詩集「同胞と共にあり」 (昭和十八年) 

同胞と共にあり

石見の国の日本の母

大 阪

忙中閑

志を言う

隣組菜園

雪の峠路

アリューシャン

明星と花

軍艦那智

春の谷間

第二次特別攻撃隊

静かなる朝の歌

北門の春

勤労作業にて

消 息

学徒出陣

工場の山男

弟橘媛

白鳥の陵にて

 

 同胞と共にあり

 いわゆる指揮官先頭にあらず。  
 まして陣頭の指揮ではない。
 常に卒伍の心を心としながら、
 時に雞頭となって尽瘁じんすいし、
 多く牛後に退いて衆庶と共にこれ努める。
 詩を作るより田を作れと言うか。
 むしろ詩を綴って町内会の庶務に任じ、
 本を伏せて凩こがらしの夜に拍子木をたたく。
 防弾頭巾、小さいモンペの子供らが、
 霜にかがやく朝の路上で、
 わたしに囁くのは新しい世の万葉歌。
 駅頭に山と積まれた滞貨の処分に、
 淋漓の汗を共にしてこそ、
 胸にこみあげる同僚愛。
 出でては火の気のない会議室に
 専門練達の士と翼賛の方途を議し、
 入っては鍬、竹箒賑やかに
 町に主婦らと溝どぶをさらう。
 おじさんと呼ばれ、君と呼ばれ、
 先生と呼ばれ、組長と呼ばれる。
 その名それぞれ耳に親しく、
 つねにその名に恥じざれとねがう。
 齢五十をこえて詩人の心に青春枯れず、
 弱体に鞭うって東西に奔走す。
 聖業成る日を想えばその畏さにまなこうるむ。
 あわれ命のかぎりなお斯くの如くにして、
 或いはよく民草の名に庶幾ちかからんか。

 

 

 

 

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 石見の国の日本の母

 青い石英粗面岩の渓谷をさかのぼって、
 がたがたのバスが行くこと四里、
 ぬるで紅葉もみじの真赤な山鼻を一つ廻ると
 風景は急にからりと開けて、
 石見いわみの国那賀郡なかぐん雲城くもぎ村大字七条の田園が、
 雲を散らした初秋の空の下に、
 すすき、野菊を風に吹かせて現れる。
 そこが英霊岡村上等兵の眠るところ、
 そこが遺族母子六人の私を迎える田舎だった。

 わかい未亡人岡村トキさんは
 糊のきいた紺かたびらに束つかね髪、
 荒い野良仕事で節くれだった両手を膝に、
 三十八歳のきょうが日までを私に語る。
 ゆく水のように淡々として
 事もなげに語られるその話が、
 かえって深く私の心に痕をとどめる。
 夫戦死してここに三年、
 かよわい女の手一つでする田畑八反の耕作も、
 忘れがたみ幼い五人の養育も、
 人知れない世帯の苦労も、
 いちど白木の箱に向ってただひとり
 肚はらの底から涙を流したそのあとでは、
 もうこれが自分の務めと思われた。

 村長さん肝いりの御馳走を、
 「こんな物お口に合いんさるまあが」と
 懸命に私にすすめたトキさんは、
 やがて晴れやかに立上ると、
 雲城山くもぎやまを一目に見わたす外そとへ出て、
 自分の田畑や家畜を私に見せた、
 そよそよと風に吹かれる石見の国の秋景色で
 却って私を元気づけでもするように。

 

 

 

  

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 大 阪

 燃えるように暑い九月、あわただしい旅だった。
 三十年ぶりに見る大阪は、
 その止めどもない人の波、乗物の波で
 危うく私を溺れさせた。
 私はむしろ好んで歩いた、
 日盛りのあらゆる通とおり、すべての筋すじを、
 パナマ帽子にフラネルの旅行服で。
 土着の大阪はきびきびと、逞しく、
 増産を論じ、鯨を食い、百日紅の残花を咲かせて、
 ほとんど上着をぬいでいた。
 六甲山は毎日朝からの暑熱にいぶって、
 箕面みのおの山のうしろには、
 篠山ささやま盆地の雲の峯が何本も柱のように突立った。
 豊中とよなかからの電車の往復に、
 新淀川しんよどがわの土手の草原へ下りたかった。
 そこならばせめて川風が運ぶいくらかの旅愁と、
 大葭切おおよしきりや雪加せっかの歌に聴入ることができたのだ。
 しかし或る日渡辺橋の欄干に頬杖ついて、
 釣する人をながめながら、
 会わずに帰る友達らの事を考えていると、
 どんどろ大師へはどう行くかと、
 私をつかまえて訊くお婆さんがあった。

