初期作品(単行本未収録)


   ※ルビは「語の小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています(満嶋)。

 
  「ある夜」(創作) 愛と創作 ヹルハアラン  
       

 

 

                   

 「ある夜」(創作)  尾崎喜八

          雑誌「我等」第1巻第五號 (11~22頁)大正八年四月十五日発行

          ※この作品は 堀 隆雄 氏からテキストファイルをご提供いただきました。

 妻が死んでから、自分には、たまらなく寂しくなる夜がよくある。居ても立つてもゐられなくなる。部屋の中で目に入るものが一つ殘らず思ひ出の種になる。この思ひ出に心を浮べ、妻の殘して行つた空氣の中で、樣々なことを考へてゐられる時はいゝ。しかし寂しさが嵩じ、どうしてもあれは二度と自分の處へ歸つては來ないのだと思ひ初めると、もうじつとしてはゐられなくなる。自分は直ぐ家を飛び出す、そしてあてどもなく歩き廻る。そして疲れ切つて歸つて來ると氣分は幾らか輕くなつて樂になる。今はそう度々ではなくなつたが、初めのうちは、毎晩のように自分は散歩をした。散歩といふよりは歩き廻つた。
 その頃の事である。自分は、一生のうちにも幾度とはないやうな經驗をした。勿論生れてから今日に到るまで、こんな經驗は一度もした事はなかつた。
 自分の力が、此の經驗の事實とその事實の持つ精神とを、より善く生かして呉れゝば自分は滿足である。
 曇つた三月の初めの、寂しい晩だつた。自分は昨夜から讀みさしの本の先を讀んでゐた。すると、自分の部屋は往來に向つた二階であるが、往來を此方へ歩いて來る女の下駄の音が、本を讀んでゐる耳に入つた。自分には或る一つの下駄の音の感じがよく分かつてゐた。妻の來る時の下駄の音がそれであつた。どんなに違つた時間にでも自分はその下駄の音で妻だと云ふことを直覺した。そして、自分の直覺は殆んど誤つた事がなかつた。
 自分は双方の家庭の事情のために、妻と同棲してゐなかつた。それで妻は、この三年餘りと云ふもの、殆ど毎晩缺かす事なく自分の下宿へ訪ねて來た。
 處が妻が死んでからと云ふもの、自分の直覺はあてにならなくなつた。無論此の世にゐる筈はなく、又ゐない者が訪ねて來る筈はないのであるから、頭から下駄の音などを問題にしなくつていゝ筈であるが、習慣は、未だに自分から拔けないで、ともすると自分は、靜かな夜の窓の下に鳴る下駄の音に僞られて、殆ど本能的に、『おや!』と耳を傾けるそんな時は勿論厭な氣持になる。その上『だまされた』と云ふ感じと、『こんなにも自分は彼女あれの事を思つてゐるのに』と云ふ何かを恨む氣持と、『もうどんな事があらうと、二度と歸つて來やしないのだ』と云ふ絶望的な、やけな氣持とが一緒になつて、何とはなしに腹立たしくなつて來る。そして仰向けに倒れて太息をつく。そんな時の自分は勿論現世的な考へばかりに支配されてゐる。肉體以上のものは殆んど考へられない。無限のものに對する意識は、この渾沌とした現世的の意識に覆ひかくされて、黑雲のうしろの空のやうである。無限最高の青空は、その片影すらも見せない。
 その晩も自分はだまかされた。前に書いたやうに本を讀んでゐると下駄の音がした。同時に、絶へて久しい咳拂の音がきこへた。それが兩方とも妻の特色を持つてゐた。妻は、自分の處へ來る時には、必ず向ふから來ながら輕い咳拂を一つした。自分はそれを、『來てよ』と云ふ合圖のやうに思つてゐた。妻も終ひにはそれを意識してやるやうになつた。
 足音と咳拂ひと、この二つのものは完全に、自分を訪ねて來る妻のそれであつた。若し此の時、自分が机の前の妻の寫眞を見てゐたが、或は、はつきりと妻の死んだ事を意識してゐたかしから、幾らその二つの音が似てゐやうとも感違ひするわけはない。しかし、自分はどうかした拍子で、うつかり妻の死んだ事を忘れる事が今でもよくある。と云ふよりも、ぼんやり生きてゐる時と同じやうな氣持でゐる事がまゝある。丁度そう云ふ時であつた。自分は割に身を入れて讀んでゐたから尙そうだつたのかも知れない。躊躇も反省もなしに、自分はいきなり立ち上つてがたりと窓をあけた。自分は本能的に首を突き出して、下の往來を見た。同時に、『又やられた!』と、殆んど雷光の速さを以て自分は心の中で叫んだ。
 あゝ、しかし、未練は、愚かな執着はこんな時にも自分のうちに頭を擡げる。此の未練は、言葉を以て現はせば、『念の爲め』と云ふ意味になつて、自分の憐むべき妄想を認める唯一のものであつた。自分は此の『念の爲め』を口實にして、そして實際、『若しや』と云ふ自分ながら可哀さうな、空な心だのみを抱いて、今丁度下を通る女の姿を見下した。此の時一刹那の緊張の仕方は、氣の毒な位強いものであつた。
 しかし、それは、妻に似てもつかない女であつた。
 『當たり前だ! 馬鹿!』と、自分は自分に怒鳴つた。しかし次の瞬間には、悲しみとも、寂しさとも、やけとも、恨みとも、一口には到底云ひ現はせないやうな、複雜な、絶望的な氣持になつて自分は横つ倒しになつて、頭をかゝへて唸つた。
 しかし、渾沌の闇から遠く蒼白い曙の來るやうに、暗黑な雜念に煙り切つた自分の頭の中にも、次第に冷徹な、澄み通つた理性が、水のやうに浸みて來た。苦しい興奮は靜まつた。しかし今度は本當の寂寞の感じが氷のやうに張りつめ初めた。是こそ自分の最も苦しく思ふものであつた。この兆候を此頃の經驗から知り初めた自分は、矢庭に起き上つて、木箱から一册の薄い本を拔き出して家を飛び出るやうに出た。
 自分は初めに書いた不思議な經驗とは是から書くものゝ事である。
 自分は足に任せてどんどん歩いた。自分の家は厩橋の近くにあつた。自分はその橋を渡つて隅田川の向ふ側の町を歩いた。割下水を眞直ぐ進んで餘程行つてから左へ折れた。まるで知らない場所を曲りくねつた暗い寂しい道ばかり歩いた。すると業平橋の近くへ出た。それから小梅へ出た。そしてとうとう向島の堤へ上つた時は、『一時間は歩いたな』と思つた。
 小梅へ來た時分には、自分の頭は平常に復してゐた。もうさつきの自分ではなかつた。自分はよく醉つたやうな氣持になる。自分の母が、子供の頃の自分に、よく『お前、そんなに癇癪を起こすと氣狂ひになるよ』と云つた。年をとつてからも自分にその癖は拔け切りには拔けなかつた。家を飛び出した時がそうであつた。唯、一つ確かな事は、若し疲れて何處かで休む時のために、自分が本を一册拔き出した事と、その本が、ある英吉利人の書いたベートヹンの傳記で、それを特に自分が突差の間にも擇んだ事であつた。
 自分は外へ出る時は大抵何か一册本を持つて出る癖があつた。讀まないでしまふ事もよくある。しかし電車などで、本を持つて來ないとなると、怠屈で、何となく時間を空につぶすのが馬鹿らしくつて仕方がなくなる。そして持つて來なかつた事を後悔する。それが癖になつた。その晩も自分は、本だけ擇んで持つて來る餘裕が、頭のどこかにあつたに違ひない。
 自分は吾妻橋を渡り切つた時一寸考へた。このまゝ駒形の河岸を通つて歸らうか。どこかで休むで歸らうか。
 どんどん歩いたので陽氣は寒い方だつたが自分は汗をかいてゐた。それに咽喉も乾いてゐた。それでどこかで休むで歸らうと思つて淺草の公園へ行く事にした。時計をみると、もう十時半を過ぎてゐた。
 自分は或る珈琲店へ入つて、そこの一番隅の食卓に向かつて疲れた身體を椅子に凭せた。そしてソーダ水を命じた。一息にそれを飲み乾して代わりの來るのを待つてゐる間に、又もや自分は、さつきの情けない感情に似た感じの、しかし今度は或る諦めを混へて、靜かに湧いて來るのに氣がついた。それは自分がこう云ふ處へ來る時、妻を失つてから時々感じる種類のものであつた。そしてそれは常に一つ一つの思ひ出を持つてゐた。自分は一度こゝへ妻と一緒に來た事があつた、それが又も自分に或る寂しさを感じさせるのだと云ふ事には、初めから氣がついてゐた。自分はつとめて忘れやうとした。そして持つて來たベートヹンを讀み初めた。
 代りのソーダ水が來た。自分はコップを口へ當てながら見るともなしに此の珈琲店の中を見渡した。廣い部屋の中には自分を入れて十二三人位の客しかゐなかつた。もうおそかつた。入り口の硝子戸には、布が下ろしてあつた。
 見渡した自分の視線は、ふいと二つの鋭い視線にぶつかつた。自分はその視線を避けないで射返すやうにその目の持主を見つめた。それは見た事のある顏であつたが直ぐには思ひ出せなかつた。自分は、斯くも大膽に自分の顏を見つめてゐる男は誰であるかと、その名前を思ひ出さうと考へた。顏はたしかに幾度か見た顏である。しかし名前は? そしてどこで見たつけ。おゝ! と自分は思ひ出して心の中で叫んだ。『あいつだ。あの男だ。ピアニストのBだ。』
 そう氣がつくと、自分は、そ知らぬ顏でどこと云つて極つた處もなく目をやりながら、しかしそれとなく彼の視線を避けながら彼を注意して見た。
 それには譯がないではなかつた。
 自分が今Bと書いた男はピアニストであつた。自分は彼を四五年前に初めて神田のある學校で見た、その時彼はシヨパンのものと、リストのものを彈いた。自分はその以前彼より良い人のを聽いたことがなかつたので、かなり感心した。そして眞面目さうな、いゝ奴だと思つた。その後違つた場所で二三度彼の演奏を聽いた。段々耳の肥へて行く自分にとつて、もう彼は最初のやうな魅力を自分に與へる事は出來なかつた。只、初めての時の印象は、忘れ難いものとして、今も腦裏に殘つてゐる。そしてその頃が彼にとつても、少なくとも得意に近い時代であつたに違ひない。當時彼は三十一二の青年であつた。
 彼が淺草の芝居小屋へ出ると云ふ新聞の廣告を見たのはそれから二年程立つてからの事であつた。自分は變な氣がした。どんな事情からそんなに身を落とすやうになつたのか知らないが、是は又少しひどすぎる話だと思つた。その頃自分はロマン・ロランの音樂家の評論を本にして出して間もない時だつたし、ベルリオの自傳を譯し出してもゐたので、若い不遇な音樂家には、一種の愛を感じてゐた。何となく味方になつてやりたいやうな、幼稚さを混へた愛を感じてゐた それでBの境遇にも同じやうな動機から同情した。元より自分は彼の事情は何にも知らなかつた。只しかし、それが主として金のためだと云ふ事だけは容易に想像のつく事柄だつた。『誰が好きこのむで、淺草あたりまで下つて行くものか それは俗衆に媚びて藝術を賣ることだ。あいつにとつても是は餘程の苦しい境遇から決心したことに違ひなからうし、又、たまらなく厭な事に違ひない。斯んな事さへ自分は、はつきりでなくつても、漠然と考へたものである。
 彼は公園の或る芝居へ出てゐた。そこでピアノの獨奏をしてゐた。自分は二年ぶり位で初めて彼を淺草公園の小芝居の舞臺の上に見出した。
