「ヘッセ詩集」より  尾崎 喜八 訳

    
    ※ルビ
は「語の直後に小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています(満嶋)。
    ※タイトルに★印が付いているものは、2013.10.3に追加した作品です。


   

  1899年〜1902年      

二つの谷から

ほのかな雲

白 樺

エリーザベット

アルプスを越えて

職人の徒弟の木賃宿

年老いた放浪者

ジョルジョーネ

我が母に

 

白い雲

野を越えて

美に寄す  
 

私の母の庭に

それが私の悩みだ

純粋な喜び

 
  1903年〜1910 年      

春の夜

詩 人

高山の夕暮れ

霧の中

母の夢

春  

風 景

村の墓地

七月の子供たち

 

幸 福

雲  

夏の夕べ  

目 標

エリーザベット

慰 め

  1911年〜1918年

     

旅の歌

さすらいの途上

花咲ける枝

九月の哀歌

愛人への道

ヘルダーリンへの頌歌

夜ごとに

草に寝て

田舎の墓地

  旅する術 蝶   或るエジプト彫刻の蒐集の中で  
  龍膽の花 アルプスの峠 最初の花  
 

たそがれの白薔薇

わが弟に

幸福な時間

 
 

いろいろの聖徒がある

スキーでの憩い

春の日………

 
 

バーガヴァード・ギータ

平 和

戦場での死

 
 

戦場で斃れた或る友に

春  

新たなる体験

 
 

山に在る日

艱難な時代の友らに

運命の日々

 
 

ロカルノの春

戦争の四年目に

老境に生きて

 
 

アルチェーニョのほとりにて

兄弟なる死

内部への道

 
 

或る中国の歌妓に

クリスマスの頃

饗宴からの帰途

 

脈 絡

少年の五月の歌

秋の日

  1919年〜1928年      

無 常

十一月

秋の森で痛飲するクリングソル

秋  

晩秋行

あらゆる死

初 雪

色彩の魔術

葡萄の丘と湖と山と

  イタリアへのまなざし 刈りこまれた檞 冬の日  
  女友達への葉書 或る別れに臨んで 夜の道  
 

帰 宅

愛の歌

三 月

 
 

雪中のさすらいびと

病 気

祈 り

 
 

お前の夢

わが姉に

愛する者に

 
 

詩人の最後

何処かに

老人のクリスマス

 
 

或る少女に

詩 人

荒野の狼

 
 

インドの詩人バールトリハリに

口 笛

静穏な日

 
 

画家のよろこび

クリンゾルの夏への回想

 

 
  1929年〜1945年      

夏の夜の提灯

すがれゆく薔薇の花

村の夕暮れ

イエスと貧しき人々

碧い蝶

夏の夕べ

九 月

老境に入る

ニノンに

  基督受苦の金曜日 新しい家に移るに際して 春の言葉  
  晩 夏 夕暮れの家々 嵐のあとの花たち  
 

回 想

晩夏の蝶

夏は老い

 
 

枯 葉

バッハの或るトッカータに

さようなら、世界夫人

 
 

『乾草の月』と『青春は美わし』を読み返して

ブルームガルテンの城で

 
 

平和にむかって

或る詩集への献詩 ガラス玉遊戯  
 

笛の演奏

詩集にそえて或る友に

   


 二つの谷から

鐘が鳴っている、
はるかに遠く、谷間で。
鐘は鳴って告げている、
ひとつの新しい埋葬まいそうを。

別の谷からは、
同時に風にはこばれて、
ラウテのしらべが
こえて来る。

だが私には漂泊ひょうはくの人間にとって、
歌のしらべと死の鐘の音とが
ひとつになって響くことこそ
ふさわしいもののように思われる。

しかしほかの誰かがこの二つを
一緒に聴き取るかどうかは疑わしい。
            Aus zwei Tälern

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 ほのかな雲

ひとひらの、細い、白い、
ひとひらの、穏やかな、ほのかな雲が、
風にふかれて青ぞらをゆく。
目を伏せて、感じるがいい、
喜びに満たされたあの雲が、その白い涼しさで、
お前の青い夢のなかを過ぎてゆくのを。
            Die leise Wolke

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 白 樺

詩人の夢の蔓つるのもつれも
これ以上こまかに枝分れはすまい、
風に吹かれてこれ以上軽やかに橈たわみはすまい、
青空へ向けてこれ以上けだかく立ちもすまい。

優しく、若く、たおやかに、
不安の思いをこらえながら、
お前はその明るい長い枝々を
どんなそよかぜにも敏感に揺れさせている。

そのように微かすかにしなやかに揺れながら、
お前はその優美な姿で、さながらに
やさしく清らかな青春の恋愛の
写し絵とも私には見えるのだ。

            Die Birke

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 エリーザベット

大空の高みにうかぶ
ひとひらの白い雲のように、
そなたは白く美しく遥はるかな人だ、
エリーザベットよ。

雲は行き、そして雲はさすらうが、
そなたはほとんど顧かえりみもしない。
しかもほのぐらい夜よるに彼らは
そなたの夢をよぎって行く。

彼らはよぎり、そしてさばかり銀に輝くので、
それ以来、やむまもなく、
あの白妙しろたえの雲のすがたに
甘い郷愁をそなたは寄せる。
            Elisabeth

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 アルプスを越えて

アルプスの雪が冷えびえと光っている時、
もうイタリアの最初の青いみずうみが
視野をかぎる。
これこそ正にひとつの旅だ!

高地の風と凛冽りんれつな空気とをつらぬいて、
すみれいろをした遠方のにおいや
南の太陽に過熱された海から、
或る甘い予感が吹き上げて来る。

そして眼は明るいフロレンツの円屋根ドームにむかって
いよいよ遠くあこがれわたり、
あらゆる丘の稜線りょうせんを追って登りながら、
照りかがやくローマを夢みる。

もう唇は、知らず知らず
他国よそぐにの美しい言葉の音をかたどっている。
その間にも、光りきらめく悦楽の海がふるえながら、
君にむかって暖かく、青くなる。

            Über die Alpen

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 職人の徒弟の木賃きちんやど

金は無くなり、壜は空から
そこで一人は一人と次々に
疲れきった体を床ゆかに倒し、
長いさすらいの後あとの休息をとる。

或る者は危うくのがれた
憲兵のことをまだ夢みている。
もう一人の者は日当たりの野原に
暖かく寝そべっているような気持でいる。

三番目の渡り職人は幽霊でも見るように
じっと明りを見つめている。
頬杖をついて眠りもやらず
何か人知れぬ悲しみに沈んでいるのだ。

明りが消えてすべてが憩いこう。
ただ窓ガラスだけがまだ光っている。
そこで彼はそっと杖と帽子を取り上げ、
暗い闇の中へさすらいをつづける。

            Handwerksburschenpenne

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 年老いた放浪者

暖かい季節がまたやって来て、
遠く、近く、八方ヘ
浮浪者のむれが散ってゆく。
そして動かずにいるのは私だけだ。

ああ、もしもこの足が達者だったら
自分の持ち物なんか救貧院へ送ってしまって、
野をこえ、山をこえ、広い世界へと
わが兄弟たちの後あとを追って行こうものを。

だが今私は夜になるまで
中庭の門のうちにたたずんで見送っている。
そして靴もはいていない浮浪者がやって来ると、

その男に悲しく「やあ」と呼びかける。

            Der alte Landstreicher

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 ジョルジョーネ

このようにして芸術家たる者は地上を去らなければならない!
命日めいにちもなく、墓もなく、
年齢や、老衰や、凋落ちょうらくや、苦悩についての報告も無しに!
なにか寓話のように、詩のように、
あなたの存在はわれわれに伝わり響いている。
愉悦ゆえつに輝き、どんな悲惨のつらい霜にも悩まされなかったものとして。
おそらくは黒死病が、あなたをその青春の
悦楽と情熱とから奪い去ったのだ!
おそらくは冷めたい死が、あなたを祝祭の 
花環で飾られた夜の小舟から引き下ろしたのだ!
 
われわれはそれを知らない。あなたに就いてわれわれには何一つ残されていない。
しかしただ少数の肖像があって、その甘美な力が 
古い装飾のなかで毀こぼたれもせず、
時間を超え、塵ちりもかぶらずにわれわれに向かってほほえんでいる。
そしてなおひとつの言い伝えがあって、
勝ち誇った若さのあらゆる光輝であなたの思い出をかざり、
あなたの美しい捲毛まきげの上に
ふしぎな情事の花環をかぶらせている。
あなたに墓は無い。あなたの存在は制御し難いものだった。
それは枯れしぼまなかった。われわれはあなたの生きていることを知っている。

           Giorgione

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 我が母に

お話したいことがたくさんありました。
私はあまりに永く他郷にいました。
しかしそれでも、あなたはいつも
いちばんよく私を理解してくれた人でした。

前々からあなたに上げたいと思っていた
私の初めての贈り物を
このおどおどした子供の手に持っている今
あなたは目をお閉じになりました。

それでもこれを読んでいると
ふしぎにも胸の痛みが忘られて行くようです。
なぜかといえば、あなたのたとえようもなく寛大なお心が
千の糸で私をとりまいていますから。

            Meiner Mutter

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 白い雲

おお、見よ、彼らは又しても
忘れられた美しい歌の
ひそやかなしらべのように
青い大空をただよって行く!

長い旅路でさすらいの
ありとある苦しみや喜びを
味わい知った心でなければ
彼らを理解することはできない。

太陽や、海や、風のような、
白いもの、気ままなものを私は愛する。
なぜならば彼らは家無き者の
姉妹でもあれば天使でもあるのだから。

            Weisse Wolken

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 野をこえて

空こえて雲はゆき、
野をこえて風はすぎ、
野をこえてわが母の
放蕩ほうとうの児こはさすらう。

ちまたに木この葉吹きながれ、
木々のこずえに鳥叫ぶ――
山のかなたのいずくにか、
わが遠いふるさとは在るだろう。

            Über die Felder

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 美に寄す

私の少年時代の上には
おんみの翼が張られていた、
みどりの近隣、こんじきの遠方が!
そして空の岸辺のいやはてに
おんみは私の郷愁の国をつくった。

私の青年時代の上には
おんみの手の支配があった、
髪を縮らせた高貴な女ら、
思いきった踊りと冒険、
昼間や死についての物思いの夜々が。
そして夜ごとに私の郷愁の国が
空の岸辺で赤々と燃えた。

舞踏も冒険も沈んで行った、
時のくらいながれの中に。
近親もなく、拘束もなく、
今私の孤独が盛り上がる。
みどりも金きんも大空も色あせて、
私の病めるたましいの岸辺に
私の郷愁の国だけがある。

私の腕はその岸辺にむかって差しのべられ、
あこがれは生と死とを立ちこえて
私の視線を遠く放つ。
私の歌はひざまずいて待っている。
――おんみは帰って来るだろうか――
私の運命も膝を折っている。

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 私の母の庭に

私の母の庭に一本の
白い白樺が立っている。
その葉むらを透いてかすかな風が
音もさせぬほどかすかに通る。

母は悲しみを胸にいだいて
小径こみちを行きつもどりつしている。
そして思いに沈みながら
彼女の知らぬ私の在りかを尋ねて歩く。

或る暗い負目おいめが私を追い廻している、
屈辱くつじょくと急迫きゅうはくとの中で。
母上よ、我慢してください、
そして思ってください、私をもう死んだ者と。

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 それが私の悩みだ

私があまりに多くの彩られた仮面をかぶって
あまりに巧みに演じる仕方や、
自分や他人をあまりにうまくたばかる仕方を覚えたこと、
それが私の悩みだ。
どんなわずかな感動も私のうちに燃え上がらず、
たわむれや底意を持たない歌には決して興奮するということもない。

どんな夢の無意識のうちの警告も、
どんな悦楽や苦悩の予感も、
もう自分の魂を動かしはしないだろうということを
脈博の一打ちごとにあらかじめ感じながら、
自分自身を底の底まで知りつくしていること、
それを私は私の悲惨と呼ばなければならない。

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 純粋な喜び

ほこり立つ路ばたで太陽に熱せられた壁の上、
大地の胸にしずかに憩うことにもまして
純粋無垢な喜びを私は知らない、
頭上に深い青ぞらがひろがり、
なにか未知の幸福にむかって
私の願望がほのかに又微笑しながらあこがれる時。

同じように私を捉える喜びをもう一つだけ知っている。
それは正午の輝きの中にあたりいちめん
青い海がきらきら光って横たわり、
遠くで白い帆をあやつっている一艘の舟の
その帆が私の疲れたあこがれを故郷のほう運ぶ時に、
ほそい櫂オールに身をまかせて揺られていること。

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 春の夜

とちの木の中で
風は寝ぼけたようにその羽根を伸ばす。
先のとがった屋根屋根からは
たそがれと月の光りがしたたり落ちる。

すべての泉はそれぞれに冷めたく
こみいった伝説をさざめかせている。
鐘楼ではおごそかに
十時の鐘が鳴り出そうとしている。

庭の中では耿々こうこう
月に照らされた木々がまどろみ。
その円まるい樹冠をとおして深々ふかぶか
美しい夢の息づかいが響いてくる。

ためらいがちに私は自分の手から
熱情こめて弾いていたヴァイオリンを放す。
そして青白い大地に遠く目をみはり、
夢み、あこがれ、沈黙する。
            Frühlingsnacht