 

 

 

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 忙中閑
      (松方三郎君に)

 『満洲なんぞ大豆と石炭しか
 採れない国だと思ってるかも知れないが、
 これで本屋へ行けばお前の本も買えるのである。
 あに警戒せざるべけんや。
 この間北辺僻地の或る町で「詩人の風土」を発見し、
 もしや淋しいのではあるまいかと買って来たが、
 考えてみればやっぱり国境の
 兵隊さんの手に渡ったほうが良かったようだ。
 ついでに例の芋の詩その他も
 詩集にまとめる気は無いかな』

 忘れた時分にこんな消息をほのぼのと
 送ってよこす山友達こそなつかしい。
 武蔵野は蜂が飛びかい、鵯ひよどりが鳴き、
 どうやら山茶花さざんかも咲き出しそうな小春日和、
 ちょうど出来て来た「此の糧」を小包に造り上げ、
 新京特別市云々と宛名を書いて、さて一口、
 生薬きぐすりくさい代用珈琲を啜りこめば、
 空に飛行機の戦闘訓練、
 舌にざらつくザラメさえもおろそかには思えない
 祖国日本の清らかにも美しい朝である。

 

 

 

 

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 志を言う

 大根だいこ吊り干す畠の遠いひろがりを越えて、
 昼前の日光にちらちら光る屋根瓦や
 煙のような雑木林の地平のはてに、
 雪の富士山のくっきりと立つ冬が来た。
 夜よるは夜で東の空から牡牛、オリオン、
 中天高くアンドロメダの
 星雲をすら見る空気の冴えに、
 あしたの朝の霜がおもわれる十二月だ。

 世にたぐいない国土に生きて、  
 めぐる季節は迎える毎に新らしく、
 心は静かな喜びや歌にみたされるが、
 暴戻撃つと国運をかけた闘いの
 この一年を思えば精神もおのずから引きしまる。
 平時ならば別に為す有るの身を捧げ尽して
 戦場に散るをやめない無数の同胞、
 能を生かし力を伸べて
 国の栄えにあずかるべき幾万の未来を、
 敢えて必死の境に送る国家の心。
 それを思えば市井一詩人の時々じじの風懐、
 或るいは囈語にひとしいかも知れぬ。
 しかし又時来れば喜んで捨てる命を、  
 それまでは詩に捧げ文に捧げて、
 創造のこの業に心をこめて励むのも、
 われらの面目、本然の務めではなかろうか。
 時にして富士れいろう、水てきれき、
 農夫ら畑はたに孜々といそしむ。
 われらの姿また斯くの如くではあるまいか。

 

 

 

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 隣組菜園

 さざんかの花 地にこぼれ、
 笹鳴きのこえ 路にあり。
 うすむらさきの 初霜に
 うたれて結ぶ 白菜の、
 はつはつあまき 味をおもう。

 

 

 

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 雪の峠路

 雪はこの渓谷を埋めつくすかとばかり
 夜明けから濛々と降りつづけている。
 頭巾の下のまつげに、髭に、
 よこなぐりの結晶がこおりつく。
 マチが沢、一ノ倉沢、芝倉沢、
 沢という沢は痛烈な寒気に燃えて、
 白い微塵のうずまく空に尖峯をつらね、
 すべての絶壁に凄まじい青氷を懸けている。

 漸くかたむく我が年令の坂にして、
 なお幾らかは残る力を試みようと私は来た。
 しなやかな関節、たしかな心臓、
 「物を見るために生れて来て、
 物見をせよと言いつけられた」目の力。
 それもこれもすべてなお衰えないのを喜んだ。
 勇気は涼しく、憧れは春のようで、
 心には晩夏の自然の
 あの汪溢と静けさとがあった。

