ヘッセ「さすらいの記」(一部)  尾崎喜八 訳

    ※ルビは「語の直後に小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています(満嶋)。

 

 碧い遠方                                   

素描三題 (アポロ蝶・雲・夕暮の色)

アネモネ

碧い遠方

秋が来る

ゴットハルトにて

秋  

菩提樹の花

ファードゥッツ

 

コモ湖畔の散策

古い音楽

故 郷

 
 

南欧の夏の日

春の散歩

小 径

 
 

或る旅の覚え書

テッシンの聖母祭

なくなった小刀

 

水彩画をかく

                                      

 さすらいの記                                  

農 家

田舎の墓地

峠  

夜 道

村  

失 踪

橋  

壮麗な世界

牧師館

 

農 場

雨  

樹 木

 
 

画家のよろこび

雨 天

礼拝堂

 
 

無 常

真昼の憩い

死に寄せる旅人の歌

 
 

湖と樹木と山と

色彩の魔術

曇り空

 
 

赤い家

夕べとなれば

 

 

      

   あとがき   尾崎喜八

  本書を飾る絵はヘッセ自らの筆になるもの。
  写真はスイス・モンタニョーラにおける晩年のヘッセ。撮影者は息子のマルティン。
         

     (※サイト管理人:写真、挿絵の掲載は省略しています。)

                               

 

碧い遠方

 素描三題

 アポロ蝶
   (フィーアヴァルトシュテッターゼーの旅の一日)

 旅びとは暖かい日光を浴びながら、ただひとり道ばたに横たわっていた。彼の視野は黄いろい岩にあたる光の戯れを追いかけ、耳は遠くからでさえ絶えずかすかに聴こえてくる谷川のせせらぎの音にやわらげられていた。そして彼の魂は、なかば夢の中でうっとりと、翼をひろげた鳥のように、少年の日の明るい土地の上に憩っていた。褐色をした一羽の蝶が路傍の低い壁の上をゆっくりと飛び、その飛翔のおちつかない線で、横たわっている者の目を照らす細長い湖面の輪郭をよこぎった。そして濃い緑いろの背景の上では蝶の羽根のくすんだ色も一層あかるく豊かに輝いて、その柔かい羽根のへりでは、はげしく動く鋭い輪郭が、あたかも光を纏っているかのように白みを帯びた光の縞となって顫えていた。
 憩っている人の思い出の中に少年時代の強烈な喜びの思いが湧き上がって来た。大きな花のような花壇や、その上で熱い空気がきらめく波のように顫えている、風のない、匂やかな草原での、あの夏の日の蝶の採集の焼けつくような喜びが。
 夢みる人の疲れたまなざしの上に、重くなったまぶたがいつとはなく滑り落ちた。彼の夢は息もつけないような歓喜のなかで蝶を追いながら、故郷の草原や傾斜地をかけまわった。そして薄絹をはがれた遙かに遠い思い出の奥のほうから、永いあいだ忘られていた少年時代の或るあこがれが、――アポロ蝶を見たいというあこがれが、――この眠っている人の心を襲った。少年の燃えるような熱望の対象、雪白のつばさに赤い球紋をつけた蝶界の王の姿が、彼の眼前の青空に懸かった。なつかしく、そしてかすかに響きながら、また別の不思議に愛らしい旋律が、遠い昔のかなたから近づいて来た。眠っている旅びとの思いの上に、その少年時代の空がおどろくほど明るく優しく、あこがれの青い色で高い円天井を張りめぐらした。
 一陣のそよかぜが対岸の山々から涼しく吹いて来て、眠っている人のうなだれた額を撫でた。彼はほほえみながら、澄んだ湖の空気の明るさと、風景の楽しく輝く色彩とに活気づけられたその目をおもむろに上げた。
 その時、彼のかたわらを一すじの白い光がすべるように飛び過ぎて行った。彼は身動きもせずに、様子をうかがいながらそっと見上げた。一羽のきらきら光る蝶が優美な弧をえがきながら、音もなく静かに空から舞いおりて来て地面の上を飛び、あたりを見廻しながら羽根を動かしていたが、やがて一つの岩の、日に照らされた急斜面へすがりつくようにとまった。蝶は聴き耳をたてている様子だった。彼はほそい触角をうごかした。それから四枚の羽根を全部大きくゆったりと、暖かい日光の中でひろげた。アポロ蝶だった! 絹のように白いつばさの上には金属的に光る柔かい線になって暗色の翅脈が現われ、白絹のようなつばさの地のまんなかに華麗な球紋がうすい血紅色に輝いていた。
 アポロ蝶は羽根をたたんだ。すると前翅の申しぶんのない膨らみと共に、その上品な細みのある形がはっきりと見られた。それから息を吸うようにもう一度楽しくいっぱいにつばさをひろげると、そのまま飛び立った。彼は岩壁の面から一本の高いあざみのてっぺんへ移り、そこから湖水をめざして暗い奥のほうへ飛んで行った。やがて彼はもう一度舞い上がり、ちょっとのあいだ迷うように漂っていたが、突然うれしそうに羽ばたきをすると、深遠な、光りかがやく大空へと、まっすぐに高く高く消えて行った。

 

 

 旋回する空気の渦巻きが雷雲のなごりを吹きはらった。凪なぎの海上には正午の太陽が晴れやかに暑く燃えていた。大空にはただ一本の雲の土手が残っていた。そこから一すじの柔かい雲の綾がほどけて上昇した。そしてその白い雲霧のヴェイルは、あの薄い灰いろの雲の土手が消えてしまっても、なお紺碧にかがやく大空に浮かんでいた。それは綿毛のように吹きやぶられて舞い上がり、ゆっくりと北のほうへ流れて行った。そして緩慢な飛行をつづけながら、そのひるがえる末端と先端とをあつめて輪郭と膨らみとを得、白さと光とを増した。船乗りの目はそれを見て喜ばされた。彼らはびっしょり濡れた褐色の三角帆を大急ぎでふたたび揚げた。
 こうして光り輝きながら孤独に悠々と青い大空をすべってゆくこの雲を見た者には、それが遠くから女の声で歌っている一つの歌のように思われた。
 そして雲はほんとうに歌っていた。彼女は歌い且つ飛んでいた。ただ大きな海鳥と塩からい海の風だけがその歌を理解することができた。それにリヴォルノのいちばん外の灯台か、コルシカ島の山の上から間近かにそれを認めた詩人ならば、或いは理解したかも知れない。しかし其処には詩人はいなかった。又よしんば誰か詩人がいたとしても、雲の歌をわれわれの言葉に翻訳するにはさぞかし苦心をしたことだろう。
 美しい白い雲はスペチアやセストリの入江の上をゆっくりと帆走し、ラパロの灰色を帯びた黄いろい岸べの岩の上を飛び過ぎた。彼女は黒い船が、寺院の円屋根のひさしから滴るしずくのように、水平線のかなた、無辺際の奥へとすべりこむのを見た。彼女は鳶いろに日焼けした漁夫が、赤と黄色の帆を張って黒ずんだ小舟をやるのを見た。彼女は太陽がフランスのむこうへ傾いてゆくのを見た。そして彼女は歌った。そして夕暮を、真紅に染まった夕暮を、灼熱と沈黙と愛との時間を瞑想した。
  おお太陽、こんじきの太陽よ!
 彼女はいつもと同じ歌を歌った。青い海の、太陽の、雲の愛の、雲の美と夕暮の、輝かしくも色さまざまな快楽の夕べの歌を。
 円形の湾にのぞんだ明るい急な坂の町、ジェノアの町は高くそびえ立っていた。そしてそのジェノアの背後には環状の要塞が、更にそのうしろには丘陵と広い広い薄みどりの国土とが見え、そしてその果てに白く冷めたく目に珍らしく、アルプスの寒々とした山波が見えた。雲は身を顫わせて、もっとゆっくり浮かんでいようとした。其処へ行ってどうすればいいのか。海から生まれたこの暖かい美しい雲が、あの冷めたい荒涼とした北の高山でどうすればいいのか。
  おお太陽よ、太陽よ、おんみ我を愛するや――
 大きな港の町から鐘の音が響きながら昇ってきた。サント・ステファーノの夕べの鐘が。東方の山々はふしぎにはっきりとして近くなり、フランスの丘のかなたには日が沈みかけていた。
 太陽! その太陽は深い緋色に燃えさかり、異様な物悲しさを大地の上にふりまいた。そして海は金紅色からライラック色に変っていった。
 そのとき、太陽のほのぐらく燃える閃光があこがれに満たされた雲を射た。その熱烈な驟雨を浴びると彼女の白い羽毛は赤く赤く燃え上がって、ジェノアの丘の上に炎々たる炬火のように懸かった。
 灼熱の海はしだいに冷え、大地は灰いろになった。そして寺院の円屋根の上、要塞の施設の上、丘陵のあらゆる物の上にも夕やみが湧き上がってきた。しかしその上方では、孤独の雲が地上や海上や空中の何ものよりも美しく燃えつづけていた。
 彼女は薔薇いろになった。それからライラック青になった。それから紫になった。
 やがて彼女は灰いろに変じて見えなくなった。そして最初の星々の内気な光のかたわらを、ノヴィや、パヴィアや、ミラノを越えて、寒い見知らぬ北方の白い山々のほうへどんなに速く、どんなにいよいよ速く彼女が飛んで行ったかを、もう誰一人として見ることはできなかった。

 

 夕暮の色

 フィッツナウの八月のおわり。華麗に暑い昼間と晴れやかな燃えるような絶妙な夕暮とが、幾日も幾日も湖の上で輝いていた。そういう毎日、日没の時間を、私はビュルゲンシュトックの麓によこたわるマットからフィッツナウの方へゆっくりと漕ぎ帰り、そして毎日、太陽が白っぽい靄に包まれた丘陵のかなたへ沈むルツェルンを背景に、わずかに変化する同じ湖上の景色を眺めるのだった。こんな時間には湖はいつでもほとんど全く油のようになめらかで、たまたまそよ吹く暖かい風に撫でられても、水面にはただところどころ皺のようなさざなみが立つくらいのものだった。
 こういうふうにしばしば繰返された眺望は、心に美しくしっかりと刻みつけられているので、私はそれを幾たびも読まれた詩のようにいつ何時でも呼びさます事ができるし、もう一度それを楽しむ事もできる。そしてもしも所望とあれば、一つの記録のように正確に叙述する事もできるのである。まず諸君は小さなボートの中にすわって、マットとリュッツェラウとの中間、湖の広がりのまんなかを、漕ぎ手として背を向けているフィッツナウさしてゆっくり漕ぎ戻っているものと想像されたい。ただ諸君は、それを仲間や歌やおしゃべりを伴った小さい船旅のように思ってはいけないし、また誰か友達か女性と二人でする旅のように想像してもいけない。諸君は一人でなくてはならず、心にいくらか孤独としての興奮のない愛を持っていなければならない。その時諸君は次のような光景を目にするだろう。
 諸君の前には細長いボートの先端が、きらきら光る水面にむかって鋭く暗く立っている。水はまだ晩い午後の深い緑をたたえながら、ゆっくりと、ほとんど気づかれない程に甘美な暖かい金色に変化する青みを帯びた柔らかな銀の色調を呈して、むこうの方へと遠くちらちら光っている。ビュルゲンシュトックの方角では、水の色がさまざまな推移を重ねながら重苦しいインクのような青さにまで深まっているが、そのために薄黄色をした明るい細い湖岸の線がふしぎなほど際だって見える。もしも明るい岸べの岩の照り返しによるこの光った線がなかったら、その方面の湖岸はもっと遠いものに見えるだろうが、その白っぽい線がほとんど強制的にそれを諸君の目に近づけているというわけである。リギ側の強く照らされた薄緑の岸も同じような湖岸線を見せてはいるか、ここでは明るい水の色にぼかされて目立たない、こちら側ではえんえんと続くリギの岩壁が赤みを帯びた円い岩塔や晴れやかな草地と共に水鏡をしているのに、あちら側ではハンメッチュヴァントの岩壁だけが陰気な影のように水面に横たわっているのである。
 今、二つ三つの白い雲片が諸君の頭上で金いろに染まりはじめる。諸君は低い空に懸かっている太陽を眺める。そして同時に、湖の遠方がもう青みがかってもいなければ銀色でもなく、一枚のぴかぴかした真鍮しんちゅうの円盤のように、完全に黄金色に輝いているのに気がつく。そしてこの金色の野の境界線は見るみるうちに近づいて来て、ほとんどケールジーテンやヴェッギスの船着き場まで達するようになる。その光はいくらか眩ゆくはあるが、しかしまだ目に堪えられないという程ではない。
 そして今や太陽はいよいよ深遠な光をはなち、いよいよ偉大になりはじめる。今までボートから緑の湖面に見えていたものが、すべて色彩の大きな戯れに包まれて金色から紅褐色に及ぶあらゆるニューアンスに輝き、風に動いている処では燃えるような緋色を呈している。ここではもう視覚もあてにはならず、あらゆる色彩の定義が疑わしいものになる。諸君はただ驚嘆してうしろへ身をもたせかけ、赤と金との色調から成る一つの海を認めるだけである。未聞のリズムをもってみなぎり溢れ、たえず変化しながら常に同じな一つの海を。
 この眺めは、晴れた日だと太陽が地平線に触れる時までつづく。その時太陽は深紅になり、湖は驚くばかりな変貌をとげる。湖は見わたすかぎり青緑色の淡彩をまじえた鈍い金色を呈して、もうじき西の空に見られるような色調になる。そしてその金色の洪水のまっただなかを一本の幅びろな無限に長い烟の懸け橋が走り、それが遠くの岸べでは赤く明るく始まって、深く豊かな紫紅色の火焔となって終る。それは日没の数分間のあいだ紅い太陽の円盤が見せる像である。ボートの前、すぐ間近なところに、諸君はそれが一個の金褐色の微光となって消える時まで燃えかがやき燃えつきるのを見るだろう。諸君は目を上げる。太陽は地平線でも同じように姿を消し、遠くから空気や雲を紅く染め、その背後へ自分の沈んで行った丘陵を、するどい輪郭ごと忽然と諸君に投げかえす。その間にも湖はおもむろに輝きをうしない、静かに色褪せながら、幻想的に美しい逸楽的な夢の色彩を身にまとう。その光景はあたかも何か一つの歌か、何か太古の伝説のようにわれわれの心を打つのである。
 そして背後、諸君の背後の家並みやウルンの山々の上高く、見るみる暗くなってゆく空の中に、もしも良い眼を持っているならば、早くも最初の青じろい星が浮き漂っているのを見るだろう。
                               (一九〇一年)

 

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 アネモネ

 諸君はフィレンツェの春を知っているだろうか。環状路に薔薇の蕾のふくらむ頃、優しい淡紅うすべに色の果樹の花が柔かな丘を咲きのぼる頃、黄いろい水仙と桜草とが緑の草原をその金色こんじきで被いつくす頃の、あのフィレンツェの春の景色を。
 ああ、それはまったく美しい! 黒い糸杉が最初の暖かい空気のなかで揺れ動くこの幾日! 丘の道に沿った胸壁がほのぼのと熱しはじめて、日当りの銃眼の上に最初の暖かい休息を合図するこの四月の熱した真昼時! その時なんと大地が身を伸ばして輝いていることだろう!  なんと遙かな山々がいよいよ青く、またいよいよ憧れに満ちて近づいて来、それと共に諸君の心が、なんとやるせない甘美な旅への熱望でいっぱいになることだろう!
 フィエゾレのかなたでは、純白な羽根の浮かんだ青空の下に、四月の正午が日に照らされて暑く輝いていた。菫すみれ売りの少女たちは町の通りで叫び立て、色とりどりの服装をした外国人たちは、ローマ劇場の中をぶらついていた。広場から僧院へ通じる暖かい急な坂道の小路こうじには、麦藁を編む女たちがすわって野天で働いていた。見晴らしのベンチのあたりにはあらゆる種類の人生があった。子供たちは、――その中には金髪の児が多かったが、――草に寝ころんだり遊んだりしながら、あらゆる瞬間に飛び起きて、悲しげな表情をつくって物乞いする用意を怠らなかった。麦藁細工を持った数人の行商女が期待に満たされてたたずんでいた。そして一人の愛嬌のある若者が胸壁のきわへ望遠鏡を据えつけて、フィレンツェからトルレ・デル・ガルロまでのすべての家々を、二ソルディの料金で眺めさせていた。美しい双生児ふたごの糸杉をめぐって、気持のいい暖かい風がゆるやかに流れていた。
 一人の若いドイツ人が僧院から下りて来た。彼のすべてが歓喜と感激であり、歩調はよろこばしげに揺れ、眼はかがやき、腕は興奮のために打ち振られていた。若い北欧の人間が初めて春のフィエゾレを見たとしたら、誰しもこうなるよりほかはないのである。諸君はこの青年がロレンツォ豪奢法王や、ヤーコップ・ブルクハルトや、ベックリンのことを考えると同時に、なかば憐みの心で遠い母国のことを思っているのを理解するにちがいない。今こそ彼は、少年時代からいろいろ聴かされたり想像をほしいままにしてきたその土地を、自分の二つの足で踏んでいるのだ! 今こそ彼の脚下にフィレンツェが横たわり、彼の周囲に丘陵や別荘や庭園が、その偉大な歴史と偉大な美とをもって殺到しているのである。彼は考える、まだ町へは帰るまいと。そして、ともかくも今日は勉強をやめにしようと。こういう一日はただ散歩のためにだけあるのだ。それで彼はぶらぶら歩いてフィエゾレを抜け、オレンジを買い、丘の道をセッティニャーノの方へむかって行った。
 春にこの道をあるく事は、まったくそれだけのねうちがある。町は遠くなり、もう人家にも人間にも出合わず、目に入るものはただ変化に富んだ周囲の風物ばかりである。緑になった畠、豊かな牧場、厳粛に美しい山脈の姿、その間に異様なヴィンチリアタの城が、瘠せた若い針葉樹林にかこまれて寂しく灰色に立っている。旅人の心は幸福だった。すべての花咲く木々が彼を楽しませ、丘の脊から浮き上がっているすべての糸杉が、その精力的な燃え立つような形で彼をうっとりさせた。しかし最も美しいものを彼は最後に見たのである。
 それはアネモネだった。勿論アネモネはトスカーナの地方にだけ特有のものではなく、どこへ行っても見る事のできる花ではある。しかしここではそれがとりわけ見事に繁茂して、見事な春のすべてを取り集めたよりももっと美しい。碧、赤、白、黄、ライラック色、菫色。彼らは大きな円い花を咲かせて牧場全体をうずめている。実際彼らを見ると、まるで笑っているようだと言える。「見よや牧場は笑うなり!」である。彼らは子供のように目を見はり、正直に喜び溢れて世界を見ている。そして牧場のひろがりを喜ばしい、多彩に織りなされた絨緞じゅうたんにしている。――彼らは初期文芸復興時代クワトロチエントの数知れぬトスカーナの絵画の中に見ることができる。そしてそれらの画の甘美な、子供らしい魅力を高めているのである。
 彼若い異国人は、このアネモネを見るやふたたび恍惚としてしまった。彼は花の中へ飛びこんで両手いっぱい摘み採った。そしてそれを自分の部屋で眺めたりそのうちの幾つかを押花にしたり、乾いたのを母国の家ヘ――「花の都チツタ・デイ・フイオーリ」からの挨拶として――送ってやったりすることを、もう今から楽しみにしていた。
 彼はなおも道をすすめて、ヴィンチリアタヘは立ち寄らずに、ひたすらセッティニャーノヘとこころざした。異常な温気うんきと節々をゆるませるような春の霞は、ついに彼をおとなしくさせ、疲れさせた。セッティニャーノの手前まで来ると、花をかかえた一人の少女が彼に走り寄ってしかん来た。
「お召し下さいブレンダ、お召し下さいブレンダ、旦那さまシニヨーレ!」
 彼は自分の持っている花束を、反対に少女の前へ突き出した。と、その時初めて、それがしおれているのに気がついた。それで残念そうに自分の花束を投げ捨てると、少女から花を買い取った。
 それから半時間後に、同じ道を二人目の旅行者が大股にあるいて来た。これもやはりドイツ人で、ただ前のよりもいくらか歳をとっていたが、あれほど興奮はしていなかった。太陽も彼を疲労させはしなかった。メディチ家の名も彼には反響を起こさなかった。古い「祖国の人」から公爵一門の名にいたるまで、彼はよく知っていた。かつては彼もそういうものに夢中になったことがあったが、その後は色々なほかの事がもっと重大な意味を帯びてきたのである。
 とはいえ彼はこの美しい春を、あの若者よりも愛さないわけではなかった。彼はここにあるすべての丘やすべての小径を知り、そのすべてをしばしば訪れ、どの小さい胸壁の上ででも暑い孤独の休息をとったのだった。またどんな農場、どんな十字路、どんなオリーヴ園でも彼の知らない処はなく、何らかのささやかな思い出に結ばれていない処もなかった。
 彼もまた自分の最愛の花であるアネモネを見た。そしてその幾千という花が、今やふたたび異国人らに摘まれたり踏みつぶされたりすることだろうと考えた。彼は温かいまなざしでその花たちに挨拶をおくり、会釈をあたえた。
 セッティニャーノの近くへ来た時、枯れしぼんだ花束が道に落ちているのを彼は見た。彼は憤懣を感じて罵った。
「悪者めが、なんという可哀そうな事をするんだろう! あいつらはフラ・アンジェリコには夢中になっても、花に対してはまるで野蛮人なのだ!」
 彼はすでに数歩先をあるいていた。しかしまた後戻りをして道に落ちている花束を拾い上げ、その中にまだしおれていないのが残っているかどうかを調べてみた。否、みんな駄目になっていた。
 彼はふたたび花束を捨てようとしたが、思い直して次の橋のところまで持って行き、冷めたい小川の中へそれを投げこんだ。花束はほどけて、しおれたアネモネは一本一本になり、ゆっくりと川下のほうへ流れて行った。彼はそれを見送りながら、もう一度ひそかに旅行者を非難した。
「あの上のほうにはまだ何千となく咲いているではないか」。彼はそんな返答を自分の心の中に聴いた。
 その時、彼は非難の思いをこめて流れ去る花を指さした。そして一瞬のあいだ、自分がまったく一人きりである事を忘れていた。
                               (一九〇一年)

 

 

 

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 碧い遠方

 子供のころ、私はしばしば一人で高い山の上に立った。そして眼は遠いかなたを、そのうしろに世界が深遠な碧い美となって沈んでいる、最も遠い柔らかな丘の上にきらきらと光る霞を、いつまでも見つめていた。私のいきいきと渇望にみちた魂の愛はすべて一つの大きな憧れの中に溶けこんで、私の眼をうるませた。そしてその眼は、なごやかな遠い青空の色を夢みるように飲むのだった。近くに横たわる故郷の土はいかにも冷めたく、いかにも堅く鮮かすぎて、まるで雰囲気も秘密もないもののように思われた。そしてあの向こうのほうでは、すべてが実に柔かに鳴りひびき、美しい調べと謎と誘惑とに満ちあふれていた。
 それ以来私は一箇の漂泊者となった。そしてあの薄靄に包まれたすべての遠い丘の上に立った。その丘々もまた冷めたく堅く鮮かだった。しかしかなた、もっと遙かなところには、またしても幸いに満ちた碧い遠方の風景が予感に溶けて横たわっていた、――更に一層けだかく、更に一層あこがれの思いをそそるように。
 それからもなおしばしば私は彼らの誘惑に出会った。私はそのまどわしに抵抗しなかった。彼らのうちに故郷を感じ、近い目前の丘にたいして他郷の者となった。そして今私はそれをこそ幸福と呼ぶのである。かなたへと身を傾けること、広々とした夕暮のおちかたに碧い平原をみとめること、そして冷やかな近隣の地をしばしば忘れ果てること、それこそは幸福である。それは私が少年時代に考えていたのとはいくらか違った、何かしら静かなもの、何かしら寂しいものであって、美しくはあるが、笑いさざめくそれではない。
 自分の静かな隠栖の幸福から、私は次のような智恵を学んだ。それはあらゆる事物の上に隔たりの綿毛を残して置くということ、何ものをも日常平凡な接触の冷めたい無残な光に当てないということである。そしてすべての物に軽く、そっと、注意ぶかく、うやうやしく触れるということである。あたかも金箔を置いたものに触れるように。
 どんなに貴重きわまる宝石でも、ぞんざいにされたり乱暴に取り扱われたりして、なおかつその貴さの輝きを失わないほど文句無しに美しいという物はない。またそんなに高貴な天職もなければ、そんなに豊かな詩人もなく、そんなに恵まれた土地もない。そこで次のような事は、努力し甲斐のある技術のように私には思われる。すなわち、われわれが遠くにある消えがちな美にたいして惜みなく与える敬虔や愛のまことを、ひとしく身近な、馴れ親んでいるものにも注ぐということである。朝の太陽や永遠の星に変りなき敬虔の思いをささげる一方、物を大切に扱い、柔らかく物に触れて、存在する一切の物からその固有の「詩」を奪いさえしなければ、われわれは最も身近なものや最もささやかなものに対しても、優しい匂いや輝きを賦与することができるのである。すべて乱暴に扱われた物はにがにがしいものとなり、扱った人間の品位をもおとしめる。賓客として招かれた異国人のように扱われた物は、われわれにとって依然その真価を失うことなく、また一層われわれを高尚にするのである。
 この事をよく学ぼうとするならば、欠乏の学校に学ぶに如しくはない。君は君の土地に満足できないというのか。もっと美しい、もっと豊かな、もっと暖かい国を知っているのか。そして君はその憧れを追って旅に出る。君はもっと美しい、もっと日照り輝く別の国々を漂泊する。君の心は晴ればれと打ちひらけ、一層なごやかな大空が君の新らしい幸福を被うだろう。それこそ君にとっての楽園だ。――しかし待つがいい、それを褒め讃える前に! もう二年か三年、最初の歓喜が消え、最初の少年時代が過ぎ去るまで、ほんの僅かばかり待つがいい! そうすると時が来る。そのとき君は山へ登って、その下に君の昔のふるさとが横たわる大空のありかを求めるだろう。なんとそこでは丘々が柔かく緑だったろう! そして君は知り、かつ悟るだろう。そこに今もなお君の幼年の日の遊戯の庭や家があり、そこに君の少年時代のあらゆる聖なる思い出が夢み、そこに君の母親の墓が横たわっているということを。
 こうして君にとって古い故郷は欲せざるに親しくて遙かなものとなり、新らしい故郷はよそよそしくてしかも甚だ近いものとなる。そしてこのことは、われわれの哀れむべき落ちつきなき生活の、あらゆる所有と慣れとによる真実なのである。
                                (一九〇四年)

 

 