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 詩 人

ただ孤独なる者、私にのみ
夜は無窮むきゅうの星々が輝き、
石の噴井ふきいはその魅惑の歌をざわめかせる。
ただ私にのみ、孤独な者私にのみ
旅ゆく雲の多彩な影が
広野へのようにさまざまな夢を投げかける。
私には家も耕地も
森も狩場も生業なりわいも与えられていない。
私に与えられているのはただ何びとの所有にも属さぬもの、
森のとばりのうしろを流れる小川、
おそろしい海、
遊んでいる子供らの小鳥のような叫び声、
恋をしている人間の夕暮れの涙や歌だ。
また私のは神々のやしろであり、
昔の聖なる林である。
そして未来の明るい空の穹窿きゅうりゅうこそ
まさしく私のふるさとだ。
しばしば私の魂はあこがれの翼に乗って翔けのぼる、
至福な人類の未来の姿を見ようとして、
愛を、民族から民族への愛を、獲得されたその掟おきてを見ようとして。
私は高貴に変貌した彼らすべてをふたたび見る。
農夫を、王を、商人を、勤勉な船乗りを、
牧者を、園丁を。
彼らはすべて未来の世界の祭りを感謝をもって祝っている
ただ詩人だけがその場にいない、
彼、孤独な静観者が、
人類のあこがれの担にない手であり、青白い姿であるその人が。
未来は、世界成就は、
もう彼を必要としないのだ。
多くの花環がその墓で萎えしぼむ。
しかし彼への追憶は消えてしまった。

            Der Dichter

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 高山の夕暮れ
             (我が母に)

かぎりない幸さいわいの一日でした。アルプスは赤々と燃えています……
今のこの輝かしい眺望を私はあなたにお見せしたい。
そして静かに立って、あなたと一緒に、深い喜びを前に
いつまでも沈黙していたい。――ああ、あなたはなぜ死んだのですか。

谷間からは雲に巻かれた額をした夜が
しずかに荘重に立ちのぼって来て、
おもむろに絶壁や牧場まきばや万年雪を消してゆきます。
私はそれを眺めています。――しかしあなたがいなくて一体それが何でしょう。

あたりはもう一面の闇と静寂。
それにつれて私の心もくらくなり、悲しみに沈みます。
今私のそばを何か軽い足音のようなものが通ります。
「それは私だよ、私だよ、子供。お前にはもうこの私が分らないのかい。

明るい昼間はお前ひとりで楽しむがいい。
けれども星のない夜が来て、
お前の魂がくらくしめつけられて私を求める時、
その時にはこの私が必ずそばにいますよ」と。

             Hochgebrigsabend

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 霧の中

霧の中をさすらうことのふしぎさよ!
茂みも石もそれぞれ孤独に、
どの木もほかの木を見ることなく、
すべての物がみなひとりだ。

まだ私に生活が明るかった頃、
私の世界は友達らに満ちていた。
しかし霧の立ちこめている今、
もう誰の姿も見えない。

すべてのものから、拒こばみがたく
つひっそりと人間を引き離す
暗黒というものをほんとうに知らない者は、
かしこくはない。

霧の中をさすらうことのふしぎさよ!
生きるということは孤独であるということだ。
どんな人も他人を知らず、
誰も彼もみなひとりだ。

            Im Nebel

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 母の夢

そとへ出て、暖かい草原くさはらで、
雲の姿を見送りたい。
そして疲れた目をとじて、
かなた夢の国の
母のもとへ私は行きたい。

おお、母はもう私に気づいたのだ!
彼女は静かに私を出迎える。
この額ひたいを、この両手を、
そっと彼女の膝のあいだへ置くために
はるばるやって来た息子の私を。

今、母はさまざまな事を私にたずねるだろうか。
ただ恥とにがい悲しみとで
訴えるほかはないこの私に。
いや、母は笑う! 笑って、そして長いあいだ
行方ゆくえの分らなかった私がそばにいるのを喜ぶのだ。

            Traum von der Mutter

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 春

軽やかに若い雲が青い空を流れてゆく。
子供らは歌い、草のあいだに花は笑う。
私の疲労した眼はどこを見ても、
書物で読んだ事柄を忘れようと願う。

ほんとうに、私の読んだむずかしいことはみな
塵ちりのように飛ぴ散って、冬の日の妄想にすぎなかった。
私の眼はすがすがしくされ、救われて、
何か新しい、ほとばしるような創造を見つめている。

しかしすべての美のはかなさについて
私自身の心の中に書きしるされたものは、
春から春へとそのまま残って、
もうどんな風にも吹き散らされはしないだろう。

            Frühling

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 風 景

森も、湖も、また陸地も、
遠い子供の頃のように横たわり、
すべての広がりは和やわらぎにみちて、
神の手のなかに憩いこっている。

この静かなひとときを
心うばわれて眺めていれば、
そのかみの衝動はねむり、
古い戦慄もまたねむる。

しかし私は知っている、今呪縛じゅばくされている物も
やがてふたたびよみがえり、
客として、又よそびととして、この私も
緑の地上を行かなければならないことを。
            Landschaft

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 村の墓地

君たちはそんなにも近く寄り合って、
君たちの庭に眠っている。静かな群れよ。
君たちの生命の炎々たる焔からは
もう何物も燃え上がりはしない。
鐘の音も、その余韻も、君たちには
悲しみや喜びや往時の意味を持たないだろう。

空の中、君たちの頭上に高くにわとこが咲き、
それが夏の夜を暖かい匂いを放って
君たちの場所の上で華々はなばなしく燃えようとも、
そんなことはもう君たちにはたくさんだ。
かつて力として、情熱として、又止み難い衝動として
君たちのうちに生きていたものが、
今ではいましめを解かれ、自由になり、
たわむれか飾りとして花の香のなかをただよい去るのだ。

            Dorfkirchhof

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 七月の子供たち

僕ら七月生まれの子供たちは
白いジャスミンの匂いが好きだ。
僕らはしずかに、重たい夢にふけりながら、
花の咲いている庭を行く。

僕らの兄弟は深紅しんくの罌粟けし
罌粟けしは麦ばたけや暑い壁のうえで
赤くふるえながらめらめらと燃えているが、
やがて風が来てその花びらを吹き散らす。

七月の夜のように、僕らの生命は
夢をになってその輪舞りんぶを完成するだろう、
空想と盛んな収穫祭とに夢中になるだろう、
麦の穂と赤い罌粟けしとの花環を手に持って。
            Julikinder

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 幸 福

君が幸福を追求しているかぎり、
君は幸福者であり得るまでには熟していない。
たとえすべてのもっとも愛すベきものを君が持っているとしても。

君が失った物のことでなげいたり、
目的をいだいたり、せかせかしているかぎり、
君にはまだ心の平和の何であるかは解らない。

君があらゆる望みを捨て、
もはや目的も要求も知らず、
幸福のことなどを口にしなくなった時、

その時初めて事件の波はもう君には届かなくなり、
君の魂が初めて憩いこう。

            Glück

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 雲

雲よ、静かな船乗りよ、
おんみらは私の頭上を行き、
そのやさしい、限りなく美しい色あるヴェールで
あやしくも私の心にふれる。

青い大気から湧わきいでた
ひとつの多彩な美しい世界よ、
おんみの霊妙れいみょうきわまりない魅力は
しばしば私をとりこにした。

すべての地上的なものを救済する
かろい、明るい、透明な泡あわよ、
それともおんみらはけがれたこの世の
うるわしい郷愁の夢でもあるのか。

            Wolken

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 夏の夕べ

繁茂したクローヴァの酔うような匂いのなかで、
中休みの草刈人が歌をうたっている。
おお君よ、君は僕の古い痛みを
その歌でもういちど呼び覚ました。

民謡や童歌わらべうたが低い声で
夕暮の風の中をのぼって行く。
そしてせっかく癒着ゆちゃくして忘れられた
すべての傷があらためて痛み出す。

晩い夕べの雲が飾り立てて流れてゆく。
大地は暖かく広々と息づいている……
お前は今日もまだ何か私に用があるのか、
失われてしまった青春の日々よ。

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 目 標

つねに私は目標もなく歩きつづけた。
どこかで休息を得ようなどとは願いもしなかった。
私の道は終りのないもののように思われた。

最後に私は気がついた、自分がただぐるぐると同じ処を
へめぐっているに過ぎないことに。私はそんな遍歴に飽きた。
そしてその日が私の生の転換期となった。

今私はためらいながらも目標にむかって歩いている。
なぜならば途上いたるところに死が立っていて
私に手を差しのべているのを知っているから。

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 エリーザベット

私はもう平静ではありえない。
来る日も来る日もそなたの姿を
このあこがれの中に持っていなくてはならない。
ほんとうに私はそなたのものだ。

そなたの眼は私の心に
予感にみちた光を点じた。
その光がいつもいつも私に知らせる、
私はそなたのただ一人だと。

しかしそなたは、その清らかさの故に
私の煩悩ぼんのうにはたえて気づかず、
私無しでも楽しみの中に花と咲き、
けだかく星のように静かに行く。

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 慰 め

生きて来たあまたの年が遠ざかり、
そしてなんらの意味も残さなかった。
私が自分に護まもるものは何一つ無く、
私の楽しく思うものも一つとして無い。

数かぎりない姿らを
流れは私に運んで来た。
どの一つを引き留めることも私にはできず、
どれも私にやさしくなかった。

だがたとえ彼らが私の手から滑り去っても、
私の心は深く不思議に
あらゆる時間をこえて遠く
生の情熱を感じるのだ。

情熱には意味も無ければ目的も無い。
それは遠近のすべてを知り、
遊んでいる子供のように、
瞬間を永遠と化するのだ。

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 旅の歌

太陽よ、私の心のなかを照らせ、
風よ、私の心痛と労苦とを吹き払え!
私は遠い旅の途上にあることにもまして
深いよろこびをこの世では知らない。

私は足を平野へと向ける。
太陽は私を焼かねばならず、海は私を冷やさなくてはならない。
我らの地上の生に同感するために、
私はすべての感覚をはなばなしく開いている。

それならば新しい毎日は、私に
新しい友らや新しい兄弟たちを見せなくてはならない、
私が苦痛を感ぜずにあらゆる力を称讃し、
すべての星の客となり友となることができるようになるまで。

            Reiselied

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 さすらいの途上
      (クヌルプの思い出に)

悲しむな、もうじき夜になる。
そうしたら僕らは、色青ざめた山の上で
忍び笑いをしているような涼しい月を眺めよう。
そうして手を取り合って休もう。

悲しむな、もうじき時が来る。
そうしたら僕らは休むのだ。僕らの十字架が
明るい路ばたに二つ並んで立つだろう。
そうして雨が降り、雪が降るだろう。

そうして風が往ったり来たりするだろう。
            Auf Wanderung

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 花咲ける枝

む間もなくあちこちと
花咲く枝が風に揺れる、
止む間もなくここかしこと
私の心が子供のように動く、
晴れと曇りとのあいだを、
願望と断念とのあいだを。

花が吹き散らされて、
枝が実をつけるまで。
子供らしさに倦んだ心が
おちつきを得て、
生の不安に満たされたたわむれも
楽しくて無駄ではなかったと告白するまで。

            Der Blütenzweig

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 九月の哀歌

雨はくらい木々の中で荘重にうたい、
森に被おおわれた山の上には早くもぞっとするような褐色が流れている。
友らよ、秋は近い。秋はすでに森のふちで待伏せしながら流し目を送っている。
野は空虚に硬くなって、訪れるのは鳥ばかりだ。
だが南に向いた斜面には葡萄ぶどうの房ふさが青々と支柱にみのって、
その祝福された内部に情熱と密ひそかな慰めとを秘めている。
今日まだ樹液に富んでざわめく緑として立っているすべての物が
もうじき青ざめて氷って滅びるだろう、霧と雪との中で死ぬだろう。
ただ温める葡萄ぶどう酒と食卓で笑っている林檎りんごとだけが、
なお夏と晴朗な日々の光輝とに熱していることだろう。
そのようにわれわれの官能もまた老いて、遅々として来る冬の中で味わうのだ、
ぬくみをもたらす熱を感謝をもって、思い出の葡萄ぶどう酒をよろこびをもって、
そして心の中を至福な影として声もなく踊って通る
あの消えうせた日々のはかない宴うたげや喜びの霊たちを。
            Elegie im september

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 愛人への道

朝がすがすがしい眼を見ひらく。
露を飲んだ世界がかがやく、
おのれを金いろにつつむ
わかわかしい光りにむかって。

私は森のなかを行きながら、
私を兄弟のように同行させる
足早やな朝と
懸命に歩調を合わせる。

私は黄いろい麦畑に
暑く重たく拡がっている真昼を見る。
その真昼はまた私が足を急がせて、
奥地の方へ通りすぎるのを眺めている。

こうしていつかひっそりとした夕暮れになったら
私は目的の地へ着くだろう、
そして、最愛の者よ、あなたの心に
昼間の空のように燃え尽きるだろう。
            Weg zur Geliebten

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 ヘルダーリンヘの頌歌しょうか

わが青春の友よ、私は感謝に満たされて
幾多の夜々をおんみに帰る。
まどろんでいる庭のライラックの茂みに
さざめく噴井ふきいばかりが音を立てている時。

誰もおんみを知らない、おお友よ、
新しい時代はギリシャの静かな魔力から遠く離反して、
祈りを忘れ、神性を剥奪はくだつし、
民族は感激もなく塵ちりの中をさまよっている。

しかしまじめに瞑想めいそうする人々の隠れた一団があって、
神は彼らの魂をあこがれをもって打ち、
おんみの神々こうごうしい竪琴ハープの歌は
今日もなお彼らのために鳴り響いている。