 ピッケルをかかえ、岩を踏みしめ、
 吹雪に曇る谷の瀬音を聴きながら、
 白い浄福の奥をめざして黙々と行く。
 やがて谷も迫ってあたり一面に湧きたつ風。
 見上げる蓬峠よもぎとうげは白皚々、
 越後の空から屏風のように倒れかかる。

 

 

 

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 アリューシャン

 もうそこには昼らしい昼、
 夜よるらしい夜はない。
 ただ意志と艱苦とにいよいよ強まって、
 吹雪に暮れる湿原や、
 波さえこおる海上に、
 幾多忠勇のたましいが燃える。

 ふるさとの秋の祭の消息も、
 丘のべに白梅かおる初春はつはる
 たよりも聞かず、耳そばだてて、
 寂寞の空にとらえる敵機のうなり、
 荒涼の海にもとめる敵艦の影。
 そして頭上には
 北の星座の永劫輪廻りんね

 だが死生を超えたその心に
 ひそかに芽ぐむ優しい思いは、
 薄青く淋しい北のきわみの春の空に
 胸赤田雲雀むねあかたひばりの歌を聴き、
 雪渓にちかい岩の割目に
 色丹草しこたんそうの星がたの花をいつくしむ。

 敵が頼みのアラスカ公路、
 アリューシャン列島が西に尽きる
 キスカ、アッツの氷の島、
 その北門の護りかためる同胞を思えば、
 こがらしの夜毎に仰ぐカシオペイアも、
 悽気惻々、
 碧血をちぬった祭壇のようだ。

 

 

 

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 明星と花

 春のようだった一日の
 夕ぐれの往来にたたずんで、
 日没のあと一時間ばかりの西の空に、
 私にとっては久しぶりの宵の明星を眺めていた。

 誰かが通りかかって物静かに挨拶する。
 たそがれのほのかな光にすかして見れば、
 同じ隣組の若い娘だ。
 工場で働いている一人の兄の留守を預かり、
 死んだあによめの子を母のように慈しんで、
 おばちゃん、おばちゃんと慕われている娘だ。
 隣近所に病人があれば、買物、洗濯、
 なんでも進んで引きうける感心な娘だ。
 よそゆきですが仕舞っておけば無いも同然と、
 まだ手も通さない銘仙の一重ねを、
 中国地方の風害に差し出した娘だ。
 その子に逢えば霜枯れた人の心にも花が咲き、
 嫁とつがせたいが、居なくなるのは淋しいと、
 兄ひとりかは、
 みんなが思っているその娘だ。

 見れば手に一枝の蠟梅ろうばいを持っている。
 お百姓家で貰いましたという今年初咲きの蠟梅だ。
 早速活けるんですねと言って別れながら、
 この娘と星と花とに暮れる一日を
 ほんとうに美しいと私は思った。

 

 

 

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 軍艦那智

 水の粘性を圧するように、
 彼は吃水ふかく碇泊していた。
 はなやかな客船や、鈍重な貨物船や、
 軽いはしけの群をはなれて、ただひとり、
 春の港の沖合に。

 その灰いろの威容は海全体を風靡しているが、
 彼自身はわれわれの思惟の遠く及ばぬ
 ある超絶的な、非凡な思想に、
 ふかく思いふけっているように見えた。

 その下へ急航すべきどんな戦雲も
 まだ水平線には勁かないのに、
 前方の煙突はすでに全速時の風圧を予感して
 たくましく後方へうねり傾き、
 天涯からの重大な任務を
 彼は早くも受けとっているようだった。

 

 

 

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 春の谷間 

 春は遅々としてめぐって来るが、
 村を見おろす山の墓地に
 けさはもう桜の花が綻びた。
 来る年ごとにかずかずの忠魂を
 迎えまつったふるさとの墓地だ。
 きょうはそこで清掃がある。
 今一隊の生徒たちが登って行った。
 やがてあの高みの桜の下で、
 忠烈の思い出と子供らの可憐な作業とが、
 軍国の春の谷間の
 一幅の絵とはなるだろう。
 流れに近くみそさざいが囀り、
 崖の中腹でおおるりが歌う。
 春のめぐりは遅々としているが、
 もうじき藁屋根にしゃがの花が咲き、
 家々の鯉幟が春風を呑み、
 中には亡き人々のそれもまじって、
 ふるさとの暮春の空に、
 友呼びかわして翻ることだろう。

