「尾崎喜八資料」掲載誌 

星 座

追分哀歌

彫 刻

女のトルソ

大煙突

老の山旅

イメージ

思うこと

一つの想像

彫 刻

 

 

 

 星 座

 晴れた夏の夜の南の空で、
 三本の毒牙をあらはした「蝎」が
 銀にかゞやく尾の尖端をきりきりと巻きあげ
 天頂めがけてその巨大なからだをのしてゐる。

 下の方、波の飛沫のやうに廣漠とけぶつて光るのは
 「ケンタウルス」か「狼」の、灰のやうな天體の微塵、
 その下にくろぐろとうねりを打つ松の丘は
 「蝎」のしたたらす水の雫に濡れるかと思はれる。

 彼のつよい肩のうへに
 らんらんと輝くたいまつのやうな星がある。
 火星だ。その火の玉が彼の急所を燒きつけるので、
 「蝎」はぐるんぐるんとのたうつて
 あたりに珠を綴る星座の網を引き裂きそう。

 風が來る、幅のひろい風が海の方角から。
 オゾンを含んだ風は窓を吹きぬけて庭へ出る。
 木立にかこまれた庭の上は天の靑さも殊に深く、
 目もあやな星の花野を銀河が涼しく流れてゐる。

 月のない夜はいつ更けるとも分らぬ、
 星に向つてあけ放して窓の前で私の仕事のはかどる事よ。
 しかしやがて氣がつけば天の穹窿は大きく傾いて、
 打ち倒されたゴライヤスのやうな「蝎」が
 その巨體を靑じろい地平線の方へのめらせてゐた。

    (「詩聖」大正十一年九月号) 尾崎喜八資料創刊号

 

 

 

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 追分哀歌
   (遂に私にはよそびとであつた、かの「わすれぐさ」の詩人にさゝぐ。)

 火山砂に書いては消す者よ
 からまつの降りつむ秋に立つ者よ
 おんみはすべての空しくなるたまゆらを
 くづれるきはをそんなにも愛した
 白壁ぬらす夕立の
 かはくさだめをいとほしむやうに
 はかない合歓ねむの一日が
 かたみもなくて逝くことに
 生きる者のもつとも美しい姿を見るやうに

 またあたらしく来る秋に
 夏を亡びる夕菅をわすれぐさと云つた
 そのやうに遠くほのかに歌はれるために
 この高原はけふも雲の薄氷うすらひをならべるのか
 しかし時はすでに晩い
 われらと共にとどまれと
 あの清い一人の痩せた手をとるすべもなく
 古い駅路のわかされに
 家々は骨のやうに白く貧しく枯れてゐる。

    (「四季」昭和十四年九月号) 尾崎喜八資料第2号

 

 

 

  

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 彫 刻

 鋳銅にちゞめた
 ミケランジエロのマドンナ。
 それが高貴な頸筋から
 豊かな背中の衣紋えもんへかけて、
 もうまつかな夏の朝日を浴びてゐる。
 戸外はけふも金剛石色にきらめく
 ひでりつゞきの畑の風景、
 小屋の室内は隅々までも外光の反射。
 しかもこの力づよい野天の中で
 その美を固執する作品のすばらしさ。
 私の毎日の仕事の指針、
 自分の芸術に加へたい美。
 今、夏の朝のみどりに明るい机の上で、
 復興期巨人の要訣であるこの作品を
 くちなしの花の高い匂いがめぐつてゐる。

    (「日本詩人」大正十三年八月号) 尾崎喜八資料第3号

 

 

 

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 女のトルソ

 女のトルソは台の上に
 まろく、ふとく
 がつちりと、のびやかに

 豊満な肉は
 岩畳な骨組をつゝみ
 しなやかに、あかるく
 きつぱりと、ほがらかに
 春のはなさく
 薔薇のつぼみの微妙さにいきづく

 一ぽんのいのちあつて
 胴体を上下につらぬき
 いのちの力は体軀にみちあふれ
 さかんなる気魄
 かすかにふるふ

 張り切つて豊かな胸の平野にをどり
 もりあがつた乳房の丘をめぐつて
 その麓にまどろむ光は
 ふたゝび目ざめて腹にひろがり
 たはむれては眠り
 たはむれては眠り
 やがて羞恥をつゝむ内股のふかみに
 はるかに消え入る

 あゝ、女のトルソ
 万人の母なる
 自然の大建築
 春の花、春の土壌

 うねり脈うつ海洋の波
 もろもろのいのちはこゝに芽ぐみ
 愛はかゞやかにこゝにそだつ
 讃嘆をつくして及ばぬもの
 愛撫をきはめてみちたらぬもの
 甘美にみのり
 荘大に高まり
 美醜を絶して自然そのものであるもの