昼間に疲れた者われらは恋いこがれて
おんみの歌のかぐわしい夜に向かう。
その歌の揺らめくつばさは
こんじきの夢でわれらをつつむ。

そして、ああ、おんみの歌がわれらを恍惚こうこつとせしめれば
われらの永遠の郷愁はいよいよ強く燃えさかり、
そのかみの至福の国へ、かのギリシャの神殿へと、
いよいよせつなく燃え上がってゆく。
            Ode an Hölderlin

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 夜ごとに

夜ごとにお前の一日を検討せよ、
それが神の心にかなうものであったかどうか、
行為と誠実との中で悦よろこばしいものであったかどうか、
不安と悔くいとの中に臆していたかどうかを。
お前の愛する者たちの名を口にとなえて
憎みと不正とを静かにおのれに告白せよ。
あらゆる悪を痛切に恥じ、
どんな影をも寝床に持ちこまず、
すベての憂いを魂から取り去って、
魂が遠く無邪気に憩いこい得るようにせよ。
さて清められた心で晴ればれと
お前の最愛の者を、お前の母を、
少年時代の事を思い出すようにせよ。
見よ、かくてお前はけがれなき者となって、
数々の黄金の夢が慰めながらさし招く
涼しい眠りの泉からふかぶかと飲んだり、
新しく来る日を明るい心で
英雄や勝利者として始める用意ができたのだ。

            Jeden Abend

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 草に寝て

今ここに見る花の魔術、
明るい夏の草原の彩いろどられた柔毛にこげ
軟らかい青にひろがった空、蜜蜂の歌、
これらすベては或る神の呻うめく夢、
救いを求める未知の諸力の
叫び声だと言うべきだろうか。
美しくもまた勇ましく
青ぞらに憩いこっている山々の遠い嶺線りょうせん
あれはまたただの痙攣けいれん
激昂げきこうした自然の荒々しい緊張、
ただの痛み、ただの苦しみ、意味もなく模索しながら
休息もよろこびも知らない単なる動揺にすぎないのか。
ああ、否! 私から去るがいい、
お前世界苦の醜い空想よ!
夕焼けの中の蚊の踊りがお前を揺する。
小鳥の声がお前を揺する。
おもねるように私の額を吹いて冷やす
このそよかぜもまたお前を揺り起こしている。
私から去れ、太古のものなる人間苦よ!
たとえすべてが苦しみであり、
たとえすべてが悩みや影であろうとも、
この甘美な陽光の一時ひとときはそうではない。
赤いクローヴアの花の匂いはそうではない。
そして私の魂の中にある
この深い軟らかな快美の感情もそうではない。
            Im Grase liegend

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 田舎の墓地

かたむいた十宇架にまつわる常春藤きづた
なごやかな太陽と、匂いと、蜜蜂の歌と。

さいわいなのは救われて、優しい大地の胸に
寄りそって横たわっているおんみらだ!

さいわいなのは故郷へ帰って、穏やかに名も無く、
母の膝に安らっているおんみらだ!

しかし聴け、蜂の飛翔ひしょうや咲く花から
生の渇望と存在の喜びとが私に歌う、

消えて久しい生の衝動が
地底の根の夢から光りにむかってよみがえる。

暗く埋められた命の破片は姿を変えて
この世へ出たいとひたすら求める、

そして大地の母は迫り来る分娩ぶんべんへと
王者のように身をうごかす。

いな、墓穴の中の甘やかな平和の場所は
夜の夢よりも苦しくはない。

陰鬱いんうつな煙りも死の夢にすぎず、
その下に生命の火は炎々と燃えている。
            Ländlicher Friedhof

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 旅する術すべ

目あてもなしにさすらうことは青春のよろこびだ。
だがそのよろこびも青春と共に私から遠のいた。
それ以来目的と意志とが自覚されるや、
私はすぐさまその場を去った。

ただ目的だけを追いかけている眼には
さすらいの滋味じみはわからない。
あらゆる途上で待ちかまえている
森も流れもすべての美観も閉ざされたままだ。

これからは私もさすらう仕方を学ばなければならない、
瞬間の無垢むくなかがやきが
あこがれの星の前でも薄れないように。

旅する術すべはすなわちこうだ。
世界の輪舞りんぶに加わって共に身を隠し、
休息の時でもなお愛する遠方への途上にあること。

            Reisekunst

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或る悲しみに見舞われている時のことだった、
私は野中を歩きながら
一羽の蝶を目撃した。
蝶はあざやかな白と暗紅色とに彩いろどられて、
青い風の中をひらひらと飛んでいた。

おお、お前だ! 子供の頃、
世界がまだあんなにも朝のように晴ればれと、
まだあんなにも天に近いものに見えた頃、
その美しいつばさをひろげているお前を
私の見たのが最後だった。

楽園から私に来たお前、
色も綾あやになよなよと風に吹かれて行く者よ。
今お前の深い神々こうごうしいかがやきを眼の前に、
なんと私が他所者よそものらしく又羞恥しゅうちに満たされて、
内気な目つきで立っていなければならないことだろう!

白と赤との蝶は
野のほうへと吹かれて行った。
そして私は夢見ごこちに歩を進めたが、
その私に、楽園からの
ひとつのしずかなかがやきが残されていた。

            Der Schmetterling

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 或るエジプト彫刻の蒐集しゅうしゅうの中で

おんみらはその宝石の眼から
しずかに、そして永遠に、
われら後世の兄弟たちを見わたしている。
おんみらのほのかに光るなめらかな相貌そうぼう
愛も渇望も知らないように見える。
王者のように、また星辰せいしんの兄弟のように、
おんみら不可解な者たちは
かつて寺院のあいだを闊歩かっぽした。
聖なる空気が神々のかおりのように
今もなおおんみらの額のまわりに漂い、
威厳がその膝をめぐって揺ゆらめいている。
おんみらの美は悠々ゆうゆうと息づき、                   
永遠こそおんみらのふるさとだ。
しかし私たち、おんみらの若い兄弟たちは、
神を失った迷いの生をよろめきながら歩いている。
煩悩ぼんのうのあらゆる苦しみに、
すべての燃えるあこがれに、
私たちの顫ふるえる魂は貪むさぼるように口をあけている。
私たちの目標はであり、
私たちの信仰は無常である。
私たちの嘆願の画像は
時の経過には抗し得ない。
それでもなお私たちは
秘められた魂の同族をあかしする標識を
この心に焙印らくいんされて持ち、
神々を予感し、
物言わぬ古代の像であるおんみらに
怖れげのない愛を感じる。なぜならば
私たちは何ものをも。死をさえもいとわないから。

私たちが一層深く愛することを学んだ以上、
苦しみも死も
もうこの魂をおびやかし得ない!
私たちの心は小鳥の心、
海の心、森の心、
奴隷をも流浪者をも兄弟と呼び、
けものをも石をも愛の名で呼ぷ。
それゆえ私たちのはかない存在の姿もまた
堅い石に刻まれながら、
私たち以上に永続はしないだろう。
それはほほえみながら痩せてゆくだろう。
そしてたまゆらの日光の塵ちりの中で、
あらゆる瞬間に新しい喜びと悩みとにむかって
性急に、永遠によみがえるだろう。

            In einer Sammlung ägyptischer Bildwerke

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 龍膽りんどうの花

お前は夏のよろこびに酔って、
至福の光りの中でほとんど息もつけないほどだ。
空はお前の杯にたまってかがやき、
風はお前の柔らかい毛を吹いている。

そしてもしもその風がすべての負目おいめや苦しみを
私の魂から吹き払ってくれたなら、
私はよろこんでお前の兄弟となり、
静穏な日々をお前と一緒にいるのだが。

そうしたら私のこの世の遍歴へんれき
お前と同じように神の夢の花ぞのを
青々とした夏の夢として通って行くという、
よろこばしくも軽やかな一つの目標を持てるのだが。

            Enzianblüte

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 アルプスの峠

かずかずの谷間を越えてさすらって来た、
なんの目あても心に持たずに。

目を上げて遥はるかの果てをうち眺める、
イタリアを、わが若き日のあの土地を。

だが北からは遠く私を見やっている、
そこにわが家を建てた爽涼そうりょうの国が。

あやしくも胸痛ませて身じろぎもせず
南のかたわが青春の花ぞのを眺め、

さてわがさすらいの憩いこいの地なる北方に
帽子うちふり会釈えしゃくをしつつ合図する。

かくて燃えながら魂の中を行く声聴きけば、
「ああわがふるさとは彼処かしこにも無く此処ここにもあらじ!」
            Alpenpass

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 最初の花

小川のほとり、
赤い行李柳こりやなぎの花のあとから、
数知れぬ黄いろい花が
この幾日
こんじきの眼をひらいた。
そしてとうに純潔を失った私の心の底で、
思い出が
生涯のこんじきだった朝の時間を揺り動かし、
花の眼で朗らかに私を見つめている。

行って手折たおろうとは思ったが、
今は彼らをすべてそのままに、
一人の老いた男、私は家へ帰って行く。
            Die ersten Blumen

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 たそがれの白薔薇ばら

お前は葉の上に悲しげに顔をもたせ、
死に身をゆだねて、
幽霊じみた光りを吸いながら
あおじろい夢をただよわせている。

しかし歌のようにしみじみと
最後のほのかな明るみのなかで
なお今宵こよい一夜を
お前の快い香りが部屋じゅうに立ち迷う。

お前のちいさい魂は
名の無いものを不安げにもとめ、
ほほえみながら私の心に死んでゆく。
姉妹なる薔薇ばらよ。

            Weisse Rose in der Dämmerung

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 わが弟に

ふたたび故郷に会った今、
僕たちは部屋から部屋へとうっとりと見てまわり、
かつてはたがいに腕白小僧として遊び戯たわむれた
古い庭の中にいつまでもたたずんでいる。

そしてこのふるさとで教会の鐘が鳴ると、
僕たちが世の中で手に入れた
あらゆるすばらしい物が一つのこらず
喜ばしくも好ましくもなくなってしまう。

幼年の日の緑の国をとおって
古いなつかしい路をそぞろあるけば、
かつての日は何か美しい伝説のように
物珍しく、大きく、僕たちの心によみがえるのだ。

ああ、これからの僕たちを待ちうけているどんな物にも
けっしてあんな清らかな輝きはないだろう、
おたがいに子供として、毎日毎日庭の中で
蝶をつかまえた昔のような輝きは。

            Meinem Bruder

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 幸福な時間

いちごが庭にかがやいて、
その薫かおりがあたりに甘くいっぱいだ。
私には、この緑の庭を通って
もうじき母がやって来るのを
待っていなければならないような気がする。
私がまだほんの子供で、
これまでに浪費したり、取り逃したり、
かけで負けたり、無くしたりしたことが、
すべてみんな夢だったような気がする。
それでもなおこの庭の安らかさの中では
豊かな世界が私の前に横たわって、
すべてが私に与えられており、
すべてが私の物になっている。
私はぼんやり立ったまま
えて一歩でも動こうとはしない、
この薫かおりと私の幸福な時間とが
一緒に消えてしまうことのないようにと。
            Gute stunde

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 いろいろな聖徒がある

聖母のしもべである私たちは
御子みこ救世主のおんまえに
敬虔けいけんの膝をついて祈るほかには
なにも致すことがありません。

私たちの務つとめは軽くて、たやすく、
緑の国で、しずかに
美なる御母みははの御現身おんうつせみを息づきます。
そして幸さいわいな者らよと呼ばれます。

そしてあなたも幸さいわいとなられます、おおキリストよ、
暗い憧憬どうけいにみたされたあなたもまた、
もしもこよなく美しい人に身を献ささげて
ほかのなにびとをも愛されないならば。
            Assistono diversi Santi

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 スキーでの憩いこ

高い斜面で滑降の用意のできた私は
杖にもたれてしばらく休む。
そしてまぶしくされた眼で遠く広々と
青と白光とにつつまれた世界を見渡し、
上のほう、沈黙した山稜さんりょうをつらねて
さびしく凍結している山々を眺める。
眼下はすべて光りに霞かすんでいるが、
それとわかる道が谷から谷へと落ちこんでいる。
孤独と静寂とに圧倒された私は
しばし当惑して立ちすくむ。
そしてついに急峻きゅうしゅんな斜面を下方へと、
渓谷けいこくめがけて息もつけない速力で滑り出す。

            Ski-Rast

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 春の日

林には風、小鳥の笛、
高い高い甘美な青空に
しずかな、壮麗そうれいな雲の船……
私は金髪の女を夢みる。
私はわが青春を夢みる。
あの青い広々とした高い空こそ
私のあこがれの揺籃ゆりかごだ。
その中で私が心も安らかに
軽快な蜂の羽音につつまれて、
母親の腕に抱かれた子供のように、
幸福に、温かに、
よこたわる揺籃ゆりかごだ。
            Frühlingstag

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 バーガヴァード・ギータ

又しても私は床の中で眠られない幾時間を持つようになった、
とらえどころのない懊悩おうのうに魂が満たされ、傷ついて。

戦火と死とが大地の上に燃えさかり、
幾千の無辜むこの者らがなやみ、死に、腐敗してゆくのを私は見た。

そして私は戦争というものを心中誓って否認した、
意味もない苫痛の盲日の神として。

見よ、その時、私の悄然しょうぜんとした孤独の時間ヘ
ーつの記憶が遠くからひびいて来た。

そして或る太古印度インドの神々の書が
平和の箴言しんげんを私に語った。

「戦争と平和とは二つながら同じ重さだ。
なぜならばどんな死も霊の王国には無関係だから。

平和の秤皿はかりざらが上がろうと
世界の苦しみの減るということはない。

それだからお前は闘え、じっとしていてはいけない。
お前が諸々の力を発奮せしめること、それが神の意志だ!