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 秋が来る

 窓の前につめたい黒い雨の夜がよこたわり、止む間もないしめやかなリズムで屋根を叩いているあいだ、私は色さまざまに誘う秋の思いにわが満たされぬ心を慰める。それは清らかな、薄青い、金色こんじきに澄んだ空や銀いろの朝霧や、青いすももや葡萄の房や、赤い林檎や金いろのかぼちゃや、秋色を帯びた森や、大市や、葡萄の収穫祭などに寄せる思いだ。私はメーリケの詩集を取りだして、その柔かに光を放っている「九月の朝」を読む――

  世界はなお霧の中に憩い、
  森と牧場とはなお夢みている。
  しかしやがておんみは見る、
  その薄絹の落ちるとき、
  つゆ粧よそおわぬ青空を、
  暖かい黄金こがねの色に溶けながら
  秋に力づよく霞んだ世界を。

 私は低い声で目の前にある巨匠の詩句を読み、明るく澄んだ古い葡萄酒をゆっくりと啜すすりこむように、それを私の身うちに浸みわたらせる。その詩は美しい。それは私を喜ばせる。そしてそれの描いている秋は何かしら美しいものであり、優しいものであり、満ち満ちたものである。しかし私は秋を楽しまない。それは私の決して楽しむことのない唯一の季節だ。
 そしてその秋はすでに来ている。今はもう夏ではない。畠は空虚になり、牧場の上には軽い冷めたい金属的な靄がよこたわり、夜はすでに冷えびえと、朝は霧がたちこめる。そして私か美しい楽しい山歩きの道すがら、牧場の急斜面で今年最初の薄桃いろの犬サフランを見つけたのは、ついきのうの事である。その花を見て以来、私の夏の元気は打ち砕かれてしまった。めぐる一年のうちで私にとって最も美しい季節が、こうしてまたもや過ぎ去るのである。
 それでもなお昼間は暑く、木々は緑に、まだ湖水での水浴びもできれば、腕を捲まくって庭の中にすわることもできる。それにしても一年の盛りの時は歩み去ったのだ。人はそれを目に見るより先にもう心に感じている。最後のほんとうに夏らしい幾日幾夜、私にとって一年じゅうの最も高価な時は、それ自身のうちに無常なものの、忽ちにして過ぎ行くものの匂いを持っている。そしておそらくはその匂いこそ、昼と夜とをかくも美しくするのである。こういう幾日かは一つの祭であり、別れの祭であって、その祭は永く続くことができないのである。
 夏は逝く、夏は逝く! 冷えびえとした幾夜、雨の幾日、濃密な霧の幾朝。そしてあたりは急に秋の色を帯びてきた。空気はよそよそしく透きとおり、空の青さは明るくなった。鳥たちは作物のなくなった畠の上に群れ騒いで、渡りの旅の準備をしている。早くも熟れたくだものが毎朝の濡れた草の中によこたわり、木々の枝は小さい秋蜘誅のほそいきらめく網に被われている。湖水で水を浴びることも、草の中に寝ころぶことも、もうじきにできなくなる。ボートの夕暮、庭での食事、森の朝や湖の夜ともおさらばだ。そして戸外では陰欝な一晩じゅうを、執拗な雨が冷めたく容赦なく降りつづく。これが毎年の秋の歌、避くべからざる老衰と死滅の歌なのだ。私は不機嫌になり、舌打ちをして窓を締め、葉巻に火をつけて、寒がりながら部屋の中を往ったり来たりする。
 毎年のように、この頃になると、誘惑的な旅の計画が再び私の前に立ち上がる。もっと暖かい国々や鉄道や船があるのに、どうして秋をのがれたり冬を縮めたりしようとはしないのだろう。私は思いに耽りながら地球儀を持ち出し、さらにイタリアの地図を拡げて、ガルダ湖や、リヴィエラや、ナポリや、コルシカや、シチリアを探がす。こんな処でクリスマスまで時を過ごすことができたら! 青い海辺の日に照らされた岩浜の道、南イタリアの沿岸汽船や漁船のなかでの屈託のない時間、深遠な正午の青空の中に憩っている荘重な椰子の梢。毎年秋になる前に南のほうへ数マイルの旅をして、それから日に焼けて冬の最中に、わが家の炉辺の安楽へと帰って来ることは悪くなさそうだ。地図の下のほうには、美しく横たわった都会や村々の美しく響く名がむらがっている。そういう処を私はまだ知らないが、いずれも私に幸福と飽満との日々を約束する土地である。そして地球儀の上で測ってみると、全旅程が驚くほど短かくて僅かなものだという事がすぐわかる。おそらく私は暖気を追いながらさらに進んでアフリカへ渡ったり、コンスタンティーヌかビスクラヘ駱駝らくだ旅行を企てたり、黒人の音楽を聴いたり、トルコ珈琲コーヒーを飲んだりする事もできるであろう。
 こうした計画が空虚な夕べをなんと美しく満たすことか! 一枚の地図と、二三冊の古い旅行案内と、一本の鉛筆と。――なんと人はこんな物で時をつぶし、不満を忘れ、激しくそそり立ててくる心象をもって空想を満たし得ることだろう!
 毎年のように、この頃になると、私は地図の中から温暖で華麗な地方を探がし出して、航路や旅費の研究をする。しかも相変らず私はここにじっとしていて、旅をしないのである。こんなふうに私を引きとめるもの、それは奇妙な羞恥の感情である。私には、自分が美しい季節を享楽したあとで、きびしい季節から逃げ出そうとするのは不当な事のように思われるのである。温暖や色彩の幾月かのあと、快適と美と強烈な感銘とのあとで、疲労して、寒気と休息と制約とに憧れるのは、おそらく自然の正当な要求にほかなるまい。一年じゅうが夏でないかぎり、それを人為的に不必要に延長することは望むべからざる事に属する。  
 不決定と不満の幾日かを過ごしている間にこの考えが力を得て、やがて秋は私にとって楽しいものに思われてきた。私にとって楽しく、また私が感謝を負うている、かくも多くの事物に対して別れを告げねばならないような、そんな旅立ちなどをどうして考えることができるだろう。庭園での最後の喜び、草原の最後の花、わが家の軒下に巣くう燕、満ち足りてよろめきながら野の上を風にひるがえる最後の蝶。私はその一つ一つを改めて注意ぶかく眺め、それがその種類の最後のものではあるまいかと懸念する。それにまた私と世間とをつなぐあの旧式な小蒸汽も、間もなくたまにしか来なくなるだろう。十月からは日に一回となり、冬の最中には時どき姿を見せない事さえある。燕、野の花、蝶、蒸汽船。これらはすべて私にとって楽しいものであり、この一夏を通じて幾多の喜びを私にもたらした者らである。私はもう少しのあいだ彼らを引きとめて置きたい。そして彼らすべてが行ってしまう前に、もう一度はっきりと自分の物にしてみたい。私はなんという愚か者だったろう。そんな楽しみや喜びがあったにもかかわらず、なんと多くの夏の時間を家の中や机の前ですわり暮らし、なんと多くの夕暮や暁をむなしく逸したことだろう! それならばお前たち、楽しまれなかった幾日よ、今こそ他の一切よりも美しく貴く見えるお前たちよ、おさらばだ!
 別れを告げた後でもなお、迎えられなかった秋のもたらす新らしい物が貴重なものとして現われる。銀いろをした霧の薄絹。木の葉の中の鳶いろや笑っている紅べにの色。熟れた葡萄。いっぱいの果物籠。家の中のランプの光のそばで始まる夜の団欒だんらん。湖や空間が鳴りはためき、無言の森羅万象が叫びを上げる、思量を絶した囂々ごうごうと壮大な嵐の日。今やまた毎日の敬虔な楽しみのように、昼前には太陽と霧との戦いくさごっこが演ぜられ、陰気に揉みあう雲の往き返りや堂々と晴れやかな光の勝利がおとずれる。そしてやがて十月が来て葡萄摘みが始まったらば、私たちは一日をも、また一ターレルをも惜しむことなく、新らしい酒の大きな壺のかたわらで、老いてゆく一年が私たちにもたらした幾多過分な喜びや、求めずして見出された楽しみを感謝をもって記念したいものだと思う。  
                               (一九〇五年)

 

 

 

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 ゴットハルトにて

 今までにも私はたびたび山へ行ったが、今日までにまだ四度しか犬鷲を見たことがない。その最初の時は、私はまだほとんど子供だった。そして銀いろの空中高く大きな鳥がしっかりした美しい弓がたを描きながら飛んでいるのを認めて、それを犬鷲だと人から言われた時、私の胸はどきどきした。そしてその王者のような浮揚の姿に一つの歌、一つの象徴を見出しながら、燃えるような目でそれを追って永く記憶にきざみつけた。それ以来、私は山をおとずれる度ごとに必ず彼の姿をもう一度見たいという密かな憧れを心にいだき、山道を歩きながら、半ば期待をもって百度も空を見上げたのだった。この期待はほとんど満たされる事がなかったが、それでもなお弱まりもせずに生き生きと私のうちに残っていた。この世には、私か息もつまるような生の逸楽や最も望ましい地上的な喜びと結びつけて考えている、いろいろな事柄だの憧れの対象といったものがある。そしていろいろ有る中に、次の三つのものもそれに含まれている。すなわち、星の照り輝いた高山の冬の夜、ヴェネチアの瀉ラグーネの夕暮の舟行、それに高山での犬鷲の観察である。失望と心配事とが私を疲労させ、空虚な醜い一日が私を不機嫌にしたり活気のない者にしたりする度ごとに、私はいつもあの鳥の姿へとのがれて行く。そしておおかたはそれが単なる願望として、或いは満たされないものとして残るとしても、なお且つ私の欲求はそこに確乎として汚れなき目標を発見して、すでに半ばは癒やされるのである。
 最近私は一週間ばかりチューリッヒに滞在した。其処で長い冬を中断し、もう一度文化の空気を吸い、いろいろな人に会い、時代人としてのおのれを感じるためにである。それは美しい充実した毎日だった。私は新らしい絵画を見、ベートーヴェンやモーツァルトやフーゴー・ヴォルフを聴き、親しい画家や詩人や編集者たちと往来し、人ごみの街路や疾走する車や美々しく着飾った女らを見、夜は活潑な談話をかわしながら酒を飲んだ。私は立派な店でいいサーヴィスをされて満足を感じ、もういちど快適にさばさばと髭を剃そらせ、豪勢な蒸風呂に入り、そして夕方になると、フランスやイタリアの新聞があったり、優雅な客が来たり、仕事に熱心な給仕がいたり、上等な球突台のあったりする、一軒のよく繁昌するカフェーへ行ってすわった。同時に私は、この都会の人々にはもうとうに陳腐なもの平凡なものと化している一切を、自分が腹の底から本気になって享楽している事に気がついた。そしてこれらの日々を通じて、私はこの都会でおそらく最も満足している人間であったに相違ない。
 その週も終るころ、今度の旅行はこれで充分だ、今やふたたび家に帰って湖と森との間にすわり、馴れたベッドに眠り、もういちど仕事のことを考えるべき時が来たというように私には思われた。人々も初めの頃ほど立派には見えなくなり、活潑でもなければ機智に富んだものでもなくなった。それに此処での毎日の芸術的な享楽を今では静かに味わい返したい欲求が私のうちに目ざめて来た。なぜかと言えば、その享楽の感銘はすでにいくぶん混乱を来たし、またいくぶん色褪せはじめたからであった。さあ、それならば帰るのだ!
 しかし一週間ものあいだチューリッヒ湖のむこうに青白い静かなアルプスの山々を眺め、しだいに疲労と倦怠とを覚えてくるにつれて、もう久しく犬鶯や高山の冬の夜の歌に接することなく生きていたという考えが強く私の心によみがえった。旅費はまだ二日や三日分は充分にあった。そこで私はこれまで急いで通過する以外には冬の季節にまだ一度も見たことのないゴットハルトへ、手っとりばやい小旅行を試みることに決心した。雪ゲートルその他冬に必要な物も持っていたので、あとは切符を買って汽車へ乗りこみさえすればよかった。
 それは陰気に曇った日で、汽車の窓からはごく近くに立っている樹々や、丘や、家々のほかには何一つ見わけがつかず、すべてはただ冷えびえとした純潔な雪の光を吸った青白い雲霧の中に溶けこんでいた。私はツーゲル湖が姿を見せないので変だと思ったが、やがてその湖が凍結して雪に埋もれているのに気がついた。私はいらだたしい気持で太陽のきざしを待ち、霧の裂け目の現れるのを待った。アルトでも、ブルンネンでも、フリューエレンでも私はそれを待ち望んだ。そして正午ごろにエルストフェルトを通過したが、汽車は相変らず雲と薄明との中を走りつづけているので、私は信念を失いはじめ、上の方ではきっと雪と曇天とに出あう事だろうと観念してがっかりした。私がこんなにも注意力を緊張させて、このすばらしいゴットハルト線を登ったことはついぞ無かった気がする。しかしアムステークも霧の中、グルトネレンも霧の中、胆きもを冷やすようなロイスの橋も霧の中に横たわっていた。そしてワッセンも過ぎ、其処でもなお陽の目を見ることができなかった時、ついに私は望みを捨てて座席の中へ沈みこんでしまった。山というものはいつ見ても美しいし、私としては時には霧さえも喜んでうけ入れるが、アルプスでの晴天の日がどんなだかを知っていて、しかも二日か三日しか余裕のない時、むなしく青空を待つというのは何としてもやりきれない事である。
 そのうちに汽車がワッセンの上手で螺旋ループトンネルを抜けると、もやもやした霧と灰白色の雪の光との中で、とつぜん私は青空と太陽とが見られるだろうという予感に打たれた。私は急いで立ち上がり、窓をあけて空のほうをうかがった。そこには斜めに雪の掻き傷のついた一つの高い岩壁が雲の間から赤みを帯びてのっそりと不安定に浮かび出し、それがしだいに明るくなり、しだいに近寄って来たかと思うと、そのうしろに又一つ、更にむこうに三番目のが姿を現わした。一陣の強風が高みから吹きおろして来て、雲のぼろきれが薄くなり、幽霊のように消えて行った。そして山地全体は見る見るうちにヴェイルをぬぎ、透明な柔かな空気の中で笑いさざめき、日光に照りかがやき、その上方に澄んだ、静かな、ほとんど菫すみれいろをした大空をいただいていた。或る深い喜びの感情が私をおそい、これと似た数知れぬ山の日のことが金色を帯び、光を放って、それぞれが一つの宝となって私の思い出のなかに目をさました。私はもう犬鷲のことも月夜のことも考えていなかった。ゲッシェネンで子供のように身軽く車から飛び出すと、青い壮麗のなかへ走りこんだ。
 すべての山稜や頂きは、選ばれた冬の日だけに見られるように、菫いろをした長い影と輝く雪原とをともなって、驚くほどくっきりと間近にそばだっていた。程よい南風フエーンが吹きわたり、日光を吸った空気は春のように暖かだった。むかし幾多のさすらいの日にしたように、私は又もしばしば静かに立ちどまって周囲の風景を見廻しながら、このすべてが魔術であって、今にもとつぜん消え失せるかも知れないのだと思った。そして珍らしくも幸福きわまる、ほとんど不安とも言うべき旅の感情、かくも光に満ちた地上を二度とお前は見ることは無いのだ! という感情に、又してもとらわれてしまうのだった。木橇きぞりに掘り返され、或る所では白く磨かれ、或る所では全く吹きだまりになった、高さ約一メートルの氷った雪におおわれた街道を、私は吹きすさぶ風に逆らいながら、山のほうへ、シェーレネンやトイフェルスブリュッケ(悪魔の橋)のほうへ登って行った。この有名な立派な街道と、荒々しいロイスの谷のこの部分全体とは、夏見た時よりも冬のほうがはるかに美しい。そして雪にうずもれた峡谷の中、ところどころ口をあけている青みがかった堅い氷の層の下を、若々しく吼えたけりながら流れ下っているロイスの水は正に一篇の童話であり、白い死の静寂の中でのただ一つの生である。トイフェルスブリュッケの上手にある小さい滝は、言わば水のしぶきが作った氷の天蓋だが、無数のグロテスクな尖頭で飾られて、一見宙に浮いているように見えた。
 アンデルマットの手前の天気境界は一つの体験だった。荒涼として厳烈でひゅうひゅうと風の吹きまく峡谷から、ひとたび街道を被うている短かいトンネルをくぐり抜けると、私は真白なまばゆい太陽の国へおどり出た。広々とした高地の谷は暖かくかがやき、行きどまりの絶壁は薄青い影につかり、黒いランゴバルデの塔の見えるしんとしたホスペンタールの村は高い雪の壁のあいだに小さく暗く眠っていた。私の目は左手に、風に吹き消された、そして幾月ものあいだ雪にとざされているフルカ街道をさがした。アンデルマットでは人気のない閉鎖された観光ホテルが異様な姿を見せて、一階の窓のところまで雪にうずもれ、その雪の中から庭の鉄柵の先端だけが突き出ていた。私は「クローネ」という家で一杯のコーヒーを飲み、約七十年前にその頃の持主であるコルンバン・カーメンチントが築いたという石組みのストーヴで暖まった。彼とその妻君との名が中央の板金に古風な書体で書いてあった。
 夕暮が近づき、雪が赤みを帯びて光りはじめたので、私は帰路についた。と、オーベルアルプ街道のいちばん高い曲り角へ出たとき、山の上の空を一羽の鳥の舞っているのに気がついた。それは大きな、静かにゆっくりと旋回している犬鷲だった。私は立ちどまって、ほとんど忘れていた自分の望みがはからずもかなえられた事に驚きながら、永いあいだその姿に見入っていた。そしてこの上は澄み晴れた月の一夜をもまた見損なうことはあるまいと思った。なぜならば南風フエーンは程よい強さで相変らず吹きつづけているし、おまけに南のほうには春りんどうの花のようなきれいな青空が見えていたから。
 渓谷をくだってゲッシェネンヘと向かう帰り道は大した労働でもなかった。「レスリ」という家で葡萄酒と食事とを持って来させてしばらく休んでいると、夜の一時ごろ、けわしい山稜の上にまだほとんど満月かと思われるような月がさしのぼった。そこで私はゲートルを巻き、親指だけ分かれた手袋をはめ、眠りこんでいる部落を通りぬけ、古い小さいフルット教会堂のわきを過ぎ、狭い枝谷をよこぎって、驚くほど静かな道を、ダンマ氷河とゲッシェネン放牧地アルプのほうへ歩いて行った。私は目あてもなく骨も折らずに、道の許すかぎり歩みをつづけた。そしてやがて疲れてきた時、再びゆっくりと引き返した。柔かい雪道の上では自分の足音も聴こえず、また聴こえてくる何の物音もなかった。見上げる高みには雪に被われた氷河が、夜の青い空にむかって鈍い光を放っていた。白々とした月光は谷を満たして、私がフルットで雪面へ現われた貧しい碑の文字を読むことのできたほど明るかった。この近くの或る場所でなだれに打たれて死んだ子供のために建てられた碑である。夜の天空には無数の星が大きくきらきらと輝いていた。そして私は彼らの光や、白くほのかに明るかった月下の世界や、かすんだ峯々の沈黙のことなどを決して忘れはしないだろう。
                               (一九〇五年)

 

 

 

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 秋

 満ち足りたような、ほんのりと陽の射した十月の或る日、丘のほとりでは葡萄園が金色にかがやき、森は木の葉の力づよい褐色の金属的な色調にたわむれ、農家の庭には白や紫、一重や八重、あらゆる種類と色彩とのえぞぎくが咲いていた。村々を通ってぶらぶら歩くことは楽しかった。そしてあの忘れがたい数日間、私はその頃の愛人と腕を組みあってそういう遠足をしたのだった。
 どこへ行っても熟した葡萄だの新らしい酒の匂いだのが漂っていた。人々はみんな戸外で収穫や圧搾にいそしんでいた。急斜面の葡萄山には腕まくりをした男たちや、はでな色の上着に白や赤の頭巾をかぶった主婦や娘たちの働いているのが見えた。老人連は家の前へすわって日なたぼっこをし、皺のよった鳶色の手を揉みながら美しい秋を讃えていた。
 もちろん、昔にはこれとは全く違った秋もあったろう! 七十歳の老人にはただ黙って耳を傾ければいいのだ。彼らは、今どきにはとうてい見る事のできないほど葡萄がたくさん取れて、それが蜜のように甘かったという、まるで夢のような話をまじめに、教訓するようにして聴かせるのだ。老人には話させておくがいい。そして密かにその半分を割引きするがいい。われわれにしたところでいつか七十歳か八十歳になれば、この私だって、やはり今年の事をちょうど同じように話すだろう。たとえようもなく美しい金色の風景に囲まれながら及びもつかぬ遠方を眺め、われわれの感謝と、われわれの老境の悲哀と、われわれの青春への郷愁とを、われわれの思い出に混ぜ合わせることだろう。
 私たち若い二人は笑いながら、周囲の輝かしさと豊かさとに目をみはりながら、走りまわり、歓呼の声を上げ、また時には沈黙して、山の高みから豊饒な緑のエルザスを眺めたり、平和なラインの流れを見おろしたりした。そしていくつもの牧場の小径や、いくつもの立派な坦々とした国道を、手をとりあって踊るような歩調で進んでいった。摘み取られたばかりの果樹園のうしろでとりいれの銃声が轟き、秋の歓声や長々と引伸ばされたヨーデルの歌が、楽しく生気にみちた地上に花やかに響いていた。
 私たちはここでは青い葡萄をもらい、あすこでは黄いろい葡萄を手に入れ、またここでは一つの林檎を、むこうでは帽子に一杯の胡桃くるみを贈られた。その上ルックサックの中には土地風の酸すい匂いのする黒パンを持っていたので、夜の宿屋で酒や寝床のほかに、なお一皿のスープや一本の燻製腸詰を所望する必要はほとんど無かった。そしてゆっくりとのんきな旅を続けながら、道々自分たちの知っているあらゆる歌を、その文句の楽しいのも悲しいのも一つ残らず歌いとおし、また互いに思いついたあらゆる善い話や下らない話を聞かせ合った。連れの少女は得意になって滑稽なエルザス訛りのフランス語を真似まねた。そして私はルックサックの中に職人徒弟歌謡集という一冊の古い小型本を入れて来たので、休憩の場所で時どきその中の少しばかりを読んで聞かせた――

  おらが長靴直しにやった
  あのフランスのパリーには、
  楽しい事も数々あるが
  悲しい事もうんとある。
  それ、おらが弟のシュトラウビンガ、
  奴やつはあすこで死んだもの。

 コルマルの近くで私たちは一人の楽しそうな老人が道ばたに腰を下ろしているのに出逢って、その老人と話しこんだ。彼は自分の息子と三人の孫たちとがとりいれに働いている葡萄山にいたのだが、そこでのゆっくりした休息に満足して、今その年老いた足を運んで、おりからの金色に輝く十月の日の暮のなかを、彼の村の家へ帰ってゆく途中だということだった。老人は昔のことを気軽に話してくれたが、そのうちだんだん話に身が入ってきた。私たち若い者は喜んでその話を聴いた。なぜならば、この老人はいろいろな事を知っていた。野や、道や、丘や、橋などの土俗の名に通じていたし、その上、古いのや新らしいのや、伝説的なのや当世実話風なのや、ほんとうにたくさんの話を知っていた。
 私が今年の葡萄の収穫についてその見込みをたずねると、老人は片方の目を細くして、そして言った、
「悪くはありません、旦那。まったく悪くはありませんよ。それどころか、たいへん良いと言ってもいいくらいです。しかしフリーガーの秋の収穫と較べたらそれでも僅かなものですよ」
「それは何ですか」と私は聞いた、「そのフリーガーというのは」
「ではお前さんがたはあの話をお知りなさらないのかね、お二人とも。そうするとフリーガーの御堂も知ってはいませんね」
「知りません。それはどういう事なんですか」
 「そうですか。それじゃあ、それ、その向こうに見えるいちばん近い葡萄山のうしろに、小さい御堂が一つ立っていますがね、それをこの土地ではフリーガーさんと呼んでいるんです。たぶんお前さんがたも其処をお通りなさるだろうと思うけれど」
「もちろん行って見ますとも。で、その話というのは」
「これはまあ全くの言い伝えなんですがね。あの向こうに見える処は、ずっと昔からもすっかり葡萄畠だったのです。そうして二三百年まえ、あすこに一人の葡萄作りが住んでいて、今ちょうど御堂の立っているあたりの葡萄山がその人の持ち物でした。その葡萄作りというのは至って正直者で、勤勉で、信心ぶかい男でしたが、このあたりで一番いい葡萄を育てて、毎日その中へもぐりこんでは、父親が子供たちを可愛がるように、どんな株でもまごころこめて世話をしたものです。それに運もよかったし、実直に働きもしたので、かなり裕福になりました。なんでも聖母さまがその男には人一倍お恵みをお垂れなすって、その葡萄山には特別に目を掛けておやりなすったという事でした。
「こうして永年ずっと働いているうちに、その人もだんだん年をとってきました。たぶん今の私ぐらいでしょうか。もちろん、私は自分をその人と較べようなどとは夢にも思いませんがね。
「そんなふうにすっかり年はとったものの、まだ体力はあったので、葡萄山の仕事は何もかも自分一人でやって、誰の手も借りませんでした。そのうちに、後にも先にも見たことのないようなすばらしい年がめぐって来たのです。冬にも霜がおりず、夏はひでらず、秋はお日様がたっぷり当たって雨も少いという年がね。何から何まで驚くほど良く育ったが、中でも葡萄の発育がよかった。そうしてこの老人の葡萄山のがいちばんよく育ったのです。
「それで老人も一生懸命に仕事にはげんで、朝早くから夕方晩くまで働き、毎日すべての世話がよく行届いて事がちゃんと運ぶまでは、どんな苦労も骨折りもいとわなかったのです。そうして、今までに見たこともないような葡萄の発育ぶりを、びっくりして眺めたというわけです。何しろお日様といい、雨といい、すべてのお天気仕事がのこらず順調で、丈夫な葉の下では粒がゆっくりと大きくなってゆくのでしたからね。
「やがて秋になると、老人は毎日欠かさず自分の山へ出かけては蔓から蔓へと見て廻りました。その蔓には見事な申しぶんのない房かぶらさがって、時節の来ないうちに茎から落ちたり腐ったりするのは一つだって無かったのです。それで老人はたびたびお祈りをしたり、聖母さまにお礼を申し上げたりして、自分の葡萄の木を信心ぶかく眺めました。そうして時どき言ったのです。こんなにたくさん年をとった私が、こんなすばらしい秋に死ぬことができたら、これ以上ありかたい事はない。なぜと言って、これ以上美しい年にはもう二度と会えっこはないだろうから、
「そのうちに房は色づいてきて、それからだんだんと熟れ始めました。葡萄作りは大喜びで、すっかり熟れるのを辛抱づよく待ちながら、一粒だってためしに摘んでみるような事はしませんでした。しかし日数もたって、やがてみんなが一番葡萄を摘みに出かけると、老人も大きな籠をしょって、喘あえぎながらゆっくりと自分の山へ登って行きました。そうしててっぺんの処でまず帽子をぬいで、神さまと聖母さまとにお礼を申したのです。
「それから老人は楽しそうに、いちばんふとった木を探がし出して、その中からいちばん重たくていちばんよく熟した房を見つけ出しました。そうして注意ぶかく切り取ると、それを日に透かして見ました。それから大きな金いろの粒を一つ味わってみたのです。
「それはほんとうに甘くて、燃えるようで、長い一生のあいだに一度も味わったことのない程の味でした。そうしてその甘味あまみが老人のからだに浸み渡ると、何か不思議な喜びの力がこの老人を空中へ浮かび上らせました。老人は空を漂いながら天へ消えていって、もう二度とその姿を見ることはできませんでした。ちょうどその場所へみんなが御堂を建立して、フリーガーさんと呼んでいるというわけなのです」
 私たちは感謝をこめた別れの挨拶をして、この秋の物語を味わい返しながら道を進んだ。一時間の後、最後の柔かい夕映えの光の中で私たちは御堂へ着き、その前にたたずんであたりを眺め、そして立ち去る前にそこの敷居の上へ二三本の花を供えた。
 私たちは一言も囗をきかなかった。しかし心の中では二人ともフリーガーの事を考えていた。そしてそんなにも純粋で立派な生活と、そんなにも甘美で軽やかな神から授けられた死とを、心ひそかに願ったのだった。
                              (一九〇五年)