 私はロダンのトルソの前にひざまづく

    (「生命の川」大正六年六月号) 尾崎喜八資料第4号

 

 

 

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 大煙突
             ある人に

 生活につかれたら来て見たまへ
 「蔵前」の三本の大煙突を
 天空を摩してならび立つ大煙突を

 このごろ初夏の晴天なら
 淡碧に微動するおほぞらの海を
 遠く航する煙りに似た雲の群が
 そのヒーロイツクな頂きを飛ぶであらう

 まつさをにけぶる五月の雨の中
 その薄紗の被幕をつらぬいて
 思はぬ頭上にのしかゝり
 あくまでもふとく
 あくまでもたかく
 モンスタアのやうにつったつ大煙突
 恐らく君は
 その圧迫にいきづまつてしまうであらう

 むくむくと盛り上る雲の群れを背景としては
 かぎりなく荘大に星々の一斉に歌ふ夜空にそびえては
 かぎりなく静寂に
 つめたく朗らかな朝明けをむかへ
 とほくなつかしい落日を見おくる
 風は郷愁の悲曲を高く吹きめぐらし
 日は燦として永劫の天空に輝きわたる
 その中に堂々とそびえ立つて
 死せる巨人の姿のやうな
 まつくろな大煙突

 なさけなくなつたら来て見たまへ
 「蔵前」の三本の大煙突を――
 君は
 何かしら大きな感じをつかむだらう
 そして
 多分その女々しさも消え去るだらう

    (「生命の川」大正六年6月号) 尾崎喜八資料第4号

 

 

 

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 老の山旅

 久しぶりにすつぽりと
 深く穿いたしなやかな強い山靴、
 老いにせばまつた両肩を大きくひらき
 まがつた背骨をまつすぐにする
 厚いルックザックの適度の重み。――
 今日私は山へ行く、
 あゝ 山へ、久しぶりに、
 杖を小脇に。

 「気をつけて!」とか「無理をしないで!」とか、
 娘よ、妻よ、そんな心配はもういらない。
 氷雪の山、岩登りの山は昔のこと、
 今私の行くのは春の山だ。
 白い岩うちわ、黄色い山吹、
 水がしたたり、苔がきらめき、
 森の奥から黄びたき、日雀ひがらの声のひびく
 木山、藪山、春の山だ。

 青い蛇紋岩の崩壊斜面や、
 牛の角いろのいろんなチャートが
 きれいな露出を見せている午前の溪谷。
 時々おおるりの歌を聴きながら
 そんな世界を楽しみつつ登つて行くと、
 とつぜん現れた峠のむこうに
 雲を浮かべた隣国の山々谷々のひろがる風景。
 そういうのが今日の私の山旅だ。

 青春のさかんな体力が衰えると
 老年の豊かな創造と智恵の力がこれに代る。
 よく連続した時間による人間の完成は
 青春から老年へと大きく懸かつた
 一本の美しい虹の弧線だ。
 若い時代の強靱な閃光と老境の柔和な輝き、
 それらはいずれも震動する光の波として
 この華麗な虹の内部に反映している。

 久しぶりに今日私は山へ行く。
 どんな遭遇、どんな見ものも
 私はけつして見落とさず、軽ろんじもしない。
 私は美に満ち意味に満ちているこの世界が
 又大きな謎でもある事をむしろ喜ぶ。
 そして脈々と波うつ謎のおもてへ
 自分の思惟と智恵とを投影するのが私には楽しい。

    (帯広営林局・局報「樹氷」昭和三十一年3月号) 尾崎喜八資料第5号

 

 

 

 

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 イメージ

 平野を見おろす山の端はの
 宙にかたむいたあんな高みに
 こつねんと秋の湖の氷の杯。
 私の黄いろい大きな周囲に霧がたちこめ、
 眼の前の濡れた小枝で一羽の美しい山雀やまがら
 青いはしばみの皮を猛々しく引き裂き、
 からまつ林のてっぺんを渡る栗鼠りす
 ぼろぼろと何か毬果きゅうかを屑をこぼした。
 ――おびただしい履歴の奥の鮮明な一瞬よ!――
 しかも私の赤城がもう塵労の地平に消える。

    (「文芸春秋」昭和三十三年九月号) 尾崎喜八資料第6号

 

 

 

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 思うこと

 敬虔と誇りとの額に朝々の太陽をおくりながら
 薔薇いろからうすみどりの世界へと
 季節はあやまりもなく私を導いて來た
 小供のやうに、眼を大きくあけ
 できるだけ大股に、しつかり
 生活の歩調を彼とあはせ
 眼前の千の華麗と驚異とを映じいだす日々のうつり
 かはりをよぎつて
 けふこそ實に、六月の
 かくもはかり知られず言葉にあまる
 朝、晝、夕の幅びろな光と暗とを身に浴びる