しかもお前の闘いが千百の勝利を博そうとも、
世界の心臓はそれとは関係なく鼓動をつづける」
                   (一九一四年九月)

             Bhagavad Gita

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 平 和

万人がそれを持っていたが。
一人としてそれを尊ばなかった。
その甘美な泉は人皆を爽快そうかいならしめた。
おお平和という名の今いかにひびくことぞ!

あのようにも遠くためらいつつそれはひびき、
あのようにも涙に重くそれはひびく。
誰一人その日を知らず、又さとらず、
しかも人みな望みに燃えてその日に憧あこがれる。

いつの日か歓び迎えよう、
最初の平和の夜よ、
軟らかな星の光よ、おんみがついに
最後の戦いの砲煙の上に姿を現わす時。

夜ごとわが夢は
おんみの方かたをうちまもり、
強い期待は、あせりつつ、予感のうちに
早くもこんじきの木この実を摘つむ。

いつの日か歓び迎えよう、
流血と苦難とのただなかから
地上の空へわれわれのために現われる
おんみ第二の未来の曙光しょこうよ!
                (一九一四年十月)
             Friede

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 戦場での死

君を迎えよう、早くも来た夜よるよ、
君は僕をとりかこんで疲れさせる。
君を迎えよう、兄弟である死よ!
僕には星の光っているのが見える。
ああお母さんが泣くことだろう――
いや、泣かないで。僕はちっとも苦しんでなんかいないのだから!

僕を打ち倒した君、見知らぬ人よ、
今では君もまた夜に被おおわれて
やわらぎに満ちた星の光りの下に横たわっている。
それならば僕たちの争いも憎しみも
夜の中に消えてしまうがいい。
もうじき僕たちは和解するだろう。そして兄弟になるだろう。

君の胸に僕を抱き取ってくれ、世界よ。
そして君のほのぐらい喜びを
もういちど僕の不安な心へ流しこんでくれ。
なんと僕たちは道をまちがえたことだろう。
そしてそれでも、みんな母親のところへ、
ふるさとへ行き着かなければならないのだ。
                (一九一四年十二月)
            Tod im Felde

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 戦場で斃たおれた或る友に

君の明るい眼はとざされた。
夜はすでに君に迫って来た。
新しい世界の運行がすでに君に始まった。

  たとえ太陽はまだ僕のためにその正午を笑ってはいても、
  それでも君は僕のものだ。
  そして僕は君のものだ。
  そして僕の時が満ちたら
  君のあとを追って君の夜よるへと僕も行こう。

そして君と僕とを呑みこんだ
ふところから、
昔ながらのふるさとの霊が
永遠の生の衝動をもって
新しく、偉大に伸び育つ。
そして若者らは広々とした空間へ軽やかな歩みを進めて、
聖なる山の中で夢みているほのぐらい泉のような
遠い祖先らの合唱を聴くのだ。
                (一九一五年はじめ)
             Einen im Felde gefallenen Freunde

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 春

森の縁ふちでは木々の芽が涙のように光っている。
黄いろい花が浅みどりの草の中でかがやいている。
小鳥たちの愛のさえずりが
あかるい林に陶然とうぜんとよろめいている。
そして子供たちに黄花の桜草を求めて
草原の中をさまよっている、
未来の生の苦しさの漠然とした予感を
まわらぬ舌で歌いながら。
しかしわれわれ大人どもは
山の端のかなたに鋭く耳を澄ましている、
遠い砲声が鈍くまた陰にこもって
瀕死ひんしの脈搏みゃくはくのように痙攣けいれんしている方角に。
いつかは平和が来るだろう!
いつかは子供たちと一緒にわれわれも
厳粛げんしゅくな式典のために花環を運ぶだろう、
忘れ得ない墓への花環を、
死によっていたわられた褐色の額を持つ
帰郷者たちに捧げる花環を。
われわれはそれを運ぶだろう、
そして壮重な鐘の音ねのひびくなかを
平和はやって来るだろう、
いつかは、――いつの日かは。――そして今は亡ない千百の人々の上に、
慈愛も深く、ほほえみながら、
落ちくぼんだ眼をして、
不滅の母が身をかがめるだろう。
                (一九一五年三月)
            Frühling

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 新あらたなる体験

ふたたびヴェールの落ちるのを私は見る。
そして最も信頼していたものが縁遠くなり、
新しい星空が目くばせをし、
魂は夢をはばまれて歩いて行く。

ふたたび世界は私の周囲に
新しい輪をつくって整列している。
そして私は自分が子供のように
浅薄な歌のなかに置かれているのを見る。

しかし以前に生まれた者たちの間から
はるかな思想がひらめいて来る、――
沈む星があれば、生まれて来る星もあった。
だから空間はけっしてからにはならなかった。

魂は屈してはまた立ち上がり、
無限のなかで息づき、
たちきられた糸で新しく
いっそう美しい神の衣を織りなすのだ。
            Neues Erleben

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 山に在る日

歌え、私の心よ、きょうはお前の時だ!
あすともなればお前は死ぬ。
星はかがやいても、お前は見えない。
小鳥は歌っても、お前は聴きかない。――
歌え、私の心よ、お前の時の燃えているあいだ、
お前のしばしの時を歌え。

太陽は星かときらめく雪の上で笑っている。
雲は花環のように遠く谷間の空に憩いこっている。
すべての物が新しく、すべての物が熱と光り。
圧迫する影もなければ、痛ましめる憂慮もない。
呼吸することが気持よく、
呼吸は祝福で、祈りで、歌だ。
息をせよ、魂よ、太陽に向かって広々とひらけ、
お前のしばしの時の間を!

生きることは楽しい。恍惚こうこつも苦悩も共に楽しい。
風に吹き散る雪片の一つ一つは幸福だ。
私も幸福だ。私は宇宙創造の中心、
地球と太陽との最愛の児だ。
一時間、
笑っている一時間、
雪片が風に吹き飛ばされてしまうそれまでは。

歌え、私の心よ、きょうはお前の時だ!
あすともなればお前は死ぬ。
星はかがやいても、お前は見ない。
小鳥は歌っても、お前は聴かない。――
歌え、私の心よ、お前の時の燃えているあいだ、
お前のしばしの時を歌え。
            Tag im Gebrig

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 艱難かんなんな時代の友らに

この暗澹あんたんたる時代にもなお、
愛する友らよ、私の言葉をうけいれたまえ。
それを明るいもの、あるいは暗いものと見なすにせよ、
私は決して人生をののしるまい。

太陽の光りも暴風雨も
おなじ空の表情である。
運命は、甘くあろうと苦くあろうと、
ひとしく貴重な糧かてとして私の役に立たなければならない。

魂は錯綜さくそうした路を行く。
その言葉を読むことを学びたまえ!
きょう魂にとって責め苦であったものが、
あすは早くも恩寵おんちょうとしてたたえられる。

粗野なものだけは死んでもいい。
他のものには神性が教えようとする、
低いものからも高いものからも
魂のこもった意識をはぐくむすべを。

その最後の段階に達した時、はじめて、
われわれは欣よろこんで自分に憩いこいを与えることができる。
その時、父らしい声に呼ばれながら、早くも、
われわれは天を望み見ることができる。
            An die Freunde in schwerer Zeit

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 運命の日々
       (ロマン・ロランに)

暗澹あんたんとした日々の夜が明けると
つめたく敵意にみちた世界のまなざし、
君の信念はひたすら君自身に
すがっていることにおずおずと気がつく。

しかし昔なつかしい喜びの国から
おのれ自身のうちに追われた君は、
その信念が
新しい天国に向けられているのを知る。

君にとって緑遠く、また敵のように見えたもの
おのれ独特な所有物として君は認める。
そして君の運命を新しい名で呼び、
甘んじてそれを君は受けとる。

君を窒息させようとおびやかしたものが
今は親愛の心を見せ、精霊を息づき、
案内者となり、先駆となって、
高く、いよいよ高く君をみちびく。

            Schicksalstage

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 ロカルノの春

こずえは暗い火のように揺れ、
信頼にみたされた青い空気の中に
すべてはいよいよあどけなく、新しく、
これ見よとばかりにひろがっている。

いくたびか登ったことのある古い踏段が
上の山へとたくみに誘う。
太陽に熱せられた壁からは
最初の花たちが座しく私に呼びかける。

山の清水しみずは緑のたねつけばなを分けて流れ、
岩はしずくを垂たらし、日光は媚こび、
よろこんで異郷の味のにがいことを
忘れようとする私を見まもっている。
            Frühling in Locarno

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 戦争の四年目に

夕ぐれが寒く、ものがなしく、
雨がざあざあと降っている。
しかし私はこんな時にも自分の歌を歌う。
誰が聴いてくれるかは知らないが。

世界は戦争と不安とに窒息している。
しかし誰が気づかなくても、
愛の火はここかしこで
ひそやかに燃えつづけている。

            Im vierten Kriegsjdhr

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 老境に生きて

かくしゃくたる事や、善をなす事はむずかしくはない。
それに又すべての団体から離れている事も。
だがすでに心臓の鼓動が緩慢かんまんになって、なお笑うこと、
これには修練が必要だ。

うまく笑うことのできる者は老いてはいない。
彼は火焔かえんのなかにも晴れやかに立って、
その拳こぶしの力で世界の極を
一つにまとめて折り曲げることができる。

死が其処そこに待っているのを見る以上、
われわれはぼんやり立ってはいられない。
それにむかって出て行くのだ。
それを追い払うのだ。

死はあすこにいるとかここにいるとかというものではない。
それはすベての道の上にいる。
われわれが生にそむくや否や、
それは君の中にもいるし、私の中にもいる。
             Im Altwerden

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 アルチェーニョのほとりにて

ここならばどんな路の曲がりくねりも私はすっかり知っている。
私は古い隠者の坂をのぽって行く。
内気な春の雨が静かにぽつぽつ降っている。
うすら寒い風の中で白樺の葉がほのかに光り、
濡れた岩壁が褐色の鏡のように反射している……
おお岩よ、おお小径よ、おお風と白樺の葉よ、
なんとお前たちが昔ながらの魅力あるまじめさで薫かおっていることだろう!
お前貞潔な土地よ、なんとお前の優雅さがはにかんで、
きびしい陰の狭間はざまの岩のうしろに身を隠していることだろう!
そのあいだには赤みを帯びた裸の森に、
野生の桜がわれを忘れたようにぼんやりと咲いている。
ここは私の聖なる土地だ。ここで私は百たびも
さびしい峡谷きょうこくに象徴された
自己反省の静かな路を歩いたものだ。
そして今日は改めてその路を、別な気持で、
しかし古い目標をめざして行くのだが、私は決して行きつくすことはできない。
ここではさまざまな想念が蝶のように息づいて止まない。
それを私は数年前、ここの巌いわおえにしだや、
ほのぼのとした日光や、雨を含んだ風の中で追いかけては捕えたものだが。――
どうか受けいれてくれ、お前たち岩よ、小川よ、白樺の谷よ、
もういちど受けいれてくれ、このうち開かれた一つの心を、
お前たちの神聖な声々に嬉々ききとして感謝をもって開くほかには
もうなにごとも望もうともしないこの心を。 
            Bei Arcegno

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 兄弟なる死

私にもいつかお前は来る。
お前は私を忘れはしない。
そのとき苦しみは終わるのだ。
そしてくさりは切れるのだ。

今はまだ見知らぬ遥はるかなものに見えるお前、
愛する兄弟なる死よ、
お前はひとつの涼しい星として
私の苦難の空に懸かっている。

しかしお前はいつか近づいて来て、
炎々と燃えるだろう。――
来るがいい、愛する者よ、私はここにいる。
私をつかまえるがいい。私はお前のものだ。
            Bruder Tod

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 内部への道

内部への道を見いだした者、
熱烈な自己沈潜ちんせんのうちに
自分の心は神と世界とを
ただ形象と比喩ひゆとしてのみ視るという
知恵の核心を感じ得た者、
そういう人間にとってはあらゆる行為と思考とが
世界と神とを包含する
おのれ自身の魂との対話となるだろう。
            Weg nach Innen

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 或る中国の歌妓に

私たちは、夕ぐれ、静かな河を舟で行った。
アカシアは薔薇いろに輝いて立ち、
雲も薔薇いろに光っていた。しかし私はほとんどそれらを見ず、
ひたすらおんみの髪に挿された李すももの花を見やっていた。

おんみは飾り立てられた小舟の舳へさきにほほえみながら坐って、
熟練した手に琵琶をとり、
両眼に若さを燃やしながら、
聖なる祖国の歌をうたった。

私は帆柱のそばに黙然と立って、
いつまでもその燃ゆる眼のとりこでありたいと願い、
おんみの花のようにやさしい手の妙たえなる弾奏と歌とを
至福の悩しさの中で永久に聴いていたいと願うのだった。

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 クリスマスの頃

クリスマスの頃になると私は好んで旅をする。
そして子供らの歓声から遠ざかり、
森林や雪の中をひとりで行く。
そして、毎年ではないが、折々は
私の善い時間が成就される。
そういう時、私は悩んでいたすべてから
一瞬のあいだ全快し、
どこかの森の中でしばらくは
少年時代の匂いを深く全身に吸いこんで、
もういちど子供になる……