 彼はその時ベートヹンの『アツパシヨナタ』を彈いた。自分は彼の周圍や、馬鹿な觀客に對する不快の反動から、彼に好意を持つ事が出來た。そして彼は、こんな場所へ出ることはその時はまだ初めての經驗からか、極めて眞面目に、場所柄には不調和な程うぶな態度で彈いた。自分はその氣持ちにも同情した。そして、今考へると冷汗のやうであるが、『アツパシヨナタ』の途中で、觀客の中の二三人が、『もう澤山だ、止めろ止めろ! そんな木琴の寢言見たいなもの!』と叫んで滿場を笑はせ、彼の顏を眞赤にさせた時、自分は眞劍になつて、特等席から『馬鹿!』と怒鳴つた事がある。その時自分は昂奮した餘り、彼に會つて、その藝術的貞操を汚さないやうに、本當の味方はその人間さへ善ければどこかにゐるからと云つて慰めてやらうかと思つた。そして實際、樂屋へ通じる廊下を決心がつき兼ねて往つたり來たりした事があつた。しかし自分は止めた。自分の同情を素直にうけて呉れゝばいゝが、さもなければつまらない俠氣だとも思つたし、又、彼に對する自分の信用を實際よりは少し過ぎてゐはしないかと思つたからでもあつた。
 その後三四度違つた芝居で彼の演奏を聽いた。その度に自分は彼の藝術的良心が荒んだやうに感じて好意に持ちにくくなつた。反感は持たないまでも、以前よりはずつと冷淡になつた。その後自分は一年近く彼の演奏を聽く機會を作らうとしなかつた。自分は殆ど彼のことは問題にしなくなつたし、忘れてしまふやうになつた。
 その彼、Bに今自分は逢つた。彼が時々穴のあく程自分の顏を凝視するのは、自分の目付きがどことなく他の人間と違つてゐるからか、或いは少し醉つてゐるらしい彼の目が、誰かと自分とを思違ひさせてゐるからか、と思つた。彼は少し醉つてゐた。連れはオペレットの俳優らしい若い男が三人と、そう云ふ社會の人間と友達づきあひする事を名譽位ひに考へてゐるらしい。たまらなく輕薄な顏をして、流行の洋服を着た青年が二人であつた。Bは、彼等とは段違ひに、殆んど見すぼらしいと云ふのに近い古い着物を着てゐた。
 彼等の食卓には、七八本のビールの壜が空になつてゐた。彼等はビールを飲みながら、問題にならない程度の音樂の智識を振り廻し合つたり、馬鹿すぎる噂を話題にして大聲で饒舌つてゐた。彼等はよく下らない事に笑つた。その笑ひ方にも彼等らしい處がよく現れてゐた。即ち、俳優達は二人の青年のやうに、どこか金持ちの息子らしい風を模傚しやうとした。そして又二人の青年の方は、つとめて俳優位に見られたいやうな、不思議な表情をした。要するに何も餘り大差はなく、丁度いゝ仲間のやうに見える位、下等な一團であつた。
 只、その中で一人孤立してゐるやうに見えたのはBであつた。彼は殆ど彼等と話をしなかつた。たまたま誰かゞ話を持ちかけても心から取り合ふ樣子は見えなかつた。直ぐに沈默した。そうしてビールを飲んでは不機嫌らしい、充血した眼をあげて天井を見つめてゐたり、食卓を四つ程へだてた自分の方を見たりしてゐた。
 自分は、Bも變つたなと思つた。彼の鋭い目は深い目とは違ふ。それは不攝生と、荒んだ生活を背景とした彼の精神を反映する、粗暴な自暴自棄的な、皮肉な目付であつた。正しき者の嫌ふ目であつた。その光は小魔を喜ばす光であつた。俗に『凄い』と云ふ、そう云ふ種類の目であつた。
 その目が時々自分の方へ注がれる。自分は氣持がよくは無かつた。
 彼の他の仲間の一人がひどく醉つて、ビールのコップを差し上げながら、何とか女史と何とか君のために乾杯しますと云つた時、そして他の仲間が笑ひ出した時、今迄時々さげすむやうな目を以つて彼等の顏をちろりちろり見てゐたBは突然立ち上がつて自分の方へ歩いて來た。
 その瞬間自分は、『己に喧嘩でも仕掛けるのかな』と思つた。醉つた人間は、よく『顏を見てゐた』ことを言ひがゝりにして喧嘩を賣るものである。自分は立ち上がつて勘定をして出やうと思つた。之等の考へは實に一瞬間の事であつた。Bはもう自分の前に立つてゐた。そして一寸頭を下げた。
 『何ですか?』自分は密かに防ぐやうな態度と決心で斯う云つた。さつきから時々頭をかすめた『Bは變つたな』と云ふ考へが、今や此處で事實を以て證明されるかのやうに、自分は不安を感じた。
 『失敬ですが此の本はベートヹンですか?』斯う聽いた彼の言葉の調子は、案外眞面目でもあり、確かでもあつた。しかし自分は或る種の人間が云ひ掛りを云つたり強請したりする時、いざと云ふ場合に現はす性根の惡を強めるために、最初はおとなしく、下手したでに出るものだと云ふことを知つてゐた。たとへその場合のBに、この智識や感じのやうなものを當て篏めたのは氣の毒であつたとしても、確かにそうだと自分は思つた。それで
 『そうです』と簡單に答へた。
 『實はさつきあなたが便所へゐらしつた間に一寸表紙をのぞいて見たんですが』と彼は兵卒のやうな姿勢をして、變にむきになつて云つた。自分は尙固くなつた。彼はその先を云ひたさうであつたが言葉を切つた、そして自分の顏をじつと見た。
 『そうですか』自分は斯う云ふより仕方がなかつた。是以上何か云ふ事は、まだ心から警戒の手をゆるめない自分には不可能であつた。彼の仲間は此方を見てにやにや笑つてゐた。『馴合つてゐるのかな』と云ふ考へが頭にひらめいた、しかし『まさか』と自分は思つた。
 『濟まないですけれど一寸讀ましてもらへませんか。ベートヹンを僕は尊敬してゐるんです』
 彼は飽くまでも眞面目であつた。その調子の内にはどこか惡ずれのしない、云ひにくい頼みを思ひ切つて口に出すものの耻しさうな感じがあつた。何となく正直な、頑固な、素朴の處があつた。是等の感じが一つになつて自分の先入観念をうちこはし初めた。自分は彼の他意ない心持を信用しないのは惡いと思つた。少し疑ぐりすぎ、相手を惡者にひとりぎめしすぎてゐたと思ふと耻づかしく思つた。考へが此處まで來ると、自分は、彼のピアニストである事を自分が知つてゐる事を知らしたく思つた。そうしたら何かの動機で彼に自重心が出、現在してゐるであらう自堕落な生活から飜然と目を醒まして正しき道に立ち歸る、是が何かの機緣となりはしないかと思つた。しかし是丈け書いた自分の考への筋道は極めて瞬間的に進むだのである。自分は云つた。
 『僕は君のピアノを四年許り前に神田で聽いた事があります。あの時はひどく感心しました。』
 『おゝ!そうですか』と彼は驚いて唸るやうに云つた。彼は自分の顏をじいつと見つめた。彼は明らかに自分の一語によつて興奮したようであつた。自分も自分の斯う云つた感情で興奮した。
 『そうですか。そして此頃は?』
 『此頃は聽きません。君のは。』
 自分は云ひすぎたかなと思つた。そして慰めの意味で云ひ足した。
 『此の本貸して上げてもいゝのですよ』
 『そうですか、ありがたう。此頃の僕は實際駄目です。』
 彼は斯う云ひながら、急いで本を手にとつて立ちながら頁をはぐり出した。彼の輝く兩眼の上には、かぶさるやうに太い眉毛が八の字を寄せてゐた。唇は固く結ばれて、鼻は時々つく吐息のためにひろがつた。彼は或る頁を見出して貪るやうに讀んでゐた。自分は彼の表情から目を放たずに、その興奮した顏面を見つめてゐた。三分間位立つた。と彼は突然『おゝ!』と短い、しかし太い、腹の底から出たやうな吐息をついたかと思ふと。
『ありがたう。ベートヹンは矢張り一番純潔な人でした。』と吐き出すやうに云つて、自分に本を返した。自分は前よりももう一歩進んで彼に忠告して見やうと思つた。しかし彼はすぐにその後から斯う云つ放つて向ふへ歩き出した。
『彈きませう!』
 彼は壁につけて据へてあるピアノの方へ進んだ。そして椅子に腰を下ろして蓋を上げると、いきなり恐ろしく早いソルフヱツジオ(音階練習)をやつた。彼は戰線に立つて兵を閲する将軍のやうであつた。
 人々はその音をきくと一齊にピアノの方を向いた。彼の仲間のある者が立ち上つて彼のそばへ行つた。そして、醉つてもつれた舌で
 『おい。今頃何を初めるんだい。歸らうよ。あの子が待つてるよ』と云ひながらBの肩を卑しい女のやうな手付で叩いた。Bは右手で強くその男の手を拂ひのけておいて、さて彈き初めた。
 手を拂はれた男は
『ひどい事をしやがる』と、態と大きな聲で呟きながら元の席へ歸つてぐたりとなつた。部屋はしいんとなつた。皆耳をかたむけてゐた。
 それは『ムーンライト・ソナタ』であつた。
 今や此の廣い一間はベートヹンの音樂の海のやうになつてしまつた。一切が彼の天才の驚くべき力で征服されてしまつた。人々は半ば口をあけてぼんやりした。一つの物音もしない夜更けの珈琲店の一間の中を、輝くやうな音の波が互ひに打ち合つて渦巻いた。
 Bは額に太い血管を怒張させて、指先は蛇の樣に鍵盤の上をうねり廻つた。頬には汗がたらたらと流れてゐた。
 自分はこんな立派な、熱情に溢れた演奏を聽いた事は未だ曾てないと云ふ氣がした。是はBにとつて復活の演奏だと思つた。人間の復活の力が、これ程までに熱情に燃えるかと思ふと涙ぐましくさへなつた。自分はBのために祝したい氣がした。そしてベートヹンの偉大を心から認めた、Bにも何か感謝の記しを示したかつた。自分はBが讀みたがつた此の本を、今日の日の記念のためにと自分の心の感謝のためにBに贈るのを最もいゝ方法だと思つた。Bも喜ぶにきまつてゐると思つた。
 自分は立ち上つてピアノの方へ進んだ。音樂はまだつゞいてゐた。自分は萬年筆を出して本の扉に
 『B君におくる。君の立派な演奏への感謝のために』
 と書いて年月日を入れた。
 自分はそれを持つてピアノに近付いてわきの題に載せた。Bは一生懸命に彈いてゐるので解らなかつた。自分は少しはなれて立つたまゝ聽いてゐた。
 遂に音樂は終つた。Bはピアノの蓋をする時に本に氣が付いた。Bはそれを取り上げた。そしてそれを持つて滴り落つる汗を拭きながら自分の方へ近寄つて來た。その顏はさつき迄の彼とは別人のやうに輝いてゐた。自分は嬉しかつた
 『ありがとう。すつかり感心しました』と自分は云つた。
 『いや。あなたと此の本のおかげです』と彼は云つた。そして自分の手を握つて強く振つた。彼は涙ぐむでゐた。自分も涙ぐむでゐた。
 彼は自分がベートヹンの本を彼におくつたのを知らなかつたので、
 『此の本を二三日貸していたゞけないでせうか。讀み終わつたらすぐお返ししますが』と云つた。自分は、
 『是は私から君に御禮と御祝いに上げませう。よかつたらとつておいて下さい』と云つて、彼の手に本を渡した。
 彼は心から喜んだ。その喜びは演奏してゐた時の興奮と好箇の對象を以て限りなく美しいものであつた。彼は夜の明けたやうな顏をした。兩眼は、濃い、うづまいた髪の下から星のやうに輝いてゐた。
 彼は自分の住所と名前をたづねた。自分は名詞を持つてゐなかつたので紙に書いて渡した。彼も書いてくれた。自分は彼に自分の住所を知らせながら、少しの不安さへ感じなかつた。
 皆勘定をすまして外へ出た。もう十一時半であつた。彼は親しげに帽子をとつて自分に御辭儀をした。自分も彼と同じやうにした。自分達は右と左へ別れた。別れる時彼を見たら、彼は大切そうにあの本をかゝえてゐた。自分は嬉しかつた。心がある處まで届いた氣がした。自分は七八間行くと振り返つた。その時、仲間と別れて別の方向へ急いで曲つて行く彼の後ろ姿が瓦斯燈の光で見えた。
 自分は、ある一つの感情を抱いて家路へ向かつた。それは喜び以上のものであり、悲しみ以上のものであつた。否、それらはすべての上にある、一つの名狀し難き清き感情であつた。それは永遠或は不滅とでも名付くべきものゝ感じであつた。しかし今の自分には未だ未だ一つのそう云ふ清き感じと云ふのみであつて、はつきりと口には云ひ現せないものである。

