事を心から感謝します。「碧い遠方」(之は仮の題ですが)は今ずつと書きつゞけてゐます。これが僕の本音の仕事ですから、毎日のいちばん良い時間を捧げてゐるのです。
ジャヴェルももう一度出ればいろ々々な意味で好都合ですから、何だつたら僕の所にあるのを送つてもいいと思つてゐます。わざゝゞ河田君の所まで行くのはいかにも大変だらうと思ひますから。
ジェッフリーズの「野外随想」(The Open Air)を叢書とは別にして出して下さる気があるといふのはまことに嬉しい事です。ジェッフリーズは名だけは知られてゐながら、又幾らかの人々から求められてはゐながら、日本では只僅かに一冊岩波文庫で『我が心の記』(Story of my heart)が出てゐるきりです。
ここだけの話ですが、此のジェッフリーズを僕は山内義雄君のセルボーンの博物誌のやうにはしない積りです。あの本は自分でも飜訳を企てゝゐましたが、山内君のが出たので大変期待して読んでみたところ、どうも思つてゐた程ではなく落胆しました。自然科学について余り智識や関心が無いとみえて、ところゞゝゝ致命的な誤りがあるのです。
ギルバート・ホワイト、ハドスン、ジェッフリーズ、それに自然に関するヘンリー・ソロオの「日記」や「ワルデン」などは、やはり自然に深い愛と関心と、必要なだけの智識とを持つてゐる人でないとさう手軽には訳せない気がします。
デュアメルの「ユマニストと自働器械」といふのはすばらしいエッセイで僕もやつてみたい気はあるのですが、もう自分の年齢を考へるとそうそう他人の仕事の紹介に大切な時をつぶすのもどうかといふ気がして二の足を踏むことになります。自分の物が書けない時ならばそれも亦いいでせうが。
今年の冬は倹約の生活をして、デュアメルの「欧羅巴の懇親地理学」とジェッフリーズとに専心するつもりでゐます。そして時には君のためにぼつゞゝリルケの詩も訳しながら。
今、富士見は晩秋の紅葉の盛りです。分水荘の裏庭中林はまつたく四方に絵硝子の大窓を持つた大伽藍の内部のやうです。それに一帯の山野の黄や赤や紫や黄銅の色。冬近い地平線をいろどる薄い青磁いろの空。稲刈がいたるところで行はれ、いたるところで稲こきのモーターや足踏器械の音がしてゐます。そのかはりには気温も日毎に下がつてもうコタツ、ストーブが始まつてゐます。
四五日前三輪先生に誘はれて晩秋の霧ヶ峯、車山、鎌ヶ池の湿原地帯などを歩いて来ましたが、華麗に清く寂しいあの広大な風景を包むすばらしい霧のもてなしを満喫して来ました。これが僕への今年の最後の祝祭でした。
では今日は之でさよなら。又書きますが御母上様吉村君等の皆さんにくれぐれも宜しく御伝言下さい。妻からも心をこめた御挨拶をたのまれました。
九月二十八日
君の渝らぬ
尾崎喜八
愛する
海彦君
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