              (武州戸倉村盆堀にて)

 

 

 

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 第二次特別攻撃隊

 その写真をかたわらに、
 ひろげた地図へ眸ひとみをこらして、
 心に満月の夜の印度洋をえがき、
 枚ばいを銜ふくむというその出撃のさまを想像します。
 渺茫幾千海里の水のはてしに
 要害を楯にひそんだ敵艦をもとめて、
 粛々と、颯々と、
 波浪を蹴って進むその姿、
 その神々しさを思い見ます。
 まことに生還を期せぬ
 その忠勇、その義烈の、
 ただ炎々たる炬きょの如きを思います。
 きのうの戦友、
 きょうは再び相会わぬ手を東西に分って、
 互いの成功を祈りながら
 おのがじし目的地に急航する帝国海軍軍人の
 鏡のように澄んだ心を思います。
 第二次特別攻撃隊!
 半夜その写真をつくづく眺め、
 印度洋渺茫の水のひろがりを想像しながら、
 ひたすらに自分たちの為すことの
 いまだ足らないのを恥じるばかりです。

 

 

 

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 静かなる朝の歌

 朝のわずかなひとときを、
 庭の灌木うぐいすかぐらの小さい花に、
 虫眼鏡を近づけて見入っている。
 強度に拡大されたみどりの萼がくに、
 紅玉の針を植えたような美しい腺毛。
 そうか、それではおくのうぐいすかぐらだ。
 みちのくの、山の植物……

 遠くあかるむ北方の春と
 その山々を愁いさすらう歌のような
 雲のながれとが思われるが、
 断念にみがかれた詩人の心は、
 仕えながら実る道へと静かにかたむく。

 重大の時に呼ばれて、
 新らしい予感に心はたえず揺られながら、
 柔かに、確かにおのれを保とうと、
 朝のわずかなひとときを、
 鮮明に拡大された春の花の小宇宙の
 この絢爛と神秘とに見入っている。

     

 

 

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 北門の春

 雪と氷の北方に、
 おもむろに春のいのちが蘇る。
 風ひややかな六月の
 空は哀愁をやどして薄青く、
 湿原をいろどる岩高蘭や苔桃の花。
 にぶい銀の象嵌ぞうがん
 顫わせている遠山の雪渓、
 寂寞の中で囀るしまあおじの歌。
 やがて海氷がからからと割れ、
 極地の谷の氷河が切れれば、
 南へ南へと漂って来る夥しい流氷のむれ。
 これがオホーツクの春、
 樺太の春だ。
 だがもっと東のほう、
 アリューシャンの春は荒いのだ。
 そこでは毎日が必死の血戦、
 吹雪の猛威と敵機の襲撃に
 故国の春はいずくの空ぞ。
 雪雲の虚空にはぜる高射砲弾、
 堅氷をつんざく爆弾の雨、
 花もなげれば歌もなく、
 全軍ただこれ尽忠護国の闘魂。
 ああ、忠勇の将士が命を賭ける
 これが北門の春なのだ。

 

 

 

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 勤労作業にて

 竹籠のおべんと箱の蓋をとると、
 きょうは柏の葉にくるまれたお結びが六つ、
 緑いろの卵のように詰まっている。
 わたしは柔かい葉っぱをていねいに剥いで、
 楽しい心でお結びをたべる。
 勤労作業に出てゆくわたしの為に
 ひとり早起きして御飯をたき、
 毎日変ったお弁当を作って下さる母をおもう。
 こんがり焼いたお結びの中には、
 その丹青の梅ぼしや
 味噌潰の胡瓜が切りこんである。
 この柏のあおい葉も、
 昔わたしがもっと小さかった頃の遠足に
 母が小仏の裏山から抜いて来て、
 庭へ植えたその樹の葉だ。
 御苦労ですね、よく働いていらっしゃいと、
 けさも言われてうちを出ながら、
 きょうは何かと楽しみにしていたお弁当の、
 愛を秘め、情なさけをこめたありがたさ。
 わが母を恋いなつかしむ心とは
 こんな涙をいうのであろうか。
 柏の葉をたたんで籠に入れ、
 うすいお茶を飲みながら窓のそとへ目をやると、
 ここ蟬時雨降る市ガ谷の高台に、
 白いきれいな雲がひとつ、
 優しい母の夏姿のように浮かんでいる。