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 饗宴からの帰途

またもや一つの饗宴がちりぢりに果て、
私は堅く凍てついた野を
家まで帰れなくはないかと恐れながら
不安にたえぬ思いでよろよろと歩いている。

おお、お前苦痛の陶酔よ、
もしも歓楽のさかずきが砕けるなら
私は中途半端な快感よりも
むしろ忍んで心の中にお前を持ち続けたい。

苦痛の中にせよ、饗宴に際してにせよ、
あわれな魂は
ただ最悪と最善とを迎え入れるだろう、
なぜならば魂は熱中によってこそ燃えるのだから。

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 脈 絡

遠い昔に滅亡した民族らの歌から
しばしば一つのしらべが親しみをもって私たちの心に響いて来る。
そこで私たちは狼狽ろうばいして、心に半ば痛みを感じながら、
もしやそこがふるさとではないかと耳を傾ける。

そのように私たちの心臓の上下鼓勣も
強い魔力で世界の心臓へとつながれている、
私たちの睡眠と私たちの覚醒とを
太陽や星辰せいしんの運行と一致せしめる世界の心臓へと。
そして私たちのもっとも烈しい望みの濁流も、
私たちのもっとも破廉恥はれんちな夢の灼熱も、
かつて休息したことのない原始活力の活力である・

こうして私たちは進むのだ、
原始の聖火から生れてそれによく似た松明たいまつを手に、
永遠に新らしい太陽をめざして。

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 少年の五月の歌

女の児たちは
美しい庭の中で遊ぶことを許されている。
そのまわりには金きんの柵が結ってある。
男の児たちは柵のふちにたたずんで
羨ましそうにすき見している。
そして誰もが考えている、もしも中へ入れたらば、と。

このきれいな庭の中には
澄んだ輝きと明るい光りとが満ちていて、
そこではみんなが楽しそうだ。
だが僕たち男の児は待たなくてはならない。
そうして大きくなって若い紳士になるまでは
あすこへはいる事は許されない。

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 秋の日

森のふちが金いろに燃えている。
私はひとりで路を行く。
この路をやさしい人と連れだって
いくたびか私は歩いたものだ。

こんないい日和ひよりには、
永いあいだ持ってまわった
私の悩みも喜びも
みんな匂いや遠景の中に溶けこんでしまう。

百姓の子供たちが
野火の煙りの中で飛び跳ねている。
そこで私も、ほかの子供たち
みんなとおなじに歌いはじめる。

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 無 常

生命いのちの樹から私の葉が
一枚は一枚と落ちてゆく。
おお眩まばゆくも華麗かれいな世界よ、
なんとお前は飽き足らせるか、
なんと飽き足らせ、疲れさせ、
なんとお前は酔わせることか!
きょうなお燃えているものも、
やがては衰え消えるのだ。
私の褐色の墓の上を
やがては風が音立てて過ぎ、
おさなごの上に
母は身をかがめる。
その眼を私はもういちど見たい。
そのまなざしは私の星だ。
その余のものはすべて過ぎ去り飛び散るがいい。
一切は死ぬるのだ。喜んで死ぬるのだ。
ただその胸からわれわれの来た
永遠の母ばかりは此処ここにとどまり、
その戯れの指をもって
無常の空にわれわれの名を書きしるす。
            Vergänglichkeit

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 十一月

今や万物は身を包み、色褪いろあせようとしている。
霧の日々が不安と心痛とを孵化ふかしている。
嵐の一夜があけると朝は氷の音がする。
別れは泣き、世界は死にみたされている。

お前もまた死ぬことと身を委ゆだねることを学ぶがいい。
死を知ることは聖なる認識だ。
死に備えるがいい。そうすれば死につかまれても、
高められた生へと入って行くことができるだろう!

            November

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 秋の森で痛飲するクリングソル

いつも夜になると俺はこの風通しのいい林に酔っばらって坐っている。
秋にむしばまれた木の枝々が歌っている。
俺のからっぽになった壜びんを満たそうと、
あるじの男はぶつぶつ言いながら穴倉へ入って行く。

あしただ。あしたとなればあの青ざめた死神が、
がちゃがちゃ鳴るあの大鎌で俺の真赤な肉へ斬りこんで来る。
俺は知っている、もうずっと前から、
あいつが、あの残忍な悪魔が待伏せしているのを。

あいつをあざ笑ってやるために俺は半夜を歌い暮らし、
俺の酔いどれの歌を疲れた森でどなるのだ。
あいつの威嚇いかくを笑ってやるのが
俺の酩酊めいていの唄の意志でもあれば気持でもあるのだ。
長途の旅の漂泊者、俺はいろんな事をしたし、いろんな目にも逢って来た。
今、夕暮れを坐って、酔って、不安な心で待っている、
ぴかぴか光る草刈鎌が俺の頭を
ぴくぴく動くこの心臓から切りはなすその時を。

            Klingsor zecht in herbstlichen Walde

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 秋

お前たち、繁みの中の小鳥らよ、
なんとお前たちの歌がいそがしく
もみじする林に沿って飛び移っていることだろう。
小鳥らよ、急ぐがいい!

もうじき風が吹き起こる。
もうじき死が刈り取りに来る。
もうじき灰いろの妖怪ようかいが現われて、
われらの心臓が凍てしびれ、
庭園がそのあらゆる華麗さを、
生命がそのすべての光輝を失うことを笑うだろう。

木この葉がくれのいとしい小鳥ら、
いとしい小さい兄弟らよ、
一緒に歌って楽しくしよう。
もうじきわれらは塵ちりになるのだ。

            Herbst

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 晩秋行

秋の雨が灰いろの森を堀り返し、
谷間は朝風に冷えびえと磨みがかれている。
堅い音を立てて橡とちの樹から実が落ちる。
そして枝にあるのはひび割れて、濡れて褐色に光っている。

私が私の生活を堀り返した。
風はずたずたに裂けた葉をひきちぎり、
枝また枝と揺すぶり立てる。――私の実はどこにあるのか。

私は愛を花咲かせた。そしてその実は悲しみだった。
私は信頼を花咲かせた。そしてその実は憎悪だった。
痩せ枯れた私の枝を風がもぎ取る。
私は彼を嗤わらってやる。まだ嵐に抵抗している。

私にとって実とは何か、目的とは何か!――私は花咲いた。
そして咲く事が私の目的だった。今私は枯れ乾いている。
そして枯れ乾く事が私の目的だ。そのほかには何もない。
どんな目的も一時のものだ。心はその陰に隠れている。

神は私の衷うちに生き、私の衷に死に、私の胸の中でくるしむ。
それだけで私の目的は充分だ。
道と言い、邪道と言い、花と言い、実と言う。
すベては同じ事だ。すべてはただ名にすぎない。

谷間は朝の風に冷えびえと磨みがかれている。
堅い音を立てて橡とちの樹から実が落ちて、
堅く明るく笑っている。一緒になって私も笑う。
            Gang in Spätherbst

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 あらゆる死

私はすでにありとあらゆる死を死んだ。
これからもまた一切の死を死ぬだろう。
樹木の中に木の死を、
山の中に石の死を、
砂の中に土の死を、
鳴りそよぐ夏草の中に草の葉の死を、
そして哀れな、血に染んだ人間の死を死ぬだろう。

花となって私はふたたび生まれるだろう。
木となり草となってふたたび生まれ、
魚となり鹿となり、小鳥となり蝶となって生まれるだろう。
そしてどんな物の姿からも
あこがれが私を駆り立てて、
最後の苦悩、人間の苦悩へと
一段は一段と追い上げるだろう。

おお、顫ふるえながら張られた弓よ、
もしもあこがれの狂暴なこぶしが
相対峙あいたいじする生の両極を
双方から押したわめようと欲したら!
これからもしばしば、また幾たびか、
お前は形成の苦悩にみちた道を、
形成の燦さんたる道を、
死から誕生へと私を駆り立てることだろう。
            Alle Tod

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 初 雪

お前は老いた。緑の季節よ。
もう衰えが見え、もう髪には雪が載っている。
疲れたように歩み、その足どりには死がある……
私はお前と一緒に行く。一緒に死ぬ。

心はのろのろと怖れの小みちをたどって行く。
冬の畠は不安にみたされて雪の中に眠っている。
すでにどれだけの枝を風が私から折ったことか!
その傷痕きずあとは今では私の甲羅こうらになっている。
すでにどれだけの苦しい死を私が死んだことか!
新生はあらゆる死への報酬だった。

よろこんでお前を迎えよう。死よ、暗い門よ!
彼岸ひがんには生の合唱が晴れやかにひびいている。
            Erster Schnee

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 色彩の魔術

神の息吹きはここかしこ、
上なる空に、下なる空に。
光は千百の歌をうたい、
神は多彩華麗かれいの世界となる。

白は黒に、暖は冷に、
たえず新あらたに牽かれるのを感じる。
渾沌こんとんとした動揺から永遠に
虹はあたらしく清く澄む。

そのようにわれわれの魂をとおして
悲喜のただなかを千態にも変化しながら、
神の光りは創造し、行為する。
そしてわれらは彼を太陽としてほめたたえる。
            Magie der Farben

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 葡萄ぶどうの丘と湖と山と

湖よ、お前は私に水浴をさせて鳶とびいろにした。
葡萄の丘よ、お前は来たるべき夏のために
私に陶酔を熟させる。
山々よ、お前たちは母の腕のように私を護まもる、
遠い世界へのあこがれが私につかみかかる時。
森よ、お前のなかで、夜になると梟ふくろうの声が
私の心に「無常迅速じんそく」の説法せっぽうをひびかせる。
しかも心は死を欲しない、
永く永く、それは永久に生きなくてはならない。
なぜならば、おお、森よ、私はお前を
いつかまだ露のかおっている朝
私の好いている美しい女に見せたいから、
そしてその事を、愛する森よ、私は彼女に約束したから。
            Rebhügel, See und Berge

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 イタリアヘのまなざし

湖のむこう、薔薇ばらいろの山々のうしろに、
私の青春の約束の地、
私の夢のなじみのふるさと、
イタリアが横たわっている。
赤い木々が秋を語る。
私はわが生の秋の初めを一人すわって
世界の美しくも冷やかな眼の中をのぞきこみ、
あんなにもしばしば私を欺あざむいた、
しかもなおいよいよ私の愛する世界を、
愛の色をえらんでは描いている。
愛と孤独、
実現されない憧あこがれと愛、
それこそは芸術の母だ。
彼等は私の生の秋の日に
なお手をとって私をみちびく。
そして彼等のあこがれの歌が
湖と山と別れを告げる美しい世界との上に
色と光りの魔法をかける。
            Blick nach Italien

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 刈りこまれた檞かしわ

樹よ、なんと彼等がお前を刈りこんだことだ!
なんとお前が異様に風変わりに立っていることだ!
お前のうちに反抗と意志とのほかは何一つ残らないほど、
なんと百たびも苦しめられたことだ!
私もお前と同様に、
切りつめられ、責めさいなまれた生活と絶縁もせず、
悩まされどおしの情けない状態から毎日を新しく
光りに向けてこの額ひたいを上げている。
私のうちで軟らかだったもの、優しかったものを
世間は愚弄ぐろうして殺してしまった。
だが私の本質は破壊し得ない。
私は満足し、宥なだめられ、
百たびも伐きられた枝から
根気よく新しい葉を押し出すのだ。
そしてどんな苦痛にも抵抗して、
この狂気の世界に熱中しつづけるのだ。

            Gestutzte Eiche

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 冬の日

おお、今日は光りがなんと美しく
雪のなかに消えおとろえ、
薔薇ばらいろの遠方がなんと優しく燃えていることだろう!――
しかし夏、夏は今ここに無い。

私の歌が一時ひとときごとに語りかける
おんみ遥はるかな花嫁の姿よ、
なんと優しくおんみの友情が私に射して来ることだろう!――
しかし愛、愛は今ここに無い。

友情の月の光りは永く輝かなければならない。
私は雪の中に永く立っていなければならない、
おんみと空と山と湖とが
いつの日か愛の夏の灼熱しゃくねつの中で深く燃えるその時まで。
            Wintertag

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 女友達への葉書

今日は寒い風が吹きすさんで、
あらゆる隙間でうなっています。
草原はいちめんの霜ですが、
まだわずかに花を残しています。

枯葉が一枚、窓の前で揺れています。
私は眼をつぶって、あなたが、
ほっそりとした我が小鹿が、
遠く霧の町なかを行くのを見ています。

            Postkarte an die Freundin

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 或る別れに臨のぞんで

おお、次の時はいつか分らぬがお別れを言おう、
道をあやまった悲痛な運命を思って心も重く。
とりかえしのつかない薔薇ばらは手の中で薫かおりながらしぼみ、
不安にとらわれた心はまどろみと間とを求める。

しかし頭上には星々が変わることなく輝いている。
私たちは常に彼等にしたがう、否が応でも。
私たちの運命は光明と闇との中を彼等にむかって転じてゆく。
そして私たちは喜んで彼等に服従する。
            Bei einem Abschied

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 夜の道

一歩は一歩と闇のなかへ靴を踏みこむ。
夜が大きくなごやかに私をつつむ。
露をおびた石壁に近づいて、
私は濡れた苔で手や額ひたいをうるおす。

空と星とにむかってくろぐろと
アカシアの木が揺れている。
あかりは遠くできらめいているが、
近くはほとんど物のあやめもわからない。

愛が魔法の糸を投げて
あらゆる遠方を私の心にひきよせる。
北極星やプレーヤデスの星団が
彼等の兄弟を天上へと呼ぶ。

私は全世界に結ばれて、
すべての生にむかって心を開いている。
そして宇宙図のなかに自分を支える
軌道を私はあたらしく見出した。

            Nächtlicher Weg

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 帰 宅

ながい旅から帰って来て、
冷えた室内に自分を待っている郵便を見いだす。
私は腰をおろして重い気持で手紙をひらき、
しめっぽい寒さの中へ霧のような息を吐く。

ああ、君たちは皆なんとよく手紙を書くことだろう、
知らない人々よ、私のようなこんな巡礼や探究者に!?
だがもしもすべての物の背後に夜と秘密とが眠っているのでなかったら、
生活はなんと荒寥こうりょうとして空恐ろしいことだろう!