 

 

 

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 菩提樹の花

 ほんとうにもう菩提樹ぼだいじゅの花の咲く時がめぐって来た。そして夕暮がおとずれて暗くなりはじめ、一日の労役がおわると、百姓の女房や娘たちがやって来て、枝のあいだへ梯子をかけてよじのぼり、小さい籠にいっぱい菩提樹の花を摘んでゆく。彼らは後になって誰かが病気で苦しむようなとき、それで薬用の煎じ汁をつくるのである。彼らのすることは正しい。そもそもこのすばらしい季節の暖かさや、太陽や、喜びや、芳香を、どうして利用せずに済ませていいものだろう。われわれが採って家へ持ちかえり、やがていつか寒冷な悪い季節にそこから一つの慰めを得るために、花とか、或いは何かほかの物の中にこのような要素を圧縮して、それを具体的なものとして吊るしておくことにどうしていけないわけがあるだろうか。
 もしもわれわれがこんなふうにすべての美しい物だけから袋いっぱい保存して、貧寒な時のために貯蔵することができたなら! だが、もちろんそれは不自然な匂いを持った不自然な花にすぎないだろう。豊かな世界は毎日われわれのそばをざわめき流れ、毎日花は咲き、光はかがやき、喜びは笑っている。われわれは時には感謝しながら飽きるほどそれを飲み、また時には疲れて不機嫌になり、それについて何ひとつ知ろうとも願わない。しかも有りあまる美は常にわれわれを取り巻いている。喜びという喜びが多すぎるほど与えられて、それがけっして金で買えないというのはすばらしいことである。それは無償ただであり、菩提樹の花の風にほのめく匂いのように万人への神の賜物である。しかし熱心に枝の間にうずくまって採集し、後日それで呼吸困難や熱病のための煎薬をつくる女房たちには、その最善のものや、真に微妙なものを取り入れることはできない。また甘美な息づまるような陶酔にひたりながら夏の夕べを逍遙する相愛の二人づれでさえ、それを自分たちの物にすることはできない。しかしそれを通りすぎながら深々と息をする旅人は、それをわが物とするのである。なぜならば、彼はあらゆる喜びの昧を知っていると同時に、そのはかなさをも知っているからである。すべての泉から飲むことができないということは大して彼を悲しませない。しかしまた物の有りあまった状態にも彼は馴れている。それゆえ、失われた物にいつまでも未練を持つということもなければ、かつて楽しかったすべての場所で根こぎにするように欲しがりもしないのである。世の中には毎年おなじ土地へ出かける遊覧客もあれば、必ずまたじきに来るという決心をしないでは美しい風景と別れられない人も多い。こういう人たちは善い人間ではあろうが、善い旅人ではない。彼らは恋人たちの息づまるような陶酔に似た何かを、菩提樹の花を摘む女たちの細心な蒐集心に似た何ものかを持っている。しかし静かな、まじめで朗らかな、常に別れを告げる旅人の心は持っていないのである。
 きのうここを一人の男が、一人の若い旅職人が通りすぎた。その男は乞食のような気軽さで、花摘みの女や村人たちに一種皮肉な挨拶をした。彼は女房連のいっぱい登っている大きな菩提樹から梯子をはずすと、そのまま行ってしまった。それで私はすぐ自分で女たちのために梯子をかけ直してやって彼らの憤怒をなだめたのだが、それにしてもこのうまい悪戯いたずらが私をおもしろがらせた。
 おお君たち旅の若者、快活な健脚家よ! よしんば私が君たちのうちの誰かに五ペンニヒを恵んだとしても、なおかつ私は最上の敬意と、嘆美と、羨望とをもって、王者を見送るように見送るのだ。君らのうちの最もうらぶれた者でさえ、目に見えぬ王冠を戴いているのだ。君らはすべて幸福者であり、田夫野人のともがらである。私もかつては君たちの同類だった。そして漂泊さすらいや異郷の味がどんなものだかを知っている。それは郷愁や、困苦や、不安を伴っているにもかかわらず本当に甘美なものだ。
 そして蜜のように甘い匂いは、ほの暖かい夏の夕べを、たえず古い樹から道に沿うて流れ出している。子供らは低い水ぎわに歌い、赤や黄色の紙でつくった風車を廻して遊んでいる。恋人たちの組は生垣いけがきぞいに緩慢な悠長な散歩をつづけ、街道の赤みがかった金いろの塵のなかを、蜜蜂や丸花蜂が狂喜の輪をえがき、黄金のような響きをあげて唸っている。
 実際、私は生垣のほとりの相愛の二人づれを、彼らの甘い息ぐるしい陶酔のゆえに羨みはしない。同様に、遊んでいる子供らをその責任のない幸福のゆえに羨みもしなければ、また熱狂している蜜蜂をその酔ったような飛行のゆえに羨みもしない。ただ私にはあの旅の若者が羨ましい。彼らはあらゆる物の匂いと花とを手にするのだ。
 もういちど若くて無知で束縛がなくて、大胆無遠慮に世界のなかへ踏みこんだり、道ばたでがつがつと桜んぼの饗宴を開いたり、十字路で「右か左か」を上着のボタンで占ったりすることができたなら! もういちど旅の道すがら短かい生暖かい花の香のする夏の夜を乾草のなかで眠ったり、もういちど森の鳥たちや、とかげや甲虫どもと、無邪気に仲よく暮らす遍歴時代を持つことができたなら! ああ、それはまさに一夏ひとなつを捧げ、一足いつそくの新しい長靴の底をへらすだけの値うちのあることだろう。しかしそんなことはもう有り得ない。古い歌を歌ったり、古い旅行杖をふりまわしたり、古い懐かしい埃ほこりっぽい街道を歩いたり、もういちど若返って、すべてが昔のとおりであったらばなどと空想するのは、何の価値もないことだ。
 いや、そんなことはもう過ぎ去ったのだ。それは何も私が年をとったとか、俗物と化したとかいうことにはなるまい! ああ、たぶん私は以前よりも愚かになり放縦になってはいる。そして私と利口な人間とその事業とのあいだには、相変らず何らの理解も生まれず、どんな同盟も成立するに至らない。今でもなお私は、最も窮迫していた青年時代のように、自分の内心に叫んだり警告したりする生命の声を聴いている。そして私はその声に叛そむこうなどという気持は持っていない。だがそれはもはや松明たいまつや歌ごえで、遍歴や友情や饗宴に誘いはしない。反対にその声は低い切実なものとなって、いよいよ寂しく、暗く、静かになりまさる道へと私を連れてゆく。その道が果たして歓楽に終るものか憂愁に終るものかを私は知らない。しかし私はその道を行こうと思うし、また行かなくてはならないのである。
 若いころ、私は大人おとなの世界というものを全く別なふうに想像していた。しかし今となってみれば、その世界もやはり期待であり懐疑であり、不安であって、充足よりも憧憬のほうが多い。菩提樹の花はかおり、旅の若者も、採集する女たちも、子供らも恋人たちも、皆ひとつの掟おきてにしたがい、皆何をなすべきかを知りぬいているように見える。ただ私だけが自分のなすべきことを知っていない。私の知っているのは、遊んでいる子供らの責任のない幸福や、放浪者の屈託のない旅の歩みや、恋人たちの息苦しい陶酔や、花を摘む女たちの注意ぶかい蒐集心が、自分には与えられていないということだけである。そして私に与えられているのは、自分の内心に叫ぶ生命の声に従うことであり、たとえその意味と目的とを知ることはできなくても、またたとえそれが楽しい道からしだいに暗黒と疑惧との中へ私を導いてゆくとしても、結局それに従わなくてはならないということである。
                               (一九〇七年)

 

 

 

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 ファードゥッツ

 私たちは四日か五日ばかりゼンティスの地方を歩きまわっていたが、もうそろそろ家へ帰ることを考える時が来たように思われた。それで或る美しい山の上から眼下に横たわるラインの渓谷をもういちど眺めながら、それを地図と照らし合わせているうちに、私はそこにファードゥッツという地名を見いだした。その名は私の耳に美しく不思議に響いた。そしてそのファードゥッツについては今までにも時どきその有名なことを聴かされていたのを思い出し、またいつだったかチューリッヒの湖畔の宿で、ファードゥッツ産の赤葡萄酒というのを飲んで、それがかなり旨かったことも私の記憶によみがえった。ああ、そう言えば、あの死をよそおったジーベンケースも、ファードゥッツにその隠れがを見いだしたのではなかったか。
 これに反して、私の友達はこの土地について何らの知識も持っていなかった。そこで私たちは次の朝早くガイスを過ぎ、戦争記念堂のあるシュトースを過ぎて、アルトシュテッテンへと向かって行った。ラインの谷は白い霧でいっぱいだった。私たちは気持のいい朝の道を楽しみながら、いよいよ深くその明るみの中を進んでアルトシュテッテンに着くと、そこからブクスまで鉄道を利用した。
 ファードゥッツには正午に着いた。霧はもうよほど前からちりぢりに裂けて風に吹き払われていた。私たちは一軒の信用のできる古い料理店のある、愛想のいい、さっぱりした小さい町を見た。町のむこうには爽かな色に輝くみごとな濶葉樹林におおわれた嶮岨な山がそばだって、その中腹には、私に南ティロールの城を思い出させる古い城が、寂しく嶮しい姿で立っているのが眺められた。しかしたとえファードゥッツの町や、その眺めや、その城がどんなに美しかったにしても、そういう物を書くのが今の私の目的ではない。私の話したいと思うのは、昼の休息と或る養魚池のことである。
 私たちは森のへりにある古城の近くで昼の休息をとった。この古い城は少しばかり改修されて旅館になるらしかった。新らしい邸宅は森のなかの上手かみてに立っていて、もう何年というもの誰も住んでいなかった。私たちは空家になっているその邸宅がほんのしばらくの間でも、旅の詩人か音楽家か画家たちのために開放されたらどんなにいいだろうと話し合った。しかし結局のところ、城などという物は貴族や城主が住んでこそ至当であり、詩人や楽人はそのかたわらをさすらいよぎり、自分たちがその中に住んで放浪者の美しい郷愁を失うよりは、むしろ羨みや妬みのない夢をたずさえて歩くのが本当だという気がした。それにしても私たちはその公園と森とを、少くとも二三時間はよろこんで我が物としたのだった。広い森の中にほんとうの二人きりで、シャツの袖をまくり上げて柔かい芝生へ寝ころび、空ゆく雲を見上げたりかささぎの群を眺めたりして、美しい旅の最後の日をたのしんだ。時おり古い城から槌の音が響いてきた。そのほかには何の物音もなく、ただ森林がかすかにそよいで、樹々の枝から赤や黄いろの葉を散らしているばかりだった。
 森の中をもっと深く進んでゆくと、路から離れて立っている高い年老いた樅もみの樹の下に、ひとつの大きな暗緑色の池が横たわっているのを見つけた。その静かな暗い水面には水草や樅の針葉が浮かんでいた。私たちは古い囲いの壁が水に映っている岸のところへ寝ころんで、その場所の魔法にかかったような寂しい美しさに満足をおぼえ、一時間ばかり休みながら、何かお伽噺とぎばなしのはじまるのを待っていた。そしてそのお伽噺はじきに始まった。
 それはきわめて小さな、まだ全く若い数匹の金魚が姿を現わして、池の水面で遊戯することから始まった。私たちが身動きもしないでいると、やがてその数はしだいにふえて、ついには群になり、何百という小さな赤みがかった金色の魚が眼前を泳ぎまわった。そのうちにこの金魚たちはどこかへ行ってしまって、水面はちょっとのあいだ空虚になった。ところが今度は一匹の大きな年を経た金魚が現われて、つづいてまた一匹、五匹、十匹と数を増し、ついにすばらしく見事な集団になり、水生植物や垂れさがった樅の梢の影のあいだをあちこちと、きらきら光りながら悠々と泳ぎまわった。それは華麗で巨大で、ほとんど人間の腕ほどの長さをした魚どもだった。そしてその赤い、音も立てない行列が、静まりかえった暗緑色の水を縫って夢のように進むのだった。
 私たちは土地の名所をたずねることも忘れてしまった。古城の内部も、山頂からの風景も、新築の建物も、庭園も見なかった。私たちはその巨大な金魚を観察したり、その中から小さい王冠をつけた王様を見つけ出したり、この静かな行列がそもそもどんな祝祭を、或いはどんな葬礼を意味するのかを考えたりしながら、その午後を過ごしたのだった。
                              (一九〇七年)

 

 

 

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 コモ湖畔の散策

 突風の吹く晴れまと静かに降る雨空とのあいだを、晩い午後がどっちつかずに愚図ついていた。陽気は涼しく、山々からは新らしい青白い雪が見おろしていた。ゴットハルトを越えて来る者にとって、イタリアの地への第一歩はここが最も美しいと思われたので、私はコモで汽車を下りた。山々はまだ近くに連なっているのに、もう予感にみちた憧れをもって、平原や広々とした物静かな豊かさが感じられる。まことに小都会コモは立派な上部イタリア風にしつらえられ、清楚で、裕福で、愛想がよくて、居心地のいい町である。
 ルガーノその他すべての有名な湖畔の小都市とは反対に、コモの町は湖に背を向けている。それで可愛らしい小さい埠頭に立ってさえ、切符をポケットに、巧みに配置された書割りとさしむかいに最前列の席へすわらされて、出し物を結構だと思う義務を背負しよわされるような、そんな退屈な恐ろしい気持を味わなくても済むのだった。コモの唯一つの欠点といえば、上のほうにブルナの集落を載せて、極度に思い上がった殺風景な建物や、「トール」とか「フェルネット・ブランカ」とかいうような、人家ぐらいな大きさの広告文字を並べ立てた急傾斜の山である。こういう物や湖水を背後にして、好ましい活潑な町をのんきにぶらぶら歩いていると、到るところで無数の古い美しい物に出逢いながら、しかもどこにも博物館じみた感じが無いのである。外国人もここでは厚遇されて、不思議な動物のように目をみはられることもなければ、山師の餌食えじきとして引掛けられることもない。そしてもう此処では町なかの生活にもイタリアらしい魅力があって、職人たちは歌を歌いながら屋外で働いているし、足早やの美しい娘たちや女たちは、まるで自分達の森の中にいる元気な小鳥のように、気持のいい往来をさっさと歩いている。見るからに鈍重なところがなく、嬌態にも蝶や小鳥のそれと変ったところがない。
 町なかをぶらぶら歩いて埠頭の広場まで来たとき、天気はなおたっぷり一時間ぐらい持ちそうに思われた。そして折から小さな蒸汽船が準備をおわって出発の汽笛を鳴らしたので、私は桟橋を駈けわたると、どこ行きの船かという事もたしかめずに飛び乗った。船はもともと一つの大きな船着き場にすぎないコモの町のささやかな港を出ると、湖岸の別荘や春の庭園の前を通りすぎながら、広い入江のなかを進んで行った。冷めたい風が狭いデッキを吹きわたるので、数人の船客は機関の近くへ集まって押し合っていた。私は以前からこの湖がほんとうには好きになれずにいる。それはあまりに綺麗すぎ立派すぎるし、おのれの富をあまりに意識的に現わしすぎている。しかもここには、人が湖という物に期待する最も美しいものが、すなわち長閑のどかな、美しくひろがった渚なぎさが欠けている。山々は重苦しくそびえて無残に落ちかかり、山頂は荒涼として草木がなく、山麓は部落や庭園や夏の別荘やホテルなどでぎっしりと埋まっている。すべてが豪勢で間近で派手な現実であり、すべてが囀り歌って華麗と饒多とに光り輝いていて、蘆の生い茂った沼地とか、眠っているような枝垂柳しだれやなぎのひとむらとか、湿めった岸の草原とか、可憐な藪の荒地のような、そんな夢想や予感のための場所などは阿処にも残されていないのである。
 それにしても、嶮しい岸壁へロマンティックに巣くっている部落や、花壇だの遊園地だのボートの船着き場だのを備えた杳貴族的な別荘のとりすました威厳や、荘園や建物の社交的な集まりなどの豊かな美が、またしても強く私の心を引きつけて魅惑した。そういう集落の一つでトルノと呼ばれるのが、或る綺麗な岬の上にじつに優美に孤立して載っているので、私はあやうく船を下りようとした程だった。船は陽気な入江の岸に沿って走っていた。若い山毛欅ぶなの木の薄緑をした林のうしろには、このあたりでは今まで見たこともないような一すじの長い音もない滝が、人目につかずひっそりと、神秘的に白く薄絹のように懸かっていた。トルノの集落そのものは小ぢんまりとして軽やかに岬の丘を登りながら、湖水の方へその愛らしい清らかな感じのする正面を向けていた。幅のひろい平たい石の段々をならべて、水際にボートをつないだ船着き場兼洗濯場、弓がたの門と小さい露台のある緑に被われた家、静かに明るい石敷きの広場と、その背後に見える美しい教会堂の正面と尖塔、若木を植えた優しい半円形の防波壁、それはまさに完璧な、よく調和のとれた一幅の画であって、しまいには、事によると自分が悩殺されてしまいはしないかと心配したほど可憐な一角だった。私は座席にすわったまま、この小さい宝石が通りすぎ、だんだん位置を変えて小さくなってゆくのに任せながら、感謝の心で会釈をし、かろく別れの挨拶を送った。いわゆる「一目惚れ」である。それを私は今まで風景に対してよりもむしろ絵画に、とりわけ建築に対して一層しばしば真実だと思っていたのだが。
 船は入江の対岸モルトラジオでとまった。そして私はこの船がここに一時間ばかり碇泊して、それからまたコモヘ引き返すのだということを知った。それで船を下りると、私は楽しい他国者の気持で村の中をぶらぶらと歩いて行った。手入れの届いた物静かな正面に鎧戸の下りている、一棟のいかめしく宏壮なしんとした別荘のほかには、特別に心を引くものもなかった。私はその別荘の玄関の高い鉄格子のところへ立って、きちんと幾何図形風に造られた、緩やかに勾配のついている庭園を眺めた。小さい楕円形の池のむこうに椿の花が咲き、芝生に青い水仙が咲いていた。そしてその芝生の中を一本の幅の広い堂々とした遊歩道が、上のほうの母屋へと通じていた。
 それから私は足を進めて、最初の小径を山のほうへ向かって行った。道は無数の石段になって、果てしもなく続く高い石垣のわきを通っているが、その石垣のむこうの小さい台地の上には、背の高い糸杉が整然と並んで立っていた。やがて家並が現われて、近くの路次ろじから伝わってくる漠然とした人声にまじって落下する水の音が聴こえるようになると、道幅は前よりも狭くなり、暗い屋根の下を通って教会堂の小さい前庭へ出た。私はその会堂へ入っていった。中には人影もなかった。私は好ましく美しい壁画のある聖壇の前にちょっとの間たたずんだが、やがて引き返して拱廊の下をぬけて行くと、突然わずかばかり弓なりに反った小橋にぶつかった。上のほうから一筋の傾斜の急な荒れた小川が泡立って落ち、下流にはまた幾つかの吊橋が懸かって、三つか四つの滝になった水が、苔蒸した石垣と緑の庭垣とのあいだを谷のほうへ落ちていた。そこへ、水の入った銅壷を頭にのせた綺麗な娘たちが通りかかったが、その吊橋の一つを釣合いをとりながら危なっかしく渡ると、狭い路次の湿めった暗がりの中へ消えていった。
 なおも登って新らしく作られた野菜畠のところまで行くと、そこここから山裾や湖のひろがりが眺められた。しかしもう時間も迫ったので、私は埠頭への道をあちこちと探がしはじめた。
 私はいつのまにか高い糸杉のあいだの、草に被われた道へ踏みこんでいた。上も下も広庭の青葉が生いかぶさった石の壁で、近くには灰色に風化した鐘楼が倒れかかるように立ち、すべてが沈黙して冷えびえとして、まるで童話の世界のように眠っていた。道を探がしながら左手の長い石壁に目をやると、それが一つの窓のような形の、黒い脅おびやかすような空洞に中断されているのを認めたので近づいて行った。そこには鉄格子の嵌はまった古い石造りの壁龕へきがんが深い暗い口をあけていて、その鉄格子のうしろの冷めたい薄明りの中に、何か知らぬが不思議に青じろい物が気味悪い透明さでぼんやりと光っているのが見えた。そしてなおも近寄って見ると、それは人間の髑髏どくろを積み上げた一塊りの大きなピラミッドで、記念と訓誡とのために建立され、ここの暗黒のなかで幾星霜をけみした物だった。私としてはこういう物を見るのはこれが初めてではなく、オーストリアでもエルザスでも幾たびか同じような髑髏の山を見たことがある。それで今さら格別珍らしいとも思わなかった。しかし、それにしても、ここのは深く私の心を打って、今でも忘れ難いものになっている。なぜかと言えば、その陰惨に黒い鉄格子は、背後に無常の象徴がその頑かたくなな掟おきての姿で歯をむき出している時、子供たちの手が供えた新らしい鮮かな血のように赤い椿の花で、幾重にも飾られていたからである。そして私の記憶のなかに、湖上の船旅や岸辺の華麗さよりももっと強く、また滝や和やかに描かれた教会の聖壇よりも一層強く、その髑髏の格子を飾った子供らの花の戯れが刻みこまれて残っているのである。
                              (一九一三年)

 

 

 