(完)

 

目次へ 

 

 

 「愛と創作」  尾崎喜八

          雑誌「エゴ」第四巻第一号 (11~22頁)大正五年一月

    ※この作品は、尾崎喜八資料16号から転載しました。当用漢字、現代仮名遣いです。(管理人)

 (此の一篤ママを長與善郎兄並びに我が隆子に)

 室の中は静かだった。絵を見る人は四五人しか居なかった。皆足音をさせるのも遠慮するらしく、併し眼を輝かして掛け連ねた一枚々々の画布の前に立止つて居た。暖炉は平和な呟きを洩して戸外の寒気はこゝ迄は襲つて来なかった。
 百枚に余る画布は凡てその処を得たやうに落著いて居た。そこには官設展覧会に見るやうな死物の混乱はなかった。生き生きした生命の凝視があった。呼吸をのむだ気魄があった。真摯な空気が見る人の胸を圧した。その圧迫する精神は真に充実した生活の痛い快感であった。或る森厳さが見る者の心に破裂し切らぬ感情の苦しさを与へた。叫ぶ事の出来ない昂奮が此の静けさの内に音もなく渦巻く生命の流れを渦巻かせて居た。
 それは陳ママ滞し切つた日本現代の絵画界に最初の烽火を上げた新しい書家の展覧会であつた。それは反逆であった。古きもの、堕落したもの、そして芸術の仮面を以て日本の絵画界に跳梁する者に対する反逆であった。権威ある如く見ゆる多勢の者に、若き少数の人が挑みかゝる反対の旗幟が若し反逆と呼ばれるならばそれは明かに反逆であった。何となれば彼ら少数の芸術家は、多年平和の逸民であつた観衆をおどろかし、虚偽の芸術にその権勢を独擅して居た所謂老大家や、その追随者なる群小画家に向つて最初の火蓋を切つたからである。それは真実の為めの戦ひであつた。そして虚偽なるものが一世を支配する時、一人真実の鉾を提げて立向ふ天才が蒙る反逆者の名を彼等少数の者は邪道にあって邪道を知らない芸術家や、彼等を庇護する民衆から冠せられた。その戦ひは身顫ひを感ぜしめる悲調を帯びて居た。そして民衆の内にあつて、猶虚偽を憎む少数の者の胸に同じ悲壮さを伝へしめる。男性の気魂。男性の涙。男性の征服慾は彼等真実なる芸術家の制作を通じて若き真実なる観衆の心に電流の様にひびき渡る。
 若き達雄は此の電流に心を顫はせながら次から次へといきをつめて見て行つた。危く爆発しかゝる昂奮の叫びを押へながら画布に顔を押しつける程近く身を寄せて見て歩いた。
 百枚に余る画は僅か五人の芸術家の手になつたものであった。その中の三人の名を彼に既に知って居た。彼はその三人の制作を曾て二度許り見た事があった。そして今の此の充実し切つた制作を見てその進歩に驚嘆した。
 D……と云ふ画家の或る肖像画の前に立った時、彼は太い溜息をついた。「余りぴつたりして居る。是こそ真の肖像だ。所謂大家の中に此の一枚にも比敵し得る肖像を描く奴が一人でも居るか」蒼白い二月の雪の日の光線を上から受けた肖像の前に彼は寒さと熱さの二つに顫ふ身顫ひを禁じられなかった。彼は此の画家の性格の内に或る寒い厳粛さを見た。筆触、にも色彩にも、そして絵画全体に行亘って居る調子の中にも。勿論そこには云ひ知れぬ愛があった。併し余りの懐しさに我を忘れて縋りつかうとする時、その狎れ難い厳粛さに自ら耻ぢて身を引く者の感情がその時の彼の感じた感じであった。彼は重圧するD……の意力に呼吸苦しさを感じた。
 若き彼の内には併し此の寒い程の厳粛さは入り難かった。彼はもう少し温かいものを欲して居た。其の時代の彼を迎へて呉れるものを欲して居た。彼の内から衝き上げて来る感情を優しさの手で抱き上げて呉れるものが欲しかった。元より彼は厳粛を愛して居た。そしてそれが持つ至上の生命を知つて居た。併し明徹な線を欲するよりも、豊かな愛を盛る色彩を欲して居た彼は、デューレルよりもドラクロアを愛する彼であった。D……の画が彼の内に或るものを目醒まし、警めたにも拘らず、尚彼の重苦しい圧迫と冷静な理知とは達雄をして同胞に対する様な感情を起させなかった。それは彼が情緒を喜ぶ処から来て居るものであった。併し彼の喜ぶ情緒は元よりセンチメンタリズムのそれではなかった。彼の内にも真実と力とを欲するものがあった。それで彼は救はれて居たのだ。多くの青年が渇仰する感傷の誘惑から救はれて居る事が出来たのだ。
 彼が此の愛すべき者を愛し得ざる悲しき矛盾を感じながらD……の制作を見終る次にはT……の十数枚の画布がD……のそれとは殆んど対角をなすまでに異る色彩の豊かさを以て並んで居た。彼はその中の山岳を描いた一枚を見るや否や「是だ」と思った。「是こそ今の自分の欲して居るものだった。是こそ自分の同胞だった。此の筆触、此の温かい色彩こそは自分の欲して居た凡てゞあった」。
 そこには大地の盛り上る底知れぬ力があった。大地の脹れ上つて出来た山の真実があった。そしてその禿げた一部には大地の力の断層面が素裸に出て居た。濃い緑に覆はれた部分には見る者をひきつける山岳の寂寥と崇高とがあった。彼はぴつたりと此の画家の心に自分の心を触れ合す様な気がした。彼の内に明確でなかつた溢れる様な青春の感情が、遺憾なく、しかも非常な確かさを持って表現されて居ると思った。そして自分の内に沸騰して居る形を具へない力がしつかりと把握されて居ると思った。彼は一枚ゝゝと見て行った。そしてその画家の自画像の前に立った時彼は昂奮の極致に達して居た。
 「同胞だ。そして友達だ。自分はこゝに自分を抱き上る手を見る。此の画家こそ自分の友とすべき人だ」。
 彼の斯かる烈しい感銘は彼をして此の画家に手紙を書く事を決心させた。併し彼は此の躍り立つ感謝と歓喜の一方に恐ろしさのある事にも気が付いた。その点で彼は自分の未だ幼稚である事を知って居た。彼は是迄殆んどあらゆる芸術家に対して個人的の交際をした事はなかった。そして又、多くの日本現代の芸術家に知己を求める気にもならなかった。それにしては彼は少し成長しすぎて居た。そして彼等を軽蔑して居た。併し彼がT……に手紙を書きT……に会ひ度いと思ったその感情は極めて純粋に尊敬の念の発露したものであった。そして尚此の芸術家の制作に現はれて居る処から察すると彼にはT……が喜んで彼を己れの画室に招じ入れる類の人である気がした。彼はその時の様を想像した。そして微笑むだ。彼の前に宛もT……自身が立って居て彼の若々しい元気ある、そして在りのまゝなる感情のあふれた顔を見て微笑して居る気がした。彼の心は此の喜びに一杯になった。彼はあらゆる楽しい場面を想像した。そしてその想像の中に浸り入った。
 戸外には雪が降って居た。併し高潮し切つた彼にとって降りしきる雪も風も何でもなかった。彼は一時も早く帰ってT……に手紙を書かうと云ふ欲望に駆られながら展覧会の硝子戸を押した。そして出がけにもう一度会場の中を振り返った。そこにはD……の肖像が目に見えた。彼は一瞬の間寂しい気がした。併しそれも亦一瞬の間に消えた。
 外は真白な雪景色だった。彼がひろげる傘の下から巴の様に降りしきる雪片が彼の顔に舞込んで当つた。街路も家々の屋根も積雪の中に埋もれて、その中を電車が冷たい響きを立てゝ走って居た。彼は頭を下げ、傘を傾かせ雪とは全ママで違った事を考へながら急ぎ足に歩いた。そして附近の停留所から電車に乗った。

 彼は自家へ入るや否や女中の畏って挨拶するのも分からない程急いで自分の室へ入った。家の内は静かだった。両親は芝居へ行つて居なかった。「彼等には芝居が相当して居るのだ」彼は斯う思つて微笑した。併し喜悦と期待とに充たされて居た其の時の彼は日本の旧い芝居を見に行く両親に対しても軽い愛を感じて居た。
 人々には人々相当の芸術に対する娯楽乃至満足がある。彼等に鋭い批判の力と真実なものを愛する魂が缺けて居れば居るだけ、彼等を娯ましめ、満足せしめるものは多い。何となれば現世に於ても低級なるものゝみが広大な領地を持つて居るからである。センチメンタリズム。庸劣なるヒューマニタリアニズム。卑しき性慾描写の為めの性慾描写。病的嗜慾を芸術の羅をもて覆へる。悪魔主義ダイアポリズム。誤れる現実主義リアリズム……
 併しそれは真の芸術ではない。そして斯の如き邪道に棲息するものは真の芸術家ではない。彼等は弄ぶ感情を名付けて芸術と云ふ。概念を名付けて思想アイデアと云ふ。彼等はそれを以て得々として居る。彼等にとって芸術は高尚なる遊戯に過ぎない。思索に於ても殆んど此の事が云へる。そして尚現代の彼等にとっては高尚と云ふ二字すらも適当しないのだ。彼等の書くものは醜業婦との恋であり、昏酔を喜ぶ奇形なる神経であり。詩化ポエタイズしたる性慾であり、人間の庸劣から来る悲劇であり、外殻を撫で廻す英雄ヒロ主義イズムである。彼等の背景に人類はない。人類の運命もない。そして云ふ迄もなく一点の愛と雖もない。
 達雄はそれをK・Tに見、H・Iに見、J・Tに見、S・Tに見、R・Nに見、G・Sに見、そして彼等の無数なる追随者等に見た。絵画に於ても彼等の虚偽が現代をまよはしの地に導いて居る事を達雄は知り抜いて居た。
 彼等には愛がない。孤独に堪へ得る気魄がない。堅実なる思想の根底がない。偉大なる者を尊敬するハンブルな心がない。斯くて彼等はトルストイを嘘つきとし、ドストヱフスキーをプロットの作者としストリンドベルヒを大いなる狂人とし、ブレークを魔術画家とし、ロダンを現代の野蛮人とし、メーテルリンクを凡庸な思想家として耻ぢないのだ。彼等は実にいまはしき精神的悪疾に犯されて居る。ゲヱテを以て云はしむれば、「その病の癒ゆるに非ざれば筆をとるに価しない」輩である。
 何となれば芸術が人類に立脚し、人道に捧仕する処に於て初めて芸術であるからである。そしてそれこそは芸術の最初にして最後なる目的であるからである。人類の運命に立つものは寂しい。そして人道に対つて進む旅路は遠く孤独である。彼は寂寥を友とし、現実の幾多の苦惨によつて肉体的にも精神的にも傷けられながら、創造の喜悦に力づけられつゝ遥かなる人道に足を進める。やがて来る肉体的死滅にその身を任せるために。併し彼の霊は永遠に亘つて人類の上に輝く。そはベートオフヱンの所謂「苦悩を通しての歓喜」である。そして之こそは男子の一生を捧げて惜しからざる偉大なる業である。
 此の考へが彼達雄の内に湧き上って居た時、併し彼はそれが彼の理想であるに過ぎない事を知つて居た。彼は思念の中にこそ勇者であれ、その生活に於ては決して勇者ではあり得なかつた。彼は手淫慣習者マニユアリストであつた。卑しむべき彼の行為は此の一点を以てしても彼の自信を破砕するに充分であった。一方鷲の如きヒロイックなる気魄に充されて居る時、他方に於て暗き性慾にその肉体、精神を消耗しつゝあると云ふ事、そしてその内なる衝動の暴威に勝ち得ずして醜き屈辱の地にまみれると云ふ事、それはなんといふ痛ましき矛盾であらう。そして彼が感ずる此の矛盾苦痛こそは、屈辱こそは、悔悟の念こそは彼が偉大なる人々の事業を想ひ、自己の使命の高きを思ふ次なる瞬間に於て、彼の内に性慾の勃発を感じ、此の衝動に勝ち得ずして彼の信念の痛ましくも裏切られる時、更に烈しく強く彼を責めさいなむのであった。
 卑しむべき自家逐情。彼は此の行為のはかなき歓楽から醒める時、茫然として自失したる彼自身を感ずる。彼の全ては空虚である。彼の世界は此の時暗黒である。その暗黒の中に醜くも蒼ざめて座つて居る自己を見る時彼は自己の生くるにも価しない者である事を感じる。そして自己の醜悪なる性慾を咀ふ。併しそれは云ふ迄もなく彼の弱い叫びにすぎないのである。
 「俺はもつと聖くなければならない。俺は精神的にも、肉体的にも、もつと健全でなければならない。俺の不健全である事は此の汚れた常習を見ても充分なのだ。人間が精神的に健康であると云ふ事、それは何と云ふ大いなる事であらう。余りに見るに堪へない暗黒から俺は自分で自分を救ひ上げなければならないのだ。自己を救ふ事すら出来ないものが如何にして他人を、況んや人類を救済する事が出来やう。それは少くとも虚偽である。冒瀆である。そして一生をかけての事業に比較して何と云ふ耻づべく、唾棄すべき行為であらう」
 彼は斯う悔いる事によつてその良心と勇気だけは盛り返す事が出来た。併し彼のいまはしき痴行の結果は明かに目に見えて肉体的に疲労を与へた。そして彼の精神すらも実はその肉体と同じく半ば眠り半ば醒めて居たのである。