私は黒いカミン炉の中へ君たちの手紙を一緒にして積み上げる。
君たちの問いに対して答えるすべを私は知らない!
まばゆく燃え上がる焔で私と一緒に煖あたたまるがいい。
あすは又互いの上に一日の明けることを私と一緒に喜ぶがいい!

冷酷な世界はわれわれを敵意で取りかこむ。
ただわれわれの心だけが太陽であり、喜びへの能力をも具そなえている。
ああわれわれの胸の中でなんと不安な火花が顫ふるえることだろう。
だがそれだけがこの世の妖怪ようかいどもを凌しのいで生き永らえるのだ!

            Heimkehr

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 愛の歌

私は大鹿、そなたは小鹿、
そなたは小鳥、私は樹木、
そなたは太陽、私は雪、
そなたは昼間で、私は夢だ。

夜になると、眠っている私の口から
金の小鳥がそなたに向かって飛んでゆく。
その声は明るく、羽毛は多彩。
彼はそなたに愛の歌を、
私の歌をそなたに歌う。
            Liebslied

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 三 月

緑萌える片岡に
もう菫すみれの青は響きそめているが、
黒々とした森に沿うて
雪はまだ枝分かれした舌の形に横たわっている。
しかし雫しずくは雫と溶け去って、
渇した土に吸いこまれる。
青ざめた空の高みを鱗雲うろこぐも
照らし出された羊群のように静かに移り動いている。
鶸ひわの声が愛くるしく林の中に消えてゆく。
人々よ、君達も歌うがいい。そして互いに愛し合うがいい!
            März

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 雪中のさすらいびと

真夜中が谷間で一時を嗚らす。
裸の月がさむざむと大空を旅している。

雪と月光との道をたどって
私は自分の影と共にひとり行く。

春の緑のいくつの道を私が行ったことだろう、
燃える夏のいくつの太陽を私が見たことだろう!

足は萎え疲れ、髪は白くなったこの私に、
かつての私をみとめる者は一人もない。

私の影は痩せ細って立っている……
しかし結局この旅を最後まで続けなければならない。

多彩な世界で私を引き廻した夢が私を見捨てる。
今私は知っている。彼が私をあざむいたことを。

一時が谷間で真夜中を告げる。
おおあの高みでなんとさむざむと月が笑っていることだろう!

雪よ、なんとお前が冷めたく額ひたいや胸を囲むことだろう!
死は私の思っていたよりもずっと優しい。
            Wanderer im Schnee

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 病 気

ようこそ、夜よ! ようこそ、星よ!
私は眠りに飢えている。私はもう目を醒ましてはいられない。
もう考える事も、泣く事も、笑う事もできない。
ただただ眠りたい。
百年でも、千年でも、眠っていたい。
そうしたら私の上を星たちが通るのだ。
私の母は知っている、私がどんなに疲れているかを。
母はほほえみながら身をかがめる。その髪の中には星がある。

母よ、もう夜を明けさせないで下さい、
もう昼間を私のところへ入らせないで下さい!
その白い輝きがどんなに意地悪く、どんなに敵意を含んでいるか、
私には言うことができません。
たくさんの長い暑い国道を私は歩きました。
私の心臓はすっかり燃え尽きてしまいました。――
私を自由の身にして下さい、夜よ、死の国へ連れて行って下さい。
ほかに望みとてはありません。
もう一足ひとあしも歩けません。
母なる死よ、手をかして下さい。
あなたの永遠の眼に見入らせて下さい!
            Krankheit

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 祈 り

私を絶望させて下さい、神よ、私自身に。
あなたにではありません!
あやまちのあらゆる欺きを私に味わわせ、
苦しみのあらゆる焔を私に舐めさせて下さい。
私をしてどんな屈辱をも甘受させ、
私がみずからを支える事に手をかさず、
私がおのれを伸ばすことを援たすけないで下さい!
しかし私のあらゆる「我」が砕けましたら、
その時には私に示して下さい、
あなたが焔と苦痛とを生んだこと、
あなたこそそれであったことを。
なぜならば私は喜んでほろび、
喜んで死にましょうが、
ただあなたの中でのみ死ぬことができるのですから。
            Gebet

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 お前の夢

寝床へはいって
私のまぶたがいつかおのずと閉じる時、
雨が濡れた指で窓の蛇腹じゃばらをたたく事がしばしばある。
そんな時、ほっそりした内気な小鹿よ、
お前は夢の国から
静かに私のところへやって来る。
私たちは歩いたり泳いだり、浮かんだりして、
森をこえ、川をこえ、騒がしい動物たちの間をこえ、
星空や虹いろの雲間を縫ってゆく。
私とお前が、ふるさとへの道すがら、
この世の千百の形や姿にとり巻かれて、
或る時は雪のなかを、或る時は太陽の炎のなかを、
あるいは離れ、
あるいは手に手をとって寄りそいながら。

朝になると夢は流れて
深く私の中に沈んでいる。
私の中にそれはあっても、しかし私のものではない。
私は不快に、気も進まずに、黙々と一日をはじめる。
それでも、その時、私たちは何処どこかを歩いている。
さまざまな姿の戯たわむれにとり巻かれて、私とお前が、
われわれを惑まどわせはしても裏ぎることのないものを
魅惑的な生活のなかにたずねながら。

            Traum von dir 

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 わが姉に
        (重病の床に)

ほんとうに、到る処ところで知る者もなく、
途方にくれて私は立っている。
おのが故郷を離れて遠く
私はさまよいつづけて来た。

私の知っていたお前たち花よ、
青い、厳然げんぜんとした山々よ、
君ら人間よ、お前ら土地よ、
私にはもうみんなが解らない。

ただそなたの口からだけ
今なお私は昔の声を聴き、
なつかしい童話の言葉のように
昔のたよりをそれと知るのだ。

やがて善い庭作りの死が
この私を連れ帰るだろう、
父や母の待っている彼の園へと、
夕映ゆうばえの中を。

            An meine Schwester

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 愛する者に

又しても私の木から一枚の葉が落ちる。
又しても私の花の一輪がしぼむ。
不確かな光りの中でいぶかしげに
私の生のもつれた夢が私にむかって会釈えしゃくをする。

周囲の空虚が暗いまなざしで私を見る。
しかし天空の中心には暗黒をとおして
慰めにみちた星が一つほほえんでいる。
そしてその軌道がしだいに彼を引きよせる。

やさしい星よ。私の夜をなごやかにし、
私の運命にしだいに近く引かれる星よ。
お前には私の心がその無言の歌で
お前を待ちわび、お前を歓よろこび迎えている事がわかるだろうか。

ごらん、私のまなざしはまだ孤独でいっぱいだ。
私はただ漫然まんぜんとお前に目ざめていればいいのか。
又しても泣き、又しても笑って
お前と運命とに頼っていればいいのだろうか。
            Der Geliebsten

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 詩人の最後

消えたあかりのそばで夜おそく
私はまだ自分の詩的なおしゃべりにむかって坐っている。
私の詩句は手のなかで砕け、
私のうしろには大鎌を持った男が立って笑っている。

私は言いた紙を蠟燭ろうそくで燃やす。
むこうにはベッドが待っている。しかし、ああ、眠りは無い。
眠りと夢、お前たち慰め手よ、お前たちは私を捨ててどこへ行ったのか。
この運命が私の上に落ちかかって以来。

ゆらめき動く小さな蠟燭ろうそくよ、ぴくぴく動いて死ぬがいい。
すべての造つくられた物はそういう死を亡びるのだ!
燃えろ、詩句よ! なんと忽たちまちお前たちが燃えつきることだろう!
おお、なんと私が永く生き過ぎたことだろう!

今はお前も消えて喜ぶがいい、憩いこいなきに血よ。
死は歓喜だ。異郷と苦痛とからの帰国だ。
心臓よ、お前の濁にごった情火を天空へまきちらして、
けちくさい死刑前の食卓から笑つて離れろ!
            Dichter Ende

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 何処どこかに

人生の荒野を私は燃えながらさまよって、
自分の重荷にうめいている。
しかし何処どこかに、もうほとんど覚えていないが、何処だかに、
涼しく花の咲いた影多い庭のあるのを知っている。

しかし夢の遠くの何処どこだかに
一つの憩いの場所が待っているのを知っている。
魂がそこでふたたび故郷を見いだし、
そこに眠りと夜と星とが待っているのを知っている。

            Ilgendwo

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 老人のクリスマス

子供の頃、クリスマスの季節になると、
この私がなんと夢中になって、飽くこと知らず遊んだことだろう!
蠟燭ろうそくの匂いのなか、樅もみの木の下で
馬や絵本や汽車やヴァイオリンといった
新しいおもちゃを相手に。
そして間もなくどのおもちやも光りを失って、ふだんの日が来ると、
やがて又すべてのクリスマスの木が新しくなり、
お祭りと奇蹟とがやって来て、
又もや私を魔法の網あみでくるむのだった。
今ではもう新奇な遊びを私は知らない。
輝きや喜びは用もちいつくされ、毀こわれたおもちゃでいっぱいの
長い路が私の背後によこたわって、
その破片ががちゃがちゃと鳴っている。
それでも憧あこがれは私のために、最後にして最高の奇蹟を
なお優しい色で描いてくれる。これが終わりの祝祭を、
遊戯と子供の世界からの出発を、
すぐ隣りの、深く慕したわれた世界への入口を。

私はお前を思い出す、空虚になった世界が
その多彩な破片と共に私の周囲で顫ふるえる時、
私は思い出す、お前を、最後の戯たわむれ、愛する死を!
子供の喜びは今いちど輝きながら昇るだろう。
今いちど枯れたクリスマスの木も青むだろう。
そして暗い穴の中から新しい歓喜の心が、おそるおそる湧き上がるという
そんな奇蹟が光りを放つことだろう。
そして蠟燭ろうそくの光りと、樅もみの木の匂いと、
こわれたおもちゃの山とのあいだの
その喜ばしいくらやみから、
私の母の遠い声が呼ぶだろう。
            Weihnacht des Alte

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 或る少女に

ありとある花のなかで
お前は私にとって最愛の花だ。
お前の口の息は甘やかにあどけなく、
純潔に溢あふれ悦楽にも溢れながら、お前の眼は笑っている。
花よ、私はお前を私の夢のなかへ連れてゆく。
そこの色さまざまな
獣うたう魔法の植物たちの間にこそ
お前のふるさとはあって、そこではお前が決して枯れず、
私の魂の愛の歌のなかで、お前の青春が
優しい薫かおりと共に永遠に咲きつづけるのだ。

多くの女を私は知った。
多くの女を苦しみながら私は愛し、
多くの女を歎なげかせた。
今別れに臨のぞみ、お前をとおして、
もういちど優美のあらゆる魔力に、
青春のあらゆる優しい惑まどわしに挨拶あいさつする。
そして自分のもっとも秘密な詩作の
その夢の花ぞのに
かくも多くの贈り物をしてくれたお前を私は置いて、
微笑と感謝とをもって不滅なものの列にお前を加える。
            Einem Mädchen

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 詩 人

私にはしばしば眠られない夜がある。
生きていることが苦しい。
そういう時には言葉で作為さくいをして私は遊ぶ。
意地の悪いのや、おとなしいのや。
肥満したのや、干枯ひからびたのを駆使して、
彼らが静穏な鏡のように光つている海へ泳ぎ出るのだ。
遠い島々が棕櫚しゅろの樹をならべて青く浮かんでいる。
磯には薫かおる風が吹いている。
波打際には子供が一人色さまざまな貝殼かいがらで遊び、
雪のように白い女が一人緑いろの水晶の中で水浴びをしている。
海の上をゆらめく色彩の雨が通るように
私の魂の上を詩句の夢がひるがえり、
悦楽に濡れしたたり、死の悲しみに硬直し、
踊り、走り、茫然ぼうぜんとして立ちすくみ、
質素に着るかと思えば多くの言葉で身をよそおい、
たえず響きや姿や顔を変え、
太古の観を呈ていしもすれば、又無常の感じにも溢あふれている。
ほとんどすべての人間がこれを理解しない。
彼らは夢を狂気と考え、私を敗者と見なしている、
彼ら商人、編輯者へんしゅうしゃ、大学教授の連中は。――
しかしほかの者、子供たちや多くの女らは、
すべてを理解し、私が彼らを愛するように私を愛している。
なぜならば彼らもまた形象世界の渾沌こんとんを見ているから。
彼らにもまた神は面紗ヴェールを貸したもうたから。
            Der Dichter