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 古い音楽

 私のわびしい山荘の窓の前には、灰いろの雨が執拗に絶望的に降りつづいていた。それでもういちど靴をはいて、遠いぬかるみの道を街まで出かけるのはいかにも気が進まなかった。しかし私は一人だった。それに長時間の仕事のために眼が痛んでいた。書斎の壁という壁からは金色の書物の列が、めんどうな問題や義務をひっさげて気むずかしく私を睨んでいた。子供たちはとうにベッドへ入って眠っているし、小さい煖炉の火も消えてしまった。そこで私はとうとう出かける決心をして、音楽会の入場券をさがし出し、深靴をはき、犬を鎖につなぎ、雨外套を羽織ってぬかるみと湿気の往来へ出た。
 空気は冷えびえとして強く鼻を打った。野道は隣人の地所にそって気まぐれに彎曲しながら、背の高い曲がりくねった檞かしの樹のあいだを黒々と蛇行していた。一軒の番小屋から光が射していた。犬が一匹鳴きはじめて、激昂し、しだいに声を高めて吠えつのったが、やがて力尽きて急に鳴きやんだ。黒い雑木林のうしろの一軒の別荘からピアノの音が洩れてきた。こうして夕暮の野道を一人行きながら、とある寂しい家から聴こえてくる音楽を耳にすることにも増して、美しく憧れを誘われるものはほかにない。すべての善きものや愛すべきものへの一つの予感がそこに目を覚ます。――故郷とランプの光、静かな室内での夕べの祝い、女たちの手と昔ながらの家庭文化というようなものへの予感が。
 そのうちに最初の街灯が、街のしずかな青ざめた前哨が現われた。つづいてまた一つ。それから近くでほのかに光っている街はずれの家の破風。やがて煉瓦塀のかどを曲がると、突然こうこうと輝くアーク灯に照らし出された電車の停留所。長い外套を着て待っている人々。濡れた帽子から水を滴らせ、湿めった上着に制服のボタンを光らせながら、疲れた様子で雑談をしている車掌たち。むこうから電車が一台、車体の下から青い火花を飛ばしながら、ごろごろ音を立ててやって来る。窓ガラスが大きくて、明るく暖かそうである。私は乗る。車は動き出す。この照明されたガラス箱の中から外を見ると、夜の街路は広やかで寂しい。ところどころの街かどには、雨傘をさしてわれわれの電車を待っている女の人の姿。やがて往来はしだいに明るさと賑やかさとを増してくる。すると突然、高々と懸かった橋の向こう岸、夕暮の微光のなかに、街全体の窓窓や灯火が輝き、橋の下には深く遙かに、ほのぐらく照りかえす水と白々と泡立つ堰せきとをもった峡谷の流れ。
 私は車を降り、狭い通りのアーケードを抜けて聖堂へむかって行く。小さい聖堂広場には街灯が一基立っていて、濡れた石敷きを弱々しく冷めたく光らせ、テラスには橡とちの木がざわめき、薄赤く照らし出された正面玄関を見上げると、ゴシック式の塔が濡れた夜空の無限の高みに細ほそ々と消えている。私は雨の中でしばらく待ち、最後に葉巻を投げすてて、高い尖ったアーチをくぐる。濡れた着物の人たちが込み合って立っている。明るい窓ガラスのむこうに切符売りがすわっている。一人の男が私に入場券を要求する。私は帽子を手にドームの中へ入ってゆく。するとほのかに照らされた巨大な丸天井から、期待にみちた聖なる空気がたちまち私に吹きおろして来る。小さい吊りランプが幾つか、臆病らしい光のすじを円柱や側柱の束に送ってい、その光線は灰いろの石のなかに消え、頭上の高い丸天井に暖かく柔かに浸み入っている。いくつかの腰掛けにはぎっしりと人がすわっているが、奥のほうは本堂も合唱壇もほとんど空席である。私は大きな荘厳な堂内を爪先立って忍び足でゆく。それでもその一歩一歩がかすかな響きを後にのこす。薄暗い合唱壇には彫刻をした凭りかかりのある古い重々しい木の腰掛けが待っている。私はその座席の一つをカタリとおろす。木質の響きが石造りの天井に鈍くこだまする。
 私はゆったりとした深い椅子に満足してすわりこみ、一枚のプログラムを取りいだす。しかしそれを読むには暗すぎる。私は思い出そうとするが、どうもはっきりした記憶がない。たしか故人になった或るフランスの大家のオルガン曲が予告されていた。それにヴェラチーニだか、ナルディーニだか、タルティーニだかの古いイタリアのヴァイオリン・ソナタと、最後にバッハの前奏曲とフーガ。
 なお二人か三人、黒い影が足音を忍ばせて合唱壇へ入って来て腰を下ろす。いずれもほかの人たちからは離れて、古い座席へ深々と身を沈める。誰かが本を落とす。私のうしろで二人の娘の声がささやいている。さあ静粛に、静粛に。むこうの照明された内陣格子の上、一対の円いランプとランプのあいだ、冷めたく光っているオルガン・パイプの前に一人の男が立つ。彼は軽く会釈をして椅子につく。期待にみたされた空気が小さい集まりをつらぬいて流れる。私はそのほうへは眼をやらず、椅子にもたれて上のほう高い丸天井を見上げ、ひっそりとした教会の空気を吸いこむ。私は考える。人々はどうして日曜日ごとに、明るい昼間の光の時間にこの神聖な堂内にすわって、互いに押し合って説教を聴いたりするのだろう。その説教なるものが、よしんばどんなに美しく巧みなものであろうとも、この崇高な寺院の中ではただ味気ないものとして響き、失望を感じさせるに過ぎないだろうに、と。
 と、一つの高い力強いオルガンの音。その音は音量を増しながらすばらしく広い空間を満たす。それは、それ自身が空間となってわれわれすべてを押し包む。それは生長をとげて休息する。するといくつかの別の音が起こってそれに加わる。と、突然すべての音がすばやい遁走を開始して深淵へとなだれこみ、身をかがめ、祈り、また反抗し、やがて馴らされて調和的な低音バスの中でしずかになる。そして今や彼らは沈黙し、一時的な休止が雷雨の前の微風のように広間の中を吹きわたる。しかしそれはまた始まる。力強い響きは深い壮大な情熱をもって立ち上がり、荒れ狂いながら膨脹し、高らかに叫び、神への訴えに熱中し、更にもういちど一層切実に、一層声高に叫んで、ついで沈黙する。そしてそれはふたたび始まる。ふたたびこの果敢と沈黙の巨匠はその力強い声を神にむかって高め、訴え、乞い求め、荒れ狂う音の列を作ってみずからの苦悩を絶叫する。そして鎮まり、巣を編んでとじこもり、畏敬と荘重さとに満ちた衆讃歌で神を讃え、高い薄明の中へ金色のアーチを張りめぐらし、鳴りひびく円柱や柱列をそびえ立たせ、それらが完成して落ちつくまでおのが礼拝のドームを打ち建てる。そしてついにそれが完成して落ちついて、われわれすべてを抱き包んだとき、音は初めて鳴り消えるのだった。
 私は考えずにはいられない。われわれは何というみすぼらしい粗悪な生活を送っていることだろう! われわれのうちの誰がこの巨匠のように、こんな訴えと感謝の叫びをもって、かくも深い心情から生まれた本質の亭々とそびえる偉大さをもって、神と運命との前に進み出ることができるだろうか。ああ、われわれは別の生き方をしなければならない。もっと大空や樹木の下に生き、もっと孤独になり、そしてもっと美と偉大との秘密に近づかなければならないのだ、と。
 オルガンがふたたび始まる。深く、低く。ひとつの長い静かな和音。と、それを乗りこえて、ヴァイオリンの旋律がふしぎな並び方をした階段を高みへと登ってゆく。歎きでもなく、問いでもなく、むしろ人知れない幸福と秘められた充溢感とをもって歌いながら美しく軽やかに漂ってゆくのだが、それがまるで若い愛らしい少女の足どりのようである。旋律はくり返され、形を変え、ねじれ、似たような音型と無数の微妙な軽快な唐草模様を探がし出し、きわめて狭い小径をうねって進み、楽々と行き、やがてもう一度静められ浄化された感情として純な姿で立ち現われる。ここには何ら偉大なものはなく、叫びも苦悩の深淵もなく、また崇高な畏敬の念もない。あるのはただ足ることを知った、喜ばしい魂の美だけである。それはわれわれに世界がどんなに美しく、どんなに神々しい秩序と調和に満たされているかを語っているだけである。ああ、しかしこういう楽しい使信おとずれにも増してわれわれの耳に珍らしく、また必要なものがほかにあるだろうか!
 人々は定かにではないがそれを感じ、この大きな教会の中で今多くの顔にほほえみが、喜ばしげな清らかなほほえみが浮かんでいる。中にはこの古い単純な音楽を、いくらか子供っぽい古くさいものと感じている人もあるだろうが、それでもなお微笑を湛えて、それに従うことが一つの喜びである素朴な明るい流れに身を漂わせている。
 休憩の時間が来てもなおそれを追っているのか、ささやきや、ざわめきや、腰掛けにすわり直す音などが楽しく陽気に聴こえて来、人々はいそいそとして、次に来る新たな輝きを待ちうけている。そしてそれは来る。大らかな自由な身ぶりで、巨匠バッハが彼の寺院へ入って来る。彼は感謝をもって神に礼をし、それが終るとやおら身を起こして、讃美歌の本文にしたがっておのが祈りと日曜日の感情とを喜ばしく弾きはじめる。しかし彼がそれをはじめて、そこに僅かな余地が見出されるやいなや、今度は自分自身のハーモニーを一層深いものにし、波立つような多音の中でメロディーにメロディーを、ハーモニーにハーモニーを組み合わせる。そしてその音の建築を教会の空高く、崇高な、完全無欠な秩序にみちた星々の世界にまで飾り上げ、押し高め、完成する。あたかも神が眠りに行って、彼がその権杖とマントとを預かったかのように。彼は集積した雲のなかで吼えたけるが、またふたたび自由な明るい空間をうちひらく。彼は星辰と太陽とを意気揚々と引きつれて上がる。彼は高らかな真昼を物うげに憩い、また適切な時に涼しい夕べの驟雨を降らせる。そして落日のように壮麗に力づよく終り、沈黙のなかに輝きと霊気にみちた世界をのこす。
 私は静かに天井の高い広間をよぎり、眠りこけている小さい広場をぬけ、高々と懸かった橋を静かに渡って、街灯の列のあいだを街のほうへ出てゆく。雨は止んでいる。全大地を被った巨大な雲のうしろ、その僅かな割れ目をとおして月の光と夜の明るさとが感じられる。街は遠く消え、私の野道に沿うた檞の木々が柔らかな涼風すずかぜにさらさらと鳴っている。そして私はゆっくりと最後の坂をのぼって、もう眠りに落ちている我が家へ入る。窓から楡にれの木が話しかける。さあ、それならば満足して休もう。そしてまたしばらくは人生の試練に堪え、その玩具おもちゃになることにしよう。
                              (一九十三年)

 

 

 

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 故 郷

 ブレーメンとナポリの間、ウィーンからシンガポールの間で、私は幾多の好ましい町々を見た。海に臨んだ町や山上高く営まれている町を。そしてそれらの町の泉から巡礼としてそれぞれ一口ずつを私は飲んだが、それはやがて郷愁の甘美な毒と変ったのだった。
 しかし私の知っているすべての町の中での最も美しい町、それは小さくて古風なシュヴァーベンのシュヴァルツヴァルトの町、ナゴルト河畔のカルヴである。
 もしも今私がもう一度カルヴヘ行くとしたら、私は停車場から下町のほうへゆっくりと降って、カトリックの教会堂やアドラー(鷲)だのヴァルトホルン(猟笛)だのという旅館の前を通りすぎ、ナゴルトの流れに沿ったビショップ街をぬけて、葡萄山の細道か沼沢地まで行くだろう。それから川を渡って低いレーダー小路を通り、けわしい坂になった横町の一つを大広場まで登ってゆき、市役所の廻廊をくぐって二つの古い力強い噴水の前を過ぎ、ラテン語学校の古風な建物をちょっと見上げ、壷屋の主人の庭でガアガア鳴いている鶏どもの声を聴き、ふたたび下町のほうへ一転して「牡鹿屋」や「小馬亭」のそばを通り、そしてそこでゆっくりと橋の上にたたずむだろう。これこそこの小さな町での私の最も気に入りの広場であり、これに較べればフィレンツェの伽藍広場など、私にとって問題ではないのである。
 もしも今この美しい石造りの橋から川の上下を眺めるとしたら、私は多くの家々を見るだろうが、そこにどういう人達が住んでいるか私にはわからない。そしてそういう家の一軒から可愛い少女が外を見ているとしても、(カルヴにはいつもそんな娘がいたものだ)、私はその子が何という名だか知らないのだ。
 けれども三十年も前には、これら無数の窓のどの一つのうしろにすわっている少女にしろ、また男にしろ、年寄りの女にしろ、犬にしろ、猫にしろ、私の知らない相手というものは無かったのである。橋上を走る車にせよ、駈けてゆく馬にせよ、その持主が誰だか私の知らないものは一つもなかった。そして多くの小さい学童と彼らの遊びとそのあだ名、パン屋と其処で売っている品物、肉屋とその犬共、さまざまな木とその上にある巣と小鳥と黄金虫こがねむしの仲間、ほうぼうの庭のすぐりの種類など、私はなんでも知っていたのだ。
 こうしたわけで、カルヴの町には特別な美しさがあった。だがそれを描写する必要はない。それは今までに私の書いたほとんどすべての本に載っている。またよしんば私かこの美しいカルヴにずっと住み続けていたとしても、おそらく書く必要はなかったであろう。あまりはっきりとは言えないが。
 しかしもしも今私が、(戦争の前二三年に一度はしたように)、子供のころ千度も釣糸を垂れたことのあるその橋の胸壁へ十五分間ばかり凭りかかるとしたら、かつては自分にも一つの故郷があったという体験が、私にとってどんなに美しくもまた記憶に値するものであったかを、しみじみと、また一種不思議な感動をもって味わうことだろう。――かつては地上の或るささやかな片隅で、すべての家々とその窓と、窓のうしろに住むあらゆる人々とを知っていたという体験、この地上の或る場所に、あたかも樹木がその根と生命とで彼の場所に結びつけられているように、結びつけられていたという体験が。
 もしも私が樹だったら、私は今でも其処に立っているだろう。だがそうすれば、かつて在ったものをもう一度新たにすることはできない。私は現実の中でしようと思わない事を、時に夢や創作の中でするのである。
 私には今でも時々カルヴヘの郷愁にかられる夜がある。しかし私が其処に住んでいたら、三十年も前に存在してあの古い橋のアーチの下をとうの昔に流れ去った美しくも古い時代への郷愁を、昼となく夜となくあらゆる時間に感じるだろう。それは善い事ではあるまい。歩いてしまった足跡、死んでしまった死を、人は悔やんではならないのだ。
 ただ時おりその場所に一瞥を投げ、レーダー小路をぶらぶら歩き、橋の上に四分の一時間をたたずむのはいいだろう。それがただ夢の中での事ならば。又あまり度々でないならば。
                              (一九一八年)

 

 

 

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 南欧の夏の日

 金持ちになったわれわれの同国人がまだ思いのままに旅行のできた平和時代には、夏に南の国で彼らの一人にでも出逢うということはほとんど無かった。或るわけのわからぬ、風評によると、夏の南国というものは堪えがたいほど暑くて、話にもならないような苦しい事ばかりだというのであった。それで人々はじっと北の国ですわっているか、アルプス山中二千メートルの高みにあるホテルにでも納まって夏を凍こごえて暮らすか、そのいずれかを選んだものである。しかしこんにちでは事情が変って、自分の体と戦時利得とを南の国へ移出する幸福を一度でも味わった人間は、そこに滞在して、寛容な神なる太陽の下でこの夏の恵福を共に享楽するのである。そうなると、われわれのような古くからの在留ドイツ人はすっかり後退して、こんなふうに心配そうな顔つきをしたり、房のさがったズボンを穿いたりしていたのでは人前へも出にくい。その代りに旨い時に持ち出した金の威力をかりてここで家屋や庭園や市民権を買いこんだ我国人は、まさに輝かしくも覇権の代表者となったというわけである。
 しかしこんな小さな事にかかわりなく、毎日太陽は昇り、果てしもない栗の林のなかで小鳥たちは歌い始める。私はポケットに一片のパンを突っこみ、一冊の本と一本の鉛筆と水浴用の猿股とを持って、夏の長い一日を森や湖の客となるために村を出る。森は花の季節をすぎて、もう棘とげのある実をいっぱいにぶらさげている。こけももはすでに終って、今ではこの附近にたくさんある木苺きいちごの時がはじまっている。
 またしても自分の知らないさまざまな小さい花や、草や、苔や茸きのこに出逢う。私はこれまでにも彼らの名を覚えこもうと幾たびかやってみた。一冊の小型の良好な植物の本を手に、愛する花たちのそばへ静かに坐りこんでそれを調べるという事は、もっと年を取ったらいつか小さい庭の中で落ちついた生活をし、野菜を作り、自分の庭の垣根のそとの世界の事はもう一切考えまいという計画とよく似た私の決心である。こういう計画は美しくもあるし、われわれを喜ばせもする。しかしそれを正しく実行するにしては人生はいかにも短かすぎる。ともかくも夏だ。実際、一生の大部分を寒さや石炭の事を考える必要のないここ南の国では、この信ずべからざる金色こんじきの夏の毎日が、――あたかも太陽や星や月が世界の危機か没落のようなものを感づいて、もう一度回転しようと急いででもいるかのように――性急に、短かい貪欲な羽ばたきをしながら過ぎ去ってゆく。私たち哀れな人間もそれと同じような事をするのだ。この目にも止まらない束の間の炎熱のなかで、われわれは一緒になって自分たちの歌を歌い、共に自分たちの踊を踊るのである。森の奥にはわれわれの宝の庫が美しくひっそりと隠れている。それは農民たちの涼しい小さい葡萄酒貯蔵用の穴倉で、休日とか球遊びをする晩などに、親しい連中がそこで一杯の地酒を飲んだり、一片のパンを食ったり、お喋しやべりをしたりするのである。そしてまたそこで愚行や夏の匂いに満ちた、空想や子供らしさに満ちた、私の暖かくて静かな、幾多物思わしい宵々が燃え去るのである。
 真昼の休息のあと、私は森蔭のこけももしもつけそうの中へ長々と寝ころんで、知っているドイツの歌や外国の歌を歌っては、その間に、持って来た小型の黒い本を読む。それはこんな時の私にとって世界中でもっとも美しい本であり、題を『アルマイード』といって、フランス人フランシス・ジヤムによって書かれたもので、真に祝福と愛とに満ちたアルカディアの書である。
 しかし夕暮が近づくと、湖畔のどこかに、うしろに薮をひかえて幾らかの芦と草の生えている砂浜をさがす時が来る。湖は暖かい舌で夕日にかがやく砂を舐め、釣する人はほそい胼ふくらはぎを小川の落ち囗の水にひたして長い釣竿を手に夢みるように立ち、山々は日没の色にいろどられ、日のくれがたの金色こんじきの魅力が風景全体にみちみちる。そうすると胸の痛みもしばらくは甘美に味わい深いものとなる。私の鳶いろの背中を焼く太陽も今では無数の山々の一つの背後に沈んで、気持のいい湖は私の貪欲な肉体を冷やし、小川も私の足を冷やしてくれる。人間はどんなに多くの欲望を持ち得るか知らないが、しかも実際では無一物なのである。われわれにして若しも人生を悲しむべきものと考えるならば、いかにも人生は悲しいものとなるであろうが、それにしてもそういうわれわれはなんという愚かな存在であることだろう!
 村で一皿の米かマカロニを食うか、穴倉で葡菊酒を飲みながら一片のパンをかじるかすると、もう自分のいる場所を反省すべき刻限になる。それで晴れやかな夕映えの街道をゆっくりと家路につくのだが、蜂蜜の垂れているように昼間の暖ぬくみのこもった暗い森のなかを登る小径は、胸ぐるしくて酔うような気持である。草原の道のほとりではすでに麦が刈り取られ、緑いろの葡萄の房が累々と下がっている。ミラノの金持の住んでいる別荘の庭のわきを通ると、さし昇る月の光の中で、無数のあじさいの植え込みが青白い柔かな色調をして妖あやしげに輝いている。自分の村へ帰りつく頃にはほとんど真夜中である。月は縞になった雲間から下界を見おろし、巨大な泰山木の花は黒い背の高い樹の中からレモンのような強烈な匂いを放ち、下のほうの湖畔では村々の灯がまたたいている。
 月は天空をひた走りに走っている。あたかも追い立てられる者のように。或いは時計の動きのように。その時計をもう一度動かそうとして、人は編物針で中を突つく。すると俄かにがちゃがちゃと運動を始めて、指針は夢中になって文字盤の上を早飛脚のように走り出す。そのように人生もまた短かいのだ。そしてわれわれはさまざまな苦労をしたり、さまざまな術策を弄したり、さまざまな浪費をしたりして人生を堕落させ、生きるに辛つらいものとしている。それならば快適な幾とき、暖かい夏の幾日、暖かい夏の幾夜を、すくなくともわれわれは飲み干そう、楽しもう。もう二度目の薔薇の花が咲き、藤の花も咲いている。日もすでに短かくなり、すべての木蔭、すべての葉蔭で、世の無常が歎息している。
 夜風が窓前の梢にざわめき、月光が赤い石だたみの上に落ちている。故郷の友らよ、君たちは今何をしているだろうか。手に手に花を持っているだろうか。それとも手榴弾をか。君たちはまだ生きているだろうか。僕への優しい手紙を書いているだろうか。それとも誹謗の記事を物しているだろうか。愛する友らよ、君たちはしたい事をするがいい。しかし何をするにせよ、人生がどんなに短かいものだかという事を、時どきはちょっとでも考えてくれ!
                               (一九一九年)

 

 

 

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 春の散歩

 またしても樹脂を含んだ葉芽にちいさい透明な雫しずくがつき、ことし最初の孔雀蝶が日光のなかで高貴なビロードの袖を上げ下げし、子供たちは独楽こまや弾はじき玉で遊んでいる。響きに満ちて満ちあふれ、花やかな祭の卵の色や、ゲッセマネの園のイエスや、ゴルゴタの丘のイエスや、マタイの受難曲や、幼年の日の感激や、初めての恋愛や、青春の憂欝や、これらさまざまな思い出を担って復活祭の前週が来た。アネモネは苔の中でうなずき、たんぽぽは牧場の小川のへりで、豊かに光りかがやいている。
 孤独の漂泊者である私は、自分の内部の衝動や緊迫と、千百の声々で外部から自分をとりまく生成の音楽とのあいだに区別をつけない。私は都会から帰ってきた。かなり久しぶりにもう一度人々の中で暮らし、汽車に乗り、画や彫刻を見、オトマル・シェックのすばらしい新作の歌を聴いた。いま朗かなそよかぜはうなずくアネモネの花を吹くように私の顔を吹いている。そしてむらがる思い出を私のうちに塵の渦巻のように吹き上げながら、苦痛と無常への警告を私の血から意識へとひびかせる。路傍の石よ、お前は私よりも強い。牧場の木よ、お前は私よりも永く生きるだろう。そしておそらくはお前もまた、えぞいちごよ。そしてお前とてもまた、薔薇の香を吐くアネモネよ。
 ちょっとの間、私はふだんよりも痛切に自分の形骸のはかなさを悟り、自分が変貌して石に、土に、えぞいちごに、木の根に変ってゆくことを感じる。私の渇望が土や、水や、しおれた木の葉のような流転の象徴にすがりつく。あすは、あさっては、すでに早くもこの私かお前なのだ。私は葉であり、土であり、根であって、もう紙の上に言葉も書かず、もう花やかなにおいあらせいとうの匂いも嗅がず、もうポケットへ歯医者の勘定書も入れず、もう旅券の事で恐ろしい役人に悩まされることもないだろう。私は雲となって青空に浮かび、波となって小川を流れ、葉となって灌木に芽ぐみながら、忘却の中へ、千たびも憧れた変貌の中へ姿を消すのだ。
 なお十たびも百たびもお前は私をとらえ、たぶらかし、そして監禁するだろう。言葉の世界、所見の世界、人間の世界、高められた快楽と熱をはらんだ不安の世界よ。千たびもお前は私を魅惑したり驚愕させたりするだろう。ピアノにあわせて歌われる歌や、新聞や、電報や、死亡通知や、申告書類や、その他あらゆる取るにもたらぬ襤縷屑ぼろくずで、お前、快楽と不安とに満ちた世界、しらべ妙たえなる狂気に満ちた愛らしい歌劇の世界よ! しかしもう二度とそんな物はたくさんだ。お前は全く私から消えてゆくだろう、無常への帰依きえも、変貌の受難曲も、死への用意も、再生への意志も。相変らず復活祭は立ちかえって来るだろう。相変らず快楽は不安と化し、不安は救済と化するだろう。そして無常の歌は、悲しみもなく私の旅路を私と共に行くだろう。充分の肯定と、充分の用意と、また充分の希望とをもって。
                               (一九二〇年)

 

 

 

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 小 径

 一筋の小径が村から湖のほうへくだっている。ただの踏み跡のような道、山羊の道が。その道をしばしば私は通る。夏には幾百回となく。また冬にもたびたび。
 この道は容易なことでは発見しにくい。それは想像もつかないような場所で大道から横へ分岐していて、その入口は一年のうちの緑の季節になると木いちごの蔓やしだなどの藪ですっかり隠されてしまうのである。大道からそれてこの灌木叢へはいりこむと、道は急な降りになり、痩せてはいるが密生した樹林のなか、ほそいすらりとした幹ばかりを見せた栗の若木の林のなかを、ほとんど垂直にくだって行く。ところでこの木たちは若いどころか、元来非常に年老いたものなのだが、何十年も前に伐採されて、今こうして林になってひどく粗野に、陽気に、気随気儘に見えるのも、実は古い強大な根株から生えた幾千という若い、成長の早いひこばえなのである。五月か六月のはじめに最初の若葉をつけた彼らこそ壮観だ。その葉は驚くばかりに大きい。そしてこれらの若い栗の立木が、すべてまるでくしけずられたように空間を或る同じ方向へそびえ立ち、枝の両側から翼のように出ている葉もその残らずが一方へ向かって、明るい森の全体が、同じ角度にかたむいた何十万という線から成る一枚の網を織っているのである。
 数分後にはもう山の台地をまわって下のほうへ出る。ここの林のふちにはまだ何本かの栗の老木が立っているが、いずれも父親のような気品のある巨木で、根もとには苔を、幹には木蔦をまとって、堂々たる樹冠をかざしている。そしてその下には去年の実の残骸や、過ぎ去った秋のとげとげのある殼が、風に吹きあつめられて山のように横たわっている。そのそばには草が生え、痩せた、ひどく短かい、干からびた草つきの地面が小さい急傾斜の原を形づくり、上のほうは栗の樹のかげになり、下のほうは日光を浴びている。そしてこの乾燥してしばしば埃っぽい小さな草原は、春のごく初めにはいつも何かしら愛らしい光景を呈する。すなわち、きわめて短かい、きわめて優雅な、小さくて白い無数のクローカスの花が此処を咲きうずめて、その密集した群落が銀いろの毛皮か、ほのかな白い息か、白い馬ででもあるように、円い草原の脊を駈け降っているのである。
 むこうにも同じように森が立ち続いている。初めのうちは又まばらな栗の林、それから五月になると熱帯の夢の花園のように匂うアカシアの森。その間には、肉の厚いしっかりしたブリキのような葉を光らせ、冬になると赤い実を小さな裸の森の中できらめかせる冬青そよごの木がたくさんまじっている。小径はここでまたかなり嶮しくなる。そして雨季には此処を荒れくるった小川が谷のほうへ流れ落ちるので、道は深かぶかとえぐり取られている。まるで深い溝か塹壕の中でも行くような気持である。そして目の前には栗の樹の根株が見られ、秋ならばそこここに枯葉と同じような色をした美しい粟茸あわたけが見いだされる。しかしそれにはちょうどいい時を選んで行って、上手に捜さなければならない。と言うのは、村の人たちはこの茸狩に熱心で、夏の終りの満月に近い頃のいい日を見計らっては、しばしば家族全体がそろって仲よく出動するし、また巧みに身を隠した茸を見つけるのに、驚くほどの腕前を持っているからである。
 六月には此処は荅桃こけももでいっぱいになる。そしてすっかり伐採されて裸になった広い空開地には、日の照っている時ならば一年じゅう苔桃やエリカの匂いがひっそりと漂っている。また此処には、夏も晩く、たくさんの多彩な蝶が飛んでいる。スパニッシェ・フラッゲや姫立羽のような蝶が。
 さて道は前よりも嶮しくなくなり、暫くはほとんど平らに続いて、同時に森林も背が高く欝蒼としてくる。此処にはまだ保護されている立派な樹々が並んで立ち、その下には若干のとねりこも見られる。このあたり、小川も水も夏まで涸れず、小さい水溜まりも残っている。そしてわれわれの山では普通目につかないような草花もいくらか咲いている。狭い小径は歩きよくなって、幅も広くなり、場所によっては二倍の広さにもなり、かたわらを小さい双生児道ふたごみち、兄弟道フラテロが走るようになる。すると思いがけなく古い森が現われる。その最後の何本かの樹の下には、厩か納屋らしい暖かい黄褐色をした一種の小屋が赤い屋根を載せて立っている。その陰を出ると或る小さい緑の台地へ達するが、そこには葡萄の本が低い列になってならび、小さい桃の若木がその間にまじり、百たびも枝を刈られた、尊敬すべき瘤を持った桑の木も何本か立っている。ここでは下の方がひろがり上の方が尖った梯子に乗って、これらの木の枝を切り落としている一人の老人の姿がほとんどいつでも見うけられる。この老人は生涯を通じて高枝を切り、それによって桑の葉がぐあいよく地面に近く茂って摘み易くなるようにと努力して来たのである。そして何年も何十年もの間、木は年ごとに鋏み切られ刈り取られて、新らしく芽をふき、新らしく繁茂しながら、時と共に生きて時を克服し、いよいよ高く伸びるのである。そして剪定せんていの刀と鋸とを持ったこの老人は、その仕事の完成を見ずして死んでゆくことだろう。
 この小さい緑の台地をすぎて森を抜け、葡萄園や桃林に沿ってまた別の森にむかって進んで行くと、一つの美しい眺望が現われる。季節や葉の茂りぐあいによって多い少いの相違はあるが、下に見える森のむこうに何か赤い物、白い物、青い物がちらちらと光っている。そして切り立った崖の下に赤い屋根屋根や小さい部落の景色がしだいにはっきりと見分けられ、雄鶏どものときを作っている声が聴かれる。そのむこうには薔薇色をした岸べと白い渚をもった湖とが見え、その間になよなよと風になびいている芦の地帯が見える。私は此処まで来るといつもちょっとのあいだ休んで、しっかりと樹の幹につかまりながら、ほとんど垂直の方向に、急いで駈け出しているような小径を見送ったり、部落の赤い屋根のむれや、吊るされた洗濯物や、湖と芦のかなたへ消え去るボッチャ鉄道を一瞥したりするのである。それからいくばくもなく、もう一度狭い割れ目を通ったり、ぎっしりと根のからみ合った狭間はざまを抜けたりして、まばらに立つ老木の下から広広とした場所へ出る。木いちごの藪が古い胸壁においかぶさっている。それを乗りこえると白くまぶしい街道へ出る。道のむこうには湖が横たわり。芦が揺れ、ボートが浮かび、男の児たちが幾人か、竹の釣竿を手に、鳶いろの脚を見せて浅い水のなかに立っている。
                              (一九二一年)