 

 

 

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 消 息

 毎日よく晴れた日がつづきます。
 蓼科山たてしなやまの雪も消え、
 牧場へ登る牛が人に曳かれて
 朝からうちの前を通ります。
 躑躅の花盛りのその牧場へ
 私も行ってみたいと思います。
 けれども一度罅ひびのいった此の腰では、
 中部日本の夏の山々を一目に見わたす
 私たちの土地の護り神、
 あの蓼科の頂上まではもうとても登れません。
 いきなり急降下でドカドカ落として
 そのまま一目散に遁げて行った敵のやつを、
 此の平和な故郷の六月の空の下で
 びっこ曳きひき山の田圃へたどりながら、
 今は苦笑いと一緒に思い出します。

 田植もきのうで終りました。
 去年は父が病気のため
 近所の御厄介になったと言いますが、
 ことしは親子三人で九日間の奮闘でした。
 毎日四時前に起きて朝飯をすますと
 すぐに未だ乾かない腿引を穿きます。
 水のつめたい苗代から一日分の早苗をとり、
 本田へ運んでいよいよ田植にかかります。
 かがんで植えること五時間、六時間、
 腰がみりみり痛んで来ます。
 でも前線にいた時を考えて、
 何を糞と頑ばります。
 十二時に一度帰って昼飯を食べると、
 以前ならば昼寝休みの二時間を、
 トマト、胡瓜、茄子、ささげ、
 南瓜かぼちゃの手入れなどに過ごします。
 今これを怠げると収程が減るからです。

 それから田圃へ行きます。
 信州北佐久の山の田圃は見渡すかぎり田植時、
 かいがいしい娘たちの姿が
 雲雀や郭公の鳴く風景のなかに散り、
 脛をわけて流れる水のあちこちに
 涼しいくいなの声がきこえます。
 うっすり霞んだ浅間山をうしろにして、
 御牧みまきガ原はらをうずめる海のような樹々の葉が
 午後の西風に翻っています。
 お妹御の御墓所の上のアカシヤも
 むこうの谷間で今がちょうど盛りです。
 あすの天気を祈る心で
 蓼科山の山のつづきへ沈む夕日を
 畦に腰かけて見送りながら、
 この短かい歳月としつきの間に亡き人々の数に入った
 多くの親しい俤を一人一人目に浮かべます。
 今は生きている者も死んだ者も
 幽明相呼び相応えて闘わなければなりません。

 七時を過ぎると堰せんぎの水で泥を洗い、
 草鞄わらじの紐を結び直して、
 たそがれの道を帰ります。
 ほの暖かい林の中には
 まだ昼間の野薔薇の薫りがこもっています。
 夕飯の済むのがかれこれ九時、
 それからぐったり床へはいって
 痛む足腰を伸ばします。

 いちにん前の働きのできないきょうの私を
 人は許してくれるでしょうか。
 前線で果たし終せなかった御奉公を
 私は此の故郷の土に継ぎ、つづけます。
 先生、
 日本は今ぞ容易ならざる瀬戸際に立ちました。
 そして国民すべて、その在るところ、
 必ず必ず勝たねばならない戦場です。

 

 

 

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 学徒出陣

 思い出おおき明治神宮外苑の秋、
 今年また芝は枯れ、銀杏いちょうは黄ばむ。
 されど今日われら幾万ここに会して
 ことほぐは卿等学徒出陣の行。
 滂沱の感涙頬をつたい、
 老若の諸手をのべて声をかぎりに、
 この年月を愛でし我が子、我が教え子、
 やさしき兄や先輩の
 帰らじの決意もかたい壮途を送る。
 今ぞ卿等に見るまことの姿、
 清廉のかんばせ、
 仰ぎ見るべき七生報国尽忠の眸、
 われら万感胸にせまって身顫いやまず、
 送って寧ろ鞭うたるるの心地がする。