 併し今、その室に入った彼は此の性慾を感じて居たのではなかった。彼は実際半月余り其の誘惑に打勝って居たのであった。そしてその事は今の彼の念頭に影すらもさして居なかった。
 彼は文章世界の新年号にT……の住処が他の多くの文士、画家達のそれと共に載せられて居た事を知って居た。それで彼は室の一隅に積み上げられた雑誌の堆積の中から文章世界を引出してT……の住処を見出した。
 「京橋区月島東仲通…………」
 達雄はT……の家が彼と同じ区の内にある事に不思議な暗合を見出して喜んだ。達雄の家は隅田川に面して京橋区の東北の突端が日本橋区の東の一隅に接して居る処にあった。T……の家は彼の室のすぐ目下を流れる隅田川を越して右方に横はる石川島の河口に延長して東京湾に面する処にあるのだった。そこは彼が少年の時から旧知の場所だった。今こそ人家や工場が稠密して都会の一部を形作っては居るけれども、達雄の少年の頃は雑草の生ひ茂つた原野であつた。そして処々に小さな百姓家らしい家が点在して春は雲雀が高い空で鳴いて居たものであつた。彼はよくバツタを捕りに行き、ダボハゼを釣りに行った少年の日を思ひ出した。そして今、その追懐多き地に自分の尊敬する、そして自分の訪れやうとするT……の画室のある事をなつかしく思った。
 彼は書簡紙を机の上にひろげてペンを握つた。そしてどう云ふ文句から書初めやうかと悩むだ。
 多くの青年がそうであるやうに、そして殊に青年の尊敬の念が一向であればある程尚更そうであるやうに、彼も自分の内にT……に対して殆んど盲目に近い信仰を持って居た。それが為めに此の場合彼の内に群がる尊敬と感謝との念をあるがまゝに表白する事が唯一の事であるにも拘らず彼は自己の幼稚さをかくさうとした。彼は幾度か書き損じて幾枚かの書簡紙を癇癪を起して破り棄てた。そして逐に彼が心の中に組み立てゝ居た処のものよりも遥かに短い手紙を書き上げた。そしてそれは自己の幼稚さをかくさうとしたゝめに短くなったものであった。そして尚、そこには明かに幼稚さが現はれて居た。
 何と云ふ愛すべき苦心であらう。併しそれは或る時代に於てのみゆるさるべき事である。何となればそれは奴隷的精神の一の変形だからである。先づ人は真実であらねばならぬ。他人に対しても、自己に対しても。そして在るがまゝなる自己を枉げてまでも他人の感情を慮る時、それは醜業婦の媚態である。彼はそれをよく知って居た。それがために彼は屢々苦しんだ。
 「此の突然の手紙はあなたを驚かせるかと思ひます。併し凡ての無躾が純粋な感動から出たものならばそれがあなたを傷けない限りであなたは私の此の無躾をも許して下さると思ひます。
 今日あなたや、あなたの友人の方達の展覧会を見に行きました。そして深い感動を受けました。日本にあなた方の様な画家の居られる事を心強く思ひました。文壇に於て私は「S」の二三人達を尊敬して居ます。併し絵画界にあなた方の居る事を今日程強くありがたく思つた事はありませんでした。それは今の私にとって一の大なる刺戟であり慰めでありました。殊にあなたの絵を見た時、同族の中での同属である事を感じました。今でも今日の昂奮が私の中に漲つて居ます。何よりも先づあなたに御礼を云ひたくて、そして私の尊敬を表白したくつて此の手紙を書きました。
 あなたの御住所は文章世界で知りました。機会が来たら伺ひ度く思つて居ます。私の家はあなたの処からさして遠くない処にあるのです。返す返すも無礼を御許し下さい。」
 彼は此の手紙を読み返して見た。そして直ぐ女中を呼んで出させた。
 彼の心は喜悦に充たされてゐた。自己の尊敬する人にその敬愛の念を打ちあけると云ふ事の云ひ知れぬ喜ばしさよ! 彼の純真な心は芸術家の優しき魂に流れ、その感謝と同情の温かい波は再び彼の胸に打ち返すのである。そして彼の若き、青春の、燃える様な憧憬の心と、生長の欲望は静かにその芸術家の落着きと、愛の中に抱かれるのである。彼は此の時真に生活の幸福を感じ、未来の彼を祝福する。彼は自己に生甲斐を感じる。そして凡ての苦痛に対つて彼の双手を上げて突入する勇気を盛り返す。此の高き喜悦に於て、そして此の真理を愛する魂を把持して放たざる気魄に於て、彼はあらゆる物質を打ち棄てゝも惜しまないであらう。彼は若い。そして彼の未来は遠い。彼は幻の様な未来の中に幾多の彼の姿を見る。そしてそれは限られざるが故に輝ける希望であり、幸福である。彼に向つてその未来が、明確に想像の中に示顕しないと云ふ事は恵みである。創造のそして生活の凡ての自由が現在の彼に許されて居るからである。彼は若くして純なるが故に幸福である。そして如何にもして生きんとする魂を有つが故に幸福である。そしてその生活に伴侶のある事に於て更に幸福である。そは取りも直さず彼を慰め、彼を力づける真理を慾する魂であるからである。
 人は多くの場合に於て彼等が真に純粋であると云ふ事は難い。そして真理を愛する者であると云ふ事は難い。彼等は何かの原因でそう思ふ事、そしてそうある事を妨げられて居るからである。そは多く彼等が社会的訓練の洗礼を受け、そしてその濁れる空気の中にあってその汚濁を知らない処から来る。民族的偏執。伝統。社交。誤れる教育。
 真理を求むるためには、そして真理に対てつ邁進するためには人はあらゆる偏見をすてなければならない。若しくは彼は甦らなければならない。併しそれは多数民衆にとっては至難の業である。只、少数の者のみその為めに戦ふ。彼等の戦ひが、その戦ひの生涯が不幸なる民衆の中に真理に向つての憧憬の念を植つけ、悩めるものを慰め能ふが故にそ偉大なる事業である。天才者は民衆の奥底にひそむ魂の顕現である。そして彼は人類それ自身の姿である。彼の気息は人類の気息である。彼の叫び、彼の怒り、彼の恐れ、彼の涙、彼の喜悦、彼の愛は共に直ちに人類のそれらである。併し民衆はそれを知らない。国家はそれを知らない。現世はそれを知らない。それがために彼の生涯は悲壮である。そして彼の受くべき迫害は酷烈である。多くの天才者の一生がそうであった。そして彼が人生を愛するが故に人生の上に瀰漫せる虚偽を憎む事も甚だしい。彼にとつて人生はよし憎悪の的とならうとも決して嫌悪の的とはなり得ない。そしてその憎悪も愛する処から止むを得ずして発するそれである。愛は一の真理である。民衆を愛せんとする意志と、真理を求めんとする意志とが矛盾し相剋する処に彼の悲劇は生れる。彼は没落と高翔の二途に痛ましき争ひを経験する。
 達雄は斯かる悲劇の一生を通過して輝ける永遠の愛に到つた幾多の天才を知つて居た。そしてそうなる事が彼の理想であつた。その理想を生かす方便として彼は創作の形式をとる事が自分に適して居る事を知つて居た。そして殊にそれが音楽に於てよりも、絵画に於てよりも、彫刻に於てよりも、文学に於て自分に適当して居る事を知つて居た。彼は文学の創作家にならうとして居た。併しそこには常に多くの人々の場合に起るやうな故障があった。それは彼の両親の反対であった。殊に彼の父の極端な反対であった。彼はそこに悲しむべき親子の意志の相反を見た。そして悲しむべき運命の伏在して居る事を朧げながらに感じて居た。
 彼の父は商人であった。幼少の頃から商人の家庭で育てられ、商人気質がその全てにしみ込んで居た達雄の父にどうして達雄の理想が理解する事が出来やう。父は彼を立派な商人に仕上げる覚悟で居た。そして達雄は父の意志のまゝに商人になるために商業学校に入学して十八の春そこを卒業した。併し此の時既に達雄の内には創作家として立つべき意志が根を張つて居た。彼は父の商業である株式の仲買を嫌つて居た。そして商業と云ふ商業の全てを嫌つて居た。物質的利害に疎く、社交的会話に拙なく、数学的事務に興味を持つて居ない彼に商人たる事の不適当であつたのは当然であつた。その上彼は深く文学を愛して居た。それと同時に商人的根性を侮蔑して居た。彼の内には父の意志と正反対をなすものが年々に根づよく張つて行つた。彼は父の目をぬすみ、時には父に反抗しつゝ読書し、制作する事を続けて居た彼はその事で常に苦しむで居た。併しその苦しみも彼にとつてはどうする事も出来なかつた。彼は自己の真の慾求を殺してまで父に屈従する事に我慢できなかつた。止むなければ独立する気で彼は居た。彼はやがて来るべき父との激しい争論の後の別離を予想して居た。併し尚そこには多少の余地のある事をも知つて居た。そして事実そこに余地はあつた。彼は廿二の春或る会社へ事務員として入つた。そして辛ふじて父との衝突を避けて居た。併し彼は元より読書する事も書く事も止めては居なかつた。彼は夕暮れ帰宅するや否や直ちに自分の書斎へ入つた。そして成るべく父とは顔を合さない様にして居た。達雄は何等かの機会があれば会社を止める決心で居た。その時こそ彼がその生家をはなれ、両親と別れる時であつた。何となれば彼の父は彼の遊んで居る様に見える事を元より許さなかつたから。併しそれでも尚未だ彼等の間に幾分の余地はあつた。達雄は今斯かる日々に暮して居る青年の一人であつた。
 彼は自己の所信を貫くために、その父母と別離した天才の数人かを知つて居た。そして彼等の伝記を読む事によつて、自己に若し強い信念と、良心とがあるならばその苦痛にも堪へて行ける事を学び、力づけられて居た。併し彼にしても出来るならば無理にも斯かる連命に触れ様とは思はなかつた。又併し結果に於て、如何ともする事が出来なければ、即ち彼の取るべき途が別離か、服従かの二筋となるならば、断乎として別離の途をとるの外はないと思つて居た。全ては力の問題だ。それから先は運命だ。今は唯此の覚悟に止めておくの外はないと思つて居た。
 彼は窓をあけた。雪は未だチラゝゝと降つてゐたが風は静まつて居た。対岸の景色は真白だつた。そして碇泊して居る二檣船も、汽船も、親船も、伝馬も、その表面と云ふ表面に白い雪をのせて居た。その中を隅田川は寂しく流れて居る。静かに。静かに……
 河の面は夜の様にシンとして居た。一艘の動く船も見えなかった。その中を丁度音なき音楽の様に雪は降つて居る。高い天空から無数の白片が或るリズムをなして尽くる時なく。そして広い水面に落ちては消える。
 此の時彼の心を過ぎて行く考へは何であつたらうか。それは恋する心に似たものであつた。或る詩人の心に静かに忍びよつて、優しく彼を抱擁する形容し難い感情であつた。それはセンチメントであつた一つ一つすべつて行く過ぎた日の追懐であつた。掌にのせれば溶け去る果敢ない恋の記憶であつた。やがて来る恋の予感であつた。遠くに煙る未来であつた。それは夕べの野にたゆたふ晩鐘の余韻であつた。牧笛であつた。総て力に於て弱く、尚且人の心を魅する女性的感情のとりとめもない雰囲気であった。
 達雄はそれを確かには意識する事なしに此の雰囲気の中にひたつて居た。そして静かに、身を動かせば瞬時に破れたる様な微妙な世界にその思ひを漂はせて居た。
 「自分は今独りである、独りであると云ふ事の如何に自由であらう。自分にとってその思念を煩はす事は一つと雖もないのである。自分は自分一箇の絶対の主権者である。そしてあらゆる未来は自分に向つて解放されて居る。愛も創作も、凡ては自分のものである。閉されざる天空は自分の頭上に開けて居る。そして此の想像の翼を駆つて無際限の空間に飛翔する事の喜ばしさよ。あゝ自分は今独りである。そして自分一箇の世界に於て君主である。」
 併し彼の此の考へは彼が未来を知らない事によつて幸福であつた。痛ましき幻滅がやがて来る現実の相を彼に示さない事によつて幸福であり得た。斯くて未来が彼の前に真にその姿を現はす時、彼は初めて粉砕せられたる夢想を知る。そして彼はその運命の手の下に喘ぐ。併し彼に若し忍苦と不屈の精神と力さへあれば、その苦惨によつて尚更彼は鍛へられる事が出来る。運命の鉄床の上にあつて彼は最もよき自己を鍛へ出されると共に、その室に於て益々堅固に、益々偉大になる事が出来る。そは悲痛であると同時に喜悦である。そこに天才と凡人との大なる懸隔を見る。
 併し誰か未来の汝を知らう。そして凡人ですらもその未来を知らざるが故に希望を持ち得るのである。併し偉大なるものゝみ彼が現在の内に未来の一部を予想し得る。とは云へ達雄にとつて尚未だ未来は茫漠たるものであつた。彼はたゞ如何なる運命にも彼がうくべき幾多の試練の度毎に彼自身のものにする事が出来るものであつた。
 とりとめもない夢想から醒めて、彼は窓をしめた。その時雪は漸くやみかゝつて居た。そして冬の夜は早くも来た、彼は電灯ををつけて机の前に座つた。彼は何とない喜悦に包まれて居た。そして此の喜悦を失はない為めに、「F」という新刊の雑誌をひろげた。そこには彼が今日行つた展覧会の画家達の感想や翻訳が載せられて居た。元よりT……のものもあつた。彼はそれを熱心に読みにかゝつた。彼はT……の翻訳を読んで居た。初めはその主人公に同感しつゝ熱心に読む事が出来た。併し読むにつれて彼は外の事を考へて居た。彼の頭は彼の考への中に働いて行つた。彼は何を読んでゐるかも意識する事なしに唯、或る力の彼の内に漲る事を感じて居た。それは唯、力と謂ふよりも寧ろ創作慾であった。更に寧ろ、彼が創作の前に必ず感じる一の渾沌たるコンポジションであった。形なき大なる形であった。彼はそれを統一し、その中心を掴めばいゝのだ。併し彼が此の渾沌たるものゝ出口を見出す事はむづかしかつた。それは快い苦痛であった。そしてもどかしい喜悦であった。鬼事戯であった。彼はいつかはその流れの出口を見出す。それは適当の時期、即ちその水量が終に堤を破って奔溢する時である。彼はそれまで待つ事に産気づいた女の苦痛と焦燥と期待とを感じて居た。
 その創作乃至感想を発表する為めに達雄は彼が勤めている会社の中で数人の友達と回覧雑誌をやつて居た。その同人は会社の中で最も彼の親しくして居る友達であつた。彼等はその公けの仕事の上からよりも寧ろ此の創作のために堅く手を握り合つて居た。そして事実彼が最も文学に就て理解あり智識をも持つて居た。そして当然の結果として彼は同人等の頭株であった。彼等は毎月一回宛その創作、感想を出し合っては回覧雑誌にとぢて居た。彼等は年齢に於て若くとも、その真摯な態度に於て活字を用ふる本職文士を軽蔑する程の自信を持つて居た。彼等は始終元気よく話し合い、互いに刺戟し合つて居た。そして彼等の最後の目的も等しかつた。
 達雄は今彼の内に群る此の渾沌たるものを小説の形式によつて表現しやうか、脚本の形式をかりやうかと様々に考へた。そして幾度かその計画を裏返しては最もよき方法で表現する事に頭を悩ませた。併し彼には未だその渾沌が熟し切らない為めに此の二様の形式の誘惑の間を際限もなく歩き廻った。
 彼はたうとうたまらなくなつた。その歯痒ゆさにたまらなくなって立上つた。
「どつちだつていゝんだ。どつちにしても是がものになりさへすれば文句はないんだ。そして結局ものになるに極つて居る。時が来る。そうすれば内にあるものは自然内から突き破ってほとばしつて来るのだ。割れて来るのだ。それまで待て。それ迄待てばいゝのだ」。
 彼は尚部屋の中を歩きまはつた。昂奮し

切つて居た。併しその昂奮の唯中に彼の頭

の中を明日来るかも知れないT……の返事の手紙の事がちらりと過ぎた。彼は又気が変った。そして急に障子をあけて河の彼方彼の家のある方を見た。雪は止んで居た。併し風は寒かつた。その冷たい風が彼の熱した頭には快く感じられた。闇の中にほの白い雪景色が見えた。彼はなつかしさに打たれた。そして長い間右手の暗い空の下灯火のまばらに輝いて居る月島の方角を見つめてぼんやりと窓によつて立って居た。

                                   (未完)

 

目次へ

 

 

 「ヹルハアラン」  尾崎喜八

          雑誌「明星」第八巻第二號 (11~38頁)大正十五年三月一日発行

          ※この作品は 堀 隆雄 氏から雑誌をご提供いただきました。

(昔初めて此詩人を私に知らしめた友高村光太那君に此の小論を捧げる)

                            

 「否、もはや涙を流すまい。我等のうちに死なぬ男、
  死ぬ事の出來ぬ男ありとすれは、それは確かに彼である」
                 (マアテルリンクのヹルハアラン追悼演説)

 