 

 

 

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 或る旅の覚え書

 今は四月の天気で、濡れた道路の水たまりに青空と太陽とが数分間かがやき、ちょっとでも風が凪ぐと、そこらじゅうで黒鶫くろつぐみが歌い出す。
 私はジュラ山地の或る小さい町に来ている。町は灰色をした岩山へよりかかって、一種無限の色合いでただよう遠景のかなたに、遙かなアルプスを眺めている。
 私はきのうの夕方ここへ着いた。この町の或る小さい芸術愛好者の会に招かれて、自作と詩の朗読をしに来たのである。ところで、こうした企ての時にほとんどいつでも経験するように、私は今度もまた何か重苦しいような、何か悲しいような、妙にこんがらかった気持を味わったのだった。そしてその感情の背後には次のような疑問が控えていた。「今日お前のすることは何の役に立つのか。いったいお前の詩の朗読というものに何らかの意義があるのか。実際では、一晩少数の人間の相手をするだけのためにここまで旅をして来なのではないのか。それにまた、お前が詩をつくる事その事にも意義があるのか。それはお前にとっても読者にとっても、ほんの一時的な楽しみに過ぎないのではないか」
 それにもかかわらず私は昨夜小さい会場で朗読をした。そして今度もまた、自分の作品や聴衆の楽しみの事などに心をわずらわさずに、もっぱら朗読そのものに一つの意義を与えようと努力した。そればかりか、次のような考えにおのれ自身を集中さえした。「この会場には、たぶん一人の、いやおそらくは二人の人間がすわっている。そしてこれらの人間は、この夜の時間に傷つき、何かただの一語によって呼びかけられるように運命づけられている。その一語は彼にとって呼びかけとなり、警告となり、もはや慰みでも文学でも教養の問題でもないばかりか、直接彼の心に落ちこんで痛苦と歓喜とを与え、しばらくはその魂の生成と闘いとの中に新らしい衝動をもたらすのである」私はこんなふうに考えて自分の詩を朗読した。それを自分の詩や作品としてではなく、人間をおびき寄せるため投げこむ釣針として。そして私がそれらの詩を緊張しておごそかに読み上げ、特に精神的なところや警告的な箇所を強調しているあいだ、私のうちには第二の私が微笑をふくんですわり、いくらかの皮肉といくらかの同情とをもって優しく辛抱しながら、私のすることを見つめていた。そして、このようにしてその夕べは難なく過ぎた。なぜならばすべてがはかどり、すべてが予想通りにゆき、われわれのそばにあの第二の男がいて観察している以上、すべてに意義があったからである。それにしても私の心の中には胸苦しさと悲しみとの滓かすが、自分の行為と存在とを正当化したいという欲求が、或る人知れない空虚が残った。私はその夜をなお晩くまで主催者の家で二三の若い人たちと過ごし、彼らの会話の中へ一言二言口をはさむ努力をし、これらの同席者のうち一人として、今夜の私から一時的な楽しみ以外の何ものをも受けとっていない事をそこばくの悲哀と皮肉とをもって感じた。そこで私は沈黙し、皆よりも先へ別れを告げてベッドへ入った。しかしほんの僅かな時間しか眠ることができなかった。
 今日の今、この気まぐれな四月の空の下で、私には朝飯ののち附近をぶらつくだけの時間がなお一時間ばかり残っていた。私は昨夜すこしばかり親しくした町の牧師と一緒に歩いた。ところが、汽車の出るまでにはまだ半時間ほど間のある停車場の近くまで来ると、彼は私にむかってもうこれ以上お伴ができない。というのはこれから葬式を一つ行うことになっているからと、残念そうに言った。私がその死んだ人というのはどういう人かと尋ねると、この埋葬には墓掘り人と警官しか立ち会わない。つまり死者は誰も見知らない放浪者で、一昨日おとつい川のふちで発見された者であり、半分水に漬かって、頭に銃創が一箇所、脳に小さな拳銃弾が一発うちこまれていた。そして今までのところ、その姓名も素性もわかっていないのだと牧師は言った。
 今や自分が旅行鞄に詩集を入れて、ここまで旅をして来たことが全くの無駄ではなかったのを卒然として私はさとった。一つのささやかな勤めを私は思いつき、それが忽ち私の心を暖めた。そこで私は即座に牧師について墓地へゆき、湿めった粘土の坂道をのぼって、掘り起こされたばかりの真新らしい墓穴の前に立った。それと並んで、ついきのうの物らしい最近の墓が高く積み上げられた花環にうずまっていたが、その墓の木の茂みには、白地に金箔を捺した蝶ネクタイが濡れたままだらりとぶらさがっていた。私は警官から死者について知っていることを残らず話してもらい、更にその粗末な革の財布に入っていた小さな、おかしいほど軽くて細い拳銃弾をうけとって触さわってみた。それから私たちは、この名も無い者の入っている棺桶を穴の中へおろした。死者は墓地の生垣で折った一本の緑の小枝を私からたむけられ、一篇の賛美歌と、主の禱りと、おごそかな「土は土に、塵は塵に、灰は灰に」を牧師から受けとった。そして私は街道をさすらう友の一人、故郷も無ければ市民的でもない一人の人間をここに埋葬したことを疑わず、一生を通じて自分のうちに、この人間に対する愛と理解との道を持っていたこと、自分が定住者や完璧な人々よりも一層この人間に近い者であることを疑わなかった。私は湿めった穴の中の兄弟に挨拶の微笑を送り、彼を祝福し、牧師の無帽の頭へ俄雪の降りかかっているあいだ、優しく親しく歌われるその賛美歌に聴き入った。私は墓掘り人に、警官に、墓に別れを告げて停車場へ急いだ。そして汽車に間に合ったが、今度の旅に満足し、賛美歌の二三の文句を覚えていたことに満足し、いつかは自分の墓の前にも誰かが立ってほほえみ、一本の緑の小枝を投げこんでくれるだろう事を確信しながらその町を去った。
                               (一九二二年)

 

 

 

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 テッシンの聖母祭

 モンテ・アルボストラの山の高みに、見渡すかぎりの栗の樹の森から白くきらきらとぬきんでて、一宇の古い小さい御堂が立っている。それは聖母をまつった寺で、巡礼寺の一つであり、その鐘の音は一年のうち二度か三度しか聴くことができない。明るい塔と親しみのある玄関とを持ったこの御堂は、多くの魅力と秘密とに包まれながら、簡単には見出しにくい森の小径に近く、世の中を遠く離れて立っている。近くにはただ一つ村があるが、それさえもこの寺からは半時間の距離にある。この森の御堂、巡礼の寺は、人間を求めず、また名を知られようとも思っていない。これこそ実に私がこの寺を熱愛するゆえんであって、その求めるのは名声ではなくて隠栖であり、商売とか、技術とか、学問とか、文学とか、その他そうしたすべての子供らしい活動の市場や屋台店とは正反対な無名をひたすら望んでいるのである。そしてこの点、この御堂は完全な人間や、賢者や、聖者に近い。私は数年来この神聖な場所をつまびらかに知り、それを取りまく戯れと秘密とに幾たびか喜ばされたものだ。夏の幾月を通じて、わけても栗の花の咲く頃には、御堂は森にかくれて遊んでいる。幾日も幾日も、目は午前中ずっとむなしく探がしつづける。御堂は見えない。姿を消したのである。そしてやがて西日がその壁にあたる頃になると初めて又浮かび出るのだが、それが果たして元の場所にあるのかどうかは定かでない。いちばん近い村からならば楽に行けるものの、それには何よりも先ずその村まで行かなくてはならない。村はこの附近の貧しい不毛な山村の一つである。しかしどこか別の側から聖母寺を訪れようとして、しかも真直ぐに其処へ達しようとする人は、谷の上でそれが純白な色をして優しく招いているのを目にしながら、長い凹凸の道と失望とを覚悟させられる。彼は森の中のけわしい山羊の路をたどらなければならないし、その上もう非常な高みだというのに、その小径は更にいっそう狭い三四本の路に分かれるのである。そしてそれがいずれも本当の路ではないので、よほど幸運に恵まれないかぎり、どの路も最後には行きどまりになってしまう。それで人は石のごろごろした隘路や、えにしだの茂みや、木いちごの藪との闘いを余儀なくされるのだが、しかも谷間からはあんなに明るくはっきりと認められ、あんなにたやすく行き着けそうに見えた御堂が、梢のうしろに低く身をかがめて姿を消してしまうのである。私は幾たびか其処へ行ったが、たいていの場合は道をまちがえた。しかし二度か三度は、探しもしなかったのにひょっこりと其処へ出た。さびしい森の中をさまよっているうちに、とつぜん赤みがかった胸壁や、安らかさに満ちた玄関を持った明るい正面を目の前にして、私はびっくりしてたたずんだ。そして施物の受け鉢のそばの、格子のついた小さい窓から聖なる室内の暗がりをのぞきこみ、奥のほうで何か金色をした物がほのかに不確かに光っているのを認めて、それが黄金の聖母だったことを知った。夏の夕ぐれ、太陽の沈むころ、森の御堂の前の小さい広場は、この広大な地方全体のうちでの最も美しい広場になる。しかしこんな高い場所で、そんな時刻に、誰か人間が居合わせるなどということはきわめて稀にしか起こらないのである。
 私はこの聖母を百たびもひそかに見まもり、千たびも遠くかち眺め、その緑の前庭と、信じられない程の眺望を持った胸壁とを何十回となくおとずれ、その小窓をとおして黄金の像をのぞき見したものである。それは私のような種類の人間にとっては、まさしく一つの聖所だと言えるだろう。しかし私かまったくカトリック教徒でなく、ちっとも正しく彼女に祈りを捧げることができないというのは本当に残念なことである。それにしても聖アントニウスや聖イグナティウスに信を置かない私が、この聖母からは、自分たちのような異教徒でも理解され受け容れてもらえるという事を信じている。私は聖母を相手の勝手な崇拝や神話を自分にゆるし、私の信仰の寺院の中で、ヴィーナスやクリシュナの隣りに彼女を並べている。しかし霊魂のシンボルとして、世界の両極のあいだ、自然と精神とのあいだを、かなたこなたと漂いながら愛の火を点じて廻るいきいきとした救済の光のイメージとして、この神の母こそは私にとってあらゆる宗教のうちでの最も神聖な姿である。そして幾時間かは、もっとも正教徒的な信仰篤い敬虔な巡礼の誰にも劣らず、正しく、また帰依の心をもって、彼女を信じるのである。
 こうして、さまざまなものが、私を山の中の小さい御堂に結びつけている。そしてその隠栖と玄妙な静けさ、その韜晦とうかい、人目につくまいとするその努力、空ろな騒ぎや多数者にたいする内気な自己防衛、自分が全面的に理解できると信じる純粋なその相貌、こうしたものを何よりも私は愛する。しかし一年のうちの或る日曜日、その日には彼女がほほえみながら姿を見せてすべての人間を招き寄せ、すべての人間を祝福する。それは彼女の年に一度の祭である。こんじきの聖母は彼女の年祭を聖母月には行わないで、そのかわり毎年九月の或る日曜日、その年の緑の色と豊かさとが優しい金いろのきらめきや靄と変じ、葡萄の房や林檎の実に豊作と生のよろこびとが勝利の栄冠のように輝き、同時に黄ばむ木の葉には切々として無常の歌の響くという、そういう時に行われるのである。毎年その時が来ると、この地方の信者たちは森の聖母のところへ一日じゅう招かれ、聖母もその日はほのぐらい御堂をあとに、森の中の人間や小鳥や蝶たちのところへ出てこられる。この年祭は、以前には、何十年も前には、まだ限りなく美しくて荘厳なものであったに違いない。それが今では喧騒やお祭騒ぎや遊山気分の歳の市と化してしまって、人々ももう草やしだの中の聖母の前にぬかづこうとはせず、流行の晴着をまとって立ち、聖母の出現する時でも帽子をぬいだだけで、全く平気な顔で前へ出てくる有様である。これはどうにも改めることはできないが、しかし今でもなお昔の品位や敬神のなごりは残っている。とにかく、あれこれの事はあるにせよ、私にとってこの毎年の聖母祭は一つのほんとうの祭である。私は或る時は其処で司教を迎える手つだいをし、彼の物柔らかな説教を聴いた。また或る時は寒いじめじめした天気の日で、祭はごく僅かな参詣人と共に静粛に行われた。しかしそれはいかなる時でも美しく、私はいつでも何かの姿、何かの響き、何かの匂いを其処から身につけ、自分にとって偉大なものと思われるこの祭の瞬間を、つねに感謝と感動とをもって共に祝ったのである。
 今年もまた私は其処へ出かけた。朝、露にしめった森のなかを登って行き、ヒースの中の無数のとかげを驚かせたり、湿めった苔の間にまだ咲き残っている一本のシクラメンを見つけたりしながら。昼ごろに御堂へ着いた。そこでは陽気な雑沓が私を待っていた。森の中には屋台店が出、旗がなびき、赤い風船や花環や花紐が御堂の階段をかざっていた。そこには一団の教会音楽隊もいれば、焼菓子や玩具などを売る商人たちもいた。或る店では亭主が葡萄酒やコーヒーをつぎ、家族づれの連中が幾組も草のなかに陣どって、それぞれ寵やルックサックや紙包みから、パンだのチーズだの葡萄だのを取り出して昼飯をたべていた。ほんとうの信者にとって祭の主要行事である午前中のミサはもう済んでいた。しかし私にとって祭の高潮時はこれからだった。
 私は友人たちに出会い、一緒に森の中にすわって、酒やパンや冷やした魚や菓子や桃の馳走にあずかった。楽しい気分が私たちを取りまき、幾年このかたこの土地のあらゆる鄙びた祭からなじみになっている人々の姿や物の響きが其処にあった。世界中の国語で歌うことのできるマリオもギターを持って来ていた。口でマンドリンそっくりの音をまねる事のできるあの娘も来ていた。その他たくさんの知りあいの顔や、私同様道のりも大して遠くない同じ村の人たちもいた。私たちは鳴りひびく音楽や子供らの吹く賑やかなラッパの音を聴きながら、一年じゅう魅惑的な静寂に支配されているこの美しい森の台地の上、すでに黄ばんできた樹々の下で食事をした。今、栗の樹の下にねころんでいるこれら楽しげな人々の大多数は、そうした静寂や永遠の感じに包まれている時のこの場所を一度も見たことがなく、ただこの高みでの年に一度のこうした騒がしい日だけしか知らないのである。しかしこの日は、私に対してもまた、年ごとに同じ深い魅力を持った比類ない何ものかを与えてくれるのである。
 食事の楽しみも終り、人々がいくらか静粛になった頃、天使の翼をつけた女の児たちの行列が作られた。救世主の姿をあらわした一本の大きな十字架が先頭に運ばれた。そして今、御堂から、それとほとんど接触している玄関をとおって輝かしい前廊を抜けながら、建物の暗がりの中ではただ暖かい金色の光としか見えなかった聖母そのものが現われた。彼女はこちらへ向かって近づいて来た。担い手の肩の上でしずかに揺れながら、髪にいただいた冠りから足の先まで金いろをして、秋の太陽に照りかがやき、両腕にその小さい御子みこをいだいて、典雅と、威厳、貴さと優しさとに燦爛として、柔らかな、美しい、まことのこもった姿かたちで近づいて来た。この瞬間こそ、私にとって一年を通じての祭であり礼拝である。聖母はその御堂から浮かびいで、小さい野外の広場をゆらゆらと、遙かな湖や最も遠い雪の山々までも照らし出すかと思うほど、燦然と光りながら進んでゆく。そして帽子をぬいだ頭や女たちの頭巾の上をすぎて森のほうへ向かい、身を傾けて花紐の下をくぐり、しだの茂みをぬけて森へはいり、彼女にとってもまた神聖である木々の中へと輝きながら徐ろに消えてゆく。われわれは立ち上がって消えてゆく彼女を眺め、帽子を手にしてその帰りを待っている。するとやがて、聖母はふたたび別の方角から姿を現わし、音楽や天使や僧や旗などと一緒に輝きながら森から出て来て、その聖所へと帰ってゆく。こんじきのマントをまとい、金冠をいただいた彼女は、太陽の光やまばゆい金光の中でも、その厨子ずしの中でしばしばわれわれに見せたのと全く同じ輝かしい微笑を浮かべて、或る時は姿を現わし、或る時は消え、時にはきわめて接近してわれわれの感覚に金色燦爛たる姿となってはっきりと現われ、また時には顫える光の中にかすんで見えがたいものとなる。その聖母は御堂へ帰る前に芝生の上に据えられて、まず東から、つづいて南、西、北という順序で祈りをうける。そして今やふたたび人々の頭上に高々と浮かび、前廊をぬけ、金冠をうち顫わせながら玄関をよぎって、その静寂となつかしい薄明りとの中へ沈んでゆく。そして金いろに染まった森に無常のかおりが漂っているあいだ、若い娘らはほほえみ、われわれ老人どもは地面に視線を落として思うのである。「私たちはなおもう一度あなたを見ることができるでしょうか、こんじきに輝きたもうおん母よ」と。
 これで私にとっての祝祭は終わった。今ならばまだ小さい狭い山羊の路を通って、たそがれの来る前にあの歩きづらい路を通って、我が家へ帰ることができる。私は森の中をおりて行きながら、しばらくのあいだ音楽の余韻を耳にした。そして振りかえると、燃えるような紅い色を大空に光らせながら、子供の紅いゴム風船が一つ、樹々の梢をこえて飛んでゆくのが見えた。
                                (一九二四年)

 

 

 

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 なくなった小刀

 きのう私は一本の懐中小刀をなくした。そして私の哲学も、運命にたいする心構えも、共に薄弱な基礎の上に立っていることに気がついた。なぜならばこの小さな損失はひどく私を悲しませたし、こんな感傷にたいして自分自身を嘲りながらも、なおきょうも私はあのなくなった小刀の事を考えているからである。
 小刀の紛失がこんなにも私を落胆させるというのは面白くない兆候である。暫くでも自分の所有してきた物を非常な愛着をもって確保しようという気持は、私が大いに批判もし打ち克とうと努めながら、なお徹底的には片づけることのできない気まぐれの一つである。そしてもっと苦しい別離や訣別のことは言わないとしても、永いあいだ身につけていた着物や帽子やステッキや、或いは永年住み馴れた家から別れなければならない時には、いつでも私は或る種の不快を、時にはいくらかの苦痛をさえも感じるのであった。しかもあの小刀は、こんにちまで私の生活の流転に耐え、幾十年という永い間あらゆる流転るてんを共にして来た少数の物の一つである。
 なるほど私は遠い過去からの神聖な古い物をまだ二つか三つは持っている。母の指環とか、父の時計とか、数枚の写真とか、少年時代の思い出の品とかいう物を。しかしそういう物は本来すべて死物であり、博物館物であり、戸棚の中に横たわって、せいぜい一年に一度眺められるに過ぎない。しかしあの小刀は、永の年月ほとんど毎日使われてきた物である。私はそれを幾千回となくポケットへ突っこみ、ポケットから出し、仕事にも使えば慰みにも役立て、百回も砥石にかけて砥ぎ直し、もうこれまでに幾たびか見失ってはまた見つけ出した。わが愛のその小刀だ。まさに一篇の歎きの歌クラーゲリートには値しよう。
 それは――私がこれまでに幾つも持っていて使い古したような、そんな――平凡な小刀ではなかった。それは園芸用の小刀で、堅い、光沢つやのある木製の柄に嵌まった、一個のすぐれた、非常に丈夫な、半月形に曲がった刃物だった。贅沢や道楽の対象ではなく、まじめな、堅牢な武器であり、遠い昔からの信用のできる形式を具えた手堅い道具だった。こういう形式は幾百千年このかた祖先たちの実験から出来上がったもので、その手堅い形式に代えるに軽薄な、新奇な、無意味な、ふまじめな形式をもってしようとする野心に燃えた工業の攻勢に対して、しばしば永年の抵抗を続けて来たのである。なぜならば工業というものは、現代の人間がもはやそれをもって仕事をしたり楽しんだりする品物を愛することをせず、軽々に、かつ頻繁に、それを取り替えるという事実の上に彼らの経営の基礎を置いているのだから。もしも昔のように一人の人間が一生のうちにただ一度、一本の丈夫な、質のいい、立派な小刀を買って、それを死ぬまで大事に使うとしたならば、いったい小刀工業はどうなるであろう。いや、こんにち人々はナイフやフォークを、カフスボタンや帽子を、散歩のステッキやこうもり傘を、あらゆる瞬間に取り替える。そして工業は、これらすべての流行品をその支配下に置くことに成功したのである。そして一シーズンを打算されたこれらの流行型からは、もう昔の堅実な純粋な形式が必然的に持っている美も、生気も、正しさも、期待することはできないのだ。
 あの美しい鎌形の園芸小刀を初めて手に入れた時のことを、私は今でもはっきりと思い出すことができる。当時私はすべての点で好調の波に乗っていた。そしてそれにふさわしい自覚もあった。結婚してまだ間もなかった。私は都会と糊口のための牢獄とから脱して自主独立の身となり、ボーデン湖畔の或る美しい村に住んで、ただ自分自身に責任を持ちさえすればよかった。私は自分が書いて、かなりよく出来たと思われる本で成功した。私は湖にボートを浮かべ、妻は最初の子供の出生を待っていた。そして折から私は或る大きな計画を立てて、その重大さにすっかり心を奪われていた。それは自分の家を建て、自分の庭をつくる事だった。すでに土地は買い入れられ、測量の杙くいは打ちこまれた。そして自分の地所をあるく時、私は幾たびかこの仕事の美しさと真価とを晴れがましいものに感じるのだった。ここに永久の礎いしずえを据え、私及び私の妻や子供らのために、一つの故郷と隠れがとを打ち建てるのだと思った。家の設計もすでに終り、幅の広い長い中央歩道や、噴泉や、栗の樹の植わった草地を持つ庭園が、私の頭の中でしだいに形を成していった。
 当時私は三十歳ぐらいであったろうか。或る日私宛ての重たい貨物が蒸汽船で到着した。そして私はそれを桟橋から引き揚げるのを手伝った。それは或る園芸会社から送ってきた物で、中味はすべて園芸用具ばかりであり、鍬、シヤヴェル、鶴嘴つるはし、熊手、草掻き(中でも白鳥の頭のついているのが特に私を喜ばせた)、その他これに類した物がたくさん入っていた。それらと一緒に丁寧に小布で包んだ幾つかの小さい可愛い物が入っていたが、私は喜んで一つ一つあけてみた。そしてその中にあの小刀もまじっていた。私はさっそくそれを開いて調べた。新らしい鋼鉄が私にむかってぴかぴか光り、脊中の発条ばねが堅く強く跳ねかえり、ニッケル鍍金メッキの柄つかの帯金がきらめいた。それはその時には単に一個の小さな添え物であり、道具の中での些細な附属品にすぎなかった。私はやがてこの小刀が、私のすべての美しく新らしい所有物から離れ、家や庭や家族や故郷から離れて、その後もなお私に属し、私のもとにとどまる唯一つの小さい道具となろうなどとは考えもしなかった。
 この新らしい小刀で私か危うく指一本そぎ落としそうになったのは、それから間もないことだった。その傷痕は今でもなお残っている。一方、庭は設計が終って植物が植えこまれ、家も建った。そして幾年という長いあいだ、庭へ出てゆく度ごとに小刀は常に私の伴侶だった。私はそれで果樹の枝打ちをし、向日葵ひまわりやダリアを切って花束を作り、小さい息子たちのために鞭の柄や弓を作ってやった。短かい旅行の時を除くと、私は毎日数時間を庭のなかで暮らした。何年ものあいだ、耕作も栽培も、種播きも灌水も、施肥も収穫も、すべて私一人でやりつづけた。そして寒い季節になると、いつも庭の片隅で小さい火を燃やし、雑草や古い根株や、あらゆる種類の屑を焼いては灰にした。私の息子たちは喜んでそのそばへ寄って来て、切り落とした小枝や芦を火の中へ挿しこんだり、馬鈴薯や栗をその中で焼いたりした。そのうち或る日のこと、私は自分の小刀を火の中へ落とした。それで柄のところに一個所小さな焼痕がついたが、それがいつまでも消えないので、それ以来この世のすべての小刀と区別することができるようになった。
 ボーデン湖畔の愛らしい家に住むことがもはやそれほど楽しいものでなくなり、そのため私がたびたび旅行をする時期が来た。私はしばしば自分の庭を抛擲して、あたかもどこかに最も大切な物を置き忘れでもしたかのように、あちこちと世界をめぐり歩いた。私はスマトラ南東の最も奥地まで旅をして、ジャングルの中でちらちら光る巨大な緑いろの蝶を見た。そして帰って来ると、妻はこの家と村とを捨てたいという点で私と意見が一致した。しだいに成長しつつある息子たちのために是非とも学校が必要なこと、その他いろいろな問題が明らかにされ、私たちはそれらの点についてたくさん話をした。しかしここにとどまること自体がすでにその意義を失っており、またこの家での私の幸福と快適との夢が一つの間違った夢であって、これを葬らなくてはならないという事については誰とも話をしなかった。
 美しいスイスの都会に程近く、間近に荘厳な雪の山々を眺める、巨大な年古りた樹々を持った或るみごとな庭園に、私はふたたび我が馴染なじみの秋や春の火を点じた。そして生きることが私を苦しませ、この新らしい場所でもまたすべてが困難で狂った調子に響くとき、私はその責任を或る時はここに、或る時はかしこに、またしばしばおのれの心に帰するのだった。そしてあの力強い園芸小刀に目を向けたとき、私は感傷的な自殺者にたいするゲーテの卓抜な提言を思い出した。すなわち、みずから殺す者はあまり楽々とそれを為すのではなく、英雄的精神によって死をかち得るのであって、少くとも自分自身の手で心臓に剣を突き通すというのである。そしてゲーテ同様私にはそれができなかった。
 戦争が始まった。同時に私の悩みはそれ以上永く続かず、私は自分の不満や憂欝の原因をこれ以上追求する必要がなくなったばかりか、かえってそれを明らかにすることができた。そしてそこには癒やすべき何物もなく、現代の地獄を生きぬく事こそ、畢竟我儘わがままな憂欝や失望にたいする一つの良い治療法だということを悟った。私が自分の小刀をほとんど使わない時が来た。ほかに為すべき事が余りに多かった。そしてすべてが次々と崩壊していった。まず第一にドイツ国家と、当時国外から見ていることがこの上もない苦痛であったその戦争。そして戦争が終ると私の生活にもさまざまな転変が来た。私にはもう庭もなければ家もなく、家族とも別れ、孤独と瞑想との幾年のなかに踏みこんで、それをあますところなく味わい尽さなければならなかった。亡命の長い長い冬のあいだ、私はよく冷めたい部屋の小さい煖炉の前に腰を下ろして、手紙や新聞紙を燃やしたり、あたりの木片をあの古い小刀で刻んでは火の中へ入れたりした。そしてその焔に見入りながら、私の生活、私の名誉心、私の知識、私の全自我が、しだいに燃えてきれいな灰になるのを見た。そしてその後もまた自我や名誉心や虚栄心や、その他あらゆる混濁した生活の魔力が繰り返し繰り返し私を籠絡するような時でも、なおかつそこには一つの発見された避難所があり、一つの認識された真理があった。そして故郷が、それを打ち建てて自己の所有とする事が自分の生涯中には見込みのなさそうな故郷が、私の心のうちに成長しはじめるのだった。
 この長い道程を私の伴侶であったあの小刀が、今私から失われたからといって、別に英雄的でもなければ悟りを開いた事にもならない。それにまた今日のところ、私は英雄的でも賢明でもありたいとは思わない。そのためにはまだ明日という日がある。
                                (一九二四年)