 さらば征け、神州先発の学徒部隊。
 われら誓って卿等に続かん。
 在天英霊忠魂の加護、
 また必ずや若き卿等の上にあらん。

 

 

 

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 工場の山男
         (蛭田憲一郎君におくる)

 ――かつて北穂きたほの東稜に青春をこころみ、
 五竜ごりゅうの堅氷にアイゼンを嚙ませ。

 きょうで連続三晩の徹夜だ。
 毎晩火星が真赤ですと昼間ちゅうかん勤務の工員が言う。

 どうすれば机上の数字がものになるか。
 どうすれば此の工率こうりつが確保できるか。
 どうすれば生産力を数倍して、
 血の出るような前線の要望に応え得るか。

 南海に数をばらまく敵機の哨戒、
 連日連夜基地の空を埋めるという戦爆の殺到。
 きのう在りし剛勇きょうは亡く、
 紅顔の微笑ゆうべ帰らず。

 ――むかし不帰かえらずや牛首うしくびの峻嶮に友を支え、
 神かみノ田圃たんぼの春を惜み……

 あす新鋭機納入に立会たちあい
 われらの青春はすでに捧げて君国のものだ。

 

 

 

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 弟橘媛おとたちばなひめ

 このようにして、尊みことよ、
 これはまたあなたへの新らしい試練です。
 それら運命の鎚つちと金敷かなしき
 絶え間もない、むごい鍛えに、
 いよいよ強くあなたは耐えねばなりません。

 さきには、そのただなかに
 わたくしの安否を気づかわれた、
 あの相模さがみの原ののろいの火でした。
 そして今は、この走水はしりみずの大灘おおなだ
 おん行手をはばむ執念しゅうねんの三角波です。

 あなたにかしづく献身の女を
 つねに憎しむ霊があるのでしょうか。
 しかし、心をささげ、身を捨てて、
 愛する一人いちにんの衷うちに成るという
 女人にょにんの不滅を悪しきその霊は知りません。

 尊よ、歎いてはいけません。
 あなたの所遣まけのまつりごとのために
 みちのくの道はいよよ遥かに白い夏雲。
 今わたくしの落ち沈むこと、
 これは愛です。

 貴い御佩刀みはかしを抱いだくことのできた女の
 これは無上歓喜の姿です。
 不滅の愛に薫ろうとする弟橘の入水にゅうすいに、
 尊よ、なおうら若きおん行末を、あなたは
 いよいよ強くなくてはなりません。

 

 

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 白鳥の陵にて

 森よ、欝蒼と生い茂れ、
 かの猛く、悲しく、美しく、
 歌にみちた遠つ世のいちにんの皇子のため。
 水無月みなつきの青葉が下の陽のこぼれに
 おのが身を長々とゆるく重たく巻く蛇よ、
 このほのぐらい陵みささぎを守れ。

 八雲やくも立つ出雲の夏の川ぎしに。
 「中身さみ無しの木太刀こだち哀れ」と晴れやかに
 高く響いたかの御歌は
 まこと青春の智勇に酔った凱歌かちうたであった。
 しかし流離遠征の幾山河やまかわ
 世の常ならぬ体験におん齢よわいの数をかさねて
 帰ります神風や伊勢路の空、
 再びは起つまじき重きいたつきのおん床に
 「命の全またけん人は」と為させ給うた御歌にこそ、
 この世の聖なる風光への
 柔かな帰依きえと別離とは響かなかったであろうか。

 やんごとなきおん身にして遠く死生を往来し、
 千里の外に未知の蛮土ばんどをことむけながら、
 その御歌つねに流れて形象を満たし、
 また新たなる形象へと生命の美酒をそそいだ。
 この皇子みこの行き履ますところ
 人事と自然とことごとく歌の哀れに生き、
 もろもろの形象すべて運命に強つよまって、
 無常迅速の「時」のかなたに
 不朽のすがたを高くそびえた。

 ああ、水無月みなつきの森よ、欝蒼と生い茂れ、
 歌にみちた此の遠つ世の皇子みこのため。
 まなこ鋭きくちなわよ、この陵みささぎを永く守れ
 日の本にまこと悲しき、
 まこと勇武の詩人うたびとのため。

 

 

 

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