 私はヹルハアランの四つの肖像を持つてゐる。一つはシユテフアン ツワイグのヹルハアラン論」の英譯についてゐるもの。もう一つは同じ本の佛蘭西譯についてゐるもの。尚一つは彼れの選詩集の巻頭のもの。そして最後にはアルベエルド ベルソオクオルの「エミイル ヹルハアラン」の口繪になつてゐるもの。私は此等の記念的な美くしい寫眞を日夜眼の前にして、今は亡い彼れの最も親密な風貌に接することをせめてもの心遣りとする。
 日本でいちばん普通に知られてゐるだらうと思はれる彼れの肖像は、ツワイクのあの苔色こけいろの表紙の英譯本についてゐるものである。彼れはアングルの森の中、カイユ キ ピクの隠棲エルミタアジユの窓から、多分、もう明るいほのかな純潔さに飾られた朝の谷の風景を眺めてゐる。むかうの方、綠と金の初夏の光明に向つて、いつもの小徑こみちが隱れたり現れたりしながら登つてゆく。下の方からは涼しい流の音が傳はつて來、ぴかぴか光る空間は、時時、「白い先觸れのやうに飛んで來る小鳥逹」の翼の音に滿たされる。そして窓の前の小さな庭では、黄金の薔薇や眞紅の立葵たちあふいが、露の晴れてゆく時の朗らかな顏を上げてゐる。私は此のいつもの天鵞絨服にソフトを冠つたヹルハアランを見て、彼がこれから毎朝の散歩に出かけるのだと想像するのが好きである。ヘノオの太陽がどんなに大きく、ホンネルの谷の青葉若葉がどんなに素晴らしいだらう。彼れは出かける。「朝から、畑や牧揚を縫う例の大道を、明るく輕やかに、風と光明とを身に纒つて。」そして彼れは行進する。「空氣と大地とを愛する事や、廣大な者となり、熱中し、また世界と萬物とに入りまじる事を誇としながら」! 村の百姓や牧者逹はこの彼れを、初めびつくりして「森の氣違ひ」と呼び、それから愛と尊敬とをもつて「森の旦那」と呼んだ。そして私としては、茲に、自然の永遠の愛人、風や天空や樹木の疲れる事の無い讃嘆者、あの健康と歡喜と熱烈な生活との詩人、且つはあの最も懐しい「時レズウル」や散歩や我家のまはりの作者をそのまま見るのである。その絶美な自然の雅歌カンチツクと共に、此處に立つヹルハアランは永く人の眼底に殘つて、いつまでも思慕されていい。
 ツワイグの佛譯本のでは、彼れは同じ住居の戸口に立つてゐる。今度は帽子をかぶらず、例の厚い長い口髭の中に喞へたパイプを、大きな右手で持ち添へ、左手をズボンのかくしへ突込んでゐる。戸口は伸びるに任せた蔓薔薇つるばらで緣どられ、大水おほみづのやうな正午の日光を浴びながら、内部は反對に暗く涼しい。そして此の全くフランドル人らしい精力的な重重しいヹルハアラン、この強剛な體軀を暑い日に曝らし、すこしの憂欝と多くの意志とをその全風貌に現はしてゐる老ヹルハアランは、古代の海豪ヷイキングを、また近代叙情詩の戰野に號令する一人の元帥マレシヤルを私に想はせる。ここでも彼は、間違なく、あの「無量の莊麗」の、「高い焔」の、「全フランドル」の、又わけてもあの「波うつ麥」の、比類も無い光耀で自らを飾つた詩人として現れてゐる。
 高貴で、精悍で、自然の品位と威嚴とを備へてゐるやうに思はれるのは、書齋の書棚の前のヹルハアランである。まるで一人の學者か―—殊に一人の科學者かのやうに見える。機械を歌ひ、金銭を歌ひ、科學を歌ひ、人間の力のあらゆる分野に於ける英雄を歌ひ、世界に存在する一切の觀念や思想を歌ひ、そしてレンブラント、ルウベンス等の輝かしい評論を書いたヹルハアラン。すべての陰暗な、複雜な、錯綜した、相撃つ力のもやもやを、燦然たる光明の前に曳きずり出し、これを鍛へては鍛へ直し、孜孜と勉めて倦むことの無かつたヹルハアラン。所詮しよせん人間の高い信用の爲めに熱中せざるを得なかつたヹルハアラン。このヹルハアランを最もよく現はしてゐる名譽は、選詩集巻頭の肖像に與へられる。
 そして最後のもの、ベルソオクウルの本の顏こそは最も悲壯である。此處にはあの世界讃歌の、輝輝とした喜ばしい長音階メイジヤは無い。これは短音階マイナアのヹルハアランである。いつも彼れの中心を眼に見えず貫いてゐて、其作品の裏を宿命の風かのやうに吹いてゐる悲劇的の要素が、此處ではその孤獨の姿を悄然と露出してゐる。深く刻まれた皺は戰場の轍わだちの痕のやうに老の顏面を走り、雙の瞳はその視點を怪しく交叉して、あらぬ遠方を凝視し、エミイル ヹルハアランは重たく疲れて、渾沌たる世界の動亂に聽き入つてゐる。私はこの状態を悲壯な放心の其れと云ふべきであらうか。恐らく世界が曾て見たうちで最も熱狂的なこの詩人は、その最も彼れらしい場合には、常に言語に絶して美くしく、神聖に、また荒荒しく身を顫はせてゐた。然り!そこには確かに放心を想はせる何かがいつも有つた。そして今や此顏は彼れの運命の最後の結論であり、その經歴と勞苦の年月との要約である。歐洲大戰に際しての祖國白耳義への、獨逸の罪惡は、「人間の優しさと尊嚴な大地」との間に彼れが奮闘して打建てて來た平和主義パシフイズムを、人類相互の黄金的盟約を、一擧にその根柢から突き崩してしまつた。生れて初めて彼れの思想の中に憎みが眼ざめた。(そしてマアテルリンクも亦この呪咀の嵐に難破する!)其歌は憎惡と憤恨との響に顫へ初めた。彼れは終始渝らず深く愛し讃歎して來た獨逸を憎んだ。そして「憎みを拾てよ」と云ふ親友ロマン ロランの兄弟のやうな歡告に向つて、「若しも私が憎むとすれば、それは私の見たこと、感じたこと、聽いたことが、憎むべきものだからである。…………私は自分が正常な者であり得ないことを承認する。今私は悲痛に滿たされ、憤怒に燃えてゐる。私は單に火の近くにゐる者では無くて、實際に焰の中にゐる者である。それ故私は惱みまた哭く。その他の事は私には出來ない」と、斯う答へずにはゐられなかつたヹルハアランは、曾てはあのゴチツク建築のやうに堅固で莊麗な詩思想家の中で、あれ程にも讃美したカント、ヘエゲル、ライプニツツ等を放逐し、その「血塗れラペルジツクの自耳義サングヲラント」を、深い感動を以て、昔彼自身であつた者ロンム キル フユ ドトルフオアに獻げるのである。私は自分の心から愛し尊敬するヹルハアランに對して、此點いささかの遺憾を感ぜざるを得ない事を悲しく思ふ。しかもあんなに善良で單純で、親切で純潔だつたヹルハアランを、實にその最も美くしい詩で彼自身云つたやうな、「醉つて夢中になり、猛烈に、喜び又むせび泣いて、はからず落ち込む溝の中の草」である愛すべきヹルハアランを、そして世界の到るところに散在する無數の未來あるヹルハアランをさへ、こんな地獄に突き落す「戰爭」を呪はずには居られない者である。

        ×

 「ヹルハアランを愛した人人にとつて、もはや此世で其れに上越す完全な喜は無いであらう」と、彼れの若い友人アンドレ ド ポンシエヴイイユは云ふ。實際彼れを個人的に知つた人人が到底彼れを愛せずにはゐられなかつたと云ふ事は、よく衆口の一致するところである。是は生れながらにして備つてゐた彼れの德の最大のものと云つていい。ホヰツトマンの意味での發電エレクトリツクする肉體ボデイイを彼れは其まま持つてゐた。ちよつと彼れと一所に居れば、其事が直ちに愉快と幸福と愛との實際の教であつた。卑小な感情成功への焦燥、物質的慾望などは、その一生を通じて彼れの多く知らなかつたもののやうに思はれる。自分の事への恬澹さ、他人に對するその無比の親切、その燃えるやうな愛情、そしてすべて自分に近づく者に幸福を與へる事のその喜は、人間としての彼れが持つ最大の特質であつた。そして此れこそ、一度でも彼れを知つた事のある最も高貴な魂を悦ばせたと同時に、最も單純で質朴な心をも悦ばせたものである。カミイユ ルモニエ、ウウジエン カリエエル、エレン ケイ、ロマン ロラン、マアテルリンク等から、市民、青年藝術家、學生、農夫、木樵り、牧者の末に至るまで、この善心ポンテの光を感じ、又それに動かされずにはゐられなかつた。まことに其友人、「智慧と運命」の作者が云つたやうに、「彼れは決して否ノンと云ふことが出來ず、また休みの無い努力の生活の中から苦心して得た僅かな暇を、自分のために利用する事も知らなかつたのである。そして私はヹルハアランの此の底知れぬ善良さを考へる時その宗教的な獻身の美が夕暮の風景と人間の内部の善とを一樣に浸して、恐らくは其處にミレエの「晩禱の鐘アオジエリユス」よりも更に遠く更に嚴かに甘やかに、又更に懐しい音樂を響かせてゐる、あの寛仁の詩を思ひ出さずにはゐられない。
  村村は並木路の奥で物思ひに耽つてゐた。
  愛し且つ善く生きようとする
  心服的で歡待される善良な意志が
  存在をのびのびさせてゐた。——そして精神は
  感激の喜か氣高い惱かに醉つてゐるやうに見えた…………
  憂鬱なすがすがしい或る善良さは
 ’風物から心へとどき、
  光と云ふ光はすべて、矢のやうに、
  その力を深く射ぬいた。
  靜穏と祈とに青い遠方では、
  傾いた陰が光をめとつて、
  組みあつた腕は地から上がり、いや增して登り、
  また熱狂するかと思はれた、
  そしてこんな優しさの熱情は君を苦しめ、
  烈しく爆發する程であり、
  また宥恕ゆるしそのものよりももつと高く、
  忽ち何かに欺かれ、その餌食とさへなり、——さては
  喜悦のために死にたいと云ふ
  そんな途方もない慾望に身を任せようとする程であつた。…………

 「忽ち何かに欺かれ、その餌食とさへなり、さては喜悦のために死にたいと云ふそんな途方もない慾望」! ああ、ヹルハアランが此れを云ふ時、それは何と思ひがけ無く、熱烈單純な彼れ其人の心の深淵を露出してゐる事だらう!他人を疑ひ何かを疑ふなどと云ふ事は、彼れの夢にも知らない事柄であつた。ちやうど「音が自分を欺かうなどとは考へもしなかつた」ベエトオヹンのやうに、ヹルハアランは此世と人間とを頭から信じてかかつた。ここから彼れの感激の倫理が生れ、ここから彼れの讃歎の信條が生れる。しかも是れ、巨大な拳か柱石かのやうな彼れの意志を以てしてである! そして子供や聖者を思はせる此の純潔無垢な信と、肯定と、熱誠とが彼れの氣高くも單純で正直な、澄みわたつた質朴な心を其の光明のマナで濡らし、また「その頭の上を冬が六十たび通りこしてゐるにも拘らず、猶彼れの魂の活潑さを、否寧ろ神神しい其の若さ」を、ますます鼓舞したのであつた。
 他人を賞讃したとて自分の大が滅るわけではない、と、こんな尊大な事さへ彼れは考へなかつた。それどころでは無かつた。彼れにとつて此世は、人が生きるに價する爲めには、能ふべくんば、優秀なるものの最大限の廣袤で無ければならなかつた。彼れは心から他人の努力を認め、長所を認め、それに傾倒し、且つ其れを讃歎した。非難は……また時には研究的批評でさへも、何れかと云へば―—彼れの領分では無かつた。その永年の雜多な經驗と、その本來の明智とから、人心のあらゆる機微に通じ、人間と世界との必ず横ぎる幾多の危機を豫め洞察して居たとは云へ、それ以上に、此の地上で一切生命の同一性イダンチテを底の底まで信じ込んでゐた理想主義者ヹルハアランには、他人の過誤、認識不足、偏見等、すべて精神エスプリの弱さから起る現象を、人間の消極的方面を、冷かに―—或は熱烈にさへも―—責め論あげつらつて、此れを殺戮することが出來なかつたのである。それにしては彼れの心臓は餘り大きく、彼れの夢は餘り深かつた。古い宇宙に新らしい人間の心を注ぎこむ爲には、熱誠の境にまで高められる相互の讃歎こそ必至の條件であつた。なまじひな選擇や批判では無かつた。愛と信念とに由る熱い抱擁であつた。來るべき時代の繁榮の爲めには、犠牲たる事をさへ喜んで迎へる人間相互の獻身であつた。
  「頭腦よ、おん身こそ獨り我等の明快な行爲を支配する。
   愛する事、そは服従する事であり、讃歎する事、そは高められる事である。
   おう、内陣の陰の中、生命を映して
   それを輝かす、こんな幽妙な窓繪硝子!………」
 そして藝術の世界に、ポオ、ボオドレエルのやうな夜と禍まがつ日との天才があるとするならば、一方に彼れのやうな頼もしい光明的な男がゐて、世界や人類の、何ものをも拒絶しない、萬物を抱擁する、壯嚴な交響樂的サンフオニツクな調和の夢想を歌つてくれるのは有難い。そして其の樂器の大群に未來の夢の旋律を乗せて、遠い曙の潮騒しほざゐかのやうに、世界ウオオルド動機モチイブの赫耀たる反覆變化を我等の耳へ響かせて來る力ある藝術こそ、如何にもエミイル ヹルハアランのものらしいのである。
 このやうな彼れは、それ故、科學と思想と藝術との疲れる事を知らぬ攝取者であり、——寧ろ其等の飽くことの無い「酒豪フラン ビユウル」であつた。彼れは諸所の美術館や蒐集家への熱心な訪問者であつた。最も古代のものから最も近代のものに到るまで、美術は彼れの心酔と愛との對象であり、又その共感の焚木であつた。ミケランジエロ、レンブラント、ルウベンス、フアン アイク、プツサン等の、嚴肅な、力強い、悲劇的な、廣大な、或は豪奢で華麗な藝術に夢中になる彼れは、一方現代佛蘭西、白耳義其他の諸国の美術家等の運動や作品に、深い興味と同情とを持つことが出來た。彼れは後年「破壊された白耳義の都會ヴイイユ ムウルトリイド ベルジツク」と云ふ一書で、その星座のやうな古い都たちを輝かしてゐた美術的記念物を、深い造詣と愛惜とを以て語つた。(一九〇六年に東京で出た「日本の版畫」Images Japonairesと云ふ本に、彼れは其の本文を書いてゐると云はれる。)また彼れはその周圍に集る青年美術家逹の爲に、よく喜んで姿勢ポオズした。そしてカイユにある彼れの家は是等の繪や彫刻で愛すべく飾られてゐた。
 また彼は精力的な讀書家であつた。彼をよく知つてゐた友人等が、どうしてそんな時間が彼れにあるかと怪んだ程、その活動的な、創作的な毎日の時間の中で讀書した。彼は蒼然たる古典から毎日の新聞雜誌まで熱心に讀んだ、しかもたとへ其智識の攝取法が、何等學者的な、組織的體系的なもので無く、實にあの新大陸のモンスタア、ワルト ホヰツトマンのやうなものだつたとしても、其れは彼れの場合何事でも無かつた。彼れのは人間の努力と天稟とに忽ち共感する心臓であり、又それほど純眞無垢の探求者であったのだ。彼れは知り且つ讃歎する事に由つてますます富んだ。それは彼れにとつて未來への希望を充電する事であり、その確證を己が信仰の中へ投げ込む事であつた。人は、此事に關する彼れの最も誇りかな歌を、その詩集「無量の莊麗」や「擾亂する力」のあらゆる頁に見出だすことが出來るであらう。
 ヹルハアランの此種の感歎は、一つには彼れの天性の無限の善良さと愛とから流露したものであつて、彼れがよく或る作品に向つて眼を圓くしながら、「これは驚くべきセ テトナンものだ!」と叫んだと云ふ事は、友人等の間で逸話の一つにさへなつてゐたヹルハアランの「感心。」それは彼れに接してゐた若い藝術家達の勇氣にとつて無上の激勵であつたに違ひない。かうして彼れは、同國の、無名の、貧しい田園畫家ペルニエの爲めに、まるで其美くしい詩のやうな、親切と愛とに滿たされた素晴らしい卓上演説を遣り、美術研究家で詩人の若い佛蘭西人ボンシユヴイイユを父親が愛するやうに愛し、またカイユに暫く滞在してゐた維納の青年作家シユテフアン ツワイグを、その博學のために驚歎して眺めたのである。そしてラインやダニユウブの國の人人を指して、「あっちの人達がス ク デ ジヤン色色の事ラ サアヴを知つてゐるデ シヨオズのには驚くセ テトナン! あのヌウ人達ソンムのそばにゐるデ ニジヨランと我我ア コオテは無學ドウウだ」と、好人物らしく述懐せずにはゐられなかつた。そして又彼れに見て貰ふために自分の詩を持つて來る若い詩人逹に、その勇氣を沮喪させない爲めに彼れはよく斯う云つた。「この最初のキ セイイリヤ不確な片言プウテエトルアン中にジエニイ、それキと氣づかシニヨオルれないダン天分セ プルミエが恐らくはエ コンフユある事を誰が知らうバルブユテイイマン。」
 かうして、人間と世界とに對するその限り無い信仰と善意と、また底知れず無邪氣な感動と讃歎との中で、彼の生きる毎日の晝間は希望に滿ちて溌溂と清朗に、その夜は星辰と愛とに滿ちて深遠に又平和であつた。