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 荒野の狼

おれは荒野の狼、走りに走る。
世界はいちめんの雪景色だ。
白樺の木から渡鴉わたりがらすが飛び立つ。
だが一匹の兎、一匹の小鹿さえ何処どこにも見えない!
おれはこんなにも小鹿に夢中だ、
せめて一匹でも見つけ得たら!
おれはそいつに噛みつき、引っとらえてやろうものを。
それこそこの世でいちばん素晴らしい事だ。
あの可愛いやつがおれにはしんから気に入っている。
その軟やわらかな後脚あとあしへふかぶかとくらいつき、
真赤な血をごくごく飲んで、
それからひとりで一晩じゅう吠えることができたなら。
よしんば兎でもおれは満足するだろう、
あいつの温かい肉は夜よるfont.こそ味がいいのだから。――
それでは生きる事を幾らかでも楽しくするものが
みんなみんなこのおれを見捨ててしまったというのか。
おれのしっぽの毛はもう灰いろだ、
眼ももう決してよくは見えない。
可愛い女房も幾年か前にもう死んだ。
そうして今おれは駆けずり廻って小鹿を夢み、
駆けずり廻って兎を夢み、
冬の夜を吹きすさぶ風を聴き、
焼けつく咽喉のどを雪でうるおしながら、
この哀れな魂を悪魔に渡している。
            Steppenwolf

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 インドの詩人バールトリハリに

先輩にして同僚である君のように
私もまた本能と精神とに左右されながら人生をジグザグに歩いている。
きょうは賢人、あすは愚者、
きょうは神に心から、あすは肉に熱くおのれを捧げている。
快楽と禁慾きんよくという二本の懺悔ざんげの鞭で
私は自分の腰を血の出るほど打つ。
時には僧侶、時には蕩児とうじ、時に思想家、時に動物。
存在のあやまちが私のうちで免罪めんざいをもとめて叫ぶ。
二つの道で罪を正し、
二つの火の中でおのれを焼き滅ぼさなければならない。

きのう私を聖者とあがめた人々が
今は蕩児とうじと化した私を見る。
きのう私と共に下水に横たわった者たちが
きょうは断食して祈りを唱えている私を見る。
そして万人が唾を吐き、私から身を避ける、
この不実な愛人、この下劣な人間から。
私は自分のいばらの冠の血潮にまみれた薔薇ばらの花に
軽蔑の花をも編み入れる。
仮家かりやの世界を善人めかしてさすらい歩き、
君たちからと同様自分自身からも嫌われ、すべての子供の恐怖の的まとだ。
しかも私は知っている、すベての行為は、君たちのも私のも
神の前では風の中の塵ちりよりも軽いことを。
また知っている、この恥ずべき罪の道の上で
神のいぶきが私に吹き、私がそれに堪えなければならないこと、
そして歓楽の陶酔の中、悪行の魅惑の中へ
更に遠くおのれを駆り立て、更に深く罪を犯さねばならないことを。

この駆り立ての意味が何であるか私は知らない。
私はけがれた背徳の手で
おのが顔から塵ちりと血潮をぬぐい取る。
そして知っている。自分がこの道を行きつくさなければならない事だけを。
            An den indischen Dichter Bhertriheri

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 口 笛

ピアノとヴァイオリンとを私はほんとうに敬うやまっているが、
彼らに手を染める機会はほとんど無かった。
生活の慌あわただしさは今までにただ
口笛吹く術すべにのみ私に対して時を与えた。

だが私はまだ上手じょうずだなどとうぬぼれは言えない。
芸術は長く、生命は短いのだ。
それでも、口笛の技術を知らない人たちを私はあわれむ。
口笛は多くのものを私に与えた。

私は早くから極秘ごくひのうちにもくろんだ。
段階を追ってこの技術に熟達しようと。
そしてついには私が、諸君が、全世界が、
口笛を吹くに到らんことを今もなお期待している。

            Pfeifen

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 静穏な日

もういちど世界を旅行したり、
もういちど町なかをぶらついたり、
もういちど本式の食事をとったり、
もういちど恋に誘惑されたりしたらどんなに良かろうか!

だがそうした事がすべてもう二度とはやって来ないにせよ、
私にはまだいろいろなものが残されている。
モーツァルトとバッハ、ショパンとシューベルトの歌、
花を見ること、夢みること、詩人を愛読することなど。

だがこういう優しい官能の喜びもまた薄れて来る。
そこで私は神に祈る、私がこの衰えた生命を
彼の本質の原始の光りへ捧げることを、
そして自分の衷うちにも彼の住んでいる事を私が決して忘れないようにと。
            Stiller Tag

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 画家のよろこび

畠は穀物を生んで金目かねめのもの、
牧場はぐるりと鉄条網で囲まれている。
必要と貪欲とが陳列されて、
すべてが堕落と監禁の姿だ。
しかし此処にいる私の眼のなかには
万物を律する別の秩序が住んでいて、
菫いろは溶け、深紅が君臨し、
その無邪気の歌を私は歌う。

黄には黄を、そして赤にも黄を添えて、
うっすりと薔薇いろ刷いた涼しい青空!
光と色とは世界から世界へと波動をつたえ、
弧をえがいては愛の大波へと鳴り消える。

精神は支配し、病やまいみな癒え、
緑は新生の泉から響きのぼり、
配置された世界は新らしくまた意味に満ちて、
心は楽しくも朗らかになる。

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 クリングソルの夏への回想

クリングソルの夏が炎々と燃え、
彼と一緒にこの私が暑い夜ごとを一晩じゅう
酒や女らのそばで恍惚と生気に溢れて、
彼の「酔えるクリングソルの歌」を歌って以来、もう十年になる!

今はなんと夜々が変った味気ないものに思われ、
なんと私の昼間が音もなく過ぎて行くことだろう!
たとえ何か魔法の言葉がかつての陶酔を返してくれるとしても、
もう私はそれを望まない。

迅速にまわる車をもう逆転させようとはせず、
血の中のひそやかな死を静かに肯定して、
思いも及ばぬものを望まないこと、
これが今の私の智慧だ、私の魂の財宝だ。
或る別様の幸福が、或る新らしい魅力が、
あれ以来いくたびか私をとらえた、
ライン河に月の映るように、屋辰が、神々が、天使の姿が、
幾時間かを憩う鏡にほかならぬ或るものが。

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 夏の夜の提灯ちょうちん

暗い庭園の涼味のなかに暖かく
色さまざまな提灯ちょうちんの列がゆらめいて、
しんしんと茂った葉のあいだから
神秘な光りを送っている。

或るものは明るくレモン色にほほえみ、
赤と白とは丸々と豊かに笑い、
青いのは月か精霊のように
枝葉のあいだに宿っているかとばかり。

とつぜん一つが焔ほのおに包まれ、
ちぢみ上がって、忽たちまち消える……
その姉妹きょうだいたちは声もなくおののき震ふるえ、
ほほえみ、そして死を待っている、
月の青と、酒の黄と、天驚絨ビロードの赤とが。
            Lampions in der Sommernacht

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 すがれゆく薔薇ばらの花

多くの命ある者たちがこの事を理解するといい。
多くの愛人たちがこれを学ぶといい。
このようにおのが薫かおりに陶然とうぜんとなり、
このようにうっとりと殺害者の風に聴き入り、
このように薄赤い花の戯たわむれとなって吹き散らされ、
ほほえみながら愛のうたげから遠ざかり、
このように別れを祭りとして祝い、
このように肉体を解脱げだつしてすべり落ち、
そして口づけのように死を飲むことを。
            Verwelkende Rosen

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 村の夕暮れ

きらきら光る窓の前では
鉢植はちうえの花が色さまざまに輝き、
窓のうしろには編んだ髪の毛を頭に捲まいた娘たちが
ほのかに花のように咲いている。

教会堂の屋根の上を、燕つばめのむれが
稲妻いなづまのように弧をえがいて飛んでゆく。
いたるところで鐘が鳴りひびいて、
夕暮れは昼の光りを征服した。

それならば私たちは、寝床へ行って
昼間から夢へと移る前に、
もう少しのあいだ窓のそばにたたずんで、
この大きな平和に聴き入ろうではないか。
            Dorfabend

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 イエスと貧しき人々

あなたは死にました。愛する兄弟クリストよ。
しかしあなたを身代わりとして死なせた人々、その人々は何処どこにいるのですか。

あなたはすべての罪びとの苦しみに代わって死にました。          
あなたの肉体はパンとなりました。
それを僧正や正義の人たちは安息目が来ると食べますが、
その彼らの戸口をわれわれ飢えた者たちは物乞ものごいして廻るのです。

われわれはあなたの施ほどこしのパンを食べません。
そのパンを肥え太った僧や満腹した人たちがちぎります。
それから彼らは金儲もうけや、戦争の指揮や、人殺しに出かけます。
あなたによって幸福になった者は一人もありません。

われわれ貧しい者たち、われわれは窮乏や汚辱おじょくや十字架にむかって、
あなたの踏んだ道を行きます。
ほかの人たちは聖なる晩餐ばんさんから帰って来ます。
そして焼肉と菓子とに僧を招きます。

兄弟クリストよ、あなたの悩みは無駄でした。――
満腹した者共にその求める物をお与えなさい!
われわれ飢えたものたちはあなたに何物をも求めません。クリストよ、
われわれはただあなたを愛します。あなたはわれわれの一人ですから。
            Jesus und die Armen

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 碧あおい蝶

一羽のちいさい碧あおい蝶が
風に吹かれて飛んでゆく、
真珠母しんじゅもいろの俄雨にわかあめ
きらめき、ちらつき、消えてゆく。
そのように一瞬の輝きで、
そのように風に運ばれて、
自分の幸福が合図をしながら、
きらめき、ちらつき、消えてゆくのを私は見た。
            Blauer Schmetterling

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 夏の夕ベ

指が一篇の詩を書いている。
色褪いろあせたマグノリアの花が窓からのぞきこむ。
杯のなかには夕暮れの酒がほのぐらくきらめいて。
愛する者の髪と顔とを映うつしている。

夏の夜が淡い星の光りをまきちらした。
青春の思い出が月明りの木の葉の中で匂っている……
もうじき、わが指よ、われわれも黴かびとなり塵ちりとなるのだ、
あさってか――あしたか――それとも今日が日にも。
            Sommerabend

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 九 月

庭は悲しんでいる。
雨がつめたく花の中に沈み入る。
夏がおのれの最後にむかって
そっと身をふるわす。

高いアカシアの樹からしずくのように
一枚は一枚と金いろの葉が落ちる。
夏は死んでゆく庭園の夢のなかで
ぐったりしながら不思議そうにほほえんでいる。

なおしばし薔薇ばらの花のそばに
夏はとどまって休息を想おもいながら、
その大きな疲れた眼を
おもむろにとじる。
            September

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 老境に入る

青春の星よ、
お前たちはどこへ落ちたのか。
お前たちすべてのうちの一つでさえ
雲の中を通ってゆくのを私は見ない。

君たち、私の青春の仲間よ、
ああ、なんと早く君たちが
世界と平和を結んだことか!
私に与くみする者は一人もいない!

若者よ、君たちはわれわれ老人を冷笑する。
それはいかにももっともな事だ!
なぜならば、私自身、まったく不当に
自分の真実を遇ぐうして来たのだから!

それでも私は戦いつづけ、
世界をむこうに廻して踏みとどまる。
もしも英雄として勝つことができなかったら、
むしろ戦士として倒れよう。
            Alterwerden

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 ニノンに

私の生活が暗澹あんたんとして、
戸外では星辰せいしんのうごきが忙しく、
すべての物がたえず火花を放っている時、
それでもあなたが私の傍かたわらにとどまろうということ、

そしてあなたが人生のからくりの中に
ひとつの中心を知っているということ、
それはあなたとあなたの愛とが
私のために善なる守護の霊となることだ。

あなたは私の闇のなかの
こんなにも隠密おんみつな星をそれと感じる。
あなたはあなたの愛情で
生命の甘美な核心を私に思い出させてくれる。
            Für Ninon

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 基督キリスト受苦の金曜日

曇った日、森にはまだ雪がある。
裸の樹でつぐみが歌っている。
春の息吹きがおずおずと立ちまよう、
喜びにふくれ、悲しみに重く。

あんなにも黙々と、草のあいだに小さく立つ
クローカスの群落や菫すみれの床とこ
何か知らぬがそこはかとない匂いがする、
死の匂いが、祭りの匂いが。

木々の芽は涙にめしい、
空はあんなにも不安に低く垂れている。
そしてどの庭も、どの丘も、
ゲッセマネだ、ゴルゴタだ。
            Karfreitag

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 新しい家に移るに際して

母親の胎はらから出て来て、
地中で腐るように定められて、
けげんな顔をして立っている人間。
神々の記憶がまだその朝の夢にまつわっている。

それから彼は気を変えて、神を離れ、大地に向かって
働き努める。そしておのが憩いこいなき生活の
由来ゆらいと目的とに恥と怖おそれとを感じながら、

家を建て、装飾し、
壁をいろどり、書棚を満たし、
友人らを招いて宴えんを張り、
優しく笑う花々を門前に植える。
            Beim Einzug in ein neues Haus

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 春の言葉

どの子供も知っている、春が何と言っているかを。
生きよ、伸びよ、希望を持てよ、愛せよ、
喜べよ、新しい芽をふけよ、
身を捧げよ、そして生を怖おそれるな!