 

 

 

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 水彩画をかく

 またしても午前中を釈放されて逃げ出すことに成功した。義務はすこしばかり待つがいい。毎日の生活のがらくたも、みんなしばらく待つがいい。一体この退屈な錆だらけな器械がいつでも活動するように、助けてやらなければならない義務がほんとうに私にあるのか。出版社からの校正刷りも待つがいい。この冬の朗読会への出席を頼んできたボフムだかドルトムントだかの紳士も待つがいい。大学生や小娘たちからの手紙も待つがいい。ベルリンとチュドリッヒからの訪問客も待つがいい。――相変らず文学の事ばかりつべこべ言うかわりに、私の家のまわりを往復して、一度でもこの美しい土地に眺め入るがいいのだ! 私はうまい瞬間に逃げ出した。すくなくとも半日、ことによったら丸一日が私のものだ。
 すべてのものから逃げ出した私に、ここ二三時間は書物もなければ仕事部屋もない。あるのは太陽と、私自身と、この透明で柔らかな、林檎緑アプフエルグリユンに澄んで輝く九月の朝の大空と、桑や葡萄の秋めいた葉のなかで光っている黄色だけだ。
 私は画をかく時の小さい椅子を手に持っている。これは私にとって手品の道具でもあれば、ファウストの外套でもある。そしてこれのお蔭ですでに千度も魔法を使ったり、愚かしい現実との闘いに勝ったりしたのだ。私はまた背中にルックサックをしょっている。この中には小さい画板やパレットと一緒に、水彩の絵具と筆洗用の水を入れた小さい壜と、上等なイタリア製の紙二三枚と、一本の葉巻と、一個の桃とが入っている。私は郵便配達につかまる直ぐ前に家を出る。十分間以内には彼がやって来るはずだから。私は村のほうへむかって歩いてゆく。そして古いイタリアの兵士の歌を鼻唄でうたう。Addio la casèrma, non ci vedremo più!「さらば兵舎よ、二度とは逢わじ!」
 私は遠くへは行かない。或る葡萄の丘の影のなか、草がまだ露に濡れている小さい牧場の小径へと入りこむやいなや、忽ち一つの風景が私に呼びかけ、ぜひとも描かずにはいられないほど美しく霊妙に輝きながら私を見つめている。それは樹を育てている古い庭で、水松いちい、棕櫚、糸杉、泰山木マグノーリエ、その他さまざまな低木が植わって山のほうへ嶮しく高まり、心もち弓なりに曲がって針の先のような梢をした糸杉が、炎のように空中に伸び上がっている。そして下のほう暗緑色の湖水の面に、魅惑的な縁縫いのような影のついた一つの赤い波形瓦の屋根が燃え、上の高みでは、眠ったような庭と樹木との楽園をすかして、鋭い影の翰郭をもった一軒の明るい色の別荘が、やさしく媚びるように光っている。本来ならば、まだほとんど村の中のこんな処で早くも停滞したり、高い草のなかへ足を濡らしに入りこむなどということは、ちっとも私にふさわしくないのだ。しかし今はもうどうしようもない。あの赤い屋根と、煙突の下の影と、台地を被う木の葉の海のなかの二つ三つの深い神秘的な青とが、私をとらえて放さない。私はそれを描かなければならないのだ。
 私は折畳み椅子をひろげて立てる。家から野外への、義務から気晴らしへの、文学から絵画への、わが遠足の友であり道連れである椅子を。私は用心して腰をおろす。布製の腰掛の部分が少しきしんで、私に警告を与える。新らしい釘を二三本打ちこまなくてはならない。実はきのうも又それを忘れたのだ。どうして? わけはこうだ。一人の紳士がドイツからやって来た。彼は幾日かの休暇を南方に滞在している。ところがこの紳士、同国人を探したり文学を語ったりするほかに毎日をつぶすもっと利口な手段を知らないときている。いっそ骨でも挫けばいいのに! いや、そんな事は元よりいけない。しかしこの次からはベルリンにじっとしているがいいのだ!私の小椅子がかすかにきしむ。私はルックサックを草の中に横たえ、絵具の入ったボール箱や、鉛筆や紙などを取り出す。そしてカルトンを膝にのせて、屋根や、影のついた煙突や、丘陵の線や、高く光っている別荘や、糸杉の暗い狼煙のろしや、雑木林の深い青い陰のなかで驚くばかりにきらめいている日の当った明るい栗の樹などの素描をはじめる。その仕事はじきに終る。今日はこまかな部分が問題ではなくて、色彩の面だけが問題なのだ。私はまた別の時に小さい物や個々の物に没入することができるし、木についている葉っぱの枚数をかぞえることもできる。しかし今日はしない! 今日私の問題とするのは色だけである。あの屋根の豊かな重厚な赤、その中に含まれている青赤色とすみれ色のすべて、木々の暗さからぬきんでた明るい家々の輝きだけが問題だ。
 私は手ばやく絵具を取り出し、かわいい小さい壺に少しばかり水を注ぎ、その中へ画筆をひたす。しかし私はそこで全く愕然としてしまう。絵具をしぼって入れるパレットの凹みの大部分が空からなのだ。完全にからっぽで、一片の絵具かすさえ残さない程きれいさっぱり掻き取ってある。そのうえ数ある絵具の中に茜赤あかねあか(Krapplack)だけが入っていない!私が真にそれを喜び、その深い色彩の響きのために特にこの素描をかいた、ちょうどその色が無いのだ! 茜赤の色無しに、どうしてあのすばらしい波形瓦の屋根が描けよう?!
 ところで、ああ、この絵具無しの、からからに掻き取られた穴ぼこは一体どうしたわけなのだ? そうだ、私はすぐに思い出した。それは二三日前のことだった。写生から家へ戻ると、私は体を洗って休息する前に、二三の穴へ新らしく絵具を詰めかえることにして、コバルトと、茜赤と、少しばかりの緑とを拭き取りにかかった。そして絵具まみれになった両手で補充のためのテューブを棚から取り出そうとしていると、ちょうどその時戸をたたく音がして、又もや一人の訪問客が姿を現わした。それはかなり立派なテニス服を着て、グランド・ホテルと自家用車のにおいを漂わせた紳士だった。彼はちょうど数日間このルガーノに滞在しているので、私の住んでいる処まで登って来て、自分が私の『荒野の狼』を読んだことや、しんそこでは自分も一種の荒野の狼的素質を持った人間だという事を私に知らせたいという、そんなことを思いついたのだ。そして正にそのとおりだった! そこで私は自分の画描き道具を急いでルックサックへ押し戻し、まる四分の一時間紳士の話に耳をかたむけ、それから玄関口へ案内し、そのうしろから二重の戸をしめ、門をとざした。しかし絵具のことは彼の話を聴いているうちに忘れてしまった。そして今私はここに坐って、画をかく熱にとりつかれ、赤い屋根にぞっこん惚れこみ、しかも茜赤を持っていない! 否、私は見も知らぬ客を迎え入れるべきではなかったのだ! それに本なども書いてはいけなかったのだ! ところが私はそれをした! 私は気ちがいだったのだ。
 それはともかく、芸術は気質だけでは成り立たない。それには賢さもまた関与する。私はその事を思い出して自分に言った。「もしも茜赤無しでは自分の画に望ましい響きを与える力が無いならば、お前はむしろ画をかくことを諦めたほうがいい!」と。そこで私は茜赤の代りにほかの色を使うことにした。私は朱を取り上げて、その中へ少量の青赤色を混ぜた。そして熱望された色はどんな混ぜ合わせからも得られない事がわかっているので、せめてコントラストをつけるために、屋根のまわりを青よりもむしろ黄緑に近い色で塗った。こうして私は色を混ぜ、おのれを抑え、努力し、茜赤を忘れ、外国人を忘れ、文学も世界も忘れた。そこには二三の色の配置との闘いのほかもう何もなかった。彼らは一緒になって一つの確乎とした音楽を造り上げずにはいなかった。そしてついに私の画が描き上がった時、一時間が経過していた。
 しかしその紙がいくらか乾いた後、そしてそれが草の中で私の前にひろがっている今、私は即座に知ったのだ。何ものも達成されはしなかったし、何ものも成功しはしなかったことを。ただ別荘の屋根の下の影だけが美しかった。それはそこに在って、正しくて、よしんば私がコバルト無しで描かなくてはならなかったにしても、なおかつ天空にむかって美しく立っていた。前景のすべては塗りつぶされ、ひどい目にあっていた。私には茜赤をほかの色で代用する資格は無かったのだ。私はすべてに無力だった。そして、ああ、芸術の世界では一切が能力のいかんにかかっているのだ! 言いたい事を言うがいい。芸術の中で決定的なものは力だとも、精力だとも、或いは私の場合ならば幸福の所有だとも! 私はしばしば独りでその反対を考えて主張したものだ。問題は或る人間に能力が有るか無いか、その芸術を名手のようにあやつっているかいないかではなく、果たして彼が自分のうちに真に何かを担っているか、そして言いたい何かを真に持っているか否かであると。くだらぬ事を言ったものだ! 人間は誰しもおのれのうちに何物かを持っていたし、言いたい何かを持っていたのだ。しかし肝要なのは、沈黙したり口ごもったりしていないで、言葉をもってであれ、色をもってであれ、或いは音をもってであれ、とにかく彼が真に語ることである。 アイヒエンドルフは偉大な思想家ではなかった。そしてルノアールはおそらく特別に深みのある人間ではなかった。しかし彼らは多かれ少なかれ語るべきものを持っていて、それを申しぶんなく表現した。それのできない者はペンや画筆を捨てるがいい! さもなければ出て行って、もっと修練を積むがいい。幾度でも回を重ねて挫けることなく、彼にもまた何かができ、彼もまた何かに成功するまで。
                              (一九二七年)

 

 

 

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さすらいの記

 

 農 家

 この家のところで別れを告げる。これから先永いあいだ、私はもうこんな家を見ることはあるまい。なぜかと言えばアルプスの峠もほど近いし、ドイツ的な風景やドイツ語といっしょに、北方的な、ドイツ風な建築様式もここでおしまいになるからだ。
 こんな境界を越えて行くことはなんと素晴らしいことだろう! 遊牧者が農夫よりも原始的であるように、漂泊者というものはいろいろの点で原始人だ。しかし定住欲の克服と境界線の蔑視とは、それにもかかわらず、私のようなタイプの人間を未来への道案内たらしめる。もしも私と同じように、国境へのかくまで深い軽蔑感を心に持っている人間が大勢いたら、世の中にはもう戦争も封鎖もないはずである。国境以上に憎むべきものもなければ、国境以上に愚劣なものもない。国境は大砲や将軍どものようなものだ。理性や人間的感情や平和がこの世を支配しているかぎり、人はそんなものを無視することもできるし笑うこともできる。だがいったん戦争や狂気が爆発すると、たちまち国境は重大なものとなり、神聖なものとなる。なんと彼ら国境が、あの戦争中、われわれ漂泊者にとって牢獄や拷問の苦しみとなったことだろう! そんなものはもうまっぴらだ!
 私はその家をノウトブックヘ写生する。そして眼はドイツ風の屋根に、ドイツ風の柱材や破風に、幾多の親愛なもの、故郷を想わせるものにさよならをする。これが別れであればこそ、私はいや増す愛情をもって、こうした故郷をしのばせるいっさいのものを今一度愛するのだ。あしたとなればまた別の屋根を、別の小屋を好きに思うだろう。恋文なんぞで言うように、自分の心をここへ残して行くことはすまい。おお断じて、私は自分の心を運んで行こう。山のかなたでもこの心はその時々に必要なのだ。なぜかと言えば私は一個の遊牧者であって農夫ではないから。私は不信の、変化の、空想の信奉者だ。自分の愛をこの世のどこかにしっかりと釘づけにすることを、私は大したことだとは思っていない。私は自分たちの愛するものを常にひとつの寓意としてのみ取り上げる。われわれの愛が停滞して信義とか貞操とかいうものに変わる時、私にはそれが疑わしいものに思われてくるのだ。
 農夫よ、おさらば! 有産者にも、定住者にも、誠実な者にも、有徳者にもおさらば! 私は彼らを愛することができる。彼らを尊敬することもできるし、羨むこともできる。しかし私は彼らの徳に倣おうと思って、そのために半生を棒に振ってしまったのだ。私は自分がそうでなかった者になりたがった。私は詩人になりたいと願いながら、同時に市民でもありたいと思った。私は芸術家として空想に生きる人間になりたいと願いながら、同時にまた有徳者でもあって、故郷での生活を楽しみたいと思った。こうした欲求は永いあいだ続いた。人間は同時に二つの者であることも、同時に二つの物を持つこともできないこと、自分は遊牧者であって農夫ではなく、探し求める者であって持ち護る者ではないこと、そういうことに気のつく時まで。私は自分にとって偶像に過ぎなかったような神々や掟の前でながいあいだ自分を苦しめた。それは私の錯覚であり、自虐であり、世界の不幸への共犯であった。私はその中で自分自身に暴力を加えたために、その中で救いの道をすすむ勇気をもたなかったがために、かえって世界の罪と苦痛とを増したのだった。救いの道は右にも左にも通じてはいない。それは自分自身の心へ通じているのだ。そしてそこにのみ神はおわし、そこにのみ平和はあるのだ。
 一陣の湿った突風が山から吹いてきて、私のうえを過ぎて行く。むこう側では青い空の島々が別の国土を見おろしている。あの空の下で私はたびたび幸福を味わうだろう。またしばしば郷愁にも襲われるだろう。私のような種類の完全な人間で純粋な漂泊者というものは、郷愁などは知らないはずである。だが私は知っている。私は完全ではないし、またそうなろうと努めもしない。私は自分の喜びを味わうように自分の郷愁をも味わいたい。
 この風、私がそれに向かって登って行く風には、山のかなたや遠国の、分水界や言語の境界の、連山や南方のえも言えない匂いがある。それは約束に満たされている。
 さよなら、小さい農家と故国の風景よ! 若者がその母親に別れを告げるように、私はお前に別れを告げる。彼は知っている。母のもとを去って出発すべきは今だということを。また知っている。たとえそうしたいとは思っても、彼女をまったく捨ててしまうことは決してできないということを。

 

 

 

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 田舎の墓地

かたむいた十字架にまつわる常春藤きづた
なごやかな太陽と、匂いと、蜜蜂の歌と。

幸いなのは救われて、優しい大地の胸に
寄り添って横たわっているおんみらだ、

幸いなのは故郷へ帰って、穏やかに名もなく、
母の膝に安らっているおんみらだ!

しかし聴け、蜂の飛翔や咲く花から
生の渇望と存在の喜びとが私にうたう、
消えて久しい生の衝動が
地底の根の夢から光に向かってよみがえる。

暗く埋められた命の破片は姿を変えて
この世へ出たいとひたすら求める、

そして大地の母は迫りくる分娩へと
王者のように身をうごかす。

墓穴の中の甘やかな平和の場所は
夜の夢よりも苦しくはない。

陰欝な煙も死の夢にすぎず、
その下に生命の火は炎々と燃えている。

 

 

 

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 峠

 堅固なほそい道路のうえを風が吹く。樹木も藪もうしろになって、ここにあるものといえば石と苔ばかり。誰にとってもここには求めるものがなく、誰もここには財産を持たず、農夫もこんな高みでは乾草も薪も得られない。だが遠方は牽き、あこがれは燃える。そしてそういうものこそ巌をこえ、湿地をこえ、雪をこえて、かなた別の谷間へ、他郷の家々へ、異なった国語や人間のほうへ通じるこの快適な、ちいさい街道をつくったのだ。
 峠の頂上で私は立ちどまる。道は両側へくだり、水は両側へ流れる。そしてこの高所でたがいに隣りあい、たがいに手を取りあっていっしょにいるものが、かなた二つの世界にそれぞれの道を見いだす。私の靴のかろく触れている小さい水溜まりは、北のほうへしたたり落ちる。その水は遠い寒冷な海へそそぐのだ。しかしそのすぐそばにあるわずかばかりの残雪は、滴々として南へしたたる。その水はアフリカと境を接したリグリアやアドリアの岸辺へ向けて落ちるのだ。しかし世界のすべての水はやがてふたたびめぐりあい、氷海とナイルとは湿った雲の中でまじりあう。古い美しい寓話が私のこの瞬間を神聖なものにする。われわれ漂泊者にとってもまた、それぞれの道が家へ通じているのだ。
 しかしまだ私の眼は選択に自由だ。まだ北も見え南も見える。もう五十歩進んだならば、南のほうだけが打ちひらけて見えるようになるだろう。なんとそのいぶきが青みがかった谷々からひそやかに上ってくることか! なんと私の心臓がそれに向かって躍ることか! 湖や花園の予感、葡萄や巴旦杏はたんきょうのにおいが、巡礼やローマ遠征の古い神聖な物語といっしょに吹き上げられてくる。
 遠い谷々からの鐘の音のように、青春のかなたから思い出がひびいてくる。私の最初の南方への旅の陶酔、あおい湖畔の花園の空気を酔う者のように吸った記憶、蒼ざめてゆく雪の山々のかなた、遠いふるさとに寄せた夕暮のおもい! 古代建築の神々しい柱のまえでの最初の祈り!褐色の岩の向こうに泡立つ海を初めて見たときのあの夢のような光景!
 その興奮も今はもうない。美しい遠国や自分の幸福を、愛するすべての者に知らせたいという欲望ももはやない。私の心に春は過ぎて、今は夏だ。ここまで届いてくる異郷の挨拶も昔のようには響かない。私の胸へのその反響はもっと静かだ。私は空へ帽子を投げない。どんな歌もうたわない。
 しかし私はほほえむ。単に口でだけではなく、魂で、眼で、皮膚全体でほほえむ。そしてここまで薫ってくるあの土地に対して、昔とは違ってもっとこまやかな、もっと静かな、もっと鋭い、もっと円熟した、またもっと感謝をこめた心をささげる。あのいっさいのものが、今日はかつての時よりももっと余計に私の所有となり、いっそうゆたかに、また百倍ものニューアンスをもって私に語りかける。私の憧れは酔ってはいても、薄絹をまとった遠方にもう夢の色彩を塗りはしない。私の眼は現に在るもので満足している、と言うのもその眼が見ることを知ったからだ。世界は昔よりも美しくなった。
 世界はいっそう美しくなった。私は孤独だ。そして孤独であることを悲しまない。私は今と違った自分でありたいとは願わない。私には甘んじて太陽に煮られる用意ができている。私は成熟することを熱烈に望んでいる。私には死ぬ用意がある。生まれかわってくる用意もある。
 世界はいっそう美しくなった。

 

 

 

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 夜 道

埃の街道を夜ふけて行く、
塀の影はななめに落ち、
葡萄の株の列のむこうに
小川や路の月光が見える。

むかし歌った幾つかの歌を
またも小声で歌いはじめる、
数えきれないさすらいの影が
私のゆくてを十字に横ぎる。

いくとせの風や雪や太陽の
熱気の余韻が私にある、
夏の夜とあおい稲妻、
嵐と旅の苦もひびく。

鳶いろに日焼けして
この世の富を満喫して、
わが行く道が闇のなかへ
落ちこむところまで遠く牽かれていくようだ。

 

 

 

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 村

山の南がわの最初の村。ここからはじめて私の好きな漂泊の生活が、あてもない流浪が、日なたの休息が、解放されたヴァガボンドの日々にちにちがほんとうにはじまる。私はルックザックのなかみで生き、ズボンに房をさげているが、そんなことがひどく好きだ。
 居酒屋で露天へ酒を持って来させている間に、私はふとフェルッチオ・ブゾーニのことを思い出す。「あんたはたいそう田舎風に見えるな」と、いくらか皮肉をまじえて私の好きなあの男は言った。それは私たちが最後に――と言ってもいまだそれほどたってはいないが――チューリッヒで遭った時のことだ。アンドレエはマーラーのある交響曲を指揮していた。われわれはなじみのレストウランで食卓をかこんだ。私はブゾーニの蒼白い幽霊じみた顔や、こんにちなおわれわれがもっているこのもっとも光輝ある反俗物主義者の、不羈の精神にふたたび悦ばされたのだった。――だが、いったいどうしてこんなことを思い出したのだろう。
 わかった! 私の思っているのはブゾーニではない。またチューリッヒでもなければ、マーラーでもない。それは何か厄介なものに出遭った時によくある記憶のまちがいだ。そんな時には往々にして無害な形象が前景へ押し出されるものだ。そうだ、今度こそわかった! あのレストウランには、言葉こそ交さなかったが、ほかにもう一人明るい金髪の、ひどく紅い頬をした若い女がすわっていた。天使のような女よ! その女を眺めることは楽しみでもあれば苦痛でもあった。なんとその間じゅう、私はその女を愛したことだろう! 私はもう一度十八歳の若者にかえっていたのだ。
 急にすべてがはっきりしてきた。美しい、明るい金髪の、快活な女よ! お前の名をなんと言ったか私はもう覚えていない。私は一時間というものずっとお前を愛しつづけた。そしてこの山村のちいさい日当たりの道ばたで、今日もまた一時間お前を愛している。誰も私以上にお前を愛した者はない。誰一人私ほど多くの力を、絶対の力を、お前に認めてやった者はない。だが私は不信の人間だという宣告をうけている。私は、女をではなく、恋を恋する軽薄児の一人なのだ。
 われわれ漂泊者というものは、みんなそういうふうに作られている。われわれの放浪癖も放浪生活も、その大部分は恋愛であり、好色である。旅のロマンティックの半分は冒険への期待にほかならない。しかし他の半分は、好色的なものを変形したり解体したりしようとする無意識の衝動である。われわれ漂泊者は、愛の願望の実現が不可能であればあるだけそれを育もうとして、本来ならば女性に対するものであるその愛を、村落や山に、湖水や峡谷に、路傍の子供らに。橋畔の乞食に、牧場の牛に、鳥に、また蝶に、気軽く播きちらしてやることに馴れている。われわれは愛を対象から解きはなつ。われわれにとっては愛そのもので充分なのだ。ちょうど漂泊の中に目的地を求めず、ただ漂泊そのものの楽しみ、途上に在ることの楽しみを求めるように。
 晴れやかな顔をした若い女よ、私はお前の名を知りたいとは思わない。お前に対する愛を育てたり太らせたりしようとは思わない。お前は私の愛の目的ではなくて、むしろその動機なのだ。私はこの愛を路傍の花に、酒杯にきらめく日光に、お寺の塔の赤い擬宝珠ぎぼしに贈ってやる。私がこの世にうっとりしているのはお前のおかげだ。
 ああ、愚かなお喋りをしたものだ! 今日のあけがた、私は山のヒュッテであの金髪の女を夢に見た。私はばかばかしいほど夢中になった。もしもあの女がそばにいてくれるなら、その代わりに漂泊のあらゆる喜びといっしょに、残りの生涯さえ与えてしまったかもしれない。私は今日一日じゅう、あの女のことを思うのだ。あの女のために酒を飲み、パンを食うのだ。あの女のために村や塔の絵を手帳へかくのだ。あの女が生きていること、あの女に遭うことができたことを、あの女のために神様に感謝するのだ。私はあの女のために一篇の歌を書こう。そしてこの赤い葡萄酒に酔おう。
 こうして晴れやかな南国での私の最初の休息が、山のかなたの一人の明るい金髪の女へのあこがれに終始することになってしまった。なんとあの生き生きした口が美しかったことだろう! この哀れな生がなんと美しく、なんと愚かしく、またなんと魅力に満ちていることだろう!