        ×

 カイユ キ ビク。「突き出た石。」小川の流れと傳説の岩。そしてアルダンヌ生れの詩人アルトウウル ランボオが
 「それは光に泡立つほんの小さな谷間」
と云つたところ、其處でヹルハアランが、一八九九年から一九一四年まで毎年の春と秋とを暮らし、其處に「私の戸口は愼ましく「私の家は貧しい」と彼自身の歌つた、僅か二間ふたまか三間みまの小さな家のあつたところ。そして其處でこそ彼が「擾亂する力」以降「高い焰」に至るまでの、燦然たる詩集の主要な作品を書いたところ、私は彼の生活を述べる前に、先づこのカイユの小さな村と、其處にあつた詩人の家の模樣との概念を傳へて置きたい。それには、殆ど唯一の文獻のやうに思はれるアンドレ ド ポンシユヴイユの叙述を譯出して抜萃する。
 「地圖をひろげてヷランシヤンヌの東方國境を辿ると、白耳義の土地が、その地點で、あだかも佛蘭西の一角のやうに食ひ込んでゐるのを發見するだらう。この尖つた土地の舌の先まで、ちやうどロアザンとアングルの間まで森林か延びてゐるが、其處がカイユ キ ビクと呼ばれてゐるホンネルの低地である。北向きのその隠栖から、ヹルハアランは彼れの右にも左にも、また背後にも、佛蘭西の地を持つてゐた。…………
 「私が初めて ロツシイダン」誌上で此の驚歎すべき詩(註、「私は今宵捧げ物として」の詩)を讀んだのは其後の事である。それから十八の年に、その作者がカイユ キ ビクに住んでゐるのを知つてゐた。私は彼と近付きになりたいと云ふ大望を起こした。しかし其人が何處にゐるのか確かには私も知らなかつた。それで私は直き近くのロアザンの町の郵便局で問合せた。けれどもはつきりした返事を得られなかつたので、ロオランの乳屋へ往く前に、先づ眞直ぐにフラムリイの印刷人でデユフラアヌと云ふ人の持家へ往つた。それを私は詩人の家だらうと思つたのである、ところが戸はしまつてゐた。それで私はロオランに訊ねた。すると彼はにこにこしながら斯う云つた。「ヹルハアランさんは此處に住んでおいでです、私の處に」と。
 「此の土地で人がロオランの乳屋と呼んでゐる家は、實際では附近の牧場に一日ぢゆう放牧してある無數の乳牛を殘らず持つてゐる、かなり勢力のある農家である。それは一方に長方形の庭を圍んだ古風な田舎家で、鄙びた珈琲店エスタミネがついてゐる。そして(昔)父に連れられての散策の時、私達家族の者がおいしいオムレツを食べたのは其處である。其處にはあらゆる種類の紙巻や、包装した煙草や、箱入りの蠟マッチがあつた。…………詩人の隠栖は、要するに、その家の一部である。母家おもやは、若しも私がカイユの常連の一人である畫家リユシアン ジヨナスの言葉を信じれば、以前には厩であつた。入口は中庭に向いてゐる。そしてこの戸口には薔薇の花が咲いてゐる。ちやうどシヤルメツトの壁のやうに。…………
 「ロアザンの町を離れると平野はひろびろと開けて、一つの谷も見えなくなる。緋に塗つたかはゆい汽車がキエヴランの方へ走つてゆくのが見える。しかし十分間ばかり進んでから畑の中の細い路へ入ると、森のあたまが、アングルの森のあたまが現れる。細路はその方へ向つてゆく。そして急に降り坂になる、そこが谷間の凹地くぼちである。それで其の降り口から丘の半腹に見えてゐる嶮岨な小徑を傳はつてゆくと、右の方に詩人の住むロオランの乳屋の母家が立つてゐる。多分、彼れはその硝子窓の所へ立つて、庭の花や下の方の谷を眺めてゐるであらう。私は半ば戸のあいてゐるエスタミネの前を通つて中庭へ入つてゆく。そして薔薇の咲いた入口で案内を乞ふ。ヹルハアランが敷居際で兩手を出す。さもなければ父親か兄のやうな樣子をして私を引き寄せて抱擁する。…………
 「ヹルハアランの一番よく居る部屋で、又彼れが仕事をしたり來客に接したりする部屋は、玄關の軸部にあつて、狭い廊下が其れを玄關と仕切つてゐる。眼は、二つの窓で明るくされてゐる部屋の奥の方へ先づ注がれる。左手の窓に近く仕事机。上にはテオ ヷン リツセルベルグの意匠になる書物で一杯の書架、——或は寧ろ書棚。私はその蔵書の中に「ラ ソシエテ ヌウヹル」のコレクシヨンのあつたのを覺えてゐる。左手には、玄關寄りに、古風な黄色大理石の振時計を飾つた煖爐。その上に小さいナポレオンの鑄銅。部屋のまんなかにはテエブルが一箇。私達はよく其上で、ベルニエのや、又私の思違ひで無ければ、「幻覺の田園」と「觸手ある都會」とに挿繪をかいたブラギンなどの、たくさんの版畫を入れたカル卜ンをめくつて見たものである。
 「右の方の箪笥の上に、その簟笥のそばへ腰を下ろして彼れは夕方氣樂に讀書するのを好んでゐたが、そこに文鎭の代りに小さな鑄銅胸像の載つてゐたのを見た記憶がある。それは畫家ジヨルジユ トリブウの作つたヹルハアランの像で、幾分カリカチユアじみてはゐるが、厚い髭の垂れた、かなり表情的なものであつた。奥の二つの窓の間には、非常に美くしくて同時に優雅なモンタルの描いた彼れの肖像。リユツフアンの描いたものは是も亦大變美くしいが、もつと田舎の調子を出してゐた。最後に、向ふの右手の廣間は、ロオランの住居を占領して近頃ヹルハアランが手に入れたもので、パンを作る麵麭燒室に接してゐる。その百姓の話だと、彼れがヹルハアランの爲めに家を建てようと申し出たら、ヹルハアランは、「いや、ロオランさん、私が手を着けなければならないのは古い壁だよ」と答へたさうである。
 「此等の二つの客間は現代の繪畫で埋まつてゐた。ヷン リツセルベルグ、モヲタル。ベルニエ、リユツフアンのやうな、ヹルハアラン夫人と詩人との友達の多勢の仲間の作品で。乳白色が卵黄色に褪せた石灰塗の壁に懸かつた此等の繪の明るい調子にも增して快美な、田舎風な、夏らしいものがあるだらうか。また焦色こげいろの亞麻布トワルの地へ彩色の大きな花の附いた窓掛や、ヹルハアラン夫人の樂しい思ひつきから出來て、到るところ非常にひろまつてゐる、あの鮮麗な色の刺繍をした無數の椅子褥タツサンとても然うである。猶其處にはコンスタンタン ムニエのデツサンが一枚と、ヷン デイツクの十字架の基督を現したエスキツスが一つある。
 「家具は、ヷン リツセルベルグの意匠に成る書棚を別にすれば、古風で田舎風のものばかりである。ヹルハアランは近隣の農家やモンスの古物商のところから、其等をぽつぽつ集めて來た。彼は私がゆく度毎に、そんな風にして掘出して來た新らしい品物を見せるのであつた。彼はモンスからサンクルウまで送らせた。其處は丈夫で美くしい寄木細工の書き物机のやうな物の出所であつた。しかしサンクルウで幅を利かしてゐるのは帝国アンピイルと復古政府時代レストラシヨンのマホガニイである。カイユでは其れが明色の檞と赤い櫻とである。時計とか、彫刻した倚りかかりの附いた藁椅子とか、又田舎で云ふドレツシユ卽ち銅を切り抜いた蝶番てうつがひや大きい錠前口の附いた私達のヘノオの戸棚とか、立派な母達から傳はつた我等の善良な婦人等の道具が、石灰塗の白い壁に掛かつた赫耀たる繪畫と、何とよく調和する事であらう!…………」