 みどりの枝や、眞紅の花
 夏雲の湧きたつ蒼穹と雜草の蔭を流れる豊麗な小川
 ある時はその枝々に希望をかけ
 その花びらの炎の上に突磋の熱情の唇を押しつけ
 また彼等の高き動亂と共に憤り
 彼等の淸きつめたさに淚をおとす
 おゝ、一切自然の象徴に我れとわがすべてを見て
 悅び、熱し、憤り、泣き、
 かくて季節の大いなる明暗の海に生きながら
 いつかは人の世の歩みの最後の荒野に
 永劫の星とおのれとを見わけがたくする私であるか!

     (「帆船」大正十一年七月号) 尾崎喜八資料第7号

 

 

 

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 一つの想像

 着陸船イーグルの二人の乗員、地球人代表者のその一人、
 アームストロングがまず彼の左の足から
 月面の「静かの海」の荒寥たる一角、
 人類未踏の天体の土にがっちりと下り立つ。

 星条旗、地震計、反射鏡その他の据え付け、
 隕石や火山弾や岩石や土砂の採集、
 その間にも撮影、観察、記録の作製。
 二人のために時間は作業でぎっしりと詰まっている。

 三十八万四千キロという暗黒の宇宙のかなたに
 三分ノ一ほど欠けた地球の色や姿は美しいが、
 それをうっとりと眺めているにしては
 あまりに凝縮された時間と、人間界からの孤絶の境地だ。

 せめて生ある物の証拠でもと探してみるが、
 鋭い視線にもそれらしい物は映らず、
 ただ時々護衛飛行中の母船コロンビアと
 それを操縦しているもう一人の同僚の事が思われる。

   (日本ビクターEPレコード「人類ついに月に立つ〜アポロ11号からのメッセージ」
    
非売品のジャケット、1969年?) 尾崎喜八資料第13号

 

 

 

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 彫 刻
     (敬愛する千家元麿兄に捧ぐ)

 ロワール河の金いろの胸と
 イール ド フランスの靉靆たる紫の地平線と
 花に満ちた果樹園や、豊饒な野や
 その温雅な大気や、そよかぜや
 そして日毎かなたの空に浮かぶ雲の高彫りとから生れたおんみ
 水浴する少女よ
 おんみの幸福な無邪気と、又と来ない生命の春とは
 この純白な大理石に満ち盛られて
 あの巨匠の手によって永遠にされた

 七月が涼しい樹蔭をつくる小川の縁に座して
 きらきら躍る反射を顔にうけながら
 その繻子のやうな水をおんみは波立たす
 波紋の模様をもつとたくさんにする面白さに
 又ときどき水面ちかく浮かんで来ては
 むらがつた藻の下に姿を匿す小魚の驚きを見る面白さに
 おんみが聴くともなしに聴くものは
 岩角をめぐる水の竪琴ハープと鶉のピコロ
 そしておんみのまはりには多幸な祖国の田園と
 遙かな森と、更に遙かな地平線と
 また悠久な夏の青空と

 しかも、春そのものが身を傾けてゐるやうな
 おんみの全体軀のなんといふ比類なき豊麗、健康
 なんといふ確実な釣合と明浄な線のながれ
 ひろびろとした明るみはおんみを包み
 夢みる陰のモスリンはおんみにまつはる
 芸術家の讃嘆と意力とが
 鏨の愛撫をもつておんみの妙齢の一切を不死たらしめたのだ

 水際に立つ菖蒲の骨組、五月の杏の花の肉
 ほがらかな性の夜明けと愛の巣と
 おんみは憂愁や日没からは生れて来なかつた
 悦びの朝と幸の春とが或るヷルカンの手をかりて
 おんみの生命と肉体とを岩の塊りから鍛へ出した

 瞳は空と海、唇は石竹の花
 そして日を浴びた山楂さんざしの藪のやうな髪の毛の下に
 黎明のいさぎよさを持つおんみの額は目ざめ
 生いのちに満ちた肉付けは
 胴体や四肢の花ぞのを爛漫たらしめながら
 なお溢れる光の中にその整々たる輪廓をきめる

 生命なき大理石から叡智と愛と全能の手とによつて生れたおんみ
 女性の青春の一切を賦与されながら時の一点に生きるおんみは
 年月の潮流と石の崩壊とを立ちこえて
 巨匠オーギユスト ロダンの名を
 その不滅の美をもつて永劫に飾りくゆらすのだ。

     (「日本詩人」大正十一年四月号) 尾崎喜八資料第14号

 

 

 

 

 

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