 

 

 

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 失 踪

夜の逍遙者、私は森や狭間はざまを手搜てさぐりで進む、
私のまわりでは幻想的な魔法の輪が、
あるいは言い寄り、あるいは呪詛し、あるいは無遠慮に燃えている、
私は忠実に内部の声に服従する。

そこにお前たちの生きる現実が
なんと幾たび私を促し、私を支配したことか!
私はお前たちの中に醒め、驚いて立っていた、
そしてまた忍び足で立ち去った。

おお、お前たちのために遠ざけられたわが温暖のふるさと、
おお、お前たちのために妨げられたわが愛の夢よ、
私の本質は千の間道を走って彼らの許へ逃げ帰る、
あたかも水が海へ帰るように。

かくれた泉は讃歌をもって私をみちびき、
夢の鳥らはその華やかな翼をうごかす。
少年時のしらべはまたもや空へ響きのぼり、
金の編細工の中、甘美な蜜蜂の歌にとりまかれて
ふたたび母のかたわらで啜り泣いているおのれを私は見る。

 

 

 

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 橋

 渓谷を向こうへ越え、かたわらに滝を眺める橋の上を、街道が通じている。私は以前にもこの橋をとおったことがある、――以前にも実にいくたびか。だがそのうちの一度は特別な場合だった。それは戦争中のことで、私は休暇も終わったのでまた出発して、街道や鉄道で旅をいそぎ、正規の時間までに到着して勤務につかなければならなかった。戦争と義務、休暇と召集、赤い紙きれと緑の紙きれ、閣下、大臣、大将、官庁、――そんな嘘のような夢まぼろしのような一つの世界が現実に存在して、しかもそういうものが権力をもち、毒すべき国土をもっていて、私のような取るにも足らぬ漂泊者兼水彩画家を、その隠れ家から喇叭らっぱの音で狩り出したのだった。そこには牧草地と葡萄の丘とがあった。そして折りから夕暮の橋の下では、薄闇のなかで小川がすすり泣き、濡れた叢林が身をふるわせ、その上に色褪せてゆく夕べの空が涼しい薔薇いろに張りつめていた。もうやがて螢の出る頃だった。ここには私の愛さない一つの石とてもなかった。滝の水には私のありがたく思わない、また神のご座所から直接落ちてきたのでない、一滴といえどもなかった。しかしすべては無だった。そして折り伏せられて濡れている叢林への私の愛は感傷的だった。現実はまったく別の様相を呈していた。現実は戦争を命令し、大将や曹長の口を通じて喇叭を吹き鳴らした。それで私は駈けつけなければならなかった。それで世界のあらゆる谷間から千百の人間が駈けつけなければならなかった。そして一つの重大な時期が立ち現われた。われわれ憐れむべき善良な動物どもは急行した。時勢はいよいよ重大さを増していった。しかしその道中を通じて、私の内心には橋の下ですすり泣く水がうたい、清涼な夕べの空の甘やかな疲れが響いていた。そしてすべては極度に愚かしくもまた悲しかった。
 今やふたたびわれわれは行く。めいめいが自分の小川のふちや街道を。そして以前よりも疲労した静かな眼で、昔ながらの世界や、叢林や、牧草地の斜面を眺めやる。われわれは墓の下にいる友らのことを考える。そしてそれも運命だったということだけを悟って、悲しくそれに堪えてゆく。
 しかし美しい水は今もなお白く青く、褐色の山から流れ落ちて、昔ながらの歌をうたっている。あの叢林もまだあって、たくさんの黒い鶫つぐみがとまっている。もう遠方からきこえてくる喇叭の響きはない。重大な時期はまたもや魅力に富んだ昼と夜、朝と夕べ、真昼とたそがれのものとなって、世界の我慢づよい心臓がいよいよその鼓動をつづけている。もしもわれわれが草原へ身をたおして大地へ耳を押しつけるか、橋の上へ立って水をのぞきこむか、明るい空をしばらく眺めているかすれば、その大きな落ちついた心臓の音がきこえるだろう。そしてそれは、われわれがその子供らである母の心臓の音なのだ。
 この道を別れの道として通ったあの夕暮のことを考える今日、戦争や叫喊について何も知らない青さと匂いとをもった遠方から、たちまち悲しみが私にむかって響いてくる。
 そしていつかは、私の生活をゆがめ悩まし、またしばしば堪えがたい不安でいっぱいにしたものが、すべてそこから姿を消すだろう。いつかは最後の疲れといっしょに平和がやってくるだろう。そして母なる大地は私をその胸へ抱きとるだろう。しかしそれが終局ではなくてまた再生がはじまるだろう。その中で老人や衰弱者が打ち倒れ、若いものや新しいものが呼吸をはじめる一つの浴場が、一つの仮睡うたたねのような世界が現われることだろう。
 それならば私は別の思いを心にいだいて、ふたたびこういう街道を行き、小川の音に耳をかたむけ、夕暮の空をうかがい見よう。くりかえし、くりかえし。

 

 

 

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 壮麗な世界

常に絶えず私は思う、それは老いているのか若いのかと。
夜の中のひとつの山脈、露台でじっとしている一人の女、
おだやかに揺れる月光のなかの白い街道、
私の不安な心を憧れのために肉体から引きちぎるこれらのものは。

おお、炎々と燃える世界、おお、お前露台の上の白い女、
谷間で吠えている犬、遠くで轟いている列車よ、
なんとお前たちは偽ったか、なんと辛辣に私を欺いていたことか、
しかもなお私にとってお前たちは常にもっとも甘美な夢だ、幻だ。

幾たびか恐ろしい「現実」の中に私は道をたずね求めた、
陪席判事や法律や流行や為替相場が勢いをふるう現実世界に。
しかし私は一人で逃げた、いつも失望して身をもってのがれた。
かなた至福の痴愚と夢とがほとばしるところへ。

樹々の間の蒸し暑い夜風、陰欝なジプシーの女、
愚かな憧れと詩人の息とにみちた世界よ、
そこへ私か永久に所属し、そこでお前の電光が私を痙攣させ、
お前の声が私を呼ぶ壮麗な世界よ!

 

 

 

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 牧師館

 この美しい家の前をとおると、あるほのかな憧れや郷愁におそわれる、静寂や休息や市民生活への憧れ、ぐあいのいい寝台や、庭園の腰掛や、上等な料理のにおいや、さては書斎、烟草たばこ、古い書物などへの郷愁に。しかも若いころ、私はなんと激しく神学というものを軽蔑したり、嘲笑したりしたことだろう! それは、こんにち私の知るところでは、優雅と魅力とに満ちた一つの学問だ。それはメートルとかツェントネルとかいうくだらぬ事柄とは関係がないし、たえず撃ち合ったり、大声で叫んだり、裏切りが行なわれたりするような、賤しむべき世界史とも縁がない。それどころか、優しい、愛すべき、至福な事柄に、恩寵とか救済とか、天使とか聖霊とかいうものに、柔らかく微妙に関係している学問なのだ。
 私のような人間にとって、この家に住んで、牧師の生活ができたらさぞかし素晴らしいことだろう。それも正しく私のような人間にとってだ! 上等の黒い不断着を着てこの家の中をあちこちと歩き廻ったり、庭の梨の木の生垣をやさしく、しかし主として精神的に寓意的に愛したり、村で死にかかっている病人を慰めたり、古いラテン語の書物を読んだり、料理女にやさしく指図を与えたり、そして日曜日にはなにかりっぱな説教を頭にえがいて、敷石道を教会のほうへ歩いて行く。私はそうしたことに適してはいないだろうか。

 天気の悪い日には盛んに火をたいて、ときどき緑か青みがかった色のタイル張りの煖炉の一つに凭れかかり、そのあいだにはまた窓ぎわへ立って、この悪天候に私は頭を振るだろう。
 それとは反対に、太陽のかがやく美しい日には、私はたびたび庭へ出て生垣を刈りこんだり結んだりするだろう。あるいはあけはなした窓べに立って山々を眺め、それが灰いろや黒い色から、しだいに薔薇いろや焔の色に変わってゆくさまを見るだろう。ああ、私は自分の静かな家の前を通りすぎるすべての旅びとを、深い関心をもって見送るだろう。優しく親しい思いをこめて、さらにまた憧れをもって、その後ろ姿を目で追うだろう。なぜかと言えば、彼らは私のように定住者たり主人たる役を演ずる代わりに、いっそうりっぱな役割を選びとって、真実に、正直に、地上の客であり、巡礼であるからだ。
 おそらく私はそうした牧師であるだろう。しかしまたことによると別様な牧師であるかもしれない。私は陰気な書斎にたてこもって強いブルグントの酒に夜々の無聊をやり、千百の悪魔と斬り合いを演じるかもしれない。あるいは自分のところへ来た懴悔娘とのひそかな罪に対する良心の呵責から、夜なかの不安な夢に飛び起きるかもしれない。あるいはまた緑に塗った庭の門を締めきって、寺男に鐘をつかせ、自分の務めや自分の村や、世間のことなどには目もくれず、幅広な寝椅子に寝ころがり、烟草をふかし、ばかのように懶けきって暮らすかもしれない。夜は着物を脱ぐのもひどく面倒で、朝は起き上がるのも大儀すぎるというように。
 要するに、私はこの家にいても、決して本来の牧師のような生活はしないだろう。反対に、今と同様住所不定の、無害な旅びととして生きるだろう。私は決して牧師にはならないだろう。それどころか、時には空想的な神学者であり、時には美食家であり、時にはひどい懶け者として葡萄酒のびんを追いまわし、あるいは若い娘に夢中になり、あるときは詩人であり、俳優であり、時にはまた哀れな心にやるせない悩みと悲しみとをいだいて、望郷のおもいに病みわずらうことだろう。
 それだから、私が緑の門や生垣の木を、好もしい庭園や牧師の館を、外から見ようが内から見ようが、また私の憧れが往来から、この家のもの静かな精神的な主人のところまで、窓を越えてはいっていこうが、あるいはその憧れが羨ましさと懐かしさとをこめて、道ゆく旅びとを眺めようが、そんなことはもうどうでもいいのだ。私がここの牧師であろうと、はたまた路上一介の放浪者であろうと、それはまったく問題ではない。私にとって真に充分深い関心事であるわずかばかりのものを除けば、すべてはまったくどうでもいいのだ。それが舌の上にであれ足の裏にであれ、快楽に際してであれ苦痛の時にであれ、とにかく私に自分の命のおののきが感じられること、私の魂が軽快にうごいて、幾百の空想のたわむれによって幾百の物の形のなかへ、牧師や放浪者のなかへ、料理人や人殺しのなかへ、子供たちや獣らのなかへ、ことに小鳥たちのなかへ、そしてまたさまざまな樹のなかへ忍びこめること、これこそ重大なことなのだ。私は生きるためにそれが欲しいし、またそれがなくてはやっていけないのだ。そしてもしも、もうそれが許されないで、いわゆる「現実」の生活を唯一の頼りとしなければならなくなったら、私は喜んで死をえらぶだろう。
 私は泉のところへ凭れかかって、ほんとうに何よりもいちばん気に入った緑いろの扉のついている、そしてうしろに教会の塔の見える、その牧師館を写生した。ことによると私はその扉を実際よりもあざやかな緑に描き。教会の塔をいくらか余計に長いように描いたかもしれない。しかし肝腎なのは十五分間というあいだ、私がこの家に自分のふるさとを見たことだ。ただ外から眺めたに過ぎない。そしてその中には知っている人もいないこの牧師館に、私はいつかほんとうのふるさとへのような、そこで私が子供であり幸福であった場所へのような、郷愁を感じることだろう。なぜかといえば、私はここでもまた十五分間というものを、一人の子供であり、幸福であったからだ。

 

 

 

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 農 場

 アルプス南麓のこの祝福された土地を見るたびに、私はいつも亡命から国へ帰って来たような気がし、山の正しい側がわへまたとうとう戻って来たような気がする。ここでは太陽の光もいっそう親しげに、山々の色もいっそう赤く、栗も葡萄も、巴旦杏も無花果いちじくも、のびのびと生長している。そして人々は、貧しくはあるが善良で、風儀がよくて、親切だ。また彼らの作るものは何もかも実にりっぱで、ちゃんとしていて、気持がよく、まるで天然に生えたもののように見える。家も、塀も、葡萄山の段々も、路も、耕作地も、台地も、すべてが新しくもなければ古くもなく、みんな岩石や、樹木や、苔などと同じようにできたもので、決して働いて得られたり、頭をなやまして案出されたり、自然から掠め取られたりしたもののようには見えない。葡萄山の石垣も、家も、屋根も、のこらず同じ褐色の片麻岩で造られていて、すべてが兄弟のように似かよっている。よそよそしく見えたり、敵意をいだいているように見えたり、不自然に見えたりするものなどはひとつもない。何もかも打ちとけて、楽しそうで、隣同士の者のようだ。
 石垣へなり、岩へなり、切株へなり、あるいは草の中へでも地面へでも、どこへなりと君の好きなところへすわるがいい。いたるところ一幅の絵が、一篇の詩が君をとりまき、周囲の世界はそこらじゅうから、美しい調和のしらべを奏でてくる。
 ここに貧しい百姓たちの住んでいる一軒の農家と宅地とがある。彼らは、牛も、豚も、山羊も、鶏も飼ってはいないが、葡萄と、玉蜀黍と、果樹と、野菜とを栽培している。家は全部が石造りで、物置も階段も同じく石だ。二本の石柱にはさまれて、石を刻んでつけた段々が庭へ通じている。植物と岩との間から、いたるところ湖水が、高く、青く見える。
 もの思いや心配事などは、雪の山々の向こうへそのまま置いてきたような気がする。苦しんでいる人たちや厭わしい事柄の中にいると、考えたり心配したりすることが実に多い! あすこでは生きていくことの弁明を見いだすのがひどくむずかしく、またいまいましいくらい重要なのだ。しかもそうしなかったら、どうして生きていかれよう。だが不幸ばかりに出遭っていると人間は憂欝になるものだ。――ところがここには問題などはひとつもない。生存はなんらの弁明をも必要とせず、もの思いは戯れとなる。人は悟る、世界は美しく、生は短いということを。どんな願望も鎮まる時がない。私は眼がもう一対、肺がもう一つあったらばと思う。私は草のなかへ両脚を伸ばす。そして願う、これがもっと長かったらばと。
 私は自分が巨人であったらばと思う。そうしたらば、頭はどこかの高地牧場アルプの雪の近くの、山羊たちのあいだに置き、足の指で下のほうの深い湖をぴちゃぴちゃさせよう。私はそうして横になったままで、もう二度と起き上がるまい。そうすると私の指のあいだには藪が生え、髪の中にはアルプス薔薇が咲き、膝は前山となり、胴体のうえには葡萄畠や、家や、礼拝堂ができるだろう。こうして私は一万年もよこたわって、眼をほそくして空や湖を眺めるのだ。私がくさめをすれば雷がおこる。私が息を吹きかければ雪は溶け、滝がおどる。私が死ねば全世界が死ぬのだ。そうしたら私は宇宙の海をわたって、新しい太陽をとりに行くのだ。
 今夜私はどこで睡るだろうか。そんなことはどうでもいい! 世界の情勢はどんなだろうか。新しい神々が、新しい掟が、新しい自由が発見されたろうか。そんなことはどうでもいい! しかしこの高みにまだ一本の桜草が咲いていて、その葉に銀いろのこまかい毛が生えていること、下のほうのポプラの樹のなかで、そよ吹く優しい風が歌っていること、また私の眼と大空とのあいだに一匹の錆びた金いろの蜜蜂が浮かんでいて、それがぶんぶん唸っていること、――これはどうでもいいことではない。彼は幸福の歌を口ずさんでいるのだ。永遠の歌を口ずさんでいるのだ。彼の歌こそ私にとっての世界史だ。

 

 

 

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 雨

おだやかな雨、夏の雨が
藪からささやき、樹からささやく。
おお、今一度みちたりて夢みるとは、
なんと快くも幸多いことだろう!

あまりに永く外光の中にいた私には
この波の澎湃ほうはいがめずらしい。
どんな他の土地へも牽かれずに
おのれの魂の中に住むことがめずらしい。

私は何も願わない、もう何も欲しがらない、
やさしく子供のしらべを口ずさんで、
わが家のさまに驚きながら
夢のなかで暖かい美をつかむのだ。

心よ、なんとお前は傷つき破れていることか、
しかも夢中にそれを発あばいて、何も思わず、
何も知らず、ただ呼吸し、ただ感じるとは、
なんと幸なことだろう!

 

 

 

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 樹 木

 樹はいつも私にとって、もっとも痛切な説教者だった。彼らが民衆や家族のような生活をして森や林をなしている時、私は樹を尊敬する。そして彼らが単独に立っている時、私はなおいっそう彼らを敬う。そういう彼らは孤独な人間をおもわせる。どうかした弱さから人知れず世をのがれた隠遁者をではなく、ベートーヴェンやニイッチェのような、偉大な、孤立した人々をおもわせる。彼らの稍に現世の風はざわめくが、その根は無窮なものの中に憩っている。彼らはその中でおのれを失わないばかりか、おのが生命のあらん限りをつくしてただ一つのことをなしとげようと努力する。彼ら固有のもの、すなわち彼らの衷にやどっている法則を実現し、彼ら本来の姿を完成し、おのれの何者であるかを示そうと努力する。一本の美しい強壮な樹にもまして神聖な、典型的なものはない。ある樹が伐りたおされて、その露わな死の傷口を日光に曝露している時、人はその切株や墓標のかがやく円盤の上に、彼の全歴史を読むことができる。年輪や畸形な瘤のなかには、すべての闘い、すべての悲哀、すべての疾病、またあらゆる幸福や繁栄が正確に記録され、貧困の年と豊饒の年の思い出や、攻撃を踏んごたえ、嵐にうち克った跡が忠実に書きのこされている。そしてどんな百姓の子でも、もっとも堅くてもっとも高貴な木材はもっとも目のつんだ年輪をもち、いちばんしっかりした、いちばん力強い、いちばん理想的な樹幹は、山の高みの絶えまない危険に哂された場所に育っているものだということを知っている。
 樹は神聖なものだ。彼らと語り、彼らに耳を傾けることのできる者は、真理をまなぶ。彼らは教義や掟を説かない。彼らは個々の問題をとりあげず、生の根本法則を説く。
 ある樹は語る。私のうちには一つの核が、一つの火花が、一つの思想が匿かくされている。私は永遠の生命の生命だ。永遠の母が私によって試みた創案と企図とはただ一つしかない。私の樹形と私の上皮の模様とは、私にあって独特のものだ。私の梢についている葉のちょっとした戯れも、私の樹皮にあるもっとも小さな瘢痕はんこんも、ほかにはない独自のものだ。私の務めは、この特色ある唯一のものの中に永遠なるものを形づくり、現わすことだ、と。
 ある樹は語る。私の力は信頼にある。私は自分の祖先のことは何も知らない。私は毎年自分から生まれる千百の子供らについても何も知らない。私は私の根源の神秘を最後まで生きるのだ。そのほかに私の関心事はない。私は神が自分の衷におわすことを信じている。私は自分の任務の神聖なことを信じている。この信頼によって私は生きるのだ、と。
 私たちが心悲しく、生きることをもはや堪えがたいものに思うとき、ある樹は私たちにこう言うだろう。黙って! 黙って 私をごらん! 生きることは楽ではないとか、苦しくはないとか、そんなことはみんな子供じみた考えだ。お前の衷なる神の声に聞くがいい。そうすればそんな考えは沈黙してしまう。お前はお前の道が、母やふるさとからお前を運び去りはしないかと心配している。しかしそれぞれの一歩、それぞれの一日が、新しくお前を母のほうへ導くのだ。故郷とは、かしこにあるとかここにあるとかいうものではない。故郷はお前の衷にあるのだ。でなければ、ほかのどこにもありはしない。
 夕べ、風にざわめく樹々を聴くとき、漂泊への憧れが私の心をかきむしる。私はじっと立ちつくして永いあいだ耳を傾ける。すると漂泊への憧れもまたその核心と意味とをはっきりさせる。それは、一見そう見えるように、悩みからの逃避の願いではない。それはふるさとへの、母の記憶への、生の新しい姿への憧れである。それは家へ通じている。どの道も家へ通じ、どの一歩も誕生であり、どの一歩も死であり、どの墓も母である。
 夕べ、私たちがめいめいの子供らしい考えから不安を感じるとき、樹はさらさらと鳴りながらそう告げる。樹というものは久しきにわたる考えをもっている。私たちよりも永い生命をもっているように、息も長く落ちついてもいる。私たちが彼らに聴かないかぎり、樹は私たちよりも賢い。しかしひとたび彼らに傾聴することができるようになれば、その時こそ私たちの考えの狭さ、気短さ、子供らしさが、ある比類もない悦びの性質を帯びてくる。樹に傾聴することを学んだ者は、もう樹になりたいとは願わない。おのれ以外の者になりたいとは願わない。おのれ自身、それがふるさとなのだ。それが幸福なのだ。

 

 

 

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 画家のよろこび

畑は穀物を生んで金目のもの、
鉄条網で待ち伏せした牧場は
必需品であって貪欲の陳列、
すべては痛められて監禁の態だ。

しかしここには私から見れば
万象を律する別の秩序が住んでいる。
菫いろは溶け、紫は統べるが
その至純の歌を私はうたう。

黄には黄を、そして赤にも黄を加え。
ほんのり赤い涼しい青。
光と色は世界から世界へ揺れ、
弧を描いて愛の大波の中へ消える。

精神は支配し、あらゆる病は全快し、
緑は新生の泉から響きのぼり、
世界は新しく意味に満ちて割りふられ、
心は楽しくもまた朗らかになる。

 

 

 

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 雨 天

 今にも雨が降ってきそうだ。湖の上には力のない空が、灰いろに、不安げに懸かっている。私は自分の居酒屋の近くを渚にそって歩いて行く。
 すがすがしくて気持のいい雨天というものもある。だが今日のはそうではない。湿気は厚ぼったい空気の中を絶えず上ったり下ったりし、雲はひっきりなしに雨を落とすが、あとからあとからと新しいのがそこへ現われる。不決断と不機嫌とが空を支配している。
 今夜はもっとずっと面白く過ごすつもりだった。漁師の居酒屋での晩飯と一泊、岸べの散策、湖水の水浴び、それもたぶん月光の中での水泳というように。ところがその代わりに、疑いぶかい陰気な空は、神経質に不機嫌に、気むずかしい俄雨を降らせている。それで私も同じように神経質に不機嫌になって、様子の変わった風景のなかを忍び歩きに歩いている。ことによるとゆうべあまり酒を飲みすぎたか、飲み足りなかったか、あるいは怖ろしい夢でも見たのかもしれない。どうもわけがわからない。気分はひどく悪い。空気はだらけて悩ましく、私の思想は暗澹として、この世にはなんの輝きもない。
 今夜は魚を焼かせよう。それといっしょに土地の赤葡萄酒を大いに飲もう。そうしたらきっとまたいくらかの輝きをこの世にとりかえし、人生をもう少し我慢のできるものに感じられるかもしれない。このろくでもない、だらしのない雨を、二度と聴いたり見たりしないように、居酒屋の煖炉で火を焚こう。上等の長いブリサゴの葉巻もくゆらそう。そしてきらきらと真紅の色に輝くように、杯を火にかざすのだ。ほんとうにそうしよう。そのうちには夜も過ぎてしまうだろう。私は睡ることができるだろう。あしたになれば何もかも様子が変わっているだろう。
 浅い岸べの水を雨滴がぴちゃぴちゃ叩いている。つめたく湿った風が濡れた樹の枝をあおっている。その枝が死んだ魚のように鉛いろに光っている。悪魔がスープへ唾を吐いたのだ。何も鳴らない。何も響かない。心を悦ばせるもの、心を暖めるものが何ひとつない。すべてが荒涼として、陰惨で、きたならしい。どの絃も調子が狂っている。どの色も濁っている。
 わかった。そのわけがなんだか。それはきのう飲んだ酒のせいでもなく、ゆうべ寝た堅いベッドのせいでもなく、また雨降りのせいでもない。悪魔がいて、私の内心の絃を一本一本、きいきいいうように調子を狂わせてしまったからだ。そこへまた不安が襲ってきた。子供の頃の夢や、お伽噺や、学生時代の出来事などの思い出からくる不安が。不安が、どうともしようのないものに包囲されている感じが、憂欝が、嘔吐が。世界はなんと味気ないことだろう! 朝がくればまた起き上がり、また飯を食い、また生きていかなければならないとは、なんという恐ろしいことだろう! いったいなんのために生きているのか。なぜこんなにもばかばかしくお人よしなのか。なぜとっくに湖水へ身をば投げなかったのか。
 こんな病気をなおす薬はない。一個の放浪者であり芸術家であるお前が、同時に一個の市民であり端正で健全な人間であることはできないのだ。お前は酩酊を欲する。だから宿酔ももらうのだ! お前は太陽の光や愛らしい空想を肯定する、それならばまた汚物や嘔吐をも肯定するがいい! 黄金と糞尿、快楽と苦痛、子供の笑いと死の不安、すべてはお前の衷にある。そのすべてを肯定し、何ものをも回避せず、何ものをもごまかそうとはしないがいい! お前は市民でもなければギリシャ人でもない。お前は調和的でもなければ自分自身の主でもない。お前は嵐のなかの一羽の鳥だ。嵐はすさベ! お前は吹き飛ばされていけ! 今までにどんなに多くの嘘をお前はついたことだろう! 詩や書物の中でも、なんと幾百千たび、お前は調和的なる者、賢明なる者、幸福なる者、浄化せられたる者のように振舞ったことだろう! そのように彼らも戦争中、内心ではびくびくしながら、攻撃に際しては英雄の役を演じたのだ! ああ、人間とはなんたる哀れな猿で、嘘つきだろう。――ことに芸術家は、――特に詩人は、――なかんずく私という人間は!
 私は魚を焼かせるだろう。そして厚いガラスの杯からノストラーノの酒を飲むだろう。同時に長い葉巻をふかし、煖炉の火に唾を吐き、母をおもい、そして自分の不安と悲哀とから、一滴の甘美の汁を搾り出そうと努めるだろう。それから薄い壁ぎわの堅いベッドに横になって、風や雨の音を聴き、胸の動悸とたたかい、死をねがい、死をおそれて、神の名を呼ぶだろう。それが過ぎ去って、絶望もまた疲労して、眠りや慰めのようなものがふたたび私に目くばせをするまで。むかし二十代の頃はそうだった。こんにちでもそうだ。だから最後の時までずっとそうだろう。私はこれから先もなお、この愛すべき美しい人生をこうした日々で購あがなわなければなるまい。これから先もなお、不安と嘔吐と絶望の、こうした昼と夜とがくるだろう。それでも私は生きていくだろう。それでも人生を愛するだろう。
 おお、なんとぼろぼろに意地わるく、雲が山へ引っ懸かっていることか! なんと不実にからっぽに、無意味な光が湖水へ映っていることか! 私の心にうかぶいっさいが、なんと愚かしくも暗澹たることか!