        ×

 ヹルハアランが初めて此のロアザンの田舎を見て其處に十五年間の住居をきめる事になつたのは、ちやうどあの大都會の驚歎すべき騒宴オルジイ「觸手ある都會」と幸福な結婚生活の愛の最初の祈禱プリエエル「明るい時」との二つの詩集を出してから三年目、四十四歳の時、あだかも此カイユの村が青葉に埋もれた一八九九年八月の事であつた。初めて土地を見に來た時の連れは細君とロオダンバツハ夫人と、あと二人であつた。當時彼れは引續いた神經衰弱から全く直つては居なかつたらしい。ロアザンで汽車を降りると彼れは細君を顧みて斯う云つた。「だがねメエ、お前マ ボンヌ、此處ヌウでは退屈マロンで死ぬペリイルやうなダンユイものインだよ!」所がやがてボンネルの谷の素睛らしい景色を見ると、彼れの氣持は急に變つて、生き返つたやうに元氣になつた。これは其時出迎へに行つた乳屋ロオランの細君の善い思出である。そして亦詩人の渝ることの無い讃歎著、これを持つことを最大の誇としてゐた牧場主ロオラン其人の記憶に從へば、ヹルハアランは其時五六週間滞在した。その間彼れは非常によく散歩して、またカイユの空氣のからだに佳いことを知つた。當時彼れは三番目の戯曲「フイリツプ二世」を書いてゐた。夜になると主人達を相手に哥留多カルタをした。寢る前には家ぢゆうの時計を皆留めた。そのチクタクの音が彼れの睡眠を妨げるからであつた。そして朝になると改めてまた時計を動かした。——斯うして土地と其住民とはすっかり彼れの氣に入つた。それでロオランの家の一部を改造して、其後二十年間位は毎年の春と秋とを其處で暮らす事に極まつた。彼れはそれを實行して戰爭の初まる年の五月に及んだ。『ヹルハアランさんは始終私に斯うおっしやいました。「私がほんとに飮んだり食べたり眠つたりする事の出來る場所は、カイユの外には無い」と。』これも亦ロオランの細君の思出である。
 彼れがこの隠栖を留守にしてゐた間の生活、卽ち夏と冬との生活に就ては、私はカイユでの其れ程つまびらかにしない。夏には、ヹルハアランはフランドルの海岸へ往つてゐた。彼れの云ふ砂丘デユウヌ地方である。彼れは其處の歌ふ風と轟く波とを愛した。また海へ出てゆく漁夫達の豪膽な生活を愛した。しかし海洋の休み無い動きは、彼れの氣持をも靜かにはしなかつたらしい。彼れは其處にゐて殆ど仕事をしなかつた。歩き廻つては夢想した。そして海そのものの精神を全身に浴び、又その力を深く強く感銘した。彼れは其處のあまねき光に酔つぱらつた。ハンストからワンデユヌまで、空氣と海と陸地と、そして太陽の管絃樂隊長の奏する燦然たるシンフオニイと。彼れにはそれだけで十分であつた。詩集「全フランドル」第一卷の二部を成す「砂丘の花環」三十篇は、其の時の感銘に従つて後になつて書かれたもののやうに考へられる。又あのニイチエの永遠囘歸の思想を想はせる悲壯にも眩ゆい詩「海に向つて」の一篇の靈感を得たのも、其處での事に違ひ無い。あの伊大利ラパロの入江の岩の上で、ノオトを手に、大きな蝙蝠傘に南欧の盛んな日光を除けながら、「信天翁あほうどりのやうに」海を眺めてゐる哲學者ニイチエと、フランドル海岸の砂丘の上に突立つて、虹色の光にかすむ北海の水平線を見わたしながら、
 「おお海よ、びっくりするやうな身になる私の喜びであつた者よ、
  おお海よ、冒險と征服とに向ふ
  君の潮うしほのやうな
  私の勇みはやる若さであつた者よ、
  君の水がお祭をしてゐる今日、私を呼んでくれ」
と叫んでゐる詩人ヹルハアランとを、今これを書いてゐる春の田舎の自分の小屋で考へる時、何かしら胸のいっぱいになるのを私は覺える。
 冬に、彼れは巴里の西南の郊外サンクルウにゐた。靜かな公園と豊富な樹木と、彫刻家ロダンの云つたやうに「肺を喜ばす空氣」と、イイル ド フランスの靜かな青空とに恵まれたサンクルウ。世界の都會の女王である巴里のその美くしい近郊アンビロンに、單純な善き生活者ヹルハアランは、質素な平家建ての家を借りて暮らした。
 巴里。ロマン ロランに從へば、「その本質を定義する事がひどく僭越に考へられる程、複雜で轉變きはまりない都會。その緊張と、その根深い移り氣と、その趣味の變化とが餘り烈しいので、たとへ或る瞬間出來るだけ眞實に此れを叙述しても、その書物が出版された時には最早正直なものとは云へなくなつてゐる」やうな、不断の成壞じやうゑを遂げてゐる都會。ヹルハアランが此の大都會を最も愛したのは、ロランの指摘した此一事に對してだけでも首肯することが出來る。
 彼れは其處の囂囂たる音響を愛した。其處に潛むラテンの精神エスプリを愛した。彼れは雜沓する街路や廣場の生生躍動する力とリトムとの中に自分を見出だすことを喜んだと同時に、感じ早い、自由な、大膽な、革命的な諸もろもろの運動と試みとに對して、その意志のために同感を持つた。總じて、自然の中では求めることの出來ない文明の濃厚な空氣を飲み、最も活潑な人間生活の流に浸かることを好んだ。しかも其の仕方と理由とに於て、彼れは常にヹルハアランの名にふさはしいものを持つ。其處を吹く媚藥の風に叙情し、其處に滿ちる頽瀾の氣に沈湎するにしては、彼れは餘り強つよすぎた。彼れが大都會の集團生活の中に心を打たれたものは、其コスミツクな觀念を通して見る、より善き未來への人間の進歩の努力であつた。最早神を失つた人間の、神たらんとする建設の努力であつた。彼れは人間の強大な意志を敬ふ。失敗も過誤も此の意志の進撃の前では何物でも無い。深い氣高い夢想と、強剛な意志と、その實行の努力と、彼の承認し讃嘆するのは常に是れである。従つて其の生きた實物見本である大都會が、民衆生活の巨大な坩堝るつぼが、強く彼れを牽引したとしても當然である。ちやどママ自然の中へ踏み込んでゆく時と同じやうに、彼は堂々濶歩して現代のバビロンを訪問するであらう。彼れは其處で己れの信念を更に確乎たるものとする。自然の中で鍛へ上げた自分の信條の正しい事を、此處へ來て彼れは證據立てる。斯うして彼れは次のやうに歌ふことが出來るのである。
  かくて既に凍えたこの大きな樹樹きぎの傍で、
  私のからだを武装した以上は、
  都が、遠くから、霧の中で私に現れてもよい、
  又その大きな聲で、私を呼んでもよい、
  私は其處で優しくてしかも同時に強い氣がするだらう、
  初の歩みは其處で大理石の路の上に鳴るだらう、
  すばやく、リトムをうち、潑溂に、快活に。
  又其處で私を見る人達は私の眼の中に讀み得るだらう、
  花と小川と樹樹との有りあまる明るさを。」
 サンクルウの靜寂な住居で、しかしヹルハアランは、書物と繪と少數の優れた友人を持つてゐた。マアテルリンク、アンドレ ジツド、アルベエル モツケル、ヴイイレ グリツフイン、マリア リルケ、ロマン ロラン等の作家や詩人、またヷン リツセルベルグ、ロダン、ポオル シニヤツク等の美術家が其の主おもなる人人であつた。此等の交友の空氣は、最も親密なアンチイム、最も樂しい、又靜かなものであつたに違ひ無い。私は畫家リツセルベルグの「朗讀」と云ふ油繪の複製を見た事がある。その繪で、ヹルハアランは六七人の友達に圍まれながら、片手に原稿を持ち、片手を突き出して其詩を朗讀してゐる。自由な、智的な、心地のよい會合である。彼れが文明の花の巴里にゐながら、常にその心に純潔な、美くしい、野生のものを持つて、あの「廣場フオアル シユルプラアス」の客間に出入しなかつた事は、此等の交友を一層奥ゆかしいものに思はせる。

        ×

 さて其處で私は筆をかへして、詩人エミイル ヹルハアランの、カイユでの「見本のスペシメンデエ」の叙述に向はう。
 彼れは朝早く床を離れる。バルザツクやドストイエフスキイのやうに眞夜中に仕事をしない彼れは、多分、もう五時半か六時には起きてゐる。朝は淨めの時である。天明の風が、ホンネルの低地から森や牧場をかけて、深い眠りの霧を遠く吹きはらふ。彼れはぐうたらに寢てはゐられない。その一日は善い祈念をもつて、大陽と共に初められねばならない。
 彼れは出かける。どこへと云ふ目的は無いが心は樂しい。肺の中はお祭である。路の小石は踵の下で鳴つたり光つたりする。その大きな歩みにつれて。
  「おお古い神ながらの經めぐる明るい歩みよ!
   私は檞の樹がその陰を落としてゐる
   暗い草の中へ身を埋める、
   そして是等の火の脣の上、花等に接吻する。」
 のびのびした優しい腕で谷の小川が朝早い彼れを迎へる。彼れは其處で一休みしては又出發する。森の小徑は軟かい揮發性の青葉の、深い透明な屋根の下 向うの方から多幸な季節の幅びろな朝風がわたつて來る。彼れは樹木のやうに爽かに身を顫はす。
  「これを最初として、枝枝の海にきらめく
   みづみづしい風を私は見る、
   人間らしい私の魂には年齢と云ふものが無い。
   一切は若く、一切は新らしい、太陽の下で。」
 彼れは今更のやうに自分の眼を、腕を、手を肉を、胴體を、また房房ふさふさしたブロンドの毛髪を愛する。そして自分の力を滿たす爲めに、空間全體をその肺臓に飲みたいと思ふ。さうして彼れは、彼れ獨特の散歩を次のやうに歌ふ。
  「おお、森や、野や、溝を横ぎるこの行進、
   其處で人は歌うたひ、泣き、叫び、
   憤然として己れを使ひ散らし
   また狂人のやうに自分自身に酩酊するのだ!
 ヹルハアランは歸つて來る。全身に野の生命と美とを滿たし、頭腦に今日書くべき詩をいきいきと畫策しながら。また、ひとり寢室へ殘して來た細君マ ボンヌことを、少しばかり氣にしながら。茲に、こんな朝の愛の歌がある。
  「私は眠の林から出て來た。
   その錯落たる枝や陰の下に、
   喜ばしい朝の太陽から遠く、
   あなたを置いて來たので少し氣が沈む。

   もうフロツクスや立葵が輝いてゐる。
   私は庭をやつて來る、
   光を浴びて、鳴りひびく
   水晶と銀との清朗な詩の事を考へながら。

   たちまち、私はあなたの方へ立ち歸る。
   あなたの喜とあなたの起床とを促すため、
   欝蒼として重苦しい眠の陰を
   私の思が、はるかに、卽時、
   もう突き破つたやうな氣がして
   ひどく勇み、感激しながら。」
 七時には、もう彼れは仕事を初めてゐる。狹い花壇の前の、谷に面した書齋の爽かに明るい窓際の机の上で。その窓は明けはなれてゐる。白い紙の上へ落ちる緑の葉陰を洩れて、ぴかぴかする太陽が靜かに航空する。自然の優しい烈しさと靜謐とが、善良な、物思はしげな家の内に滿ちる。そして花壇の花はいきいきと開き、鷽うそや河原鶸かわらひわが枝から枝へと歌ひまはる。ちやうどその真紅の花びらやきらめく歌で、彼れの明るい新鮮な、また純潔で眞實な詩の句句を輝かさうとする心のやうに。「一行として書かざる日無し」を座右の銘としてゐるヹルハアランにとつて、爽かな靜かな健康の毎日、「その生活は占領したもののやうに美しく」、「善い仕事は招待した友達のやうに」親しい。仕事——
  「彼れは温和な晴れやかな國から來る、
   その露よりも清らかな言葉に、
   われらの感情とわれらの思想とを、
   さんぜんと、ちりばめるため。