どの老人も知っている、春が何と言っているかを。
老いたる人よ、葬ほうむられよ、
お前の席を潑剌はつらつたる子供らにゆずれ、
身を捧げよ、そして死を怖おそれるな!
           Sprache des Frühlings

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 晩 夏

夏の盛りが過ぎる前にもういちど、
庭の面倒を見てやろう。
花たちに水を灌そそごう。彼らはもう弱っている。
じきにしおれる。おそらくはあしたにも。

世界がまた気がちがって、
戦争が耳を聾ろうする前にもういちど、
いくらかの美しいものを喜び、
彼らのために歌ってやろう。
            Spätsommer

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 夕暮れの家々

かたむいた晩おそい金色の光りのなかに
ひとむれの家が静かに燃えて立っている。
高貴に深い色と花と咲いて、
彼らの団欒だんらんの夕べが祈りのようだ。

ひとつの家が他の家へと親しげによりかかり、
兄弟のように睦むつまじく斜面に立ち、
どの家も単純質素で、年古としふりて、
習わないのに皆が歌える歌のようだ。

壁と、漆喰塗しっくいぬりと、ゆがんだ屋根と、
貧と誇りと、腐朽ふきゅうと幸福とが、
おだやかに、ふかぶかと、
空の明りにその熱を反射している。
            Häuser am Abend

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 嵐のあとの花たち

兄弟のように、皆同じ方角を向いて、うなだれて、
しずくを垂らす花たちが風の中に立っている。
不安げに、まだおびえて、雨に目しい、
多くの弱い者たちはへし折れて、死に瀕ひんしている。

彼らはまだ麻痺まひしたままで、ためらいながら
なつかしい日光の中に再びゆっくり頭を上げる。
「私たちはまだここにいる。敵に揉みくちゃにはされなかった」と、
兄弟のように、最初のほほえみさえ浮かべながら。

その光景を見て私は思い出すのだ。
暗い生の衝動の中で、麻痺まひした自分が、
夜と悲惨とから、ありがたくもいとしい平和な光りの中へと
立ち帰って行ったあの幾たびかの時のことを。

            Blumen nach einem Unwetter

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 回 想

山腹にはヒースが咲き、
えにしだが褐色の箒ほうきのようにちぢかんでいる。
五月の森がどんなに綿毛わたげのような緑だったかを、
今日きょうなお誰がおぼえているか。

つぐみの歌や郭公かっこうの叫びがかつてどんなに響いたかを、
今日なお誰がおぼえているか。
あんなにも魅惑的に響いたものが、
もう忘れられ、歌い去られた。

林の中、夏の夕べの宴うたげ
山上高く懸かった満月、
誰がそれを書きとどめ、誰がそれをひしと抱いたか。

すべてはもう消え失せた。

そしてやがては君についても私についても、
知る人なく、語る人もなくなるのだ。
別の人たちが此処ここに住み、
私たちは誰にも惜しまれはしないだろう。

私たちの夕べの星と
最初の霧とを待つことにしよう。
神の大きな園のなかで
私たちは喜んで花咲き、そして咲き終わるのだ。
すべてはもう消え失せた。
            Rückgedenken

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 晩夏の蝶

たくさんの蝶の出る時が来て、彼らの舞踏が
遅咲きのフロックスの匂いの中で柔らかによろめいている。
赤たては、緋縅ひおどし蝶、揚羽あげは蝶、
緑豹紋みどりひょうもんに豹紋蝶、
内気な蜂雀ほうじゃく、赤い火取蛾
黄べりたては姫たては
青い空から泳ぐように彼らは黙々と降りて来る。
色は高貴で、毛皮、天驚絨ビロードを身にまとい、
宝石のように輝きながら悠然ゆうぜんと漂っている。
はなやかに物悲しく、物言わず痺しびれたように、
今は亡ない童話の国から訪れて来る。
彼らはここでは他所者よそものだが、楽園めいた、
アルカディアめいた花野の蜜のしずくに濡れて、
我らが夢の中に見る失われたふるさと、
あの東の国からの命みじかい客である。
そしてその彼らの霊的な便りを一つの貴い実在の
優しいあかしとして我らは信ずる。

すベての美しいものと無常なものと、
あまりにも優しいものと豊かに過ぎるものとの象徴、
高齢の夏の帝みかどのうたげにつどう
金きんに飾られた憂鬱ゆううつな客よ!
            Schmetterlinge in Spätsommer

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 夏は老い

夏は老い、疲れ、
無慈悲な両手をだらりと下げて、
茫然ぼうぜん大地を見わたしている。
今こそ最後だ。
夏はその火を吐きつくし、
その花々を燃やしつくした。

このようにすべては過ぎる。
われらは最後には疲れて振りかえり、
寒さにぞっとしながら空むなしい両手に息を吹きかけ、
そもそも幸福はあったのか、
何か仕事は成されたのかといぶかるのだ、
かつて読んだ童話のように色褪いろあせて
われらの生涯が遠く背後に横たわっている。

かつては夏も春を打ちたおして、
自分をより若く、より強い者と思った。
今彼はうなずいて笑っている。
この日頃、彼は或る全く新しい楽しみを考えているのだ。

それは、もう何も欲せず、すべてを諦あきらめ、
身を倒し、
青ざめた手を冷やかな死にゆだね、
もう何も見ず、何も聴かず、
眠りこみ……消え……亡びてゆくこと……
            Sommer ward alt...  

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 枯 葉

すべての花は実になろうとし、
すべての朝は夕暮れになろうとする。
地上に永遠なものはない。
時の変遷へんせんとその疾駆しっくとを除いては。

そのようにこよなく美しい夏の日も
いつかは秋と凋落ちょうらくとを認めようとする。
まれ、葉よ、辛抱づよく静かに、
風がお前を攫さらおうとする時。

お前の遊びを遊んで逆らわず、
じっと為すがままに任せるがいい。
お前を引きちぎるその風に

吹かれて家路へ運ばれるがいい。
            Welkes Blatt

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 バッハの或るトッカータに

太古の沈黙が凝縮ぎょうしゅくしている……暗雲が支配している……
と、ぎざぎざな雲の割れ目から一条の光線がほとばしって、
めしいた虚無から世界の深淵を摑つかみとり、
空間を構築し、光明をもって夜をうがち、
山稜さんりょうと山巓てん、絶壁と峡谷きょうこくとを予感させ、
大気を柔らかな青に、大地を緻密ちみつなものたらしめる。

光線は芽ぐみつつある妊娠にんしん体を真二つに
創造の力をかって行為と戦闘とに切りはなつ。
愕然がくぜんとした世界は点火されて燃え上がる。
光りの種子の落ちる処ところに変化がおこり、秩序がうまれ、
壮麗な音楽が生命への讃歌、
創造者光りへの勝利の歌を鳴り響かせる。

そしていよいよ広々と揺れながら神にむかって引き戻され、
この偉大な衝動は
あらゆる被造物の組織を縫って父なる霊へと殺到する。
それは悦楽となり、苦痛となり、言葉となり、形象となり、歌となって、
世界から世界へと円頂の凱旋門がいせんもんを弓のように張る。
そしてそれは本能の力であり精神であり戦いであり、又幸福でもあれば愛でもある。
            Zu einer Toccata von Bach

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 さようなら、世界夫人

世界は破片の中に横たわっている。
かつてはわれわれも彼女をいたく愛したが、
今われわれにとって死ぬことは
もはや大して恐ろしくはない。

世界を侮あなどり罵ののしってはならない。
世界はまことに多彩で奔放ほんぽうだ。
太古からの魔力が今もなお
彼女の像を吹きめぐっている。

われわれは彼女の大いなる戯たわむれから
感謝をもって別れよう。
彼女は逸楽と苦悩とをわれわれに与えた、

彼女は多くの愛をわれわれに与えた。

さようなら、世界夫人よ、それならばおんみ自身を
再び若々しくっややかに装うがいい。
われわれはもうおんみの繁栄と
おんみの悲惨とに飽き果てた。
            Leb wohl, Frau Welt

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 『乾草ほしくさの月』と『青春は美わし』を読み返して

不可解なほどよそよそしく、遠くから、
青春のふるさとがこちらを見ている。
その太陽も星々も
もう私の道を照らさない。
その喜びも苦しみも
こんにちでは歌であり、伝説である。
そこに出て来る名や身ぶりは
風に吹かれる木の葉の戯たわむれにも及ばない。
しかしここでは本のそれぞれの行の上に
それらが映像となって呪縛じゅばくされていて、
悲しげに待ち、足をとめ、
その形ときびしい立場とを持ち続けている。
そしてわれわれの実に多くの物が破壊された
あの悩みにひたされた年々のあとで、 
かつてはわれわれの物だった世界の伝説が 
今もなおわれわれに属している。
その古代文字はしだいに色あせ、
その響きは遥はるかな柔らかなものとなっている。
しかもそれは魔法の国の優美さのうちに
永遠の現在を持っているのだ。
       Bei Wiederlesen von "Heumond" und "Schön is die Jugend"

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 ブレームガルテンの城で

昔この年老いた橡とちの木を植えたのは誰か。
この石の井戸から飲んだのは誰か。
この飾り立てられた舞踏室で踊ったのは誰か。
彼らは行ってしまった。忘れ去られ、溺おぼれ沈んで。

今日、太陽が照り、
かわいい小鳥たちが歌うのはわれわれのためだ。
われわれは食卓を囲み、燭の光りを共にする。
永遠の今日に御酒みきを献げようとして。

そしてわれわれが去り、忘れられてしまった時でも、
なお高い木々の中では相変わらず
つぐみが歌い、風が歌い、
下のほうでは流れの水が岩にせかれて泡立っているだろう。

そして孔雀くじゃくの夕べの叫びに近く
広間には別の人々がすわっている。
彼らはお喋しゃべりをし、旗をなびかせて過ぎゆく舟たちが
どんなに美しいかを称讃する。
そして永遠の今日が笑っている。
             Im Schloss Bremgarten

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 平和にむかって
     
(一九四五年復活祭。パーゼル放送局の休戦記念祝典のために)

憎しみの夢と血の陶酔とから覚めて、
まだ戦争の電光と殺人的な叫喚きょうかん
目は目しい、耳は耳しいて、
ありとある凄惨せいさんなものに馴なれていながら、
疲れ果てた戦士らは
彼らの武器を捨て、
その恐ろしい日課を捨てる。

「平和!」という声が響いて来る。
童話からのように、子供の夢の中からのように。
「平和」。だが心は敢えて喜ぼうとしない。
心には涙のほうがもっと近いのだ。

哀れむべき人間われわれには
善も悪も共に可能である。
けものであって同時に神! なんと苦しみと恥とが
今日われわれを大地に押しつけることか!

しかしわれわれは望む。そしてわれわれの胸の中には
愛の奇蹟きせき
燃える予感が生きている。
兄弟たちよ! われわれには魂にむかって、
愛にむかって帰国する道があり、
すべての失われた楽図に通じる門が
ひらかれている。

欲せよ! 望めよ! 愛せよ!
かくて世界は再び君たちのものとなる。
             Dem Frieden entgegen

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 或る詩集への献詩

   Ⅰ

もはや満ち溢れるものもなく、
輪舞の歌もすでに秋めいて響こうとも、
それでもわれわれは黙すまい。
早くして鳴りいでたものが、晩きに到って鳴り響く。

   Ⅱ

かずかずの詩句を私は書いた。
残ったものは僅かでも、
私の戯れ、私の夢であることに変りはない。

秋風が枝を揺する。
とりいれの祭のために色も綾に
生命の樹の葉がひるがえる。

   Ⅲ

生命の樹から葉が吹き散り、
生命の樹から歌が離れて、
戯れながら漂い消える。

多くのものが没し去った、
なさけも深いメロディーに
初めて手を染めたあの時から。

歌もまた死ぬべきさだめを担っている。
永遠にこだましつづける歌は無い。
風はすべてを運び去る。
花といい、蝶といい、
いずれも滅びることのない物の
ただ束の間の姿にすぎない。

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 ガラス玉遊戯

宇宙万物の音楽と巨匠の音楽とを
われわれは畏敬の念をもって聴こうとする。
神に恵まれた時代の尊ぶべき霊たちを
清らかな祭のために喜んで呼び出そうとする。

その魔力で無辺際のもの、吹きすさぶもの、生きるものを
明白な像として凝結させた、
あの魔法の呪文の秘義をもって
われわれは自分自身を高揚させるのだ。

彼らは星座のように水晶の響きを立てているが、
われわれの生の意義もその奉仕の中にこそ育って来た。
そして何びとといえども聖なる中心へと落ちこむほかには、
彼らの軌道から脱落するという事はあり得ない。

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 笛の演奏

或る家が、夜、藪と木立の間から
赤い窓を一つこうこうと輝かせていた。
そしてその家の眼に見えないどこかに
一人の笛吹きが立って吹奏していた。

それは昔からよく知られた歌で、
夜の中へ優しく広々と流れて行った。
あたかもどんな土地も故郷であり、
どんな道にも行きつく先はあるように。

それは彼の息いきで言い現わされた
世界の秘密の意味だった。
そして心は喜んで身をささげ、
すべての時間が現在となった。

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 詩集にそえて或る友に

伝説めいた青年時代から今日が日まで
私を動かしたもの、私を喜ばせたもの、
あるときは本心に、あるときは夢想に、
はたまた祈りや求愛や歎きに寄せた
それらすべての束の間のもの、色さまざまに撒かれたものを、
君はこれらの頁にもういちど見出すだろう。
それが好ましいものか、恥ずべきものかを、
あまりまじめに問わないことにしよう――
どうかこの古い歌のかずかずを、友情で拾い上げてくれたまえ!
われわれ年老いた者たちには
既往の中にたたずむことが許されてもいるし、又それが慰めでもある。
これら幾千行の背後には一つの生命が花と咲き、
そしてそれがかつてはすばらしくもあったのだ。
こんなくだらぬ物にかかわっていたというので
たとえいつか責任を問われることがあるにしても、
われわれは今夜飛んだ飛行家よりも、
あわれな血なまぐさい大軍よりも、
この世の支配者やお歴々よりも、
もっと軽々かるがると自分たちの荷を担っているのだ。

 

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