 

 

 

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 礼拝堂

小さいさしかけ屋根のある、薔薇の花のように赤い礼拝堂は、善良な優しい心をもった人たちの手で、非常に信心ぶかい人たちの手で建てられたものに相違ない。
 私は、こんにちでは信心ぶかい人などはもういないというようなことをたびたび聞かされている。それならば同じように、音楽や青空も、こんにちではもうないと言えるかもしれない。だが私は信じている。この世には信心ぶかい女のたくさんいることを。私も自分では信心ぶかい。しかしいつでもそうだったわけではない。
 信仰へ達する道は、人それぞれみんな違っているだろう。私の場合では数知れぬ迷いと悩み、無数の自己呵責、はなはだしい愚昧、いわば愚昧の原始林を通っての道だった。私は自由思想家だった。それで信仰とは魂の病気だと思っていた。私は苦行者だった。それで自分の肉体へ釘をうちこんだ。私は信心ぶかいということが、健康と晴朗とを意味していることを知らなかった。
 信心ぶかいということは、信頼をもつということにほかならない。信頼は、単純な、健康な、無害な人間や、子供や、未開人がこれをもっている。単純でもなければ無害でもなかったわれわれのような人間は、廻り道をして信頼を見つけなければならなかった。君自身への信頼が第一歩だ。正邪の判断だとか、罪や良心のとがめだとか、禁欲だとか、お供物だとか、そんなものでは信仰は得られまい。すべてそうした努力は、われわれの外部に住んでいる神たちへの訴えだ。われわれの信じなければならない神はわれわれの内心にある。おのれに否を言う者は神に然りを言うことはできない。
 おお、この土地にある幾多の愛らしい親しみぶかい礼拝堂よ! お前たちは私の神とはちがう神のしるしと銘とをつけている。お前たちの信者は私の知らない言葉でお祈りをする。それでも私は檞かしわの森や山の草原でと同じように、心からお前たちに祈りを捧げることができる。お前たちは若者らの春の歌のように、あるいは黄いろく、あるいは白く、あるいは薔薇いろに、緑の中から浮き出して輝いている。お前たちに向かってはどんな祈りも許されるし、どんな祈りも神聖だ。
 祈りというものは、讃美歌と同じように、聖きよらかな、救う力のあるものだ。祈りは信頼であり、是認である。ほんとうに祈る者は願わない。ただ自分の境遇や、自分の悩みを語るだけだ。彼はちいさい子供らが歌をうたうように、自分の苦痛と感謝とを低い声でうたうのだ。そのように、彼のオアシスや小鹿といっしょにピザの寺院にえがかれている至福な隠者は祈ったのだ。あれは世界じゅうでいちばん美しい絵だ。そういうふうに、樹も獣も祈るのだ。りっぱな画家の絵の中では、どんな樹も、どんな山も祈っている。
 敬虔な新教徒の家から出た者は、こういう祈りに達するまでには遠く求めて歩かなければならない。彼は良心の地獄を知っている。彼は破滅の致命的な棘とげを自覚している。彼はあらゆる種類の絶望を、分裂を、苦悩を経験しなければならない。そして長い道程のおわりに近く、あんなにも棘多き道で探しもとめた盛福というものが、どんなに単純な、子供らしい、自然なものであったかを知って啞然とするのである。しかしその茨の道はむだではなかったのだ。故郷へ帰って来た者は、故郷にとどまっていた者とは違っている。彼はもっと深い心からの愛を捧げる。そして正義についても迷妄についてもいっそう自由だ。正義は故郷にとどまっていた者たちの徳である。それは一つの古い徳であり、原始人の徳である。もっと若いわれわれにはそれを利用することはできない。われわれはただ一つの幸福だけを知っている。それは愛だ。そしてただ一つの徳だけを知っている。それは信頼だ。
 お前たち、礼拝堂よ、私はお前たちの信者が、お前たちの組合が羨ましい。幾百という祈禱者はお前たちに悩みを訴え、幾百という子供らはお前たちの扉を花環で飾り、お前たちの中へ蠟燭をそなえる。しかしわれわれの信仰は、遠く旅をして来た者らの敬虔の心は孤独だ。古い信心から生まれた敬虔な人たちはわれわれの仲間にはなるまいし、世界の潮流はわれわれの島の遙かかなたを流れ去るのだ。
 近くの草原で私は花を摘む。桜草や、クローバや、きんぽうげを。そしてそれを礼拝堂へ供える。私はさしかけ屋根の下の胸壁へ腰をかけて、朝の静けさの中で自分の信仰の歌を口ずさむ。私の帽子は褐色の塀の上に載っている。その上へ一羽の碧い蝶が来てとまる。遠い谷間では、汽車がほそい柔らかい汽笛を鳴らしている。藪の上には、まだあちこちに朝露がきらめいている。

 

 

 

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 無 常

私の生命の樹から
一枚、一枚と葉が落ちる。
おお眩まばゆい華麗な世界よ、
なんとお前は飽き足らせるか、
なんと飽き足らせ、疲れさせ、
なんとお前は酔わせるのか!
きょうなお燃えているものも、
やがては衰え消えるのだ。
私の褐色の墓の上を
やがては風が音たてて過ぎ、
おさなごの上に
母は低く身を曲げる。
その目を私はもう一度見たい、
そのまなざしは私の星だ、
その余のものはすべて過ぎゆき飛び散るがいい、
いっさいは死ぬるのだ、喜んで死ぬるのだ。
ただその胸からわれわれの来た
永遠の母のみはここにとどまり、
その戯れの指をもって
無常の空にわれわれの名を書くのだ。

 

 

 

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 真昼の憩い

 ふたたび空は朗らかに笑い、あらゆる物の上には溢れるばかりの空気が踊っている。遠い異国はまたもや私のものとなり、見知らぬ土地もふるさとになった。湖水へつき出した樹のそばが今日の私の席だ。私は家畜のいる一軒の小屋と、二つ三つの雲とを写生した。私は出さない手紙を一本書いた。そして今、嚢をあけて食糧をとりいだす。パンと、腸詰と、胡桃くるみと、チョコレイトを。
 近くに白樺の林があって、そこに乾いた枝のいっぱい散らばっている地面が見える。私はちいさい焚火をし、それを友達にして、そのそばへすわりたくなった。私は向こうへ行って一抱えの小枝をあつめて来、その下へ紙を置いて火をつけた。淡い煙がかろく悦ばしく立ちのぼり、薄赤い焰が晴れやかな真昼の光のなかで不思議なものに見える。
 この腸詰はいい。あしたもまたこれを買うことにしよう。ああ、もしも栗を二つ三つ持っていたら焼きたいところだが!
 食事がすむと私は草のなかへ上着をひろげて、その上へ頭をよこたえ、自分のちいさい香の煙が、晴れやかな空へ昇っていくのをじっと眺める。こんな時にはなにか音楽と祭りの楽しみがあるべきだ。私はそらで覚えているアイヒエンドルフの詩を思い出そうと努める。しかしたくさんは頭に浮かばない。二つ三つの句はどうしてもだめだ。私はフーゴー・ヴォルフやオトマー・シェックのメロディーで幾つかの詩をなかば歌うように口ずさむ。「他国をさまよわんとする者は」と、「おんみ愛する忠実の琴よ」とがいちばん美しい。これらの詩には哀愁がこもっている。しかしその哀愁は一片の夏の雲にすぎず、そのうしろには太陽と信頼とがある。そこがアイヒエンドルフのアイヒエンドルフたるゆえんだ。その点ではメーリケやレーナウを凌駕している。
 もしも今、母がまだ生きていたらば、私は母のことを思い出すだろう。そして私について彼女が知りたがっていたことを、みんな話したり告白したりしようとするだろう。
 そのかわりに十歳とおばかりになる、髪の毛の黒い、一人の女の児がやって来た。子供は私と私の焚火とを見物すると、一粒の胡桃と一切れのチョコレイトをもらって、私のそばの草の中へすわりこんだ。そして自分の山羊のことや兄のことを、子供らしい品位と真面目さとで話した。それにひきかえ、われわれ大人という者はなんという道化役者だろう! ところで子供はもう帰らなければならなかった。父親のところへ弁当を届けに行くことになっていたからだ。子供は叮嚀に、まじめくさって挨拶をすると、木靴と赤い毛の靴下といういでたちで出掛けて行った。名はアヌンツィアタといった。
 火は消えた。太陽はそれと気のつかないほど移っていた。今日私はまだかなりの距離を歩くつもりだ。嚢へ荷物を詰めたり、止め金を締めたりしている間に、また一つアイヒエンドルフが頭へ浮かんだ。それで、膝を突いたままで私は歌った。
  やがて、ああ、やがて静けき時来なば、
  われも憩わん、わが上に
  美しき森のしじまぞ囁かん、
  ここにしてまたわれを知る者たえてあらじ。
 私はこの好もしい詩句の中でもまた、哀愁はひとつの雲の影にすぎないことを今初めて知った。この哀愁こそ、それなくしては美がわれわれを動かすことのできない、あの無常の柔らかい音楽にほかならないのだ。その哀愁には苦痛がない。私はそれをいだいて旅をつづける。そして心満ち足りてなおも遠く山路をのぼり、眼下に深く湖を眺め、栗の樹の立つ水車場の小川に沿って睡ったような水車のそばを通りすぎ、静かに青あおとした昼間のなかへ歩いて行くのだ。

 

 

 

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 死に寄せる旅人の歌

いつかおれにもお前は来る。
お前はおれを忘れない、
それで苦痛も終わるのだ、
それで鎖も切れるのだ。

お前はまだ見知らぬ遙かなものに見える、
愛する兄弟なる死よ、
お前はひとつの涼しい星のように
おれの悩みの上に立っている。

しかしいつかは近づいて来て
お前は炎々と燃えるだろう。
来るがいい、愛する者よ、おれはここにいる、
おれを掴め、おれはお前のものだ!

 

 

 

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 湖と樹木と山と

 昔、ひとつの湖があった。その青い湖と青い空とをぬきんでて、一本の春の樹が緑と黄にそびえていた。対岸では、弓がたをした山々の上に、空か静かに憩っていた。
 一人の旅びとがその樹の根かたに腰をおろしていた。黄いろい花びらが彼の肩へ散りかかった。旅びとは疲れをおぼえて目をとじた。夢が、黄いろい樹から彼の上へ落ちてきた。
 旅びとは小さい昔にかえって、一人の少年だった。彼は家のうしろの庭の中に、母の歌ごえを聴いた。彼は一羽の蝶が、黄いろく愛らしく、青空のなかを悦ばしい黄いろに飛んでいるのを見た。彼はその蝶を追いかけた。彼は草原をこえ、小川をこえて、湖のふちまで走って行った。すると蝶は明るい水のうえ高く、いよいよ遠く飛んで行った。それで少年もそのあとを追いかけて、きらきらと軽やかに舞いうかび、青い空間を縫って楽しげに飛んだ。太陽は彼の翼のうえで輝いた。少年は黄いろい物を追いながら、湖や高い山岳をこえて飛んだ。そこには、一座の雲の上に神が立って、歌をうたっていた。神のまわりには天使たちがいた。そしてその天使の中の一人で、少年の母のように見えるのが、うなだれたチューリップの花壇へ立って、水をそそごうと緑いろの如露をにぎっていた。少年はその天使のほうへ飛んで行った。そして今や彼もまた一人の天使となって、母を抱いた。
 旅びとは目をこすった。そしてまた目をとじた。彼は赤いチューリップを一本折って、それを母の胸に挿した。彼はチューリップを一本折って、それを彼女の髪に挿した。天使らや蝶は舞いかけり、世界じゅうの鳥や獣や魚たちがことごとくそこにいた。そしてめいめい名を呼ばれると近づいてきて、少年の手中へ飛びこんで彼のものとなり、撫でるにまかせ、問うにまかせ、甘んじて彼の心のままになった。
 旅びとは目を醒ました。そして天使のことを考えた。彼は美しい花びらがはらはらと樹から降るのを聴いた。彼は純な静かな生命が、金色の流れとなって樹の内部を上下するのを聴いた。山は向こうから彼を眺めていた。そこには褐色のマントに身を包んだ神が凭れかかって、歌っていた。その歌はガラスのような湖の面をわたって響いてきた。それは単純な歌だった。それは樹木の内部にひそむかすかな流れや、心臓の中の血液のかすかな流れと入りまじって響き合った。そしてそのかすかな金色の流れとともに、夢からの流れもまた彼をとおしてはとばしった。
 その時、旅びとも自分で歌いはじめた。ゆるやかに、ながながと。彼の歌はすこしも芸術ではなかった。それは打ちよせる波の音やそよかぜのようなものだった。それは一種の唸りにすぎず、蜜蜂の羽音のようなものにすぎなかった。その歌は遠くで歌っている神への、樹の中で歌っている流れへの、また血の中を流れている歌への応答であった。
 こうして永いあいだ旅びとは一人で歌っていた。ちょうど糸しゃじんの鈴の花が春風の中でひとりで鳴り、黄脚ばったが草の中で音楽をかなでるように。彼は一時間のあいだ歌いつづけた。それとも一年間であったかもしれない。彼は子供のように、神のように歌った。彼は蝶をうたい、母をうたった。彼はチューリップをうたい、湖をうたった。彼はおのが血と樹木の中の血とをうたった。
 彼がなおも歩みつづけて、ぼんやりと温暖な土地へ足をふみいれた時、その道や、その目的地や、その特別な名が、ふたたびおもむろに心の中によみがえってきた。そして今日が火曜日であること、向こうのほうをミラノへの道の走っていることに気がついた。ただ、遠方のいっさいがまだ歌をうたっていて、それが湖をわたって伝わってくるのが聞こえた。そこには褐色のマントをまとった神が立っていて、相変わらず歌っていた。しかし旅びとの耳からはしだいにその調子が消えていった。

 

 

 

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 色彩の魔術

神の息吹いぶきはここかしこ、
上なる空に、下なる空に。
光は千百の歌をうたい、
神は多彩華麗の世界となる。

白は黒に、暖は冷に、
たえず新しく牽かれるかとばかり、
混沌たる動揺から出て永遠に
あざやかに清く虹は澄む。

そのように我らの魂をとおして
千百の悲喜の姿に変じながら
神の光は創造し、行為する、
そこで我らは彼を太陽として讃美する。

 

 

 

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 曇り空

 岩のあいだに、小さい、丈の低い草が花を咲かせている。私は横になって、夕暮のような空を眺めている。もう二、三時間まえから、小さい、静かな、縺れ合った雲のために、おもむろに被われている空である。ここではまったく感じられないが、あの高いところには風が吹いているに違いない。それが雲の糸を網のように編むのである。
 地球上の水の蒸発と、雨となってのその再降下とが、ある一定のリズムをもって行なわれるように、一年の季節や潮汐に、その極まった時期と順序とがあるように、われわれの内部でもまたいっさいが、規則的に、固有のリズムをもって進行する。フリース教授という人があって、生命の諸現象の周期的な回帰に関して、それを現わすための一定の数列を算出したそうである。それは猶太秘教カツバラーを想わせる。しかしカッバラーもまた学問だと言えなくはないようである。それがドイツの教授連から微笑をもって迎えられるとすれば結構なことである。
 私の生命の中にあって私の怖れている暗い波も、やはりある一定の規則正しさをもってやってくる。私は日付や数を知らない。私は一度も続けて日記を書いたことがない。私は二十三とか二十七とかいう数が、あるいはなにか別の数が、その波と関係があるかどうかを知らないし、また知りたいとも思わない。ただしかし私はその暗い波が、なんら外部からの原因なしに、ときどき私の魂の中に高まってくることを知っている。ちょうど雲の影のように、この世の上を一つの影が走る。喜びが贋物のようにおもわれ、音楽にも興がなくなる。やるせない気持がつのって、死が生よりもましなものになる。どのくらい間をおいてか知らないが、ときどき発作のようにこの憂欝がおそってきて、私の空を徐々に黒雲で被ってゆく。心が落ちつかなくなり、不安の予感が頭をもたげ、たいていは毎晩夢をみる。ふだんは好きな人間や、家や、色や、音が、安心ならぬものになり、うそのような印象を与える。音楽は頭痛をおこす。あらゆる手紙が不愉快で、陰険な針を包んでいるような気がする。こんな時に誰かと話をしなければならないことは苦痛であり、きっと一芝居はじまってしまう。こういう時にはそれに立ち向かう弓も鉄砲もない。実はこんな時こそそういう武器が欲しいのだが。すべてのものに対して、人間に対して、動物に対して、天候に対して、神に対して、自分の読んでいる書物の紙に対して、自分の着ている着物の布地に対して、憤怒や、苦痛や、非難が立ちあがる。しかし憤怒といい、焦躁といい、非難といい、憎悪といっても、別に事物に罪があるわけではないから、結局みんなそのまま私自身へ帰ってくる。憎悪に価する者は私なのだ。この世に不和と不快とをもちこむ者は私なのだ。
 今日、私はそうした幾日のあとでの休養をとっている。私はこの安息状態が当分は期待できるということを知っている。私はこの世界がどんなに美しいかということを、それがこの瞬間私にとって、他の誰にとってよりもさらに無限に美しいということを、色彩がいっそう甘やかに響き、空気がいっそう悦ばしく流れ、光がいっそう柔らかに浮かんでいることを知っている。そしてこんな佳い日に会うためには、生きることが堪えがたいような幾日かを通り抜けてこなければならないことも知っている。憂欝に対しては良い薬がある。歌をうたうこと、敬虔な気持になること、酒を飲むこと、楽器をもてあそぶこと、詩をつくること、歩きまわることなどがそれだ。私はこうした薬で生きている。ちょうど隠者が日禱書で生きているように。時には天秤てんびんの皿が沈んで、私の善い時が稀になり、その善さもまた減って、どうしても釣合がとれないような気のすることもたびたびある。時にはまたその反対に、私か進歩して、善い時がふえ、悪い時が減ったように思われることもある。私が決して願わないのは、最悪の時でもなおかつ願わないのは、善と悪との中間の状態、いわば一種なまぬるい、平凡な中庸の状態である。否、むしろ曲線の極端こそ、――もっとひどい苦しみこそ望ましい。そしてその代わりには、いっそう豊かに光り輝く無上幸福の瞬間が欲しい!
 不快な気分がしだいに私から消えてゆく。生きることはふたたび好ましく、空はふたたび美しく、放浪にもまた深い意味が感じられる。こういう帰還の幾日には、私は病気から恢復した時の情緒のようなものを身に覚える。なんら実際の苦しみを伴わない疲労、なんら苦にがさをもたない忍従、なんら自己軽蔑のない感謝の念などがそれだ。ふたたび静かに生命の線が上昇をはじめる。私はふたたびなにか歌の文句を口ずさむ。私はふたたび一輪の花を摘む。私はふたたび散歩の杖をもてあそぶ。私はまだ生きている。またもや生命をもちこたえた。私はもういちどもちこたえるだろう。そしておそらくはなおしばしば。
 雲に被われた、それ自身のうちで静かに感動している。無数の糸で織られたようなこの空が、私の魂に影をうつしているのか、それとも逆に、私がこの空から、ただ自分の内面の姿を読みとっているに過ぎないのか、それを言うことはまったくむずかしいように思われる。時とすると、何もかもぜんぜんわからなくなってしまうことがある! 自分の古い神経質な詩人としての、また放浪者としての感覚で認めることのできるほど、それほど微妙に、それほどこまかく、真に空気や雲の状態、色の調子、匂いや湿度の変化のわかる人間は、この世には一人もいないのだと一人で確信する時もある。そうかと思えば、また今日のように、とにかく私がかつて一度でも何かを見たことがあるのか、聴いたことがあるのか、嗅いだことがあるのか、それとも自分で知覚していると思っているいっさいが、実は単に私の内部生命の、外界への投影に過ぎないのか、それが疑わしく思われる時もある。

 

 

 

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 赤い家

 赤い家よ、お前の小さい庭と葡萄園とから、アルプスの全南方が私に薫ってくる! 私は今までにも幾たびかお前のそばを通りすぎた。そしてその初めての時、私の放浪の喜びは、痙攣しながら、もうそれと対立するものを考えていたのだった。そして今また、私は昔ながらの、しばしば歌われたあのメロディーを奏でるのだ。すなわち、安住の地をもつこと、緑の庭の中に小さい家があり、あたりは静かで、ずっと下のほうには村落が見えるという、例のメロディーだ。東がわの小部屋には私のベッドが、私ひとりで使うベッドがある。南がわの小部屋には私の机がある。そしてそこへは、かつて、ずっと以前の旅の時にブレシアで買った、あの小さい、古い、聖母の像も私は懸けよう。
 朝と夕暮とのあいだを昼間が過ぎ去るように、旅への衝動と安住の願いとのあいだを私の生活が過ぎてゆく。たぶん、私はいつかは旅と遠方とを自分の魂に所有して、もう二度とそんなことを実行する必要のないように、彼らの姿を自分の衷にもつようになるかもしれない。またたぶん、いつか私は、安住の地を自分の衷に見いだすようになるかもしれない。そうすればもう庭園や、小さい赤い家などに秋波をおくる必要もなくなるのだ。――自分の衷に安住の地をもつならば!
 その時には生活がどんなに変わったものになるだろう! それはひとつの中庸を得るかもしれない。そしてその中庸からすべての力が動きだすかもしれない。
 ところが私の生活には中庸はない。それどころか、私の生活は一つの極とその対極とをつなぐ無数の線のあいだを、ぴくぴく顫えながら揺れているのだ。ここでは安住へのあこがれ、かしこでは旅への思慕、一方では孤独と僧院への熱望、他方では愛と協力への衝動というように! 私は書物や絵をあつめた。そしてまたそれを手放した。私は奢侈しゃしと悪徳とをたのしんだ。そしてそこを去って禁欲と精進とへ移っていった。私は生命を実在として、敬虔の念をこめて敬った。同時にそれを単に機能としてのみ認め、かつ愛することもできた。
 しかし自分を違ったものに変えることは私の仕事ではない。それは奇蹟の仕事だ。奇蹟をさがす者、それを引き寄せようとする者、それに助けを求める者を、奇蹟はかえって避けるだけだ。私のなすべきは、さまざまな緊張した矛盾のあいだを揺れること、奇蹟につかまった時の用意をすることだ。私のなすべきは、不満をいだくこと、落ちつきなさに悩むことだ。
 緑の中の赤い家よ! 私はすでにお前を体験した。だからもう二度とお前を体験したいなどと思ってはいけないのだ。私はすでに一度ふるさとをもち、一軒の家を建て、壁や屋根を測量し、庭の小径を設計し、そしてそれぞれの壁へそれぞれの絵を懸けた。人間は誰でもそういうことに一つの好みをもっているものだ。――私がかつて自分の好みにしたがって生き得たことはしあわせだった! 私の願いのうちのたくさんのことが、今までの生活の中でかなえられている。私は詩人になりたいと思った。そして詩人になった。私は家をもちたいと思った。そして自分の家を建てた。私は妻や子供らを欲しいと思った。そして両方とももつことができた。私は人々に語って彼らに影響を与えたいと思った。そしてそれを実行した。そしていわゆる願望の実現がじきに飽満の状態になった。しかしそういう飽満こそ私の堪え得られないことだった。ものを書くことが私には不安になった。家も私には窮屈になった。行き着いた目的地はもう目的地ではなかった。どの道も廻り道で、どの休息もあたらしい憧れを生んだ。
 おおくの廻り道をまだ私はするだろう。おおくの成就がなおも私を失望させるだろう。いつかはいっさいがその意義をあらわにするだろう。
 矛盾対立のなくなるところ、そこは涅槃ニルヴアナだ。私にはなつかしい憧れの星がまだ鮮かに燃えている。

 

 

 

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 夕べとなれば

夕べとなれば野中をゆっくり
恋人同士が散歩する、
女たちは髪をとき、
商人どもは銭をかぞえ、
市民は夕刊新聞で
心配そうにニュースを読み、
子供らは小さい拳を握って、
満ち足りてぐっすり寝てしまう。
皆それぞれに当然のことをして、
りっぱな本務に従うのだ、
市民も、赤児も、恋人同士も、――
ところでおれには務めがないのか。
どっこい! おれが奴隷になってる
夜の仕事にしたところで、
世界の活力には欠くべからず、
それ相応の意義はあるのだ。
そこでおれはあちこち歩いて、
内心の踊りを踊り、
ばかげた俗謡を口ずさみ、
神と我とを褒めたたえ、
酒を飲んでは
自分を土耳古総督バシヤだと空想し、
腎臓に不安を感じ、
ほくそ笑み、もっと飲み。
(あすはだめだが)
きょうのところはおのが心に然りヤアを言い、
昔の痛手から紡ぎ出しては
ひとくさりの詩をものし、
月だの星の運行を眺めて
彼らの意義を観じながら、
どこへなりとお構いなしに
彼らといっしょに旅をしている気になるのだ。

 

 

 

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 あとがき     尾崎喜八

 私のところにBesuch bei Hermann Hesse「ヘルマン・ヘッセ訪問」という一冊の薄い写真集がある。彼の息子マルティンの手になったもので、スイス・モンタニョーラでのヘッセ晩年の日常生活がそっくりそのまま、生き生きと写されている。ヘッセが好きでヘッセに会いたくても、時も機会もないような世界中の愛読者のために出版された本であろう。邸宅にしろ庭園にしろ、玄関にせよ室内にせよ、書斎でも居間でも食堂でも、すべてが普段着のままである。ニノン夫人と森を歩いているヘッセ、孫と一緒に焚火をしているヘッセ、山の小径に腰をおろして湖の風景に眼をあげているヘッセ、二人の息子と睦まじく話をしているヘッセ、はるばる訪ねてきた旧友と庭の片隅で手をとり合っているヘッセ、自分の水彩画を複写しているヘッセ、原稿だか手紙だかを読んでいるヘッセ、苗木に水をやっているヘッセ、更には石段に腰をかけてぼんやり考えこんでいるヘッセ。本当にその時その時のヘッセがさながらに蘇ってほほえましくも懐かしい。
 性格や境遇の内にどこか似たところがあったせいか、若い時からヘッセが好きで、彼の詩を読みたいばかりに独学でドイツ語を学んだ私は、その詩はもとより、小説作品の大部分のものを読んで一つ一つ深い感銘をうけた。しかし詩も好きならば自然も好きだった私にとっては、同じヘッセでも純粋に小説風の作品より自然の出てくる詩的で自由な随筆風のものが一層気に入った。そしてそういう気に入ったものを自分で訳してもっていたのがこの本の内容である。つまり私はこの本で自分の最も好きなヘッセの一面を日本風に磨き出したといってもいいかもしれない。こんにち老年病後の体を養いながら、一人静かにこんな事を書いていると、ヘッセをあの世へといざなった死も、結局は遠からず自分の門を叩くのだという気がする。曾てはそう思う事が怖ろしかったが、今ではもうそれほどでもない。ロマン・ロランやヘッセヘの傾倒のおかげもあって自分の仕事を打立てる事が出来たと思えば、八十歳を超える長寿にむしろ感謝の手をさしのべるべきであろう。そしてこうした気持でヘッセ晩年の詩なり文章なりを読む時、その若い頃のものからはとうてい得られなかった生なり死なりへの生々しい実感が胸に迫るのである。曾て死は美ですらあった。しかしこんにちそれは虚無である。しかもそれを知り乍らなお生に執着する事、これが生きているものの業であろう。
 何はさて措き私はこの本を世に残す。生涯のある時期を共に生き乍ら自己の形成に役立てた仕事、ヘルマン・ヘッセの飜訳の本をここに残す。人々はここから何か学ぶところがあるかもしれない。もしもそうだったとしたら私は嬉しい。なぜならば此の中には私の云い得なかった事、語り得なかったものがいかにもヘッセらしく云われ語られているからである。
                       (昭和四十八年十一月二十五日)

 

 

 

 

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