   彼れは氣まぐれな渦巻の中に實相を捉へる。
   彼れは巨大な柱石の上に精神を建てる。
   彼れは星宿を生かしめる火を其れにそそぐ。
   彼れは瞬時に神となる技能を齎もたらす。」
 ヹルハアランの詩作態度。それはルミ ド グルモン其他あらゆる批評家の云ふやうに、實に鐵の鍛煉さながらである。彼れは眞赤に燒けた感銘の荒金を打ちのめす。すべての品詞は槌の與へる一撃毎に、ぴかぴかした火花をリヅミカルに散らす。彼はそれを熟慮の水に浸す。それから引き出しては又鍛へる。句と句は七月の花の蔓のやうに縺れあひ、言葉と言葉は互に觸れあつて金属的な響を立てる。彼れの原稿は戰場のやうだと人は云つた。それは決して生優しい遊び事では無い。それは詩人の心靈と技能との全線が、熱情と意志との有りつたけを盡して戰ふのだ。それは思想を要撃して、まっかに燃える烈火の中でサラマンドラの生れるやうに、生れて來る其れの姿を見とどけるのだ。そして未だその原始の熖で燃えかがやいてゐるやつを、魂の奥底でつかまへるのだ。
 「ねえ、宇宙にゆきわたつた聾のリトム!
  その進行と過ぎゆく形象とを
  突然の一語で確定するのだ。
  荒つぽい太洋から、高慢な山嶽から、
  飛びはねる風から、電雷の戰闘から、
  地をゆく女の優しい歩みから、
  眼のひらめきから、手の憐憫から、
  超凡な實在の明るい出現から、
  情慾の嵐から、狂氣の衝突から、
  すべて動き、擴がり、破れ、交はる一切から其れを取るのだ、
  この無限を一箇の頭腦中に取つて引寄せるのだ、
  意識の
  新らしい無限の中で
  かうして彼れにその最も高い存在を與へるため。」
 こんな激しい仕事―—寧ろ戰爭——は、夥しく彼れを疲らせるであらう。錯落として又絢爛な行ぎやうから行ぎやうへ鳴りひびく意思の君臨! 彼れは五六時間でそれを中斷する。書きかけは其のままにして置いて、あとは明日に讓る。午後も尚仕事を續けることは稀であつた。「彼れは午後を散歩に、友人に、また彼れが不滅のものたらしめた宇宙と人間との此の複雜な光景を書きとめる事に捧げた」と、善きポンシユヴイエは書いてゐる。
 散歩。しかし此の言葉は、ヹルハアランの場合では、人の常に使用する其れと同一程度の如何なる概念でも十分では無い。移りゆく風景の途上で、見馴れた、若くは見馴れぬ事物に、知覺の、或は情緒の眼をとめる其れでも無い。またその靜寂な、或は活動的な環境に心身を投じて、其處に已れを同化させる事の快感を惹起する其れでも無い。更に又、見るとも無く見ないとも無い、一種の忘我の状態の中で、一箇體の想念を沈潜させる效果を起こす其れでも無い。否、實に其等に似たものではありながら、量的にも、——更に質的にさへも、——その概念を突破して、全く別種のものとなつて現れて來るところに、彼れの散歩の眞相があるのである。人は、單に散歩の事に止まらず、何事に對してでもあれ、彼れヹルハアランの特質である「過度エクセス」を理解しない時、彼れ及び彼れに就ける一切の眞を理解することは出來ないであらう。實にそこには感激の過度がある。驚異の過度がある。讃歎の過度がある。身を顫はすことのいきり立つことの過度があり、廣袤を愛し、相反を愛し、又實に突如たる事を愛するの過度がある。藝術的手法の上から見ても、云ふまでも無く、表現の過度がある。凡そ此等の過度は、それが過度であるが故に、常識を、教義を、道德的因習を、中庸を、すべてあらゆるものの則のりを超えてゐる。それは一切の汎濫である。そして此點に、彼れの藝術を容易に是認しない人人の、或は愛さうとして愛することの出來ない人人の、尤もらしい理由がある。しかも此の汎濫こそ、ヹルハアランのやうな天才を理解する上に、またこれこそ彼れの藝術の最高の特質であるが故に、是非とも承認され同感されねばならないものである。何となれば凡庸の眼には、一樣に温和な常套の光を持つて塗抹されてゐると見える自然をさへ、彼れはあらゆる天才の想像的な眼を持つて此れを見、その無比な熱情を持つて此れを湧き立たさずにはゐられなかつたからである。此事を最も美くしく喝破してゐる。ヹルハアラン其人の言葉を聽け! 彼れはその「レンブラント論」で、この偉大な心靈の畫家と同國同時代の詩人、——理想的市民であり、教養ある紳士である―—詩人カツツに就て云つてゐる。
 「その調子は通俗的である。その哲學は妥當である。またその言葉は聰明で、觀察は的確且つ切實である、それは恰かもあの道義的因襲や小さな洒落の畫家逹と同樣で、カツツも亦すべての暴戻や、穿入や、飛躍に就ては反對だつたのである。彼の靈的視野は狹い。しかし彼れの發見したものは悉く普通に了解され得べき種類のものである」と。そしてヹルハアランは鐡槌のやうな断乎たる一撃をもつて結論する。「それは直ちに地から生れたものであつて、決して星から降つたものでは無い」!
 恐らく彼れヹルハアランは、その原始人のやうな驚異の眼と、小兒のやうな純潔單純な心とを持つて彼の心靈の遠い底知れぬ憧憬ゼエンズフトに屬する無限無窮のものを、自然の要素的根柢のうちに感じ盡し、それに混じり込まうと熱望したであらう。此れを果さうが爲めには、喜んで己が身を千千ちぢに碎き、無數のものとなり、千萬の存在の中に彼れ自身の存在を解體して敢て悔いなかつたであらう。その時彼れは、莊麗な宇宙童話の世界の一人となり、想像し得る限りに於て美しく魁偉な、「テンペスト」や「眞夏の夜の夢」の舞臺を生きたであらう。そしてその忘我の藝術の無上の魅力は、善惡の觀念を知らず、フリイドリツヒ ニイチエの悲歌にも夢想した音樂のやうに、「恐らくは、ただ折折、その上の水夫の郷愁や金色の陰や、優しい心弱さが飛び過ぎ、また其れに向つて遙かな遠方から、もはや人の理解しない道德世界の日没の、千百の色彩が飛來したであらう!
 かうしてヹルハアランは、その魂の「飛躍と喜と祈との時間」である散歩から、彼れの新らしい汎神論的な自然讃歌の無數を書きあげた、それは「讃むべき神神デイイ エエレ ゴツテス」のあらゆるヷリエエシヨンであつた。その瞳を眩ゆくする廣大な地平で光に顫へてゐる樹木は、彼れの誇であつた。それは忍耐と力とが何であるかを彼れに語るものであつた。その靜かな樹液は彼れの血液にまじまつて。健康の何であるかを傳授するものであつた。また水は彼れの魂を敬虔にするものであつた。その「綺麗な神神しい清淨さは腕を傳はつて登り、やがて靜かにからだの中心にまで沁み込み、彼れの額に住み、またその眼の中に忍び入つた。」また花などの傍にゐる時は、自分がいつもよりも清らかに、純潔に、正しいのに氣が附く事が出來た。
 彼等は擴大な、ちらばらな空間に住みながら、陰にも日向にも同じもてなしをし、北風の殘酷を文句も無しに耐へ忍ぶ、健氣なまた優しい者らであつた。また路は彼れにとつて、新らしい可能へ向つて人間を誘ふ不可抗の誘惑であり、其上を遠くから、未來が、その兩手の中に彼れの運命を抱いた者が遣つて來る。また風よ、それはその旅行から、「限り無い田畑や村村を貫いて、何かしら健康な、清らかな、熱烈なものを運んで來る。」
  「平原の土壌に輕く觸れるその黄金の脣で、いたるところ、
   彼れは人間の喜と苦みとに接吻する、
   美くしい誇昔ながらの希望、物狂ほしい慾望、
   すべて魂の中で不朽の期待に値する一切のもの、
   彼れは其れを四つの翼であふり立てる。
 その他、森林、山嶽、海、太陽、空氣、何もかも。——自然のなかに彼れが見て、常の眼が見る常套の價値を、新らしい價値と不朽の姿との高さへまで上げなかつたものは一つも無かつたと云つていい。
 しかしヹルハアランの此の汎神論は、ゲエテの其れのやうに自然と世界との觀照から生れたものであるとは云へ、——またその自然の見方に於て著しく造形美術家的であつたとは云へ、——猶彼れは或種の黄金的客觀の態度に止まつてゐることは出來なかつた。己れを圍み、己れを貫く一切のものの中に生きながら、彼れは自分自身が卽ち其れである事を自體から感じようとした。「私はもはや世界と自分自身とに分ちをしない」と叫ぶ時、其處には自然に對する限り無い信頼と獻身と、涙ぐましい愛と合體と、また高らかに勇ましい誇との、最も美くしく披瀝された眞實の告白がある。人は彼れの詩を讀みながら、感動の突然の跳躍の中で、
  「私は繁つた葉であり又ひるがへる小枝である。
   私はうす青い小石を踏む地面であり、
   又醉つて夢中になり、猛烈に、喜び又むせび泣いて、
   はからず落ち込む溝の中の草である。」
と告げられたとしても、敢て驚き疑ふことは無いであらう。
 かくて自然は、永の年月、彼の隣人でもあり伴侶でもあつた。——否、これからさへ、彼れの死ぬであらう最後の日までも。彼れは風景を「わが友モン ナミ」と呼んだ。それは彼れの烈しい勞苦の時と、濶然たる魂を持つていきり立つ劍のやうに彼れが生きた希望の時とを共にして來た。「自然は私の思ひ出であり、また私そのものである」と云ふヹルハアランは、やがて老年が、その「全盛の力であり勇武であつたところに襲ひかかり、」思想の陰暗が彼の中に起り、そして彼れの生命の槍が「さう何時までも丈夫でも無く嚴然ともして居なくなつた時」、「夜な夜な、光がすつかり消えてしまつた時、ただ彼れ風景だけが自分の云ふ事を聽き得る時、」優しい深い色色の事を彼れはしみじみと、その風景に話して聽かせるであらう私は次の幾聯を、彼れが病氣のからだをして、初めてカイユの田舎へ來た時の遠い追憶と考へたい。
  「私は彼に過ぎ去つた日を物語る、
   廢顫に重いからだをして
   私が彼れの若若しさの中に
   輕やかなしかも濃厚な空氣を求めに來た日を。

   私が自分のうちに
   此世と未來とを愛し
   又強くあり支配者であらうとする
   昔の慾望の日毎に蘇つて來るのを感じた日を。

   岩から岩を歩きまはつて
   私があんなにも眞に幸福だつた日を
   眼の底に涙を湛へて
   近くの樹樹を抱きかかへた日を。…………」
 最早それがオオルド ラング サインの友であるかのやうな、自然に向つて何たる隔て無さ、また何たる懷しい告白であらう! 人は遂にここまで來たヹルハアランを考へる時、此等の句句を感動無しには讀めないであらう。
 その友アルフレ ヷレツドに捧げられた、最後から三番目の詩集「波うつ麥」は、——「全フランドル」三卷と同樣に、——祖國の土への心からの贈物である。之はこの詩集を讀み通す時、ヹルハアランの毎日の生活が、彼等故郷に生れて故郷に死ぬる尋常ただの人人の其れと、どんなに優しく又強く結び附いて居たかを知るであらう。彼れは百姓女を歌ひ、娘を歌ひ、旅藝人を歌ひ、酒飲みを歌ひ、情人の群を歌ひ、木靴職人を歌ひ、男女の老人を歌ひ、荷車の曳子を歌ひ、また田舎の葬式を歌つた。しかも其の描寫の一語一語は決定的で大きく、歌はれてゐる風景や人物の身ぶりは常にプツサン、ミケランジエロ等の莊大と雄渾とを持つてゐる詩人は、「荒っぽい男女の中でその運命に從つてゐる靜穏な魂の農婦」を描く。
  「金茶の紐で結んだ彼女の髮は、
   窓の明りに、その強い頸筋を鍍金めっきする、
   その立派な平均のとれた歩みについて                     ・
   野良へゆく影は、太陽の下で、すばらしく大きい。」
また彼れは、店へ立寄つて麥酒を飮んでゐる荷車の挽子に斯う云ふ。
  「それはリイ河の水と
   フランドルの大麥と
   忽布ポツプとを含んでゐる。…………
   君と同じやうに彼等の知つてゐる世界は
   アロストからテルモンドヘ續く
   あの明るい親密な田園ばかりだ。
   彼等は陽氣な時節に
   同じ雨と同じ太陽とを愛した、
   さうして今や河の水にまじつて
   君の赤い逞ましいからだの爲めに、
   おもむろに
   麥酒になつたのだ」
 ヹルハアランはその散歩の途中で、路で逢ふ誰にでも話しかけ、また近隣の年寄りや病人をよく訪問しては慰めた。彼れはその人人の暮し向きにも、勞苦にも、仕事にも、また密賣、密獵、山林盗伐のやうな陰の副業にも通じて居た。それ故彼れの「田舎の對話」七篇には、それぞれの聯業の獨特の術語と言葉の調子とが潑溂と出てゐると云はれてゐる。其處には各の仕事に對する牧者と花作りとの愛と誇との對話がある。熱烈な戀人同志の二部合唱がある。また機械の勝利に對する老地主の愚癡があり、怒りっぽい木樵りの嫉妬の叫びがある。そして此等の牧歌的な、人物と風景との詩的繪畫について、あのジヨルジユ デユアメルが想像した状景を茲に引用するのは、この「ヹルハアランの一日」を終るのに好いかも知れぬ。
 「戸口の右手、農園の塀にくつついた一箇の石の腰掛を私は想像する。そこには二人の百姓がゐる。彼等は、急がず、長い間をおいて、煙草の青い煙をふかしながら話してゐる。彼等の近く、同じ腰掛に、一人の男が休息しながら其話を聽いてゐる。彼は大麥や燕麥の色をした長い髭をもち、苦しさうな樣子をしてゐるが、それでも猶大きな平和さを保つてゐる。その眼はいきいきして無邪氣である。その肩は勞苦の仕事の爲に押しまげられてゐるあたりはすべて靜かで、ただ家畜共の立てる、小さな音ばかり。時時健康で綺麗な一人の下婢が中庭を横ぎる。彼女は牝鶏の叫び聲を笑つたり眞似したりする。すると忽ち其れが飛び上がる。殼物の粒が種蒔の時のやうに光つたり飛んだりする。路には馬肥しクロウヴを滿載した車が一臺置いてある。強い新らしい草の匂が傳はつて來る。例の百姓逹は腰掛の石のところで靜かにパイプをはたく。太陽が樹樹の梢へ落ちてゆく。エミイル ヹルハアランは立ちあがる。そしてまるで靜かに、往手で動く自分の陰と一所に小徑を出かけてゆく。」
 さうして、やがて彼れのまはりに來るのは夕暮遠。い思ひ出に滿ちた老年の無量な夕暮。カイユの隠栖は蒼然と暮れてゆく薄闇の中、ちらちら光り初める天上の星の下で、次第に夜に包まれてゆく。——
  「熱烈な勞作、亂費された努力よ、
   私の張りつめた精神の中でお前逹は緩んでゆく。
   今は善い時、來なくてはならぬ休息と
   健かな雄雄しい疲れとの時。」
そして又、
  「今は善い時、ラムプのつく時、
   告白が
   一日中かたみに思ひ合つてゐたと、
   深い、しかし逶きとほつた心の底から、
   浮んで來る時。」
 かうしてついに、眠りが、一日を無限に生きた思ひ出の揺籃が、又來るべしとも確かには知られぬ明日の日の希望の方へ、未來の遠い薔薇色の岸邊へ、老いたる詩人の疲れはてたからだと、未だすつかりは衰へきらぬ精神とを、輕やかに小舟のやうに、——水の上の白い柩のやうに、——運び去る。たとへ夜もなほ訪ねて來る友達を迎へて、彼れが、夜半まで「はつきりした智識を持つて互の美くしい觀念を靜かな聲で語り合ひ、人間の希望を、自慢もせず誇張もせずに、烈しい凛然とした言葉で」説かうとも、——或は亦、夜はただ青める銀色の谷間の家で、樫の時針の鳴らす九時を逸早く、彼れが「安らかに眠る幼兒をさなご」のやうに眠らうともである。

        ×

 かくて、その熱烈な生活を生きたヹルハアラン。彼れが歌つた「並木路の先頭の樹」のやうに、人間の信用のために熱中せざるを得なかつたヹルハアラン。その心を美くしい人間のざわめきで滿たし、世にあるために狂喜して接すべきものを自然の無量の中に信仰し、またその勇猛の心と正しい誇とから、一つの仕事が攀ぢ難ければ攀ぢ難い程それを身近く感じ、不幸の大槌の下でその歌を勞苦の時間にひびかせ、自然の兇猛の法則を背負ひながら全身を持つて戰ひ挑み、自みずからの主たるべき一箇の額ひたいを自ら建てるために、已が意志を鍛煉したヹルハアラン。そして、たちまち不慮の横死を遂げる運命の日を持つとは知らず、「少くともまだ十年の餘命」を信じ、また「若しも私が再生しなければならないとしたら、私は自分が曾てヹルハアランであつた事をきつと喜ぶに違ひ無い!」と、悲壯にも切言した永遠の詩人。その人への私達の傾倒が、もはや肉體を持つ彼れへは通ぜず、また世界が耳を傾けて聽き入つてゐる彼れの歌の眞ん中で、不意に莊嚴な沈默が落ちかかつて來たのだと感じる時、何等の悲哀と、何等の絶望とに私達は襲はれなければならないであらう。
 しかも私はもはや之れを歎くまい。まことに彼れの歌つたやうに
   幸ひなのは、それでも、むせび泣かぬ者等である、
   嚴然たる誇を持つてそれを押し返す者等である、
   あまり容易い古くさい甘たるい『確實』を。」
と。そして寧ろ私は彼れの豫言の次第に證あかされて來る今日の日を祝さねばならぬ。その中で彼れは廣野に沈む太陽のやうに歌つてゐる。
  「私の頭腦と私の眼とが亡びる日
   私のほまれは
   記憶のうちに永くいつまでも殘るだらう
   そして明るい強い私の詩句は
   こんな鳴り響く又意志に滿ちた足音を
   永くいつまでも先立たせリトム打たせる事だらう
   新らしい世の民衆が大地の上を行進する時」

        ×

  「彼の墓場で泣くな。彼れは其れにしては偉らすぎる」!

 

(此の小論に引用したヹルハアランの詩の中、その幾つかは友人高村光太郎君の翻譯にかかるものを拝借した。茲に改めて感謝の意を表する。猶同君の譯「明るい時」と「天上の炎」及びやがて出版される「午後の時」とは、日本で行はれてゐるヹルハアランの譯詩のうち、最も信ずるに足りる、最もヹルハアランらしい、且つ最も美しいものである事を確信して、ひろく江湖の讀者にお勤めする。)

 

 

目次へ 

        
    尾崎喜八・「その他」トップに戻る / 「詩人 尾崎喜八」トップページに戻る